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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
2章 仲間たちとの出会い
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07.はるかに遠き 過去の形見◆



◆◆◆



 反帝国組織本部、兵器処置室。


 鎧戸を引き上げた小窓からは、十分な陽光が差しこまない。そろそろ昼食の時間に差しかかる頃だが、薄暗い部屋の中にはすでに蝋燭が灯されている。


 熱で溶け落ちていくろうのかすかな音を聞きながら、テレサは作業台に乗せられた女型の死天使を見下ろした。


 部屋の中には、人ひとりが横になれる大きさの台が三十ほど設置されている。その上に乗せられているのは、十五体の死天使だ。動作確認のために最も損傷が軽微だった死天使を起動させたが、記念すべき第一号の彼は、自力で目覚めることがない死天使同様に台の上で仰向けになっていた。動力を消費しないための冬眠状態に切り替わっているのだ。


 兵士たちとの戦闘でぼろ切れのようになった死天使の上着を脱がすと、テレサは白い鎖骨に触れた。知識を掘り起こしながら、決められた数カ所を、順に指先で強く押すと、死天使の胸が自動で開いていく。豊かな水音を響かせながら、白い肌の間から血にまみれた肉が覗いた。抉れた金属の骨組みに、拳大の球体が包まれている。それこそが、死天使たちの核とも呼ぶべき心臓だ。ほのかに青味がかった色はくすんでしまっている。上半分が砕け骨組みの奥に散らばっているのだ。テレサはせっを使って欠片のひとつひとつを取り除いた。ふぅと息を吐いて、隣の台に顔を向ける。


 男型の死天使の鎖骨を同じ手順で押すと、胸を開く。無数の裂傷が刻まれている骨組みは、中央に穴が空いていた。振り上げた大剣が胸を斬り裂いたのか、核の下半分が破砕し今にも真っ二つに割れてしまいそうにひびが入っている。


 砕けた欠片は使い物にならない。テレサは鑷子の先をコアにつけると、絶妙な力加減で鑷子の尻を叩いた。キン、というこの場に似つかわしくない涼やかな音を鳴らして、心臓の一部が欠けた。テレサはそれを隣の女型の死天使の心臓に近づけた。砕けた部分を塞ぐようにおくと、心臓と欠片はにわかにきらめき、やがてひとつとなる。


 この微妙な力加減と、鑷子を当てる角度が難しいのだ。強すぎると削り取った欠片は固着せず、弱すぎるとそもそも傷をつけることさえできない。ピアースに教え始めて六日が経過したが、彼女はまだコツを掴むことができない。それでも作業の飲み込みはうんと早く、今ではひとりだけで死天使の胸を開くことができるようになっていた。


 女型の死天使の心臓の修復を終えると、テレサは額に浮かんだ汗を手拭いで拭った。いつの間にか、台の上に置いていた蝋燭が燃え尽きようとしている。完全な球体を取り戻した心臓は、くすんだ色が嘘のようにさんぜんとした青い輝きを取り戻した。


 テレサは再び鎖骨の数ヵ所に触れると、死天使の胸を閉じる。肉が裂けていたのが嘘のように、傷は跡形もなく修復された。この後にやっと死天使の頭脳を司る、小片を書き替えるのだ。


 扉を叩く音がして、テレサは顔を上げた。


「失礼します、よっと」


 片足を隙間にじこみ扉を開けたピアースは、両手で盆を持っていた。陶器の急須と杯、小皿と蝋燭が載せられている。部屋の中に入ると、後ろ足で蹴り扉を閉める。女らしさの欠片もない動作だ。彼女の養父であるベイルが見たら、青筋を浮かび上がらせて怒るだろう。テレサは苦笑する。


「お待たせしました」

「そんなに待ってないわ」

「いやいや、火が消えかかってるじゃないですか」


 ピアースは火がくすぶっている小皿を取り替えると、新しい蝋燭に燐寸(マッチ)で火を灯した。ふわりとした茜色の光がテレサとピアースの顔を照らす。


 テレサの前に杯を置くと、ピアースは茶を注いだ。香ばしい香りが部屋の中に漂う。根菜を乾燥させて作った茶だ。


「後で昼食もお持ちします。今日は芋の汁物や煮物じゃなくて、肉らしいですよ」

「……肉はいらないわ。豆と野菜の和え物はあるかしら?」

「肉嫌いでしたっけ?」

「あなたもたった今まで作業をしていたじゃない。腹を裂いて肉の色を見たのに、よく抵抗なく食べられるわね」

「そんな繊細さはとうに捨てました。食えるときに食って体力つけないと」


 あっけらかんとした顔をするピアース。いかにも彼女らしい。


「あ、そうだ。これが、第十一期生の集合写真です」

「ありがとう」


 温かい茶や昼食よりも、テレサが心待ちにしていたもの。ピアースに頼んでいた写真を手渡され、はやる気持ちを抑え目を落とした。


 白黒の写真は画が粗く、顔を寄せなければ判別が難しい。死天使と違い拡大して見ることができない自分の瞳を、テレサはこのとき初めて恨んだ。


 ピアースの吹き出す声が聞こえ、彼女の細い指が写真のすみを示す。


「フェイヴァはここにいますよ」

「あ……」


 フェイヴァの顔を見た瞬間、安堵と喜びで心が満たされた。涙がにじみ頬を伝う。


 手前の列の端に、最愛の娘の姿があった。正面を見据える瞳。結ばれた唇。見るからに緊張している。しかし、手足をきちんと揃え姿勢正しく整列している姿は、どこか凛々しくも感じた。親の贔屓目だろうか。


 フェイヴァは、ダエーワ支部での過酷な環境に耐え切れたのだ。新しい生活に足を踏み入れた娘の瞳は、味気ない色の中でも輝いて見えた。


「フェイ……よかった」

「きっとレイゲンが上手くやってくれたんですよ。……あのふたりには、どことなく似たものがあるし。人づきあいを(わずら)わしいと感じているあいつでも、放っておけなかったんでしょう」


 幼い頃からレイゲンと過ごしてきたピアースは、彼の過去を知らない代わりに、その胸の内に抱えられた深い闇をわずかに感じ取っているようだった。


 テレサは見てしまったのだ。初めて会ったあの日、レイゲンの赤味がかった虹彩を通して、血に彩られた過去を。


 フェイヴァは人間ではない。そしてレイゲンもまた、人を超えた力を与えられてしまっている。おそらく彼はフェイヴァの中に、過去の自分を見たのだろう。


 最後列で、挑むような表情をして写っているレイゲン。


 戦天使レイゲン。聖女マティアと愛を育み、天使と人の力を持つエルティアの父となった──。


 神世暦の初期、数少ない文献をもとにつけ加えられた神話──その一節。戦天使の名を持つ青年が、まさかフェイヴァと出会うことになるなんて。


「ええ。レイゲンにも、そしてあなたにも感謝しているわ。ありがとう。フェイのことを彼に頼んでくれたのね」

「そんな、私は何もできませんでした。……私もレイゲンがフェイヴァの力になってくれて嬉しいです。卒業したら甘い物でも買ってやらなきゃな」


 テレサは微笑んで頷いた。


 これから娘が生活をともにしていく仲間たちを眺める。一年間という短い期間だが、せめてその間だけは普通の少女として過ごせますように──。


 視界の端に見覚えのある容貌を捉えた。悪寒が背中を走り、全身から汗が吹き出す。見間違いであってほしかった。しかしテレサの瞳は、嘘偽りのない真実を脳に叩きつけた。


 波打った髪。目鼻立ちが整った顔。他の女子と比べて少々背が高く、彼女は真ん中の列ではにかんでいる。


(間違いない。彼女だ)


 見えざる者の宣告が、脳裏に大きく反響する。


(ああ……。なんてこと)


 まさか、フェイヴァの通うウルスラグナで、彼女の顔を見ることになるとは。これは何かの悪い夢なのだろうか。


(以前の宿主が死んで十七年が経過した。身体を形成しかけている赤子に宿り、十代の少女として成長していてもなんの不思議もない。それほどまでに、この少女は彼女に酷似している)


 ざらつく粒子に触れられそうなほどの写真。灰色の線で描かれた人物の中でも、少女のどこか神秘的な顔立ちは目を引いた。一見すると、ただの愛らしい少女に思えるが、そうでないことをテレサは知っている。


(どうすべきかわかっているな)


 胸の内を、冷たい風が吹き抜けた。


(ええ。理解しているわ)


 気が遠くなるほど古き過去の彼方から。続けてきた行為を繰り返すだけだ。未来を夢見ている何も知らない少女に少しだけ哀れみを抱いたが、その感情は尾を引かなかった。


(何よりも優先すべき娘が、私にはいる)


 フェイヴァに人としての生を過ごさせること。それがテレサの生きる意味だった。そのためならば冥界に堕ち、気が狂わんばかりの責め苦を受けても構わない。


(ここに囚われていては君が出向くことはできない。彼らの力が必要だ)


「……ピアース。ウルスラグナ訓練校の一年間の訓練予定を詳しく教えてほしいのだけど」


 務めて平静を装い、テレサは写真を机に置いた。


「どうしたんですか? いきなり」

「娘がどのような生活を営むのか、知りたくない母親はいないわ」


 もっともらしい理由を口にすると、ピアースは合点がいったようだ。


「そういうことなら、明日調べてまとめてきますよ」

「ありがとう」


 ピアースに深く頭を下げながらも、テレサの意識は集合写真に向けられていた。


 焦りにも似た激情が胸を焦がす。


(この娘を、早く殺してしまわなければ!)


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