01.訓練生たちの休日◇
◇◇◇
雲の合間から太陽が顔を出す。どこか威厳が感じられる校舎が、校庭と練習場を見下ろしていた。砂が敷き詰められ整備された練習場には濃い影が落ちている。そこでは、うっすらと砂埃を立ち上らせながら、訓練生たちが周回を行っていた。
走り込みが終わったフェイヴァは、地面に腰を落としていた。ひとつに結わえた桃色の髪が風にさらさらと流れていく。ユニとミルラも周回が終了したらしい。近づいてくるのが視界の端に映る。
「あー、きっつう」
ユニは体力を使い果たしてしまったのか、足取りがおぼつかない。
ユニの身体を支えながら、歩調を合わせるミルラ。彼女も白い面に疲労の色が見えるが、今にも倒れそうなユニの方が気がかりらしかった。
「ユニ、しっかりして!」
「そんなに騒がなくて大丈夫よ。こんなの少し休んだらよくなるわ」
ミルラの心配ぶりに、肉体的疲労に精神的疲労まで上乗せされていくようで、ユニはうんざりとした表情をした。
ふたりはフェイヴァを挟んで左右に腰を落とす。座った拍子に、着込んだ鎧が擦れあい音を立てた。
ふたりの疲労の原因は、その鎧だった。戦闘訓練が本格化し始めてから、訓練生たちには鎧が与えられた。上半身を覆う軽鎧。肩当てと篭手。鋼片で補強された深靴。その重量は合計で七瓩ほどになる。それらを身につけて走り続けなければならないのだ。男子はともかく女子には辛いものがあるだろう。周回が終わって荒い息を吐いている少女たちは、ほぼ青白い顔をしていた。
「これから訓練の時はずっと鎧着てなきゃなんないんでしょ? 身体持たないわよ」
「気持ちはわかるけど、慣れなきゃ駄目だよ。これから魔獣と戦ったりしなきゃいけないのに、丸腰だと危ないと思う」
フェイヴァが言うと、ユニとミルラは揃って憂鬱そうな顔になった。両脇で重い溜息が吐かれる。
魔獣との戦闘は敏捷さが要だ。二百年ほど前に主流だった全身鎧は、魔獣との縄張り争いを続けていく内に軽量化されたのだった。今の時代に生まれてよかったと前向きに考えるべきだろう。これがもしも二百年前ならば、ユニたちは鎧の重さに押し潰されていたかもしれない。
「フェイってあんまり疲れてないんだね?」
ミルラに指摘されたフェイヴァは、なるべく不自然にならないように顔を膝の上に伏せた。
「そ、そんなことないよ。くぅ~!」
「なーんかわざとらしいのよね。ま、いいわ。
ねえフェイ、昼から予定ある?」
「何もないよ?」
今日は授業が午前で終了する。午後からは長めの自由時間だった。ウルスラグナ訓練校の休みは少ない。一月に平均して三日ほどだ。一日の自由時間も三時間くらいなので、訓練生たちは休暇を大切にした。
「商業区の劇場に行こうと思うの。よかったら一緒に行こう?」
「今日、戦天使レイゲンとマティアの恋愛を題材にした劇が開演するの。規模も大きくて役者も実力のある人ばっかりなんだって。ね、観たいでしょ?」
ミルラとユニの脳裏では、すでに理想的な劇が上演されているらしい。瞳が輝いている。一方フェイヴァは、頭に疑問符が浮かんでいた。
(……どうして私を誘ってくれるんだろう?)
フェイヴァとユニたちは幸運なことに同じ部屋になり、この六日間どこに行くにも一緒だった。しかし二人に遊びに誘ってもらえるに値することを、行なった覚えがない。
「どうしたのよ、変な顔して。アタシたちと一緒に行くのはいや?」
いつまでも返答がないのを、婉曲な拒否だと思ったのだろう。どこか苛立った、それでいて悲しみが入り交じった声でユニが尋ねた。
フェイヴァは、ぶんぶんと音がしそうなほど首を横に振る。
「そんなことないよ! お母さん以外の人に誘ってもらえるなんて初めてだから、信じられなくて」
「フェイって友達いなかったんだね。可哀想」
「くぅ~!」
ミルラは隠すことのない哀れみを瞳に込めていた。反論することもなく、フェイヴァはがっくりと肩を落とす。同情は、時として人を刃のように傷つける。──フェイヴァは人ではないが。
ミルラの方を向いた拍子に、フェイヴァの視界に緑青色が映った。ハイネだった。練習場を囲む柵に背を預けて、ルカと話している。彼が何事かを喋ると、彼女は嬉しそうに頷いた。
「そうだ。ハイネさんも誘ってみようよ」
ハイネもフェイヴァたちと同室だった。合格発表の日少し言葉を交わしただけだが、フェイヴァは彼女とも仲良くなりたかった。
ハイネを話題に出すと、ユニとミルラは顔を見合わせた。露骨に嫌そうだ。
「もう無理よ。券は当日には売ってくれないし、三枚しかないの」
「それにハイネって、いつもルカと一緒にいるし。あたしたちとは仲良くないでしょ? ふたりの世界に割って入らない方がいいよ」
ミルラの言う通り、ハイネは普段単独行動を決め込んでいるようだった。一緒に行動しようと誘っても、そっけない返事しかしない。それなのに、ルカを見かけると駆け寄ってずっと一緒にいる。いつも冷めた表情をしているのに、ルカがそばにいると笑顔を欠かさない。おまけに彼女は女子の中では一番の実力者だ。男子と同様の試験内容で、女子が二十番台に食い込むことなど、この十年間なかったことなのだそうだ。そのせいで、同じ部屋になった女子たちからは嫌われている。ハイネが影で、男に媚を売る根暗女と呼ばれていることをフェイヴァは知っていた。ひどすぎるあだ名だと思う。
五分間の休憩の終わりを告げる、笛の音が響いた。四角い髭面のベリアル教官が集合を呼びかけている。ユニとミルラは立ち上がるとフェイヴァに手を振った。
「じゃ、フェイ。また後でね」
「うん。ふたりとも頑張ってね」
これから一時間、覚醒者と非能力者で分かれて訓練が行われる。
覚醒者とは、先天的に特殊な能力を持って生まれてくる人々の総称だった。万物には精気が存在し、それなしには生きていくことはできない。覚醒者は、自己や他者の体内にある精気、もしくは空気中に存在する精気を、結びつけたり反発させたりして力を発動させるのだ。能力と言っても神のごとく万能の力ではなく、その能力は古の言葉で、火、水、風、地の四種類に分類される。それぞれ攻撃、回復、敏捷、補助に特化していた。中にはその四種類に分類されない、特殊覚醒者と呼ばれる人々も存在し、テレサがそれに該当する──らしい。覚醒者について学んだフェイヴァがそう推測しているが、テレサ自身は断言したことはない。
覚醒者たちはそれぞれ距離を取って、各々の力を発現させていく。ミルラが閉じていた両の目を見開くと、空中に赤々とした炎が燃え上がった。彼女はほっと息を吐いたようだったが、力の制御が難しいらしく、炎は見る間に大きさを増していく。自分の髪が焼けそうになって、ミルラは慌てて火力を調節した。
ミルラは首を巡らせユニを探した。フェイヴァは彼女の視線を追い、後方に立ち尽くすユニを発見した。彼女は瞳を閉じて精神を集中させるのだが、一向に能力が現れる気配がない。瞼を持ち上げて、首を捻っている。ベリアルが近づいて行き、説教を始めたらしい。溜息が視覚できるような表情で、ユニは足下を見ている。
ユニはなぜ能力を発動させることができないのだろう。緊張しているせいだろうか。
本来ならば、フェイヴァも覚醒者側で能力訓練を行わなければならないのだろうが、人の過去の一部を読み取る力が戦闘に役に立つとは思えなかった。テレサのように、相手の思考が手に取るようにわかるのならば、攻撃の手を予測するという役立て方もあるのだろうが。自分に宿る力は、随分中途半端だと思う。
(どうして私は人の記憶を読めるんだろう……?)
覚醒者と特殊覚醒者では、力が宿る部位が違うらしい。特殊覚醒者は精神という不確かな領域から力を呼び出しているのだ。長時間能力を発動し続けた結果、覚醒者は体力を、特殊覚醒者は気力を著しく消耗することがその証拠だと、聖王暦の文献には記されているのだという。
精神──心。特殊覚醒者の力が人の心に宿るのならば、フェイヴァが人と同等の心を有しているという事実を、裏づけることになる。ウルスラグナ訓練校で覚醒者の詳しい知識を学んでから、フェイヴァは機械の身体に宿る自分の心を、強く実感するようになっていた。




