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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
2章 仲間たちとの出会い
30/226

05.ウルスラグナ訓練校入学試験◇



***



 校舎の鐘が鳴らされて、集合の時刻となった。整列した受験者たちを演説台に立った教官が見下ろす。朝日が後頭部を照らして、まるで後光が差しているようだ。簡単な挨拶のあと、試験が開始された。


 校舎に入り、受験番号で十組に分けられる。教室の席に座ると、試験用紙が配られた。学科試験の科目は、算術、論理、歴史、地理である。


 レイゲンに勉強を教えてもらったおかげで、フェイヴァは順調に問題を解き進めることができた。一度学んだ知識を忘れないというのは、死天使の唯一の利点かもしれない。


(これは……合格できるかもしれない)


 心が踊るのを感じながら、硬筆を進ませていたフェイヴァだったが、明るい気持ちは持続しなかった。


 最初は気にしないように努めて問題に集中していたが、時間が経つにつれて、それは無視できないほどの強い感覚となった。


 右隣から突き刺さるような視線を感じる。確かに見ている。机上に広げた答案を。


(右の席に座っているのは確か……)


 練習場でフェイヴァが話しかけようとした少年だった。幼い子供のような身長に似合わない、威嚇するような目つき。


 彼が、答案を盗み見ている。


 有り得ないと、即座に否定する。もしもこちらにひんぱんに目を向けているのだとしたら、教室内を行き来している教官が気づかないわけがない。即刻教室から叩き出されるだろう。


(きっと気のせいだ)


 試験に挑む緊張で、ありもしない想像をしているのだろう。今は目の前の答案に集中しなければ。




 筆記試験が終わると、受験生たちには丈夫な衣服一式が配られる。各自思い思いの服を着てこの試験に望んでいる。実技試験でより公正を期すためだった。


 着替えて校舎から出たフェイヴァたちは、練習場の中央に整列した。実技試験は、懸垂、腹筋、腕立て伏せ、徒競争を三十分以内に指定された回数終らせ、五分間の休憩の後、教官との格闘戦を行うというものだった。


 死天使と知られてはいけない。レイゲンに言われた言葉を思い返しながら、フェイヴァは懸垂を始めた。


 棒にぶら下がり、腕の力を使って、顎が棒の高さにくるまで身体を引き上げるという動作だ。あまりに簡単なので、素早く終らせてしまいたいが、ぐっと堪える。


 フェイヴァは、周囲の少女たちの動作速度を参考にしながら進めることにした。彼女たちの動きはあまりに遅く、動作を合わせるという簡単なはずの作業でさえ苦痛だった。


(ゆっくり動かないと)


 懸垂は二十回行わなければならない。女子が懸垂を終えるまでにかかる平均的な時間は、およそ十分ほどだろう。それに対して、自分は力を制御しなければ三分で終らせることができる。


 教官の視線が刺さるように受験者たちに注がれる。フェイヴァは自分を励ましながらひとつひとつの種目をこなしていった。


 身体能力試験がすんだ受験者から、格闘戦に移っていく。十人の教官が戦いの場を整えてくれていた。若い頃は守衛士や国軍で名をせていたらしく、その体捌きは熟練の域に達している。意気揚々と教官と相対した少年が、軽々と投げられる。傍に立った試験官が、結果を手元の用紙に書き込んだ。


「次、フェイヴァ・グレイヘン!」

「はいっ!」


 名前を読み上げられ、フェイヴァは前に出た。地面の上に、白い線で長方形が描かれている。線の外側に足が出たり、地面に膝をついて十秒以内に起き上がれないと、その時点で採点は終了になるようだ。


 相手は、髭を生やした教官だった。四角い顔と黒々とした髭は、どうもうな動物を思わせる。制服の上からでも、盛り上がった筋肉が見て取れた。小さな瞳には、油断なく相手を見据える光が宿っている。


「よろしくお願いします」


 深く頭を下げると、互いに構えを取る。フェイヴァは左足を後ろに下げ、両腕を顔の前で構えた。


「──始め!」


 開始のかけ声とともに、教官が距離を詰めてくる。振り被られた腕の到達地点を予測し、フェイヴァは左足を軸にして半身を捻った。拳が風を切り、フェイヴァの頬の横を通り過ぎて行く。


(これからどうしよう)


 避けたはいいが、次に繋げる勇気がない。人同士の戦いとは、どんな攻防を経て決着するのだろうか。


 まるで斧のような遠心力と鋭さを持って繰り出された蹴りを、フェイヴァは後ろに跳んで避けた。


 周囲で行われている戦いの模様を探りたい。そうすれば動き方を参考にできるのに。


 しかし相手は素人ではないのだ。攻撃をする合間も、フェイヴァの表情や動作を目敏く観察しているはずだ。妙な真似はできない。


 怒涛のごとく突き込まれる拳。フェイヴァはあるいは弾き、あるいは躱した。いくら疲労しないからといっても、延々と避け続けているわけにはいかない。だが、どうすればいいかわからない。時間は刻々と過ぎていく。


(迷っていてもしょうがない。攻勢に出てみよう)


 あくまで、人間の範疇を超えない程度の速度を心がけながら、フェイヴァは一歩前に踏み出す。引き絞った拳を、教官の顔めがけ突き出した。


 非常にゆっくりとした速度で進んでいるように感じる拳は、目標を捉えなかった。教官は左に足を運び、容易く避けた。もう少し速さを上げるべきだったのだろう。ためらいながら打ち出した拳は、相手にとって脅威にならなかったのだ。


 伸び切った腕が掴まれた。身体が前に引きずられる。まさに流麗という表現がふさわしい、反撃の隙を与えぬ投げ技。重量が人とさほど変わらないフェイヴァは、教官にとっては軽いものだろう。


(急いで抜けないと)


 しかし、教官の身体はもう背負い投げる体勢へと移っている。この状態から脱するには、人間を超えた速度で動かなければならなくなる。それを目にした人は、一体どう思うだろうか。


『人間になったつもりでべらべら喋りやがって。気色悪い』


 いまだ癒えぬ痛みが、フェイヴァの脳裏に走った。


 落下の衝撃に備えるため身体が受け身を取ろうとする。が、フェイヴァはあえてしなかった。投げ飛ばされた身体は白線を越え、地面に叩きつけられる。


「……うう」


 呻きながら、フェイヴァはゆっくりと起き上がった。試験官は終了の笛を鳴らすと、手元の用紙に結果を記入する。


(……終わっちゃった)


 漲っていた緊張と高揚感が一気に失せた。残ったのは、自己への失望と徒労感だけである。


(合格できなかったらどうしよう……)


 不安に飲まれるにはまだ早すぎると、自分を慰めた。おそらく学科は合格点に達している。実技だって教官に投げられる前は、それなりの動きができていたのだ。後はもうなりゆきに任せるしかない。


(……気を使って動くのって、すごく気疲れする)


 それからは、試験終了まで他の受験者の手合わせを見学した。その行為は、自己の異常性をさらにフェイヴァに痛感させた。


 避けられる速度で迫ってくる拳や蹴りを回避できない。あまつさえ投げられ、地面に叩きつけられる。中には教官の一撃で卒倒してしまう受験者もいた。本来なら、教官と受験者の間にはこれほどの実力差があって当然なのだろう。


 手合わせの模様を順々に見ていたフェイヴァは、足を止めた。練習場のすみに人が集まっており、その中にユニとミルラの姿がある。ユニは、見ているこちらが胸がざわついてしまいそうな表情をしていた。フェイヴァの方を向いたミルラが、はにかんで手招く。


 人垣の中心で、今まさに戦いが決しようとしているのだろう。みんな固唾を飲んで見守っていた。


「フェイヴァ、どうだった?」

「うーん、だめだめだった」

「大丈夫? 合格できそう?」

「合格はできると思う。……たぶん」


 腕や顔に負ったすり傷が、ミルラの激闘を物語っていた。暗い気持ちになっているフェイヴァとは反対に、彼女の表情は晴れやかだ。試験をやりきった充足感に満たされているのだろう。


「そうなんだ。なら、いいけど。フェイヴァも緊張しちゃった? あたしも、思うように身体が動かなかったの」


 ユニは一向に会話に入ってこようとしない。背中を向けたまま、人だかりの奥を見つめ続けていた。彼女の視線の先で、何か驚くべきことが起こったらしい。彼女は押し殺したように、あっと声を上げた。ユニと同じ方向に顔を向けている受験者たちも、同じくどよめく。


 フェイヴァがユニを示すと、ミルラは呆れた表情で前方を指差した。ユニも彼女の前にいる人も背が高いので、フェイヴァは背伸びをしなければいけなかった。


 そこではレイゲンが格闘戦を行っており、すでにゆうが決していた。自分より一回りも身体が大きい教官を、地面に押さえつけて完全に動きを封じている。その顔は普段と変わらず落ち着いて見える。


「あいつ強いな」

「圧倒的だな。どんな鍛錬を積んできたんだか」


 側に立っていた受験者の話を耳にしていると、試合終了の笛が鳴らされる。レイゲンは教官と向き合い、頭を下げた。


「やっぱり素敵」


 弾む声音を発したユニは、歩いてくるレイゲンから目を離さない。自分の世界に羽ばたいているかのように夢見心地な表情だ。


 近づいてきたレイゲンに声をかけようとしたフェイヴァだったが、彼はフェイヴァをいちべつすると足早に去ってしまった。


「はぁ……」


 溜息は、自分でも嫌になるほど陰気臭かった。


「ねぇねぇ、見てたミルラ!? レイゲンって本当にかっこいいわよね!」

「確かに顔はいいかもしれないけど、自惚れてそう」

「あんた全然分かってないわね。いい? レイゲンの魅力は──あ、フェイヴァ! どうだった?」


 レイゲンがどれだけ心を引きつける青年なのか。熱弁をふるおうとしたユニは、そこで初めてフェイヴァに気づいたようだった。


「……だめだめだったよ」


 きりきりと痛む胸を自覚しながら、フェイヴァはレイゲンの後ろ姿を目で追っていた。






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― 新着の感想 ―
[良い点] レイゲン強ぇっ!!!! [気になる点] ユニちゃん、恋のライヴァルかぁ!? [一言] フェイヴァが手を抜いて懸垂してるの想像して、ちょっと笑った。死天使も大変ですね^_^
2019/12/26 18:15 退会済み
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