48.生きる理由 生きた証(2)
外の様子を窺っているであろうディルに、エルティアは安堵した。扉の中に優しく声をかける。
「エルティアよ。ただいま、ディル」
「エルティア?」
鍵が差し込まれ、金属が噛み合う音。扉が開き、ディルが飛び出してきた。エルティアの胸に抱きつく。
「良かった、帰ってきて……」
「ふふっ。ちゃんとお留守番できた?」
「うんっ」
不安げに声を震わせるディルの頭を、エルティアは撫でた。
「おじちゃんたち、まだ帰ってこないの?」
「レイシスもマッシュもあたしとは違うところで仕事をしてるから、遅くなってるのかも。クロエはそろそろ帰ってくるんじゃないかしら」
体格や体力に恵まれた男は、設備の修繕から都市内外の警邏まで、その仕事は多岐に渡る。今頃ふたりは武器を持って、都市の通りを巡回しているはずだ。
「ディル、お腹空かない? 何か作ろうか?」
「んーん。お昼にクロエが作ってくれてたむしめんぽうを食べたから、まだお腹空いてないよ」
「じゃあ、夕食の時間までちょっと出かけようか」
「ほんと!?」
ディルの表情が、花が咲いたように明るくなる。子供の笑顔は不思議だ。家に帰るまでは気疲れしていたのに、彼女の嬉しそうな顔を見るだけで、元気が湧いてくる。口許が緩むのを感じながら、エルティアは頷いた。
ディルと出かけてくる、と書き置きを残していると、ディルが熊のぬいぐるみを部屋に置いてきた。エルティアは彼女の小さな手を握る。
「さ、出発」
「おおー!」
ディルが右手を挙げて、元気に応える。
目指すは住宅地の南にある公園だ。朝にクロエとともに脇道を歩いていると、彼女が公園の場所を教えてくれた。
公園には子供用の遊具が設置されていた。滑り台、土管、ぶらさがり、登り棒。子供の笑い声がして、エルティアは公園の奥に顔を向ける。砂場で四人の子供が遊んでいた。男の子と女の子がふたりずつ。四人のわいわいとした話し声は、エルティアの聴覚を刺激する。
「ワンワン」
「はいジョン、餌よ」
四つん這いになった男の子の前に、女の子が砂の入った器を置く。その横では、男の子が食卓を囲んでいた。──といっても、砂で作った台だが。女の子が、台の上に砂を盛った器を置く。
「うえー、今日の夕食また鳥肉の香草焼きかよ」
「うちにはこれしかないの! そんなに別の料理が食べたいなら、他の家の子になりなさい!」
どうやらままごとをして遊んでいるらしい。
(荒んだ家庭環境だ……)
子供なら、もっと夢のある家庭を思い描くのではないだろうか。エルティアは苦笑しながら、ディルを見下ろした。彼女はエルティアの背中に隠れるようにしていた。けれども気になるのか、視線は子供たちから離さない。
「一緒に遊んでみる?」
「……んーん。いい」
「本当? 仲間に入れてほしくない?」
ディルはそっと目を伏せて、爪先でとんとんと地面を叩いた。興味は引かれるが、羞恥心が勝っているのだろう。
自分たちに注がれる視線に気づいたらしい。子供たちはままごとを切り上げ、四人で集まってこちらを見ている。犬の真似をしていた男の子は、膝についた砂を払っていた。
「誰? 知ってる?」
「知らなーい」
「変な髪」
純粋ゆえの無遠慮な言葉が、刃となりエルティアの胸を刺した。
もともと赤い髪は珍しいのだが、鮮血のような赤となると、本当に稀なようだった。エルティアが暮らしていたセントギルダでも、赤毛の人間は片手で数えられるほどしかいなかった。
エルティアの髪が血を映したような色をしているのは、その特殊な生まれが関係しているのか。
(……警戒されてるわね)
どうにかして彼らの方から話しかけてくれないだろうか。エルティアは考え、そうして思いつく。
「ディル、ちょっと下がってて」
手を離すと、ディルは頷き後ろに歩いていった。彼女が離れたのを確認すると、エルティアは地を蹴り空に飛び上がった。持ち前の身体能力の高さを生かし、二階建ての建物相当の高さにまで浮上する。
おおっ、とどよめきが起こる。子供たちの目には、エルティアが空に浮いているように見えるだろう。実際浮遊しているのだが。
「よっと」
くるくると縦回転しながら降下し、何食わぬ顔で着地して見せる。地に足をつけた瞬間に、独自に考えたかっこいい姿勢を取る。
(……ふっ。決まった)
「すげー!」
歓声に顔を上げれば、四人の子供たちは興奮に瞳を煌めかせていた。エルティアのもとに駆け寄ってくる。
「どうやってあんなに高く飛んでんの? 手品?」
「おれにもできる?」
「わたしも!」
「……まだ無理よ。あなたたちがもっと大きくなったらね」
意気込みながら身を乗り出す子供たち。エルティアは微笑んでから、背後に隠れていたディルを両手で引き寄せた。
「あたしはエルティア。この子はディル。昨日この都市に来たの。良かったら、この子を仲間に入れてくれない?」
ディルは四人の顔をちらりと見ると、恥ずかしげに俯いた。そんな彼女の様子を、目を丸くして見ている子供たち。
「……いいぜ!」
四人の中心にいた男の子が声を上げる。女の子がディルの手を握った。
「行こ!」
「おれ、でかい城の作り方知ってる!」
「おままごとは?」
「今日は終わり! 砂場でお城作ろうぜ!」
「えー!」
わいわいと騒ぎながら、四人から五人になった子供たちは、砂場に駆けて行った。登り棒に背中を預け、エルティアは子供たちを見守る。
最初はぎこちない笑みを浮かべていたディルも、砂で城を作る段階になると、瞳をきらきらさせながら城の作り方を聞いていた。
見ているこちらまで楽しくなってくるような、微笑ましい光景だった。
(……子供、か)
『あなたも将来結婚して、子供だって産むかもしれないんだから』
どうしてもクロエの言葉が浮かんできてしまう。それは喉に刺さった魚の小骨のように、エルティアの意識を苛む。そうして重苦しい感情を呼び起こすのだ。
クロエに他意はないだろう。けれどもエルティアは悪い方に受け取ってしまう。クロエの言い方はまるで、結婚し子供を産むことが人生の意義だと言っているようだった。それから外れた生き方があることなど、考えもよらないような口振り。
(……結婚して子供を産むことだけが人生のすべてなの? そうじゃない人生は、あってはならないの?)
そんなはずはない。けれども、ひとりの人生に納得し受け入れられるだけの理由が、エルティアにはない。
ひとりで生きていけるわけでも、生きていきたいわけでもない。ただ流されて、この場所にいる。
(生きるって……なんだろう)
生きる、ということは命を次代に繋げることなのか。ならばそれができていないエルティアは、死んでいるも同然なのか。
(あたしはなんのために生きてるの?)
もちろん、エルティアが生きる目的は妖魔を滅ぼすことだ。しかしその妖魔を滅ぼせたとして──自分に一体何が残るのか。
妖魔が世界からいなくなった後、自分がどんな人生を歩むのか。エルティアには想像すらできなかった。
未来を考えようとするたびに、足元の砂がさらさらと崩れていくような不安に襲われる。道を歩いているつもりが、気づけば立っていた地面さえなくなってしまいそうで。
(……誰かと結婚して子供が産まれる? 駄目だ、実感が湧かない)
想像すればするほど、胸の中に冷たい石が沈んでいくようだった。重たくて、息が詰まりそうで。
目的を果たした後、自分の人生という道はどこに向かうのか。
それは遥か彼方まで続いているのか。
まさか途切れてはいないだろうか。
その道に、自分は何を残せるのだろう。
(生きた証なんて……)
胸の奥にぽっかりと穴が空いているような感覚。覗き込めば、底の見えない暗闇が広がっている。そこに何も残せない自分が、今にも吸い込まれてしまいそうで。




