04.理不尽◇※
「ねぇ、どう?」
心待ちにしたようにかけられたユニの声は、幼女特有の軽やかな声色とは違っていた。
フェイヴァは目を瞬く。自分の身体は、椅子に腰かけている。掌にしっかりと感じられる机の冷たさ。
血の臭いに包まれた路地で、腰が砕けたように座っているのではない。
安堵して、深く吐息を落とす。ユニの過去から帰ってきても、気持ちの切り替えには時間を要した。現実を認めようと腕に触れても、心は受け入れられずに揺れている。
愛した両親が殺され、自分の力が男たちを殺した。ユニはあのあと、守衛士に保護されたのだろう。ただの幼女が二人の男を殺せるはずがない。路地に転がっていた死体を見て、守衛士たちはユニを覚醒者と断定したのだ。それは、ユニを受け入れることとなった孤児院の先生にも伝えられた。あまりの凄惨な出来事に、先生はユニにその過去を話そうとしなかったのだろう。
覚えていることが辛くて、ユニは大切な両親の記憶さえ封印してしまっている。なのに、包み隠さずに話してしまって本当にいいのだろうか。
「……やっぱり。何か見えたのね? フェイ、顔に出るんだもん」
確信を帯びたユニの声に、フェイヴァはしまったと唇を噛んだ。
「アタシは平気だから、隠さずに教えてよ」
「本当にいいの、ユニ? 知らなくていいことだって、あるかもしれないでしょ?」
表情に暗い影を落としたミルラが、躊躇いつつ口にする。
「自分の過去を知らないなんて気持ち悪いじゃない。フェイ、この気持ちわかる?」
痛いほど理解できる。
ディーティルド帝国の兵器開発施設で目覚めたフェイヴァは、過去を持たない。テレサと暮らしたことでわずかばかりの幸せな記憶を手にできたが、それでもときどき不安に駆られるのだ。
「……わかった」
フェイヴァは深呼吸をすると、ユニの過去を話す決意を固めた。
「ユニのお父さんとお母さんは、ユニのことを大事に思っていたよ。ふたりは貿易会社を経営していて、順調だったみたい。
ある日、三人で劇を観に行った帰りだった」
一呼吸おくと、ユニが続きをうながした。
「普段から忙しい両親に構ってほしくて、ユニは帰りの馬車を待つ間、路地に駆けこんだの。ユニを心配してふたりは追ってきた。そこに、ふたり組の男が現れて……お父さんとお母さんはユニの目の前で殺された」
ユニは目を見開いた。衝撃が駆け巡ったのだろう。耐えるように、手を強く握りしめた。
ミルラは口を両手で覆った。黒曜石の色をした瞳は潤み、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
「ユニは……たぶん覚醒者能力だと思うんだけど、それでふたりの男を……殺したの。そのあとのことはわからない。きっと守衛士に保護されたんだと思う」
両親を殺されたときにユニの脳裏によぎった冷徹な声。フェイヴァはそれについて言及しなかった。両親を失い、男たちを自分が殺しただけでも衝撃なのに、これ以上余計なことを話して混乱させてはいけない。
いや、これはただの建前だ。
本当はフェイヴァ自身、忘れたかったのかもしれない。何かの錯覚だと決めつけて、記憶の中から放り出してしまいたかった。それほどまでに恐ろしい。胸が恐怖に締めつけられそうな声だったのだから。
訓練生たちの喧騒の中、フェイヴァたちは沈黙した。
「……そう。話してくれてありがと」
ややあって唇を動かしたのはユニだ。どんな思いが去来しているのだろう。いつも明るい笑顔を見せる顔は、固くなっている。落ち込む自分を恥じるかのように、あるいは悪夢のような過去の影を散らすために、自嘲的な笑みを浮かべた。ユニは隣のミルラに視線を向ける。
「なんであんたが泣きそうになってんのよ」
「だって、ユニ……」
ユニ本人より、ミルラの方が強い衝撃を受けたようだ。彼女は青い顔で肩を震わせている。
「ユニ、大丈夫?」
フェイヴァが声をかけると、ユニはいつもと変わらぬ様子で頷いた。
「平気よ。なんとなく、予想してたことだったから。
アタシって、やっぱり覚醒者なのね。どんな力が使えるの?」
「一般的な四属性とは違うみたい。半透明の漆黒の刃がたくさん浮いてて」
珍しい力だと思った。一般に知られている【地】、【火】、【水】、【風】に分類されない能力は、フェイヴァやテレサのような精神に関係する力だ。ユニの能力はそのどれにも当てはまらない。覚醒者の能力を学ぶ授業でも、ユニのような力は聞いたことがなかった。
「へぇー、かっこいいわね。その力が自由に使えるようになったら、実技試験も楽勝なんだけど」
ユニは気楽に笑って、ミルラの背中をばしんと叩いた。
「ほら、暗い顔しないでよ。アタシたちまで暗くなっちゃうじゃない」
「う、うん。ごめん」
ユニの吹っ切れた様子に、フェイヴァはほっとした。けれども、言いようのない不安が胸にこびりついて、取れなかった。
***
十五日後の実地試験に向けて、銃を使用する授業が行われた。
授業が始まる前、教官から魔獣討伐の流れを説明される。
使用する武器は、大剣と散弾銃のふたつだ。敏捷さも体力も並外れている魔獣を、大剣一本で狩ることは難しい。そこで重要な役割を果たすのが、散弾銃だった。
遠方から狙える狙撃銃でも、素早い魔獣の特定の部位を撃ち抜くのは困難だ。かといって、至近距離で使う一発弾や散弾では、銃の命中精度が低く急所を捉えても一撃で破壊することができなかった。ウルスラグナ訓練校から与えられている中折れ式単身銃は、一発撃つごとに装填する必要がある。そこを狙われれば一巻の終わりだ。そこで、鉄の弾が五十粒詰められている弾薬で、まず魔獣の目を潰す。魔獣は弱点以外を傷つけても、一分から五分の間に再生してしまうので、その間に頭部を完全に破壊するか、首を切断するのだ。
教官の指示で四つの班に別れ、東西南北に設置された木製の的に向かって発砲する。銃の射程範囲ぎりぎりから的を撃ち抜くという、一見簡単なものだったが、苦戦している訓練生は多かった。銃の反動は凄まじく、地面に足を踏みしめているのもやっとらしい。鎧を着ていなければ、吹き飛ばされた者もいただろう。
フェイヴァは銃の蝶番式になった尾栓を開き、銃身を前に動かした。薬室に弾薬を装填すると尾栓を閉鎖した。肩に担ぎ、狙いを定める。引き金を引くと、激発音を響かせ撃ち出された散弾が的を撃ち抜いた。フェイヴァは長く吐息を落とす。確かに反動はあるが、死天使であるフェイヴァに耐えられないほどではない。肩から銃を下ろし、尾栓を開くと発射済みの空薬莢を抜き出した。
反動は堪えられるが、射撃時の銃身のぶれが大きかった。その上、装填と排莢を手動で行わなければならない。フェイヴァたちの使うシュラプネル銃は、ディーティルド帝国の兵士が使っていたメルト銃に比べ性能が劣っていた。片手で扱えるように造られていたメルトと比較しても、シュラプネルは銃身が長く重い。肩に担いで射撃を行わなければならず、騎乗中は使い物にならなかった。これなら、人間を越えた身体能力を持つ自分やレイゲンは、直接大剣で斬りつけた方が速いのではないか。フェイヴァはそう思わずにはいられなかった。
レイゲンが気になり首を巡らすと、彼もほぼ同時に的を狙い撃っていた。発射時の衝撃で、身体が弾むことはない。両足は堂々と地についている。
フェイヴァの視線に気づいたのか、レイゲンが振り向いた。目が合ってフェイヴァが微笑むと、彼は目を瞬かせた。すぐに顔を背けると射撃に集中する。
「ちっ、面倒臭ぇ。銃なんて使わなくても、能力使えば目なんて潰せるだろうがよ」
フェイヴァの後方で、散弾銃を放り投げた少年がいた。名前は確かリヴェン・エリッドといった。以前ルカに教えてもらったのだ。
「何言ってんだよ。能力使うには精神集中しなきゃ駄目だろーが。その間にあいつら突っ込んでくるって。銃の方が手っ取り早いだろ」
銃を肩に担いだルカが、リヴェンに近づいてきた。覚醒者である彼が言うと説得力がある。
「ってもこれ、射程距離は短ぇし装填に時間かかんだろ。だりーんだよ」
「それだけじゃないでしょ? あんた、身体小さいもんね。射撃の反動で転んじゃうんじゃない?」
ルカの後ろをついてきたハイネが、からかいの言葉を投げる。リヴェンは気色ばんだ。
「あぁ!? うるせぇぞ、この緑野郎! 海藻みたいな色の頭しやがってよ!」
「いや、海藻とは違うだろ。どちらかというと、葉っぱみたいな綺麗な色だな」
「ルカ……」
ルカが口にした“綺麗”という単語に反応したのか、ハイネは頬を赤らめる。
「だーっ! うぜぇ! 俺のそばでいちゃつくんじゃねえ、この馬鹿どもが!」
「ふふ、自分はそういう人がいないから妬いてるんだ?」
「テメェ、なんでもかんでもそっちに結びつけるんじゃねぇよ。クソ恋愛脳が」
「強い言葉で噛みついてくるのやめてよね。図星なんでしょ?」
雲行が怪しくなる。まさに一触即発の空気。これは危ないと、フェイヴァはふたりの間に割って入ろうと歩を進める。
周囲にちらちらと視線を投げていたルカは、目を見開いた。
「げっ、ハゲ教官だ!」
ルカが顔を向けている方向に目を転じると、隣の班の射撃を監督したロイド教官が、こちらに近づいてきていた。
フェイヴァは慌てて走り出し、地面に置かれた的を拾った。狙撃を行った者が的を設置する決まりになっているのだ。残骸を片づけて、杭状になった先端を地面に突き刺す。
「まあ、お前ら落ち着けよ」
「ルカがそう言うなら」
ルカになだめられて、ハイネとリヴェンは真面目に授業に取り組み始めた。リヴェンの口許はしかし、不機嫌そうに歪められている。
入学当初、教官に反発していたリヴェンは、一度罰として食事を抜かれている。他人からわけてもらおうとした彼だったが、ただでさえ少ない食糧に、わけてやる余裕はない。ルカにも止められ、リヴェンは結局その日一日、何も食べずに過ごした。その一件が相当堪えたらしい。以降は嫌な顔をしながらも、教官が見ている前では指示に従っている。
「おい! そこの花畑野郎! どけや」
フェイヴァが地面に突き立てた的に狙いを定めて、リヴェンががなった。彼は他人を名前で呼ぶことが少ない。自分なりに変なあだ名をつける。たぶん、自分のことだろうとフェイヴァは思った。髪が花の色のような桃色をしているから。
「うん。今どくね!」
「馬鹿お前早すぎだって!」
「へ? ──わぎゃっ!」
フェイヴァが的の前からどいたか確認もせずに、リヴェンが引き金を絞った。ルカが咄嗟に銃身を掴んで下げたが間に合わず、フェイヴァは危うく当たりそうになる。避けようと飛び退いて、地面を転がった。
「くぅ~! いたたたた」
「グレイヘン! 何を遊んでいるっ!」
転倒して間抜けな声を上げているさまが、ふざけているように見えたのだろう。よく通る迫力のある声で、ロイドに怒鳴られた。
(理不尽だよ、これ)




