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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
3章 星空の下で
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04.侵蝕病◇

「魔獣の王の力は、神に匹敵していたらしいの。生命たちは王の誕生によって、追い詰められることになった。そのとき立ち上がったのが、戦天使レイゲンなのよ」


 ユニは誇らしげに語って聞かせる。


 自分たちが産み出した生命たちが苦しめられるさまを見ていたはずの神たちが、なぜそれまで地上に手を差し伸ばさないのか、フェイヴァは不思議だった。


「どうしてもっと早く、天使様たちは助けてくれなかったの?」

「冥界から流れ出した毒気に満たされた世界は、神の身体を蝕むんだって。だから神の身体のままでは地上に降臨できないの。

 天使たちは天界から地上の戦争を見守っているしかなかったのよ。生命たちに闘争本能や戦いの知識を授けたのは戦天使だから、彼は誰よりも地上の争いに胸を痛めていたのね。戦天使は神の秘術を知る識天使の協力を得て、人間に転生することができたの」


 戦天使の活躍の場面になると、ユニは途端に生き生きとしだした。きっと彼女の脳裏には、戦天使レイゲンではなく、ユニが慕うレイゲンが浮かんでいるのだろう。


「生命を率いて立ち上がったレイゲンは、永遠とも思える戦いを繰り広げ、王を追い詰めたの。けれど、あと一歩というところで敗れてしまったのよ。だけど、覚醒者の一族がレイゲンに捧げたマティアという女性が、彼の子を宿していたの。彼女が生んだ赤ちゃんは、アニュー語で神の勝利(エルティア)と名づけられたの」


 アニュー語というのは、聖王暦以前の時代に普及したとされる最古の言語だ。


 今でこそ、世界は共通の言語を使い、宗教も統一されているが、古の時代には各国によって、言語も宗教も違ったというのだから驚きだ。聖王暦自体残された文献は少なく、それ以前の時代になるとさらに資料は少ないのだった。


「成長したエルティアは、人々の先頭に立って王と戦ったわ。天使と覚醒者の力を合わせ持つエルティアは王と拮抗し、とうとう王は彼女に討ち取られたの。彼女の功績を称えて、エルティアは死後天界にて、五番目の天使、人天使となったのよ。これで、おしまい」

「王は死んじゃったのに、魔獣はまだ滅びていないんだね」

「冥界の扉がまだ開いたままらしいわ。そこから魂が流れ出し続けてるんだって。……ま、本当かどうか知らないけど」


 天使が開いた扉なら、人間に閉じることは不可能だろう。天使の誰かが閉じてくれればいいのにと思ったが、刃に斬り裂かれて死んでしまうのなら、おいそれと行動に移せないだろう。


「ふたりとも、説明してくれてありがとう」


 フェイヴァが頭を下げると、頭なんて下げなくても、とユニは笑う。ミルラも微笑んで首を横に振った。


 咄嗟に後ろを向いて二人に腰を折ったので、前から歩いてきていた人に気づけなかった。腰に軽い衝撃が伝わり、フェイヴァはぎょっとして振り返る。


「ああっ!? だ、大丈夫?」


 フェイヴァにぶつかって転倒したのは、フェイヴァの半分の背しかない少年だった。妙に肌が青白く、目が泳いでいる。


 自分がぶつかった拍子に骨が折れてしまっていたらどうしよう。慌てて屈んだフェイヴァは、少年を抱き起こした。手足が細い小柄な身体は、見た目よりもさらに軽い。


「もう、何やってるのフェイ。ちゃんと周り見なきゃ駄目じゃない」

「う、うん」


 ミルラは屈んで、砂で汚れた少年の服を軽くはたいた。ユニは周囲に視線を走らせ、少年の家族を探す。見たところ彼は十代にも達していない。胸飾りが留められていない白い長衣を着ていることから、家族同伴で洗礼を受けにきたと考えられた。


「ごめんね、どこか痛いところはない?」


 フェイヴァが声をかけると、少年は言葉少なに頷いた。足元に向けられていた瞳が、突如歪む。少年は小さく呻いてふらついた。フェイヴァがその身体を支える。


「ウィズ!」


 門を潜っていく群衆の中から、名前を呼ぶ声が上がった。見ると、白長衣に胸飾りを身につけた女が、フェイヴァたちに駆け寄ってくる。


「ここにいたのね、よかった。……ごめんなさい。この人混みで、息子とはぐれてしまって」


 まだ年若い母親は、息子とそっくりな目許に心苦しさを湛えていた。頭を下げて謝られて、フェイヴァは首を振る。


「いえ、こちらこそぶつかってしまって。それにこの子、体調が悪いみたいです」


 母親は息子の顔を覗き込むと、はっとしたように面を青く染めた。


「ああ、本当だわ! 無理をさせてごめんね。今日はもう帰りましょう」


 息子の背中を手で支えると、母親は三人に頭を下げて道を引き返していった。フェイヴァは少年のことが心配で、いつまでもふたりを視界から外せないでいた。


「さっきの子、妙に顔が青白かったと思いません?」

「表情もぼうっとしているし、手足も痩せ細っていたな。しんしょく病だろう」


 死天使の優れた聴覚は、喧騒の中の囁き声まで拾ってしまう。フェイヴァの背後を通過した男女が気になる話をしていたので、悪趣味だと思いなからも耳を澄ました。


「呪われた子に洗礼を受けさせようだなんて、教会の神聖な空気が汚されてしまいますわ」

「まったくだ。しかもおそれ多くも識天使の名を戴くとは。子供も子供なら、親も親だな」


 侵蝕病とは、身体の制御機構が狂い悪性の細胞が増えてしまう病だった。罹患した人間は徐々に衰弱していき、やがては激しい痛みにさいなまれ死にいたる。発症年齢や病状の進行具合には大きな個人差がある。


 治療法は確立しておらず、わずかながら進行を遅らせる薬は存在するが、一日分の薬が一般的な家族の一月分の食費と同価値だった。そのような大金を定期的に支払える家庭は限られる。侵蝕病を患って生まれた子供は、志し半ばで人生を絶たれてしまうのだ。


 侵蝕病は遺伝ではない。病を患ってしまうのは、親のせいでも子供のせいでもない。


 テレサは以前言っていた。彼らはただ、不運なだけなのだと。空を映した母の瞳は、哀れみと、それ以上の複雑な感情を抱いているように見えた。


「ねえ。オリジン正教の中では、侵蝕病を患っている人はどんな扱いをされているの?」

「正教の教えでは、侵蝕病は魔獣の呪いによってかかるって言われてるの。くだらないよね、そんなの。あたし、宗教のそういうところ大嫌い」


 教えてくれたミルラに、フェイヴァも頷いた。


 聖王暦以前の時代では、言語も宗教も違った各国。神話に伝わっているように、各国は些細なあつれきから争いが絶えなかった。時代は変わり、言語と宗教は統一されたが、人の心がひとつになることは決してない。



***



 沈みかけた太陽が空を茜に染める頃。フェイヴァたちは劇場を後にした。商業区の待乗所を目指して歩を進める。


 昼間の人通りが嘘のように、道を行く人の数はまばらだ。呼び込みに疲れた店員は次々と店の扉を閉め、酒場に明かりが灯り始める。みんな、自分が落ち着ける場所に帰って行くのだろう。


「はぁー。あの場面、感動したわよね。レイゲンの台詞、覚えてる?」

「自分の気持ちを偽るのはもうやめる。お前を失いたくない、だっけ?」

「そうそう。アタシもレイゲンにあんなふうに言ってもらいたいなぁ」


 うっとりとした表情で手を組むユニに、ミルラは苦笑いを浮かべた。


「フェイ、どうしたの? さっきから浮かない顔だけど」


 夢見心地なユニは放っておこうと決めたらしい。ミルラに尋ねられ、フェイヴァは首をひねった。


「う~む。私頭が悪いからかな? よく理解できなかったの」

「わかり易かったと思うけど。どのあたりが?」

「レイゲン様とマティアさんがずっとべたべたしてたでしょう? 家族じゃないのに、どうしてそんなことするのかわからなくて。それに、レイゲン様はマティアさん以外の女の人に愛してるって言われてたけど、なんでそれを断ったの? みんな一緒に仲良くした方がいいよ」

「それ、本気で言ってる!?」


 ミルラが目を見開いて尋ねるので、フェイヴァは頷いた。なぜこんなに驚かれるのかわからない。


「フェイってもしかして、人を好きになったことがないの?」

「え? お母さんもふたりのことも好きだよ」

「……あたしが言ってるのは、そういうのとは違うんだけどな。フェイって本当に個性的」

「きっとフェイは今まで大変な人生を歩んできたのよ。恋をする暇もないくらい」

「そっか。なら、仕方ないのかな」


 夢の中から帰ってきたユニが会話に加わると、ひたすら困惑している様子だったミルラは納得したようだった。



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