13.天使の宿命◆
◆
部屋の中央の落ち着いた長机に、反帝国組織の上層部が集っている。壁に固定された板に、数枚の図面を掲示し、テレサは滔々と説明を行なっていた。
「起動させた死天使の動作結果は、一枚目の報告書をご覧になってください。実地試験を行なったところ、死天使は指定した魔獣の排除に成功しています。実戦投入に、なんら問題はありません」
「まずまずの成果だな」
机の上座に腰を落ち着けた男は、報告書から視線を上げ、テレサに顔を向けた。鍛え上げられた肉体に、歴戦を示す顔の傷。険しい目つきは見る者を威圧する迫力に満ちている。反帝国組織の指導者であり総司令の座についている、ベイル・デュナミスだ。
「だが、起動可能な死天使が十一体だけとはあまりに少ない。施設内には十五体の機体を収容している」
「これでも予想していたより多い方です。辛うじて球体を保っている心臓から欠片を削り取り、比較的損傷が軽微な心臓に固着させます。それ故の十一体です」
死天使が戦場で恐怖を巻き散らすようになってから、十年の歳月が経過している。幾度となく戦いを繰り広げてきた彼らはしかし、その死天使について何も知らない。見たままを真実とし、その裏にあるものを考えようともしない。
そもそもこの時代の人々にとって、聖王暦の兵器製造技術とは、人が神の奇跡を振るうに等しかった。
「失礼します!」
艶のある木製の扉が、跳ねるような勢いで開かれた。ひとりの兵士が会議室に駆け込んで来たのだ。兵士はベイルに近寄ると耳打ちした。彼は顎に手を添えしばらく黙考し、兵士を下がらせた。
ベイルと兵士の表情を見、テレサは兵士の伝えた用件を知った。テレサにとって他人の思考は、自己の思考と大差なかった。読みたいと思わずとも、それは無理矢理に近い形で頭の中に流れこんでくる。
(……そんな。フェイが)
懸念は現実となってしまった。テレサにされた説明は、ただ部屋に閉じ込めておくというものだったが、蓋を開けてみれば詐欺にも感じられる事実があふれ出した。
食事を与えず、人との会話もない。窓がなく、蝋燭の火さえ灯ることがない部屋の中。フェイヴァは、どんな思いで過ごしているのだろう。身を切られる思いだった。
会議が終了すると、テレサは部屋に残った。ベイルが今回の件をどう受け止めているかわかっているが、彼の口から直接聞きたかったのだ。
開かれた扉を目指す幹部たちを、テレサは押し退けながらベイルに近づいていく。そのとき、怒りに我を忘れそうになっていたテレサの意識を引いたものがあった。騒々しい靴音だ。誰かが部屋を目指して通路を駆けてくる。テレサはちらと扉を見て、そして目を見開いた。
黄金色の髪を三つ編みにして背中に垂らした女が、白衣が乱れるのも構わず部屋の中に駆けこんできたのだ。顔色は青く、まるでこの世の不幸を一身に背負っているといったような表情をしている。
ピアースの瞳を見て、彼女の記憶を読み取ったテレサは、怒りと悲しみが渾然となった感情を抱いた。彼女に冷えた眼差しを向ける。
「すみません、テレサさん……まさかあいつらが、フェイヴァを傷つけるなんて」
「牢屋に入れられた時点で深く傷ついていたわ。あの子は」
「……はい。申し訳ありません」
ピアースは深くうなだれた。人でないものに惹きつけられるといっても、所詮は人間。フェイヴァを案じながらも、少なからず恐れていた。フェイヴァが牢屋に監禁され安全が実証されることを無意識の内に望んでいたのだ。だが、兵士たちに暴行を受けることまでは、想定していなかったのだろう。
今さら何を言っても無駄だ。
テレサはピアースから視線を外し、ベイルのもとに向かった。立ち尽くしていたピアースが、後ろからついてくるのがわかる。
「フェイが兵士に暴行されたのですね」
「ならば、どう決着したかも知っているだろう。処置室に戻れ」
「あなたの部下は、フェイヴァを部屋の中に閉じこめるだけだと言った。それが何故こんなことになったのか、あなたの口から説明してください」
ベイルは手を組むと、その上に顎を載せた。
「ダエーワ支部を任せているクライスター三尉は、死天使によって家族を失っている。ダエーワには、偶然にもそんな兵士が多くてな。私の命を無視した出すぎた行動を起こしたようだ。死天使に対する暴行も、その一部だ」
「偶然にも? そんなことはないでしょう。あなたは、フェイがダエーワに到着する数日前、兵の入れ替えを行なっている。独断で行動した兵に処罰を与える気もない。あなたは、こうなると理解した上で、ダエーワにフェイを送った。そうでしょう?」
「だったらどうだというのだ。兵も無事、死天使も無事。なんの問題がある。むしろ、身の潔白を証明できて、死天使としてはよかったのではないか?」
「父上、酷すぎます!」
ピアースが身を乗り出すようにして、ベイルに声を荒げた。
「フェイヴァは普通の死天使とは違い、我々と同じ心を持っています。その心に深い亀裂が生じれば、戦場で戦うことも難しくなるはずです!」
フェイヴァを死天使として戦場に立たせることを見据えた発言だが、その裏には強い怒りが潜んでいる。
「お前たちは根本的なことを忘却しているようだな。奴は人間ではない。機械だ。それを人間として認めることなどできるわけがない。真の安全を確信するためには、徹底的に追い詰め、過酷な状況に置くしかない。組織で管理するならまだしも、人の中に入れるのならば当たり前の処置だ。奴を人間同様に甘やかせば、いざという時に暴走し人間を傷つける可能性がある。今回兵士が無傷だったのも、奇跡としか言えん」
他人の思考を読むという、人の領分から外れた能力を持っていても、歯がゆくなるときがテレサにはある。自分の見ている世界と、他人の生きている世界はあまりに違いすぎる。当たり前のことが、腹立たしい。自分の中に眠る全てのものを晒け出して、見せつけてやりたい。できはしないのに、テレサはときおりそんな衝動に駆られるのだ。
「フェイは人を殺しません。彼女には間違いなく心が宿っています。それは、私たち人と、なんら変わりはありません」
「それを証明できる者はいない。一年間、お前たちの生活を監視してきたが、お前の前でだけ従順に振る舞っているとも考えられる」
ピアースが口を開こうとするが、ベイルが阻んだ。
「聖王暦の文献に記された、人の身の回りの世話をする機械にも、人間と同等の権利は認められていなかった。機械とは、人の奴隷として造られる存在だ。例外はない」
テレサは拳に力を込めた。下した選択の過ちを、今さらになって後悔する。
(できることなら今からここを出て、フェイを迎えに行きたい。苦しみも恐怖もない場所に、あの子を連れて行ってやりたい……!)
けれどそれができないことを、テレサは理解していた。
(……私が勝手な行動を起こせば、フェイはまた傷つけられてしまう)
フェイヴァは彼らの手中にあるのだ。彼女を反帝国組織に委ねた時点で、こうなることは決まっていたのかもしれない。
(落ち着くんだ、テレサ)
脳裏に浮かんでは消える、言葉。それは声と言うよりも思念だった。思念の主はテレサと繋がっており、いつもテレサのそばにあった。
(……ラスイル)
(君の選択は間違ってはいない。君ひとりではフェイヴァを守りきれない。彼らの元に戻ったとしても、フェイヴァはいずれ消去されてしまうだけだ)
そう。自分たちに残された道は、あまりに少なかったのだ。そのどれしもが、フェイヴァにとって辛い道だった。フェイヴァは生み出されたそのときから、悲愴な宿命を背負ってしまったのだ。




