06.自由時間の過ごし方(1)◇
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ウルスラグナ訓練校の一階には、訓練生たちが寝泊まりする部屋が設けられている。西側の部屋は女子に割り当てられていた。
フェイヴァが夜を過ごす部屋は、一階の突き当たりに位置していた。室内には、入り口側と奥側で合わせて五台の二段の寝台が設置されている。壁際には訓練生の備品を入れておくための棚が並んでおり、中央には長机が置かれている。
夕食がすみ、湯を浴びるまでの一時間。訓練生たちには貴重な自由時間が与えられる。日頃の訓練の疲れを取るためにひたすら寝台で寝る者もいたが、部屋で勉強をしたり訓練室で鍛錬をしたりと、ほとんどの者が慌ただしくも充実した時間を過ごしていた。
フェイヴァもその例にもれず、訓練室に向かおうと棚から鎧を引き出していた。
「私、訓練室に行ってくるね」
「あ、待って。あたしも行く」
淡い色をした髪をきっちりとふたつに結わえて、ミルラが立ち上がった。胸の前で両手を広げて見せて、フェイヴァに待つように示すと、部屋のすみにある棚から自分の鎧を引っ張り出す。
「まだ安静にしていた方がいいんじゃないかな?」
「大丈夫よ。セレン先生のおかげでもう治っちゃった」
そう言って笑うミルラは、殴られたのが夢の出来事だったように綺麗な顔をしている。擦り傷ができた頬も、切れて出血していた唇も元通りだ。
訓練生が怪我をした際に足を運ぶ医務室には、治療師が駐在している。といっても、薬をつけたり包帯を巻いたりという一般的な治療師ではない。治癒の能力を持つ覚醒者──水医と呼ばれている。
四大属性に分類される水の能力は、指先から水鉄砲を撃ち出すようなちゃちな力ではない。その力は、負傷者の自然治癒力を補助し回復を早める効果があった。そんな癒しの力を、生命にとってなくてはならない水と結びつけて命名してあるだけだった。
治療したあとは患者の自然治癒力に任せる医療と違い、水医はミルラが負った怪我くらいなら十分もかからずに治すことができた。それゆえ、水医を雇うには高額な金が必要であり、一般的な家庭は従来の医療に頼るしかなかった。
「わかった。調子が悪くなったらすぐに言ってね」
「うん」
フェイヴァはミルラの隣で、鎧を身につけ始めた。制服の上から着用する鎧は、ひとりでも取りつけやすいように改良が施されている。授業が始まって間もない頃に着脱の手順を嫌と言うほど繰り返したので、今では十分もかからずに鎧を装着できるようになっていた。
「ユニも行こう?」
「アタシは遠慮しとくわね。用事があるの」
自分の棚に近づいたユニは、下の段から教本と用紙を出しながら言った。籠手を腕に装着したミルラが、眉尻を下げる。
「えーっ。一緒に行こうよぅ。課題がまだ終わってないの?」
「……まぁ、そんなとこ。ホラホラ、時間短いんだからさっさと行った!」
本を胸に抱いて、ユニは手で払う仕草をする。押し付けられた教本が彼女の胸の豊満さを強調する。
「わかった。行ってくるね」
「ユニ。わからない問題があったら来てね。すぐ教えるから」
フェイヴァとミルラはそれぞれ声をかけると、部屋を後にした。
訓練室は先客の訓練生によってざわついていた。奥行きがある広大な室内は、三十人もの生徒が一対一で手合わせをしても、なおゆとりがあるように造られている。フェイヴァたちは入り口付近で模擬戦闘を行うことにした。訓練用の木剣があり、生徒は自由に使用することができる。
フェイヴァは備えつけの棚から木剣を引き抜くと、身体の前で構えた。訓練生が使う大剣とほぼ同じ長さの木剣は、中に金属が入っていて重さもほとんど変わりがない。そもそも、訓練生が使用している大剣も、反帝国組織の兵士見習いであるレイゲンが使っていた片手半剣と似た物だった。全長は長剣より長く、両手大剣より短い。刃は厚いが、レイゲンが使用していた物よりも幅は狭かった。筋力をつければ片手で持ち上げることも可能だが、独特の重心と使用法を持つ大剣であるため、専用の訓練を受け扱い方を学ぶ必要がある。死天使であるフェイヴァはこれを苦もなく振り回せるが、そんなことをしてしまえば怪しまれるので、きちんと両手で握り込んだ。
向かい合って木剣を構えていたミルラが、大きく前に踏み込んだ。間合いを詰めざま、両腕で木剣を振り被り打ち込む。一連の動作はフェイヴァから見れば欠伸が出そうな速度だったが、油断せずに木剣を掲げて防ぐ。ミルラの方を向いたまま跳躍し、後ろに下がる。彼女は逃がすまいと距離を詰め、木剣を打ち込んでくる。
「フェイ、本気出してよ」
「えっ、出してるよ」
「嘘。大の男を殴り飛ばせる人の動きじゃないよ」
「……あれは、忘れてよ」
「脅迫しようとか思ってないよ。あたし、フェイが羨ましいの」
発言の意図が分からず一瞬思考に集中したフェイヴァに、ミルラの気合いを込めた一撃が繰り出される。思っていたより強い衝撃は、気を緩めたフェイヴァの手から木剣を手放せさせた。先端から床にぶつかった木剣が、重々しい音を立てる。
「……羨ましい?」
木剣を拾ったフェイヴァに、ミルラは踏み込まず切っ先を床に向けた。
「うん。それだけの力があれば、大切な人を守れるでしょ?」
「大切な人?」
「ああ、そっか。フェイ、この手の話駄目だもんね」
ミルラは歩み寄ってくると、フェイヴァの耳に唇を近づけた。
「フェイがそういうのよくわからないから言うけど、あたし……ユニのことが好きなの」
フェイヴァから顔を離したミルラは、不思議なことに頬を赤らめていた。
「うん、わかるよ。ユニは優しいもんね。ああいう人を、お姉ちゃんみたいって言うのかな?」
フェイヴァの反応が気に食わなかったらしい。ミルラは苦笑いを浮かべると、首を振った。
「たぶん、フェイが言ってる好きと、あたしが言ってる好きは違うと思うの」
「ふむ、好きって種類があるんだねえ」
「フェイもその内わかるよ」
ミルラはそう言って、足下を見た。年月の経過により色を薄くした石床は、訓練生たちの日頃の努力を物語るように傷だらけだ。
「ユニとは、小さな頃からずっと一緒だったんだ。あたしは気が弱かったから、よく男子からいじめられてた。それを助けてくれたのがユニだったの」
過去を懐かしむように宙を見上げるミルラ。その黒目勝ちな瞳を通して、フェイヴァは彼女の記憶を見た。
数人の少年に囲まれて、幼いミルラがうずくまって泣いていた。後ろから怒鳴り声が聞こえたかと思うと、荒々しい足音とともにユニが走ってきた。彼女は中心に立っていた少年を、思い切り蹴り飛ばす。
『この卑怯者! ひとりを大勢でいじめるなんて、恥を知りなさいよ!』
毅然と少年たちに立ち向かっていくユニを、ミルラは目を瞬かせて見ていた。
「あたしにとってユニは……絵本に出てくる、悪者を懲らしめる正義の味方だったの。あたしもユニみたいになりたいな、って思った」
ユニとの思い出を振り返るミルラは、宝物を見つめるように輝いた瞳をしている。危機から救ってくれた人──彼女がユニに憧れる気持ちが、よくわかった。
「だからあたし、強くなりたいの。ユニに何かあったとき、今度はあたしが助けたい。気持ち、わかってくれるよね?」
「うん」
フェイヴァが相槌を打つと、ミルラは頬を緩めた。
「フェイには、あたしが強くなるためにつきあってほしいの。フェイにとっては物足りない相手だと思うけど、そういう相手がひとりはいた方がいいじゃない」
「そうだね! じゃあ、今日からミルラは私の好敵手だね!」
フェイヴァはミルラに手を差し出す。彼女はその手をしっかりと握り締めた。




