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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
4章 実地試験
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07.記憶の爪牙◇

 木々の幹は人の苦悶の表情を映したように捻れ、葉は変色し薄く紫がかっている。草の茎には血で染め抜いたような色をした鋭い刺が無数に生え、素手で触れば出血は免れなかった。 


 しげった葉に陽光を遮断された深き森の中は、その薄暗さと自生する草木の薄気味の悪さによって、まさに魔の巣窟と呼ぶに相応しい場景を作りだしていた。


 樹木の群れから離れて生えている、一際幹が太い木。外界で休息を取りたい場合は、木の上が最も安全だった。魔獣には翼を持つ個体がいないので、とつじょ飛びかかられるという状況に陥ることがないのだ。枝に飛び移ることができる魔獣はいるが、木の軋みによって接近を察知することができた。


「ユニ、怪我してないかな?」


 幹のようにたくましい枝に腰を落ち着け、サフィが言った。携行食糧を小物入れから取り出したフェイヴァは、ふたつに分けて彼に差し出した。一見すると焼き菓子のようなそれは、穀物を固めて乾燥させた物で、すこぶる固い上に不味かった。


「大丈夫だよ。ユニはハイネさんと一緒なんだもん。女子の中でハイネさん以上に強い人はいないよ」

「……そうだね。彼女、僕より強いし。きっとユニを守ってくれるよね」


 ほっとした様子で微笑むサフィに、フェイヴァも大きく頷いた。その一方で不安があるのも事実だった。ユニは特筆した戦闘技術の持ち主ではない。ハイネも女子にしては強い方だが、やはり人間だ。そんなふたりが怪我を負うことなく、防壁の外周を踏破できるのだろうか。フェイヴァはふたりの無事を心の中で祈った。


 対して、ミルラの方は心配する必要すら感じなかった。彼女はレイゲンと一緒なのだ。フェイヴァより格段に強い彼のこと。魔獣からミルラを守ることなど、鼻唄を歌うくらい容易いに違いない。


「サフィって、ユニのことが好きなんだね」

「いや、僕は友人として」


 サフィはなぜか顔を赤くし、慌てふためいた。かじりかけの携行食糧が手から落ちそうになる。


「気持ちわかるよ。ユニ、優しくって頼りになるから、お姉ちゃんみたいで安心できるもんね」

「え……。まあいいや、それで」


 フェイヴァは腰に吊るしていたシュラプネル銃を抜き、留め金の状態を確認した。中折れ式の銃は留め金によって開閉()()が固定されている。ゆえに小さな接触面に応力が集中するため、摩耗し易いのだ。フェイヴァは小物入れから新しい留め金を摘まみ出して、古い留め金と交換した。


 散弾銃を吊ったフェイヴァは、ふと遠くに目を向けて動きを止めた。


 彼方に、植物とは違う色の物体を発見した。木々の間から覗くそれは苔と蔦に覆われている。拡大して見てみれば、ほぼ崩れた壁らしきものだった。


 葉の天蓋の下、それは今にも倒壊しそうに建っている。地面に突き刺さっている瓦礫が、ほのかに白く光っていた。煉瓦でも石材でもない資材が使われていることは明白だ。


「あれなんだろう?」

「ぼんやり光ってるね。もしかして、遺跡かな?」


 サフィは立ち上がって、額の上に掌をかざした。遠くのものを見透かすように目を細める。


「世界各地には、大戦の凄まじさを物語る遺跡が点在してるんだ。ほとんどが崩れかけの壁や建物なんだけど……」


 サフィは言葉を切る。


「フェイヴァはユーフォリアには行ったことがある?」

「ううん。私はずっとフレイで暮らしてたから。

 ユーフォリアって、一番北にある国だよね」


 フェイヴァは先日の授業を思い返した。


 翼竜を横から眺めたような形をした大陸。その北の果て、翼の位置に国を構えているのがユーフォリアだ。国土の三分の一が植物の生えない不毛の地になっており、残された清浄の大地で人々はほそぼそと暮していた。


 荒れ果てた大地と破壊された遺跡群。残された数少ない資料を照合した結果、現ユーフォリア国は、かつて世界一の技術力を有していたホリニス・グリッタ国があった地と断定された。文明を破壊し尽くした大戦を引き起こしたとされる大国である。


 対戦によって魔法のような技術と豊かな暮らしが失われたが、それでも人間が完全に滅びることはなかった。北の地で生き残った人々は少しずつ数を増やし、自分たちの領土を広げていった。しかし、ほとんどが植物も育たない荒れ果てた土地だ。手を取り合わなければならない人々は、食糧難により争いを始めた。


 流血に嫌気が差し、一部の人々は翼竜を駆って世界各地に散らばっていった。それが、神世暦の始まりと言われている。ゆえに、フェイヴァたちが使っている言葉はホリニス・グリッタ語である。地域によって独特のなまりがある程度で、どの国に行こうとも言葉は通じる。


「これは本で読んだんだけど、ユーフォリアの不毛の地は、別名禁忌の地とも呼ばれているんだ。大型の魔獣がひっきりなしに襲ってきて、国軍や狩人が部隊を編成しないととても奥地に進めないんだって。その不毛の地を越えた先には、かつての人類の繁栄を思わせる広大な遺跡が広がっているらしいんだ! すごいよね! 一度でいいから見てみた……」


 小さな子供に似た瞳の輝き。興奮を感じさせる口調で話していたサフィは、我に返ったようだった。恥ずかしげに俯く。


「あ……。つい熱くなっちゃった。退屈だったよね」

「そんなことないよ。サフィって博識なんだね」


 フェイヴァは首を振った。自分はあまりにものを知らない。誰かが熱く未知を語ってくれるのは、楽しかった。


 照れくさそうに、サフィは灰色の瞳を和ませる。


「この辺りにも、聖王歴の建物の残骸らしきものがあるって本に載ってたよ。木々に囲まれてるのに、よく見つけられたね」

「私、目がいいから……」


 どんなに遠方にあるものでも拡大して見ることができる。目がいいどころの話ではない。


 板を引っ掻くような、高音の魔獣の鳴き声がした。眼下に顔を向ければ、一匹の鼠が下草を掻き分けていた。灰色の毛皮が所々剥がれた身体は、【地を弾む(スライト)】が生まれ持ったものだ。


 フェイヴァの脳裏には、魔獣の誕生を目撃してからずっと浮かんでいた疑問があった。


「ねえ、サフィ」

「どうかした!?」


 給水筒から水を飲んでいたサフィは、慌てて振り向いた。気管に水が入ったのか咳きこむ。


「大したことじゃないよ。ただちょっと、疑問に思っただけ。神話では、魔獣って冥界から出てきた魂が乗り移った動物なんでしょ? それなのに、鼠から猫が生まれたり、蛙が生まれたり、変だなって思って」


 荒く息をついたあと、サフィは給水筒の蓋を閉めた。


「フェイヴァって、オリジン正教を信仰してるの?」

「お母さんがそうなんだけど、私はよくわからない」

「神話っていうのは史実じゃないんだよ。自然への畏怖やその神秘性を説明するために、大昔の人々が考えた伝承みたいなものなんだ。実際に起こった大規模な災害や戦争を、神の奇跡と関連づけていることはあるかもしれないけど」

「……そうなんだ」


 神話に記されている通り、聖王暦の後期、文明を破壊し尽くすような大戦が確かに起こっている。ほとんどの資料が失われてしまっており、その原因をうかがい知れないことが、ますます神の介入を想像させるのだろう。


「だから魔獣の正体についても、神話通りという訳にはいかないんじゃないかな。僕は小さな頃、ファンダスに暮らしてたんだ。だから他の人より少しは詳しいと思う」


 ファンダス王国は、大陸の西に位置する、魔獣の研究が盛んな国家だ。武器の開発や改良を行っているブレイグ王国とともに、ディーティルド帝国の攻撃を受け支配下におかれている。


「僕の父が、国が推し進めていた魔獣の研究に携わっていたんだ。聖王暦の資料の内容を聞かせてもらったことがある。それによると、魔獣はつがいにならなくても子を産み、十日も経たずに成体になるんだって」


 親とはまったく異なる種族の魔獣が生まれる。この事実だけでも、魔獣が動物とどれだけかけ離れた存在かがわかるだろう。その正体は一体なんなのだろう。答えは、失われた文明の闇に隠されている。


「魔獣って、なんなんだろう」

「どうとも言えないよね。フェイヴァは気づいた? ……覚醒者の能力って、魔獣の使う力と似ていると思わない?」

「……あ」


 サフィの指摘に、フェイヴァは悪寒が走った。確かにスライトが放ってきた炎は、ミルラの能力と酷似している。


「僕も覚醒者だからこんなこと言いたくないんだけど……覚醒者と魔獣には、何か密接な関係があるような気がするんだ」



***



 都市の外に出て、一時間が経過した。接近してくる魔獣はほとんどが鼠や猫などの小型なので、何とかふたりで相手をすることができた。息の根を止めたらすぐに牙や爪を剥ぎ、その場を後にする。


 人の手が入っていない外界なら、こうはいかないだろうとフェイヴァは思った。つい昨日までウルスラグナが雇った狩人たちが、部隊を組み大規模な魔獣狩りを行っていたのだ。死体は破壊し尽くされ都市の近くで焼却されたと聞く。これによって、周辺の魔獣の数はほどよく減らされ、訓練生たちは授業で学んだ知識を、冷静に活かすことができた。


(でも、気を抜いちゃいけないかも)


 フェイヴァたちと同じように、息の根を止めた魔獣の腹を引き裂く行為に嫌悪感を抱く者もいるかもしれない。どんなに小型な魔獣からでも、二体の幼体が生まれるのだ。鼠講式に膨れ上がっていく魔獣の中で、いつ大型が生まれてもおかしくない。それは経験が少ない訓練生たちにとって脅威となるだろう。


「──止まって」


 フェイヴァの聴覚は、遠方から聞こえるわずかな音さえ聞き逃さない。葉のざわめきや足下に伝わる鈍い振動を感じ取ったフェイヴァは、サフィの身体の前に手をかざしてとどめた。


「な、何?」


 戸惑うサフィに構わず、フェイヴァは耳を澄ます。後方を振り向くが姿は確認できない。しかし確かに感じ取れる重々しい足音とかすかな振動は、敵が巨躯であることを示していた。


 フェイヴァはサフィの手を引いて駆け出した。彼にとっては唐突な動作だったのだろう。前のめりになりながらも走り出す。


「フェイヴァ!?」

「何かが近づいてきてる! ここから離れた方がいいよ!」


 岩が埋まった凸凹とした地を蹴り跳ぶ。立ち塞がる樹木を避けながら走っていると、頭上で枝が軋む音がした。何かが跳躍し、空から降ってくる。駆け抜ける時間はなかった。フェイヴァが急停止すると、サフィが背中にぶつかってくる。行く手を遮って着地した魔獣。サフィが悲鳴を上げる。


 猿の姿をした彼らは、引き絞られたように捻れた身体と、大きく歪んだ口を持っていた。何よりも異様さを訴えるのは、身の丈を越えるほどの長さに発達している腕だ。右腕は足下につくほどで、左肩はまるで金属をまとっているように硬質な光が浮かんでいた。そこから伸びる腕は、湾曲した巨大な刃。


 三匹の猿──【酩酊する刃(アンダニム)】は、揃いの動作で肩から腕を外すと、フェイヴァに向かって投擲する。


 フェイヴァはサフィの腕に力を込めて引き倒した。彼の頭上すれすれを、三振りの刃が通り過ぎた。それらは旋回すると、主の元に戻っていく。刃を掴むとアンダニムたちは肩に填めた。


 銃で視覚を潰している暇はない。フェイヴァはサフィに大剣を抜くように言うと、前方に突進した。飛び上がったアンダニムが、牙を剥き出しにする。フェイヴァは両手で刃を払った。急所以外に攻撃を与えても再生してしまう。深々と斬り裂いた腹が塞がっていくのを目の当たりにする。


 後ろから続いたサフィが、フェイヴァの大剣を受けて怯んだアンダニムに、刃を叩き込んだ。真っ直ぐに突き出された刃は猿の首を浅く傷つける。鞭のように振るわれた右腕を、フェイヴァはサフィを突き飛ばして避けさせた。爪が背中に当たるが、サフィを突き飛ばした時に一歩後ろに跳んだからか、鎧に鈍く響いただけだった。フェイヴァは柄を引き絞ると、サフィの刃が擦った箇所より下を、刀身で薙ぎ払った。椎骨を切断する感触が伝わってくる。絶命した猿を飛び越えて、二匹の仲間が襲いかかってくる。


 飛び上がり振るわれた腕を、フェイヴァは大剣の背を盾にして弾いた。と同時に後ろに下がる。


 重量を感じさせる足音は、着実に迫ってきている。肩越しに後ろを向けば、黒々とした魔獣の影を捉えた。このままだと追いつかれてしまう。


 大口を開け顔を突き出したアンダニムに、フェイヴァは大剣を突き通す。血を撒き散らしながらも距離を離した猿は、耳障りな声で唸った。腹の傷が急速に再生していく。


 短い悲鳴を聞いて、フェイヴァは目を見開いた。


 声のした方向に顔を向ければ、サフィが膝をついていた。彼の片足は鮮血に染まっている。サフィの肉を抉った猿が、血で濡れた爪をしゃぶった。醜悪な笑みが顔面に広がる。


「サフィ!」


 跳びかかってきたアンダニムの頭を大剣で粉砕した。死体には目もくれずサフィに駆け寄る。肩から刃を外した猿が、フェイヴァに向かって投げつける。フェイヴァは地面を転がり回避した。


 サフィのそばに立つと同時に、幹がたわみ悲鳴を響かせながら裂けた。


 たくましい四肢を振りながら、巨体が接近してくる。灰色の毛皮が所々剥がれ、赤黒い肉が見えている。熊の魔獣──【絶壁(グレイシャー)】だ。前足には、植物が萌えるように無数の爪が生えている。頭部と首は、まるで天敵の攻撃から急所を守るかのごとく、鈍く輝く金属のようなもので覆われていた。


 グレイシャーが顔を振り上げて咆哮する。地の底から反響しているようにも聞こえる声が、響き渡った。顎が外れんばかりに開かれた口内に、黄緑色に瞬く光がある。


(──何か来る)


 フェイヴァはサフィの身体を支えると、その場から跳んだ。地面に倒れ込むのと同じくして、グレイシャーの口から電撃が迸った。空気を焦がしながら枝分かれし迫ってくる電撃は、地面を黒く染め、煙を立ち上らせた。


 息を吐く暇もなく、フェイヴァの足に激痛が走った。アンダニムが足に噛みついてきたのだ。


 痺れるような痛みが、頭から爪先まで突き上げる。


 フェイヴァの身体は、震えんばかりの恐怖に縛られた。


「ひっ……いやあああっ!」


 状況がまったく異なるにもかかわらず、その鮮烈な痛みがフェイヴァを過去に引き戻した。


 自分の身体に、次々と大剣が振るわれる。泣いても哀願しても、誰ひとりとして攻撃を止めなかった。絶え間ない激痛が身体を襲う。──鋭い歯を突き立てている猿が、兵士の憎悪に満ちた顔と重なったのだ。


 自分ではどうすることもできない。誰も助けてくれない。甚大な恐怖までも想起する。


 恐慌をきたした精神は、無意識の内に過去と同じ機能を選択した。


 すべての感覚を閉ざし、強制的な冬眠状態に切り替えたのである。

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