03.受験生たち◇
ウルスラグナ訓練校は、公共区の中で最も広大な区画に建てられていた。
石畳の一本道を進んで行くと、小高い丘の上に校舎が目にできた。試験希望者を待ち望むかのようにどっしりと構えている。
「うわぁ……」
フェイヴァは思わず驚嘆の声をもらした。雨を吸ったような灰色の石材が使われた校舎は、あまりに巨大だった。長方形の形をしており、正面からだけでも二十の窓が見える。
巨大な校舎に蓋をする屋根は、茶色の煉瓦でできている。校舎の西側は屋上になっていた。所々見られる色落ちや変色は、校舎が積み重ねてきた歴史をそのまま感じさせた。
堂々とした佇まいに見下ろされる練習場は、都市の住人が集合できるのではと思えるほどに広い。目測で四百人ほどの受験者が集まっていたが、彼らが占領している面積は練習場の四分の一にも満たなかった。その脇にはこれまた巨大な竜舎が建てられていて、中から無数の翼竜の鳴き声が聞こえてくる。
これから試験が始まるからか、みな緊張したようにざわめいている。落ち着かない様子で喋り続けているかと思えば、ふたり一組になって手合わせをしたり、教本を開いて復習したりと、残り少ない時間を試験のために役立てていた。
フェイヴァとレイゲンはふたり揃って練習場を歩いていたが、受験者たちの顔が確かめられる距離になると、彼は唐突に歩速を上げた。フェイヴァはおいていかれまいと足を速める。
「ついてくるな」
「えっ」
そっけない言葉を投げかけられて、フェイヴァは足を止めた。
「……お前の面倒を見るのはここまでだ。後は自分でどうにかしろ」
言われてみれば、レイゲンはウルスラグナにフェイヴァを連れて行くように命令されただけだ。行動をともにするように言われたわけではない。
(やっぱり、私が死天使だから、あんまり一緒にいたくないのかな)
気持ちを向けても、相手も同等に自分を思ってくれるとは限らない。フェイヴァがわかってもらえたと勝手に思っていただけで、レイゲンはフェイヴァに対して特別な感情を持っていないのかもしれない。
『お前が何者でも、それによってお前の価値が貶められることはない。自分を卑下するな。お前は何も悪くない』
鉄格子に閉ざされた部屋でレイゲンがかけてくれた言葉は、フェイヴァの胸で確かに息づいていた。それは、暗闇の中にきらめく、光のような希望だった。
(あんなに優しい言葉をかけてくれたんだもん。……きっと私が、何か傷つけるようなことをしちゃったんだ)
「……あの!」
意を決して顔を上げたときには、レイゲンの姿はなかった。見知らぬ人々の前に、自分は取り残されている。
試験を受ける前から精神的な疲労を感じてしまって、フェイヴァは肩を落とした。
筆記具が入った鞄を揺らしながら、所在なく練習場を歩く。踏み出すたびに、靴底が細かな砂と擦れ合ってささやかな音をたてる。
ほとんどの人が友人と足を運んでいるのか、ひとりでいる人は片手で数えるほどしかいない。誰か話せる人はいないかと、フェイヴァは首を巡らす。
受験生の集団から離れて、ぽつんと座っている少年の姿があった。夕日の色をした髪は遠くからでも目立つ。彼の身体は小柄で、男子の中でも抜きん出て背丈が低いように見える。もしかするとフェイヴァよりも小さいかもしれない。彼は険しい顔で周囲を睨んでいる。まるで、幼い男の子が侮られないように強がっているように思えた。
「き、君! よかったら私と友達になってくれないかな?」
「あぁ? 失せろ!」
「ひぃっ!? すみません!」
勇気を出して話しかけようとしたフェイヴァだったが、少年は瞳を鋭くし、開口一番暴言を放った。フェイヴァは大振りに身を引いて困惑を声に押し出す。そんな反応が目障りだったのか、少年は舌打ちして立ち去った。
(ああいうふうに怖い人がたくさんいるのかもしれない。上手くやっていける自信がない……)
レイゲンもこんな気持ちを抱くかもしれないと、フェイヴァは彼を探した。練習場と校庭の境目にある木製の長椅子に、レイゲンは腰かけていた。その周囲を少女たちが取り囲んでいる。
駆け寄ろうとして思いとどまった。少女たちは心なしか頬を赤く染めており、熱をこめた視線をレイゲンに送っている。この状況で彼に話しかければ一体どうなるか。立ち入りがたい雰囲気に、フェイヴァは尻込みしてしまう。
(レイゲンさん、人気者だなぁ)
見知らぬ人に囲まれるなんて、自分なら尻尾を巻いて逃げ出してしまいそうだ。情けないフェイヴァと違い、レイゲンは見るからに不機嫌そうな顔をしていた。彼の精神は孤高にして強靭のようだ。
前を見ずに歩いていたせいで、顔が何かにぶつかった。フェイヴァはよろめいたが、咄嗟に足に力を込めたので、無様に転がずにすんだ。ぶつかった相手は、こちらが驚いてしまいそうな声を上げて振り返った。
「悪い、ちょっと考えごとしてて。怪我ないか?」
跳ねた髪が特徴的な青年だった。歳はレイゲンと同じくらいだろう。高い身長に、どこか子供っぽさを残した顔立ち。それがフェイヴァを目にして、心苦しそうな表情に変化する。
「……いいいいいいえ、こちらこそよそ見していて。大丈夫です」
「お前本当に大丈夫か!?」
見知らぬ人との会話は、極度に緊張してしまう。舌が回らずどもるフェイヴァに、青年は明らかな動揺を見せた。
「すみません。こういうところ、初めてで……ガチガチに緊張してるんです」
「お、おう。人が多いから無理ないよな。こういうときは面白いことを頭に思い浮かべるといいらしいぞ」
「面白いこと……」
フェイヴァは、やっと一年が経過した短い人生を振り返る。面白かった思い出は片手で数えられるほどしかないが、その中でも圧倒的に印象に残っている出来事がある。レイゲンの背中で揺れる、特殊な性癖が書かれた張り紙だ。思い出し笑いをしそうになったが、同時にレイゲンに対し申し訳なさを抱いた。
「ご親切にありがとうございます。少し楽になりました」
「そか、よかった。俺はルカ・ファーロスだ」
「フェイヴァ……グレイヘン? です」
青年──ルカが腕を差しだして、フェイヴァはおずおずとその手を握った。母の姓を名乗るのに、若干躊躇してしまう。
「なんで疑問っぽいんだよ。お前面白いな」
「あっ!? すみません」
ルカは好青年を絵に描いたような、屈託のない笑みを浮かべた。からりと晴れた空を思わせる笑顔は、彼の心根の温かさを表しているようだ。初対面から好印象な青年だった。
(世の中には、こんなに優しい人もいるんだなぁ)
「俺たち、これから同期になるかもしれないんだぞ。俺のことは気安く呼んでくれ」
「はい。じゃなくて……うん」
「じゃあな、フェイヴァ。試験頑張ろうな」
ルカは手を振ると、去って行った。親しみ易い性格をしている彼がいてくれれば、過酷な訓練が続く学校生活も乗り切っていけるような気がする。
唐突に、総毛立つような感覚に襲われた。フェイヴァを息が詰まるような緊迫感が襲う。
(──これは、殺気!?)
振り返ると、ひとりの少女がフェイヴァを見つめていた。虫襖色の瞳は険しく細められている。初対面の人に睨みつけられるということも初めてだが、少女のあまりの表情の険しさにフェイヴァはおののいた。獣を射殺す眼光とは、正にこんな目付きではないだろうか。
(ひええええ! 顔怖いいいいいい!)
あまりの恐怖に口からついて出そうになるが、なんとか堪える。
冷静になって考えてみれば、少女がもとから怒りを湛えたような顔をしているという可能性は、否定できないのではないか。フェイヴァに苛立ったすえの表情の変化ではないだろう。彼女にはまだ声をかけてすらいないのだから。
「……は、初めまして。よろしくお願いします」
気持ちを奮い立たせ腕を伸ばしたが、少女はまるでフェイヴァなどいないかのように、脇を通り過ぎていった。小走りでルカの背中を追う。
「ルカ、ひとりで移動しないでって言ったのに。心配したよ」
「おお、悪い。ここ人多いからなー」
フェイヴァに向けていた鋭い眼光が嘘のように、少女はルカに弾んだ声で話しかけた。横顔には穏やかな微笑みが浮かんでおり、まるで憧れの人の前で自分を可愛く見せようとする、歳相応の少女そのものだった。
(なんだったんだろう、今の)
差し伸ばした手を下げられぬまま、フェイヴァはふたりを見送った。




