01.光のもとへ◇
◇◇◇
フェイヴァがダエーワ支部を訪れてから、一月が経過した。
明朝。鉄格子の部屋を訪れた兵士たちは、初日と同様に警戒心を装備に表していた。また暴力を振るわれるかもしれないと身構えたフェイヴァだったが、彼らはフェイヴァの手足に填められた枷を外しただけだった。前後から挟まれるようにして格子扉を潜る。兵士たちが力を込めて石扉を開いていく。開いた間隙から、通路を照らす蝋燭の光が差し込んでくる。
(ここから、出られるんだ……)
約束が果たされたことを実感して、不覚にも涙がにじんだ。
薄暗い通路を、兵士に囲まれて歩く。空気を取り込むための窓から、風の鳴く声がする。そんなかすかな音にさえ、新鮮さを感じてしまうから不思議だ。
暗闇の塔から日の下へ。久しぶりに浴びた太陽の光で視界が眩んだ。柔らかな日差しは強くはないのに、肌に触れられているように温かい。髪を撫でていく風が心地いい。フェイヴァは兵士に知られないように深呼吸をした。
翼竜を繋いだ小屋の前に、数人の兵士が集まっていた。その中にレイゲンを見つけた。彼がフェイヴァをウルスラグナ訓練校のある都市まで送ってくれるのだ。つい声をかけそうになったが、迷惑になりそうなのでやめておいた。
兵士の集団は、見送り目的で集まったものではないだろう。フェイヴァがいつ暴れだすかわからないと警戒し、結成されたものだ。それを証拠に、先頭に立つ兵士は銃を手にしている。
フェイヴァの心は、結局最後まで理解されることはなかった。
前を歩いていた兵士に倣って、フェイヴァは集団の前で立ち止まった。兵士の後ろから、レイゲンが踏み出してくる。彼の手には、ダエーワに到着した直後に兵士に取り上げられてしまったフェイヴァの鞄が握られていた。
(よかった。返してもらえるんだ)
返却されることはないような気がしていたので、フェイヴァはほっとした。
集団の先頭にいるクライスターに最敬礼をすると、レイゲンはフェイヴァに近づいてきた。余計なことを喋るなと目が訴えている。
フェイヴァは導かれるまま歩こうとして、後ろを振り返った。
唐突な方向転換に、兵士たちが銃を構える。その光景を苦い気持ちで眺めたあと、フェイヴァはゆっくりと頭を下げた。
「……一月、お世話になりました」
「お前は馬鹿か」
翼竜の背に乗って飛び立った直後、レイゲンに浴びせられた言葉がそれだった。
「私、何か変なことを言いましたか?」
フェイヴァを一瞥したレイゲンは、嘆息した。かすかな音でもフェイヴァの聴覚は明瞭に拾う。
勉強を教えてもらうようになって間もない頃は、よくこうやって溜息を吐かれた。
「お前の待遇は決してよいとは言えなかっただろう。それなのに、あんな言葉がよく口から出るな」
「でも、一月お世話になったのは事実ですし。最後に何か言いたかったから」
レイゲンの背にしがみつきながら、フェイヴァは眼下に視線を落とした。深く落ち窪んだ渓谷が見渡せる。無数の小さな物体が跳ねるように動いていた。どんな魔獣なのか、拡大して見てみる気にはならない。
「もしかしたら私は、諦めきれなかったのかもしれません。少しでも、私のことを、わかってほしかったのかも……」
自分の中に、そんな打算的な感情があることにフェイヴァは気づいていた。
人に良く思われたいから行動する。その人のためを思ってではなく。そんな思いを自覚するたび、フェイヴァはいやになった。
(こんな考えって、自分勝手っていうのかな……?)
テレサならどう答えてくれるだろう。
彼女はきっと、フェイヴァがどんな感情を抱いたとしても、叱ったりはしないのだ。
「レイゲンさんも、こんなふうに思うことがありますか?」
「俺は知らん」
「そ、そうですか……」
共感が得られないことが残念だった。気持ちを切り替えようと、話題を転換する。
「私、この一月でとっても頭がよくなったような気がします」
「一年の間に学力がついているものだと思っていたが。お前に教えるのは骨が折れた」
「お母さんと一緒にいた頃は、引っ越しばかりで基礎学習しかできなかったんです。それに、勉強以外にも大切なことも教わりましたよ。お菓子の作り方とか、本の面白さとか、動物の可愛さとか。レイゲンさんは、勉強を教えるのがお上手なんですね」
「当たり前だ。出題される問題を理解していなければ、俺もウルスラグナに入れないからな」
「そうですよね。……って、えええー!?」
「なんだ、うるさい」
「レイゲンさんもウルスラグナに入学されるんですか?」
「そうだ」
フェイヴァは自分の頬が緩むのを感じた。大勢の訓練生の中にひとりで入っていかなければならないと考えていたから、レイゲンが一緒だとわかって安堵した。彼がいてくれるならこれほど心強いことはない。
湧き上がる喜びに突き動かされるまま、フェイヴァは両手を上げた。
「うわーい! やったぁっ!」
翼竜の背から擦り落ちそうになった身体を、レイゲンの片腕が掴んで支えた。自分が空中にいることをフェイヴァはすっかり忘れていた。
「その子供じみた言動をどうにかしろ」
「くぅ~! 気をつけます」
***
日が暮れ、丘の上で短い休憩を取ることになった。フェイヴァは死天使なので疲労は感じない。レイゲンも長時間翼竜の手綱を繰っていたが、疲れている様子はなかった。
夕食を兼ねての休息だったので、もしかするとフェイヴァが空腹なのではないかと、気を遣ってくれたのかもしれない。鋭い眼差しに反して彼が優しい心根を持っていることを、フェイヴァは知っている。
硬く焼きしめた麺麭を口に運びながら、フェイヴァはレイゲンにウルスラグナ訓練校がどんなところが尋ねた。テレサには基本的なことしか聞いていなかったのだ。
ウルスラグナ訓練校は、ロートレク王国で二番目に大きな都市、ネルガルに設立されている。優秀な国軍兵士や守衛士を排出することで有名で、毎年各国から、文武両道に秀でた若者たちが殺到するのだ。その数は三百人を上回ることも少なくない。入学試験を経て合格できるのは成績上位百人ほどで、一年間の訓練後、希望の就職先に斡旋してもらえる。
「ウルスラグナは元々、ロートレク王国とその同盟国が、優秀な兵士を養成するために創設した学校のひとつだ。成績上位三十名が、卒業後反帝国組織に迎えられる」
フェイヴァは国軍や守衛士となって人を守りたいわけでも、反帝国組織の一員になってディーティルド帝国と戦いたいわけでもない。すべては、自身が人より優れた身体能力を有するが故に決定されたことだ。そんな志がない自分が、ウルスラグナに入学して上手くやっていけるのだろうか。
不安に包まれそうになったが、悩むには気が早いと、フェイヴァは自分に言い聞かせた。合格できると決まったわけではない。入学してからのことは、今はおいておく。
「忠告しておくが、身体能力試験では力を抑えろ」
「はい、わかっています」
言われるまでもなかった。手で軽く押しただけで兵士を壁に激突させられる膂力。死天使の動作に反応できる身体能力。そして極めつけが、背中から生える純白の翼。それらを目の当たりにすれば、どんなに常識を知らぬ者でもフェイヴァが人の枠から外れていると気づくだろう。
「いいか。いついかなるときも自らの力を制御しろ。正体が知られれば、お前はまた囚われることになる」
レイゲンに念を押され、麺麭を持つフェイヴァの手が震えた。
冷たい部屋。助けを求めても、刃は身体に振り下ろされる。痛くて、寒くて……悲しかった。忘れてしまいたいほど、心を傷つけられた体験。傷は塞がったが、いまだに記憶が蘇るたび、フェイヴァの胸は刃物で斬り裂かれたような痛みを感じるのだ。
頭の中が白む。掌にじわりと汗がにじんだ。
「わ、わかっています。私は絶対に、死天使であることを知られないようにします」
フェイヴァはこの一月で、死天使である自分が人に受け入れてもらうことの難しさを痛感していた。人間より力が強く、その上人と変わらずに喋ることができるのだ。怖がられるのも無理はない。
レイゲンに優しくしてもらえたのは、奇跡と言ってもいい。それに彼は何か、人に言えない秘密を抱えているように感じる。もしかすると、彼はフェイヴァに一種の共感に近い感情を覚えてくれたのかもしれない。そんな奇特な人は、世界に数人もいないだろう。
自分が正体を偽ることで人に恐れられずにすむのなら、それが一番だ。




