06.実地試験開始◇
◇◇◇
風天の月一日。実地試験当日。
組み合わせと出発時間は前日にくじ引きで決められ、広間に大きく貼り出されていた。
明朝、都市ネルガルの門扉から出発した二人の訓練生は、防壁の外周を移動し三時間以内に戻らなくてはならない。五十組は西行きと東行きで二十五組に別れ、十五分ごとに交互に出発する。
指定された時間までは、練習場や訓練室で鍛練を行った。フェイヴァたちの出発時間は試験開始から三時間後である。
乾燥した風が吹いて、練習場の砂が舞い上がる。フェイヴァは散弾銃の尾栓を開くと、薬室に散弾を装填した。尾栓を閉鎖して開閉梃子を閉じると、留め金をかける。銃を肩に担ぐようにして構えると、引き金を引いた。散弾が耳障りな音を響かせて的を撃ち抜く。
フェイヴァの後ろには、大剣を構えたサフィがいた。くじ引きの結果、フェイヴァは彼と組むことになったのだ。
人形の形に組んだ木を藁で覆っている練習台相手に、サフィはその分厚い刃を振り下ろした。かすかな風切り音をフェイヴァの聴覚が捉える。練習台は二度の斬撃を受け、半ばから断ち斬られた。切断された上部が、あたかも死体のように無造作に落下する。
「ちょっと休憩しようか」
フェイヴァを振り向いたサフィは、額の汗を拭った。穏和な人柄がにじみ出た容貌と細身の身体には、鎧が恐ろしく似合っていない。鎧を着ているというよりは着られているといった表現が適切だった。鞘に大剣を収めた彼は、地面に腰を下ろした。フェイヴァは薬室から空薬莢を抜き出しすと、小物入れから取り出した弾薬を装填する。
試験開始までの時間をすべて鍛練に使うわけにはいかない。そんなことをすれば、フェイヴァはともかくサフィは疲労困憊してしまうだろう。フェイヴァたちの周囲にも出発時間を待つ組がおり、休憩と鍛練を繰り返していた。
「僕、頼りないかもしれないけど頑張るよ。だから心配しないで」
サフィとじっくり話すのは今回が初めてだったが、フェイヴァはすぐに彼の素直で真面目な性格に好感を抱いた。今だって自分自身が不安で仕方がないはずなのに、フェイヴァを気遣ってくれている。
「ありがとう。一緒に頑張ろうね」
外界で行う魔獣との初戦。過去にはこの試験で重症を負ったり、命を落としてしまう訓練生もいたらしい。サフィに怪我をさせたくない。無事に試験を乗りきらせてあげよう。フェイヴァは気持ちを新たにした。
***
フェイヴァたちの出発時間になった。商業区の出入口である門扉に到着したフェイヴァとサフィは、教官の立ち会いのもと出発した。
萎びた枝を持つ木々の間から、青空が覗く。色の悪い葉で二分された空の上には、さぞ新鮮な空気が満ちているのだろう。反対に、地上に立ち込めるのは臭気だった。魔獣の縄張りである外界特有の獣臭。おまけに、林の奥から甘酸っぱい臭いがかすかに流れてくる。間違いなく腐敗臭だ。
所々岩が突き出た地面を踏みしめながら、フェイヴァたちは黙々と進んだ。動くたびに、上半身に纏った鎧がわずかに軋む。ひとつにまとめた長髪が、頭の後ろでフェイヴァを鼓舞するように弾んでいた。
「大丈夫? ついてこられそう?」
前を行くサフィが後ろを振り向いた。彼はいつ魔獣が襲いかかってきてもいいように、背の鞘から大剣を抜いていた。
「大丈夫。気を使ってくれてありがとう」
優れた聴覚視覚と違い、死天使の嗅覚は人間と同程度であるとテレサは教えてくれた。もしも臭いにまで敏感になっていたら、悪臭にのたうち回って外界を進むどころではないだろう。
フェイヴァは、聴覚に届いた音に足を止めた。地を蹴る足音。風を切って何者かが接近してくる。防壁を背にすると、フェイヴァは散弾銃を構えた。
薄い下草から飛び出してきたのは、二匹の化物だった。【地を弾む】と呼称される鼠型の魔獣だ。
本来なら掌ほどしかないはずの身体は、人間の赤子に相当するほど巨大だった。突き出た顎は肉に覆われておらず、黄色く変色した骨が剥き出しだ。力強くうねる四肢も、皮が剥ぎ取られたように肉の赤墨色を見せている。地面を蹴る足に生えた爪と背中から生える突起物は、分厚い刃と変わらなかった。赤い瞳をぎらつかせて、スライトはフェイヴァたちに向かって吠えた。牙が集した口内から、板を引っ掻いたような奇声が迸る。
先頭を行く一匹が跳躍すると、フェイヴァに襲いかかってくる。フェイヴァは引き金を弾いた。撃ち出された散弾は散らばりながら、スライトの目と胴に命中する。赤黒い血が飛び散って、鼠は一際耳に障る声を上げた。地面に落下する。
近づいてくる一匹に意識を集中していたせいで、後方に控えていたスライトに注意を向けるのが僅かに遅れた。目を転じたフェイヴァの視界に、尾を高く持ち上げた鼠が入る。四肢を地面にしっかりと踏みしめ、身体を沈み込ませた鼠は、尾の先端を赤く輝かせている。
フェイヴァは振り向くと、サフィに跳びつき押し倒した。
「わぁっ!」
スライトの尾から発生した炎が、火球となって頭上を通り過ぎて行く。もうもうと立ち上る熱気に髪が焦げそうだ。目標を捉えきれなかった火球は防壁に激突し、石片を飛び散らせた。
「あ、ありが」
サフィの礼は、言い切られることはなかった。目を再生した鼠が、フェイヴァの背中に跳びかかってきたのだ。大剣を抜く暇はない。フェイヴァは銃底でスライトの顔面を殴りつけた。
返ってきた重い手応えはあまりにおぞましい。鼠は空中で反転すると着地した。打撲の痕はすぐに再生してしまう。
やはり、人を偽って繰り出せる力には限りがある。
フェイヴァは後ろに跳びながら、尾栓を開いた。空薬莢を投げ捨て、小物入れから取り出した弾薬を込める。射撃準備が完了するまでの、ひとつひとつの手順が面倒だった。開閉梃子を閉じたと同時に鼠が顎を突き出す。サフィが大剣を振り下ろすが避けられる。フェイヴァは散弾銃を肩に担ぎ、サフィが鼠から離れたのを見て取り引き金を弾いた。
凄まじい撃発音が響く。スライトの顔に当たった散弾は片目を潰した。サフィは大剣を構え魔鼠に肉薄する。フェイヴァははっとする。後方に控えていた鼠が、尾の先端を燃え立たせたのだ。
(──サフィ!)
避けて、と言う言葉は間に合わない。人は火球が撃ち出される前に回避動作を行なっていなければ、避けることができない。
サフィは、後方の鼠にも注意を払っていたようだ。横に跳ぶと、火球は彼が今まで走っていた地点を捉え、弾けた。
良かった。フェイヴァは詰めていた息を吐き出す。
使い物にならない目の代わりに耳を動かしているスライトに、サフィは大剣を振り下ろした。刃は空を斬る。鼠が剣の風切り音を聞きつけ、跳び退いたのだ。弾むようにサフィに迫ったスライトは顎を突き出した。汚れた顎骨から太い牙が覗く。
サフィがフェイヴァの方向を向いていない今が好機だ。
フェイヴァは足下に落ちていた石を蹴りつけた。空気を切り裂く音だけを残して、小石はフェイヴァの視界から消失する。撃ち出された銃弾のような猛烈な勢いで、鼠の頭に直撃した。頭蓋骨を突き破り脳に到達したのだろう。頭部から赤黒い血と、脳漿らしき赤く濁った粘液が飛び散った。身体が大きく痙攣する。
少し力を入れたくらいでこの威力なのだ。渾身の力ならば、おそらく魔獣の頭は破裂していただろう。サフィの目から見ればそれはあまりに不自然だ。
両手で振り被ったサフィの大剣が、スライトの頭を捉えた。小さな頭は上下に斬り分けられる。流れ出す血に鼠は悲痛な声を発しながら地面をのたうっていたが、やがて動かなくなった。
「……う」
サフィは気分を害したように顔を歪めた。戦いに没頭していた意識が、現実に返ってきた瞬間だった。まだ緊張を解いてはいけない。フェイヴァは内心で叫びながら、前方に跳んだ。散弾銃を放ると、背中の鞘から大剣を引き抜く。サフィの後ろから、いままさに鼠が跳びかかるところだった。
我に返ったサフィは、間近に接近した牙に悲鳴を上げる。サフィの肉を食い千切ろうと、開かれた口。フェイヴァはその中に大剣を突き入れた。そのまま地面に刃を突き刺す。鼠はもがくが、その度に首の後ろまで突き通った刃によって、肉が千切れていく。
驚いたように固まっていたサフィは、気を抜いた自分を嫌悪するように唇を噛み締めた。フェイヴァが抜い止めた魔獣に近づき、完全に首を斬り落とす。
初戦はあっという間に終わった。大剣をスライトから引き抜いたフェイヴァは、血を払い鞘に収めた。腰の小刀を抜くと、鼠の爪を剥ぎ始める。気分が悪いが、ためらう時間は残されていない。
生命活動が停止した魔獣はすぐに腐敗が始まってしまう。腐る前に剥がさなければ、爪や牙なども一緒に腐り落ちてしまうのだ。よって、他の組が殺した魔獣から剥ぐという不正は不可能だった。魔獣の種類ごとに剥がす部位は決まっている。スライトは人差し指の爪だ。もしも他の爪も剥がして一緒に提出したとしても、大きさが異なるため不正はすぐに判明する。
四枚の爪を剥ぎ終えると、フェイヴァたちはすぐにその場を立ち去った。腐った魔獣のそばに居座り続ければ、さらに厄介な事態に発展すると学んでいた。
魔獣の血を拭って布で包み、紙袋の中に入れる。一連の作業を終えたフェイヴァは、サフィが自分たちが倒した魔獣の死体に顔を向けているのに気づいた。
「サフィ。きっとすごく嫌な気分になるから、見ない方がいいよ」
「うん、分かってる。でも僕、守衛士を目指してるんだ。なるべく近くで見て、魔獣のことを学んでおいた方がいいと思うんだ」
そう口にするサフィの瞳は真剣だ。将来の夢をきちんと定め、叶えるために励む。そんな彼の姿にフェイヴァは感心する。
「なら、ほんのちょっとだけ見ていこうか」
「無理はしなくても」
「無理なんてしてないよ。実は私も少し興味があるんだ」
フェイヴァも腰を上げると、サフィと一緒に死体から距離を取った。連なった岩の後ろに行き、今から始まる胸の悪くなるような光景に身構える。
遠くに見える魔獣の身体は、既に腐敗しきっていた。灰色に変色した肉に、どこからともなく湧いた蝿が集っている。
と、息絶えたはずの魔獣の身体が震えた。正確には、その腹だ。中が蠢いているように、脈打っている。
やがて腹の肉を破り、灰色の生き物が顔を出した。幼さを全面に押し出したか細い声は、図鑑に記されていた猫の鳴き声に似ているような気がした。それは腹から姿を現すと、前足をぐっと伸ばした。【狂騒】と呼ばれる猫の姿をした魔獣だ。しかし、図鑑のに載っていた猫と共通するのは、頭部に生えた耳くらいなものだった。まず全長が猫とは思えないほど大きい。後ろ足で立たせてみると、フェイヴァより背が高いのではないだろうか。富裕層が愛玩として飼っている愛らしい動物とは違い、見開いた瞳には瞼がない。痩せた背中には突起が生え、後ろ足にはまるで誂えたような刃が生突き出している。尻尾は中程から三又に分かれ、先にいくほど植物の芽のごとく枝分かれしていた。
やがてもう一頭が腹から産み落とされた。血を纏わせながら地面に四肢をつける。二頭のフィクルはひとしきり身体を伸ばすと、自分を生み出したスライトを食い始めた。鋭い歯が肉を剥ぎ取る音が聞こえてくる。液状化してしまっているところもあるらしく、舌で舐めとる音さえした。
これが、外界に魔獣の死体が残らない理由だった。本来ならばフェイヴァたちより先に出発した班によって、獣道には骸があふれているはずだが、産まれたそばから子が親を食いつくしてしまうため跡形も残らない。
魔獣から幼体が産まれるのを防止する方法がひとつだけある。死亡した魔獣の胴体を 毀傷してしまうのだ。けれどもその行為はあまりに残酷に思えた。魔獣といえどひとつの命なのだ。その命を奪い、あまつさえ死体を損なわせてしまうことに抵抗があった。
──こうして魔獣の誕生の瞬間を目の当たりにするまでは。
おぞましい光景だった。魔獣が他の生命と相容れないことを証明するように。
フェイヴァは顔を背けた。もう限界だ。隣を見ると、サフィも青白い顔をしていた。自分の行動を心から悔いているように、疲れ切った顔をしている。
「……こんなことにつきあわせてごめん。行こう」
フェイヴァは無言で頷き、スライトの爪をしまった背嚢を背負った。
もう一匹の鼠から生まれた魔獣が、産声を響かせた。それはまるで雨を喜ぶ蛙の声だった。




