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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
3章 星空の下で
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03.創世神話◇



***



 午前の授業が終了し、フェイヴァはユニたちと一緒に商業区に出かけた。


 馬車が停留する待乗所を目指す。ウルスラグナ訓練校がある公共区は、役場や教会など、賑やかさとは無縁の施設が建ち並んでいる。にも関わらず、今日の道は往来する人であふれていた。木々のざわめきにも似た喧騒が満ちている。


「こんなに人が多いなんて、何か催しものでもあったっけ?」


 フェイヴァの問いに、隣を歩いていたユニが顔を向けた。鮮やかな黄金色の髪が大きな瞳に被さる。


「今日は教会で集会があるのよ。みんな白い服着てるじゃない」


 言われてみれば、すれ違う人のほとんどは意匠は違えど白の長衣を身につけている。


 天使の翼の象徴である白は昔から神聖な色とされているのだと、歴史の授業で習った。


「なっつかしいなぁ。あたしたちもあんなふうに教会に通ってたっけ」


 瞳を和ませたミルラが、人々が身につけた衣装を眺める。


「白い服を着ている人は、オリジン正教の信者なの?」

「うん。みんな太陽の神と月の神を象った胸飾りを留めてるでしょ? あれは教会で洗礼を受けた証なの」


 そういえば、テレサも同じような胸飾りを持っていたような気がする。身につけていたことはなかったが、彼女の寝室に大切に仕舞われていた。


 オリジン正教とは、創世の神である聖王神オリジンを信仰する宗教である。世界宗教という称号は伊達ではなく、聖王神オリジンが降臨した創世神話は、大人から子供まで知らぬ者はいない。


「ふたりとも教会に通ってたことがあったんだね」

「そうよ。だってアタシたちの暮らしてた孤児院を建てたのは、オリジン正教だもん。昔は集会にひんぱんに連れて行かれて、司祭様の退屈な話をずっと聞かされてたわ」


 孤児院だけではなかった。子供たちが通わなければならない共通校も、魔獣と戦い金銭を稼ぐ狩人を束ねる協会も、すべてオリジン正教が設立したものらしい。


 オリジン正教は、今や人々の生活と切り離すことはできない。両親がオリジン教信者の場合、どんなに家が貧しくとも無償で共通校に通うことができた。孤児院の子供も例にもれずだ。


「ユニ、ほとんど寝てたもんね。あとで先生に耳を引っ張られて、涙目でぷるぷる震えてて。すっごく可愛かったなぁ」

「もう、やめてよ。恥ずかしいじゃない」


 ミルラが思い出を語ると、ユニは赤くなった顔を俯けた。


「じゃあ、ふたりって神話に詳しいの?」

「詳しいも何も、知ってるのが当たり前でしょ?」


 フェイヴァは恥ずかしく思いながら、もごもごと口を動かした。


「私、知らないんだ……」

「え?」


 疑問符が目視できそうなほどの声を、ミルラが上げた。ユニは口を半開きにし瞳を瞬かせる。


 ふたりの反応は至極当然だった。創世神話は人々にとって常識だ。それを知らない人間がいるとは考えられないだろう。


 フェイヴァの中には、目覚めたときからあった必要最低限の知識と、テレサやレイゲンに教えられた学問や教養しかない。その中に神話は含まれていないのだ。


 知らぬ者はいない神話。それが自分の頭の中にないのは何故なのだろう。周りの人間に不審を抱かれないようにするためには、必要最低限の知識の中に、神話も含まれていて当然のはずなのだが。そこにはぽっかりと大きな穴が空いている。


「そんなの変よ。フェイってどんな生活してきたの?」

「ミルラ、そんな言い方ないわよ。フェイ、知らないってどこら辺が?」

「神話の内容全部。一番偉い神様の名前は、お母さんがお祈りしてたから知ってるんだけど」


 テレサはオリジン正教の信者だったのだろう。目覚めから眠りに就くまで、彼女はことあるごとに聖王神に祈りを捧げた。そんなテレサの姿を見て、フェイヴァも神に祈るのが習慣になってしまった。


 引越しの際、テレサは必ず家庭祭壇のある家に移った。一緒に暮らしていた一年の間に教会に通っていれば神話を覚える機会もあっただろうが、都市から都市に移り住むことがあまりに多くて、足を運ぶ暇がなかった。


 フェイヴァたちは、公共区の中ほどにある教会前まで差しかかっていた。


 太陽と月が刻み込まれた壮大な門は、荒れ狂う波を象った柱によって支えられていた。


 奥には、花が咲き誇る庭園が広がっている。乳白色の像はまるで花々を見守るように、庭の中央に安置されていた。厳格な表情が、波打った髪と髭に縁取られていた。足下を隠すほど長い長衣。右手に握った、太陽と月の装飾が施された杖。彼こそが聖王神オリジン──創世の神だった。神像の奥に控えるのは、白亜の壁の教会だ。陽光に照らされて神々しいまでの輝きを放っている。


 門を潜った信者たちは、押し開かれた扉から教会内に入っていく。腰が曲がった老人や、母に連れられる幼い子供の姿が多い。フェイヴァたちは信者たちの通行を妨げないように、一旦門前で足を止めた。


「じゃあ、話して聞かせてあげるわね」

「いいの?」

「大丈夫。劇が始まるまで、まだ二時間くらいあるし」


 教会の正門に備えつけられた時計を仰いで、ミルラは言った。


「オリジンが神として意識を確立した時、彼のそばには暗闇しかなかったの。それで、太陽の神アテムと月の神エリーゼを創り出した。二柱の神が交代で天に昇るようになると、闇は払われ大陸の礎となる海が誕生したの」


 瞳が捉えるのは暗闇だけ。それはどんなに恐ろしいだろう。想像してしまってフェイヴァは身震いした。


「アテムとエリーゼはいつしか愛しあうようになって、四柱の天使が生まれたの。地天使グライド、識天使ウィズ、恋天使マーシー、戦天使レイゲン」

「レイゲン……」


 フェイヴァは、神話がどれだけ深く人々の意識に根差しているかを知った。そうでなければ、自分の子供に天使の名前をつけようとは思わないだろう。


「聖王神が命令して、地天使が海から引っ張り上げた大陸に、天使たちは知識の種を蒔いたの。太陽の神と月の神に育まれた名もなき命は知識を獲得していき、最も多く種を手に入れた生命が人間となったと伝えられてるわ」


 信仰の対象である聖王神は、意外にも世界に手を貸してはいない。彼の目覚めからすべてが始まったと言えば、そうなのだが。


「人間は発達し文明を築き始めた。人の思考が複雑に深みを帯びていく過程で、己の欲望のために争い始める者も現れた。天使たちは力を合わせ冥界を創造したの。死後、善人は天使たちの暮らす天界へ、罪深き者は番人が支配する冥界へ落ちることになったんだよ」


 ミルラが語った天界と冥界の話は、フェイヴァを怯えさせるには十分だった。知識として自分の中にある内は深く考えることはなかったが、こうして語ってもらうと改めて恐ろしさが湧き起こる。


(もしも私が壊れたら……)


 冥界に堕ちるのだろう。それとも、その場で消滅してしまうのかもしれない。


「自分が天界に行けるか冥界に行けるか、わかればいいのにね」

「不安に思ったときは海を見ればいいんだって。死期が迫った人には階段が見えるらしいの。白かったら天界行きで、黒かったら冥界行きなんだって」

「アタシたちの孤児院、海が近かったからよく見に行ってたわよね。悪いことすると冥界に堕ちるって、先生におどかされて」


 ミルラとユニが、懐かしむように笑う。


 善行を積んで挽回できるのかわからないが、死期が迫ったときに冥界に行くとわかっても遅すぎる。


「冥界って、凄く怖いところなんでしょう?」

「そうみたい。魂だけになったら死ぬことがないから、罪の重さに応じて罰が与えられるんだって。ほとんどは罰を受けたら転生できるんだけど、中には永遠に拷問を受けなきゃいけない魂もあるとか」


 フェイヴァは自分の顔が歪むのがわかった。冥界で受ける罰はきっと、大剣で身体を打ち据えられるのとは比べものにならないだろう。


「ミルラ、あんまりフェイを怖がらせちゃ駄目よ。フェイ、信じなくていいのよ。こんなの迷信なんだから。アタシたち何回も海に行ったけど、階段なんて見たことないもの」

「でも、お婆ちゃん先生、亡くなる六日前に白い階段見たって言ってたよ」

「やめなさいって」


 フェイヴァは口許を引き攣らせた。それを見かねたユニが、ミルラを制止する。


「話逸れちゃったわね。恋天使マーシーは慈愛や愛情を司る天使で、冥界に落とされた魂たちを不憫に思っていたの。そしてとうとう、彼女は冥界の扉を開いたのよ。冥界から吹き出してきた無数の刃に斬り裂かれて、恋天使は死んでしまったの。罪深き者たちの魂が世界に流失して、生き物に乗り移った。それが魔獣ってわけ。ここまではわかる?」


 フェイヴァは頷いた。醜悪な外見をしている魔獣だが、その身体は動物とあまりに似通っている。悪しき魂が乗り移り、肉体を変質させてしまったと考えたほうが納得できるような気がした。


「でも、悪いことをした人が死後冥界に行くのなら、世界は平和になるはずだよね?」

「それは、冥界の扉が今も開いているせいなんだって。冥界から溢れ出した毒気が、人の悪意を呼び覚ましてしまうらしいの」


 ならば人間は、自身の中に潜む負の感情と、永遠につきあっていかなくてはならないのだ。


「魔獣と生命たちとの戦いが始まったわ。魔獣はとても強くて、人間にも動物にもおびただしい犠牲が出た。事態を重く見た聖王神は、太陽と月の神に命じ、選ばれた人間に力を与えることにしたの。それが覚醒者の始祖だって言われてるわ」


 ユニの話をミルラが次ぐ。


「覚醒者が誕生したことで、戦局は五分にまで回復したの。けれど、そこに新たな問題が浮上したんだよ。魔獣の王と呼ばれる存在が生まれたの」

「魔獣の王って、どんな感じなの?」

「人間にそっくりな姿をしてるんだって。血のように赤い瞳をしてるらしいよ」


 血で染めたような瞳。魔獣の王であるなら、魔獣と同じ瞳の色をしていても不思議ではないのだろう。


 想像したフェイヴァの脳裏にレイゲンの顔が浮かんでしまって、自己嫌悪に駆られた。


(レイゲンさんを思い浮かべるなんて、どうかしてる)


「そういえばレイゲンさんって、赤みがかった目をしてるよね。初めて見たときびっくりしちゃった」


 ミルラもフェイヴァと同様の想像をしたらしい。だが、彼女はレイゲンに思い入れがないので、口に出すことに抵抗がないようだ。


 ユニは整った眉を寄せた。美少女は怒りを滲ませた顔も絵になる。


「やめて。そんなふうに言われたら、彼きっといやな思いするわ」

「あたしはただ思ったことを言っただけで、そんなつもりは」

「ミルラ、喋る前にもう少し考えた方がいいわよ」


 ユニに冷たく突き放すように言われて、ミルラは顔を伏せる。そんな言い方をしなくても、とフェイヴァは思う。





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