05.あの日の約束◆
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快晴に見下ろされた屋上に、爽やかな風が吹き渡っていく。
実地試験は三日後に迫っていた。昼休みの一時間。レイゲンは死天使の少女を連れ、誰もいない露台で戦闘訓練を行っていた。
両手に木剣を構えた少女が、踏みしめていた足で地を蹴り、風のごとき勢いで距離を詰めてくる。レイゲンはそれを真正面から受けた。木剣と木剣がかち合い、木特有の張りのある音が空気を揺らす。
刃のない刀身を噛み合わせ続けても、力の差は明らかだ。少女は素早く木剣を引くと、今度は下から木剣を振り上げた。レイゲンはすぐさま反応し、刀身を弾く。横薙ぎ、振り下ろし、突き。変化する剣筋にレイゲンは悉く反応した。木剣がぶつかる度に、目が冴えるような音が鳴り渡る。
何度目かの斬り下げを受け止めたレイゲンは、反撃に出た。少女に腕を引く隙を与えず、そのまま力に任せて後ろに押しやる。よろめいた少女の足を払って体勢を崩させた。これで勝負は決するはずだった。が、少女はレイゲンが予想だにしない動きを見せた。
転倒すると思われた少女は、左手を地につけ身体を支えると、跳ね上がるような蹴りを放ったのだ。
直前で顔を傾けて躱したが、軌道によって生み出された風圧が、レイゲンの髪を浮き上がらせた。
レイゲンが呆気に取られている間に、少女は片腕だけの力で後方に宙返した。着地すると、木剣を構え直す。
攻撃に次ぐ体勢の立て直し。その切り替えの早さにレイゲンは感心した。
(こいつ、いつの間にこんな技を)
以前ハイネが同じような技を繰り出し、少女を転倒させたことを思い出した。一度痛い目を見たことで動き方を学んだのだろう。そればかりか独自の動作を組み込み、完全に自分のものにしてしまっている。
テレサが設定した死天使は、学習し力をつけていく。ベイルに教えられた情報は事実だったようだ。父の言葉を疑うわけではないが、他の死天使が決まりきった動作しかしないことを鑑みると、直に目にしなければ実感することはできない。
少女は疾風のような速度でレイゲンに肉薄すると、斜めから斬り上げた。レイゲンは半歩ほど横に跳ぶ。回避と同時に攻撃に移る。少女の後ろに回り込むと木剣を弾き飛ばした。掌から消失した木剣を探し視線をさまよわせる少女に、レイゲンは切っ先を突きつける。
「まだまだだな」
「参りました」
両手を上げ降参を示した少女は、床に転がった木剣を拾い上げた。
「少し休憩するか」
「はい。……私、なんだか心配になってきました。こんな調子で実地試験に合格できるんでしょうか」
「お前の実力なら問題はないだろう」
その言葉は気休めではなかった。死天使は人間の身体能力を超えた機動性を持つ。その上鍛練を積んだ人間ならば、どんなに大型な魔獣でも数人がかりで倒すことができるのだ。少女が魔獣相手に苦戦するとは考えられなかった。
「私ひとりならどうにかなるかもしれません。でも、そうじゃない」
レイゲンが少女をフレイ王国のルネまで迎えに行った時とは、何もかも違っていた。あのときの彼女は、認めてほしいという欲求のまま行動していた。人間が相手にできる魔獣には負けないという自信もあっただろうし、いざとなれば守衛士の助けも得られたかもしれない。
しかし今回は、二人一組で外界を進まなければならない。その上魔獣は一匹だけではなく、群れを成して襲ってくるのだ。多数の敵から仲間を守らなければならない。果たしてそんなことが自分にできるのだろうか、と。
「自覚はないかもしれんが、お前はこの訓練校に入ってから着実に成長している。どんな時でも落ち着いて対処しろ。そうすれば足手まといがいたとしても、魔獣などに後れは取らん」
目を丸くし瞬く少女に、レイゲンははっとし口許を押さえた。自然に出てしまった言葉ゆえに、気づくのが遅れてしまった。
(これじゃまるで、こいつを励ましているみたいじゃないか)
少女が守衛士たちの死に涙を流していた時にも、同じように口走ってしまった記憶がある。そうして今のように激しく後悔したのだ。
「勘違いするなよ。別にお前を励ましたわけじゃない」
恥ずかしさから思わず発してしまって、墓穴を掘る。
桃色の長髪が太陽の光を受け、薄紫に輝く。まるで蕾が花開くように、少女はふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。レイゲンさんは優しいんですね」
(俺が優しい? 冗談じゃない)
正直不快だった。それと同時に、少し親切にしてやっただけで相手に完全に心を開く、騙され易そうな少女の行く末が思いやられた。
「お前、騙されて高い壺とか買いそうだな」
「いいえ! そんなことはありません!」
したり顔で断言されても説得力はない。
やがて会話が途切れ、天空を飛び交う鳥の声を聞くのみとなる。
後ろ手に木剣を持ち、爪先でとんとんと地を蹴っていた少女は、ふと顔を上げレイゲンを見つめた。
「……あの」
「なんだ」
「前から聞きかったんですけど」
一呼吸おいたあとに、口を開く。
「レイゲンさんは、どうしてそんなに強いんですか?」
いつかは尋ねられるだろうと思っていた。レイゲンもまた、人間を超越した能力を有している。人間以上の身体能力を持つ死天使を、人間がただひとりで倒せるはずがない。それこそ魔獣を討伐できる少数とは比較にならないほどの戦力を集めなければならない。
自分の人生が変わってしまったあの日。ずっと続いていくと思っていた幸福な生活は、夢幻のごとく消えた。
赤く染まった瞳をもつ、自分と似た顔をした男。血に濡れた自分の手。裏切られた絶望と身を引き裂かれそうなほどの悲哀を内包した、母の声。
『レイゲン……どうして』
彼女が今際に発した震える声は、十年経過した今なおレイゲンの耳にこびりついている。瞳に焼きついた光景は色褪せず、声は痛いほどに鮮明だった。
過去を思い出すたびに記憶の中に囚われ、声は幾度となくレイゲンを責め苛む。背筋が凍る。動悸がする。どれだけ身体を鍛え力をつけても、苦痛は去らない。
「お前に答える必要はない」
思わず吐き捨てる調子になった。母の幻聴を耳にすることが耐えられなくて、半ば八つ当たりで少女を睨みつけた。
彼女は瞠目すると、表情を曇らせる。
「ごめんなさい。私、また」
「フェイ!」
うなだれた少女の背中に、聞き覚えのある声がかけられた。ミルラとユニが階段を駆け上がってきたのだ。少女を見つけて瞳を輝かせたミルラだったが、反対にユニは顔をしかめた。それは一瞬のことだった。
「やっぱりここにいた。探してたんだ」
「私を?」
「うん。もうすぐ実地試験でしょ? フェイに手合わせしてもらいたくて」
「うん、わかった。訓練室に行こっか」
ミルラの頼みに笑顔で頷いた少女だったが、果たしてこいつが人に戦い方を指導できるのだろうか。
「それではレイゲンさん、ご指導ありがとうございました」
「ああ」
振り向いて頭を下げる少女を見ていたレイゲンは、近づいてくる靴音を聞き目を転じた。正面に立ったユニが、心なしか腹立たしそうな表情をしている。
「どうして露台で練習してたの? 訓練室を使えばいいじゃない」
「それはこいつが……突飛な動きをして周囲に迷惑をかけるからだ」
本当は実力を発揮して戦闘を行うためだったが、他に適当な理由が思い浮かばなかった。
ユニは頬を染めて、胸の前で手をぎゅっと握った。
「じゃあ、あの……アタシにも教えてくれない?」
「悪いが、これ以上荷物が増えるのは困る。俺はこいつだけで手一杯だ」
死天使の監視は、父ベイルからの命令でもある。少女に戦い方を教えているのは、その延長にすぎないのだ。レイゲンは父と違って誰かを指導するのは苦手であり、できればこれ以上厄介事は抱えたくなかった。
「そう……。ごめん、無理言って」
小さく肩を震わせたユニは、レイゲンに背を向けると階段に駆けて行った。
「ユニ、待って!」
気づいたミルラがあとを追い、少女も駆け足になる。
「おい、荷物を忘れてるぞ」
レイゲンは少女を呼び止めた。彼女が手拭いと一緒に持ってきていた包みを指し示す。白い箱に水色の織物が飾りつけられたそれ。気にはなっていたが聞かなかった。少女は「そうでした!」と言いながら、箱を抱え上げた。そうして近づいてきて、両手で差し出す。
「……なんだ?」
「これ、私が作ったお菓子なんです。つまらないものですが、よかったら受け取って下さい!」
ウルスラグナ訓練校の一室には、訓練生が使用できる調理室がある。小さなかまどや炉、煉瓦造りの天火も備わっている。休日だった昨日、火が生み出す熱気と戦いながら作ったのだろう。
『もし、いつかお菓子が作れるようになったら、食べてもらえませんか?』
ダエーワ支部にいた頃、少女とそんな話をしたような気がする。そのときにははっきり言って味に不安しかなかった。今もそれは変わっていない。
レイゲンは菓子が心の底から好きだ。けれども、不味い菓子となると話は別だ。今すぐこの箱を開けて、自分の不安が的中しているか確かめたい。しかし──。
(もしもこいつが作ったお菓子が舌が痺れるほど不味かった場合、それを正直に言えばせっかく引き出したやる気が萎えかねない)
少女はレイゲンの指導に前向きに取り組んでいる。その気持ちを傷つけるのは、損こそすれ得をしない。
「わかった。……部屋に戻って食べる」
不味かったらリヴェンの枕元にでも置いてやろう。そう考えていたものだから、あふれる喜びを表情に押し出す少女に対して、少しだけ心苦しさを覚えた。
箱を片手に、レイゲンは部屋の扉を開けた。
「よう」
中央にある長机で教材を広げていたルカとサフィが、手を上げた。リヴェンは寝台で惰眠を貪り、残りの六人は部屋の奥で談笑に興じていた。扉が開いた瞬間何者かと視線を投げたが、レイゲンだとわかると興味が失せたように顔を背けた。
「どこ行ってたんだ? また女子に呼び出されたのか?」
「違う」
からかうような笑みを向けてくるルカに、レイゲンは短く答える。
この数日間、妙に女子に呼び出されることが多かった。指定の場所に行くと、ひとりか複数で女子が待っていて『あなたのことをずっと見ていました。つきあって下さい』と口走る。顔を赤くし、視線を合わせるのが辛いといった表情で。
『悪いがそんな暇はない。お前のことはなんとも思っていない』
レイゲンの答えはいつもそうだった。何故自分に好意を持つのか理解できないし、恋愛に現を抜かす暇があるのなら少しでも力をつけるべきだ。ここは兵士養成学校なのだ。こいつらはここに一体何をしに来ているのか。
正論のはずなのに、相手は痛く傷ついたと示すように顔を歪めたり、中には泣き出す者もいた。挙げ句の果てには、もう少し言い方に気をつけなさいよ、と取り巻きに駄目出しされたりもした。
(わけがわからない)
婉曲な断り方をすれば希望を持たせることになる。そうなれば相手はさらに辛い思いをするのだ。だからレイゲンは毎回きっぱりと断っているのだが。断るにしても、俺を好きになってくれてありがとう、という寝言に等しい言葉を口にしなければ、女は満足しないようだった。
「お前が部屋にいるのは珍しいな」
レイゲンはルカに問いかけ話題を変えた。いつも扉を叩き、部屋の中にルカがいるか確認するハイネの姿を想起した。いつも休憩時間になるとルカを迎えに来るのだが。
「あいつ、今日は絵を描くって言ってたからな。そういう時は集中するからひとりになりたいんだ」
「そんなものか」
「ふぅん、ハイネって絵を描くんだ」
「ああ、結構上手いぞ」
自分のことのようにルカは胸を張る。端から見ると、彼女の趣味を自慢しているようにしか見えない。
「レイゲン、それどうしたの?」
「まあ……色々な」
サフィに指摘されたが、貰ったとも買ってきたとも言い出しにくく、レイゲンは席についた。早く味を確かめなければ安心できない。結ばれた織物を解き、箱を開ける。
(想像していたよりまともだな……)
中に詰められていたのは、乾燥果物を練り込んだらしき焼き菓子だった。薪は火加減の調節が困難なのだが、焦げていない。慎重に仕上げたのだろう。いい焼き色がついている。
一枚摘まんで顔の前に持っていく。小麦の香ばしさと牛酪の甘い香りが、渾然となって鼻孔を満たした。香りも悪くない。しかし、この香りを裏切るような味だった場合、しばらく焼き菓子が食べられないくらい嫌いになりそうだ。
レイゲンは決死の思いで焼き菓子をかじった。そうして、身体を突き抜けた衝撃に驚愕した。
(……う、旨い!?)
さっくりとした歯触りの焼き菓子に、乾燥果物の爽やかな甘み。優しい味わいが口の中に広がった。
(十五枚か……。この味なら五十枚でも足りないくらいだな。仕方ない。一枚ずつ味わって食うか)
リヴェンの枕元に置こうと一度でも思ってしまった自分を恥じた。大した腕だ。少し、少女に対する認識を改めなければならない。
「なんだお前、また菓子店から買ってきたのか?」
「ち、違う」
また、と言われてレイゲンは動揺した。一月に一度商業区の菓子店で円形の菓子を買っていることがなぜかバレている。隠しながら部屋に戻り、みんなが寝静まってから食べていたというのに。
「こんなにあるんなら、一枚くらいくれよな」
取られまいと焼き菓子を隠す前に、ルカは箱から一枚摘まみ上げ口に運んだ。
「なんだこれ!? すっげぇ旨いな!」
「本当だ。これ、あんまり甘くなくて食べ易いね」
どさくさに紛れてサフィにも手渡している。レイゲンは唇を噛み締めた。
「おい、お前ら! レイゲンからの差し入れだってよ!」
「は? なんの話」
ルカは焼き菓子を掴むと、窓際にいた男子たちに投げた。彼らはレイゲンに軽い礼を言い、焼き菓子を口にした。六人とも目を輝かせて食べている。
「これ旨ぇな」
「久しぶりにこんな旨い菓子食べるな」
「レイゲン、こんなもんばっか食ってたら太るぞ」
レイゲンは奥歯を噛み締めた。なぜ大好きな菓子を無償で提供してやらなければならないのか。
「おのれ……! 貴様らの前では二度と食わん!」
「お前こんな時だけ感情剥き出しにすんなよ」
ルカは口許に苦笑いを浮かべた。




