43.安息を求めて
身体を縦に裂かれても、肉の巨人は生きていた。表皮が脈動している。急所となる臓器には、まだ損傷を与えられていないのだ。
「レイシス!」
エルティアは後方に向かって叫んだ。同時に空を翔け、肉の巨人に接近する。レイシスはエルティアの言わんとすることを察し、大剣を携えたままこちらに飛んでくる。
肉の巨人の右半身は、光の巨人が空に放ってくれた。エルティアは右手の大剣を閃かせる。一瞬で幾筋もの斬撃が走り、肉塊は破片となって地上に落ちていく。
(これじゃない)
エルティアは周囲を見渡した。光の巨人には、左半身の脚部を踏みつけさせた。肉の中に足が沈み、肉片が血のように辺りに飛び散る。
「エルティア、ここだ」
レイシスの声に、エルティアは彼の方を見た。肉の巨人の左半身は、レイシスが斬り刻んだところだった。宙に舞う、四角の肉の欠片。
レイシスの視線を追ったエルティアは、その中に見つけた。血肉の雨に紛れるようにして、落下していく一際小さな肉片。エルティアの頭ほどの大きさのそれは、力強く脈動している。
一目見てわかった。それがブルウィーの急所だと。
エルティアは巨人の腕を足がかりにし、空に飛び上がる。刀身に指を這わせると、刃は光輝の力をまとい、太陽にも負けないほどの強烈な光を地上に投げかけた。
「貴様が殺した人たちに、あの世で詫びろ!」
持ち上げた大剣を、エルティアは素早く振り抜いた。
一筋一筋の斬撃が、まるで花のような模様を描く。臓器が包み込まれていた肉片は細切れになり、地上に雨となって降り注いだ。
エルティアは着地する。辺りにレイシス以外動くものがないことを確認すると、大剣を大きく振った。刃についた血糊を落とすためだ。
「あたしに止めを任せてよかったの?」
近づいてくるレイシスの靴音を聞きながら、振り向かずにエルティアは言う。
「……仇を討つことが目的であって、誰が止めを刺すかは拘らない。たまたまお前が近かったからだな」
「そう」
「気づいていたのか? 光輝が奴の再生を阻害することを」
「たまたまよ」
そう口にしたのは、エルティア自身なぜあの時確信を持って攻撃できたかわからないからだ。ただの勢いだったのか。閃きのような思いに突き動かされるまま、光の巨人を操作した。その拳が、妖魔の力で構築した盾を砕くことを、心のどこかで予感していた。
「お前の力は魔獣や妖魔にとっては特効となるようだ。……まさか私の細胞を与えた者が、このような力に目覚めるとは……」
「そんな言い方は好きじゃない。……この力はきっと、皆が願ってくれたから。皆の妖魔から地上を取り戻したいっていう思いが形になって、あたしに宿ったんだと思う」
レイシスの細胞が突然変異を起こしたという現実的な意見よりも、皆の思いが実を結んだという予想の方が、ずっとずっと受け入れやすかった。
「そうだな」
「触んな!」
「ぐはぁ」
レイシスが頭を撫でてきた。なんだか子供扱いされているような気がする。エルティアは彼の手を振り払った。ついでに背中を蹴った。
「長い間、我々には天敵と呼ばれる存在がいなかったが……お前がそうなのかもしれない」
「あたしが? 妖魔の天敵?」
「ああ。今のお前ならばディヴィアにも届くだろう。──いや」
レイシスが口をつぐんだ。彼が言わんとすることは理解できる。
妖魔の王ディヴィアを倒すには、その身から生じた物体か、力でなくては致命傷にならないのだ。
エルティアがブルウィーに勝てたのは、奴がレイシスと同程度の力を持つ妖魔だったからだ。
光輝の力を使いエルティアが下僕を呼び出しても、巨人や狼の攻撃はディヴィアに掠りもしないだろう。大剣に光輝の力をまとわせても、おそらくは接触した瞬間に刃が折れ飛ぶ。エルティアが持つ大剣は、ただの金属製なのだから。
(武器……どうにかしないと)
けれどもセントギルダが滅んだ今、エルティアには武器の当てがない。妖魔の王に通用する武器を、ホリニス・グリッタ国が用意できるとも思えなかった。
物思いに耽っていたエルティアは、パンッという小気味良い音で我に返った。
手を叩いたのはレイシスだった。彼は外套についた頭巾を被りながら、エルティアを振り向いた。
「さあ、ディルを迎えに行こう」
***
住宅街の東側。エルティアがディルを隠した家屋は、ブルウィーが肉の巨人と化して暴れた後も、何食わぬ顔で建っていた。
家に入り、ディルが待つ二階に向かいながら。エルティアはブルウィーがこの辺りにまで足を伸ばさなくて本当に良かったと、内心で安堵の溜息を吐いていた。自分の直感を信じて、館から遠く離れたこの場所に、ディルを隠して正解だった。
ディルに恐怖感を与えないように、足音を潜めながら二階の部屋に入る。散らかった室内。最奥に位置する巨大な戸棚。
「ディル」
声をかけると、ディルが飛び出してきた。エルティアにぶつかるようにして抱きつく。人のぬくもりを感じて安心したのか、彼女はエルティアの胸にすがって泣き出した。
エルティアもぎゅっとディルを抱きしめると、小さな背中を撫でる。エルティアの後ろに立っていたレイシスは、一歩踏み出してディルの頭に優しく触れた。
ふたりの慰めもディルには効果がない。甚大な恐怖と不安が、その小さな身体を蝕んだのだろう。ディルの涙は止まらず、ますます強くエルティアに抱きついた。伝わる体温を、現実のものと確かめるように。
「……エルティア、レイおじちゃん。助けに来てくれてありがとう」
どれほど泣いていただろうか。涙を流し尽くしたディルは、真っ赤になった顔でエルティアとレイシスを見上げた。
「すまないディル。怖い目に遭わせてしまったな」
「あたしたちが目を離したせいよ。本当に……ごめんね」
「んーん」
くたびれた熊のぬいぐるみを胸に抱いて、ディルは首を横に振った。
「わたしが悪いの。ちゃんとじっとしてなかったから」
目はすっかり充血している。ぐすぐすと、鼻を啜っていた。
「エルティアとおじちゃん、戻ってきてくれて良かった……」
笑っているんだか泣いているんだかわからないくしゃくしゃの顔。ディルは震える声でそう言った。
***
「ディルには静養が必要だろう」
無人の家を後にしながら、レイシスが口にする。エルティアも同意見だったので、言葉を挟まず頷くだけにする。
人食いの盗賊団に捕まるという、恐ろしい目に遭ったのだ。きっと今にも自分が殺されてしまうという、恐怖感に長時間苛まれたはずだ。平気そうに振る舞っていても、ディルの精神は大きく傷ついているに違いない。
(ディル……)
エルティアは、自身の背中で寝息を立てるディルの重みを感じていた。彼女は最初こそ自分の足で歩こうとしていたが、足取りが覚束なかった。ディルの身を案じ、エルティアが背負うことにしたのだ。
「どこか身を寄せられる都市はないだろうか」
「そんなのあるわけ……あ」
レイシスの言葉に、エルティアは閃いた。
「あんたが助けた二人組がいたじゃない? マッシュとクロエ、だっけ。あのふたりが、お礼をしたいから遊びに来てって。命を救ったんだから、ちょとお世話になってもいいんじゃない?」
「おお……。彼らは無事に都市に受け入れられたのだな。良かった」
レイシスは嬉しげに頬を緩ませた。エルティアと合流した当初はディルを助けることに集中していたが、彼はずっとふたりの安否を気にしていたのだろう。
「じゃ、行きますか」
「ふむ。世話になるばかりでは悪いからな。こちらは労働力を提供しよう」
途中、地面に放置していた荷物を回収し、エルティアたちは住む者のいなくなった都市を後にした。
***
マッシュとクロエが受け入れられた都市──共同体に到着するまで、大体二日ほどかかった。ディルの体調が思わしくなく、昼も夜もエルティアが彼女を背負って歩いたのだ。魔獣の相手はレイシスに任せ、エルティアは背中にしがみつくディルに、自分が昔読んだ絵本の内容を語って聞かせた。
「……そうして、人になりたかった精霊は、友達のために力を使い果たして消えてなくなってしまいました」
エルティアが幼少期を過ごした一軒家。部屋には本棚が並べられていて、たくさんの絵本が収められていた。その内の一冊。人間に憧れた精霊が人間になるために旅をする物語だ。
「そんな……精霊さん、助からなかったの?」
エルティアの背中で鼻を啜る音がする。ディルが泣いているのだろう。
「精霊は、自分の命よりも大切なものを旅の中で見つけたのよ。それは一緒に旅をしてきた友達だったの。……そんなに泣かないで。精霊は満足してたんだから」
「エルティアのしてくれる話って悲しいのばっかり。どうして頑張ったのに、幸せになっちゃいけないんだろう……」
「うーん……」
ディルの純粋な疑問に、エルティアは言葉に詰まる。返答の仕方に困り始めた頃、遠景に都市の姿が浮かんだのだった。
都市の出入り口となる落とし扉の前で、知人に会いたいという旨を伝える。落とし扉を上げてくれた兵士は、都市の中央にある役所に行くようにエルティアたちに伝えた。エルティアの大剣は、鞘がなく持ち歩くのも危険という理由で回収された。都市から出る時に返却してもらえるらしい。自分ひとりだけが特別扱いされるはずかないと、エルティアはその決定に従った。
都市に足を踏み入れると、正面の門には都市の名前が記された扁額が吊るされている。それは塗料で修正された跡があり、真新しい文字で“共同体”と書かれていた。
「ここ共同体も、ブルウィーたちがいた都市と同じだろう」
「何?」
「一から新しく造られたのではなく、元の住人が死ぬか都市を離れたところに、今の住民が住み着いたということだ。防壁に修繕の跡がある。設備を手直ししながら住んでいるのだろう」
他愛もない会話をしながら、エルティアたちは喧騒渦巻く通りを歩く。幅の広い道は、人の往来でごった返していた。男や大柄な女が目につく。皆、肩に木材や廃材を担ぎ、腰には金槌や鋸を吊り下げている。
「何やってるのかしら?」
「ふむ、おそらくは都市の建物の修繕に奔走しているのだろうな」
そういえば、マッシュとクロエとともに共同体を訪れた時、役所から仕事が任せられると兵士が話していたのを思い出した。
共同体、という都市の名は伊達ではなく、この都市の住民は協力しながら、日々生存のための労働に勤しんでいるのだろう。
通りを抜けると、役所とそれを取り囲む住宅地が顔を見せた。住民たちの努力の結果か、人が住んでいるらしき家屋の穴は塞がれ、道は掃き清められている。
住宅地の中心に建つ役所は特に清掃が行き届いていて、壁の上から新たに白い塗料で塗られている。きっと都市の中心として大切にされているのだ。
背の高い役所の屋根の上には塔が建てられていた。塔の最上階は吹き抜けになっていて、吊るされた鐘が良く見える。都市の目覚めと日暮れを、住民に知らせるためのものだろう。
外見の印象に違わず、室内も整えられている。役所に足を踏み入れ、入り口からずらりと伸びている列に並ぶ。自分の番が来ると、受付の老齢の女から紙を手渡された。この都市に滞在する間にこなさなければならない仕事の内容と、マッシュたちの住居の位置を記した地図だった。
レイシスと紙を突き合わせてみる。住民、及び都市に滞在する者に課される仕事は、女は食品の加工、男は建物や防壁の修繕、都市内外の見回りが主だった。
(面倒ね……)
身体を傾けて、背中で眠るディルを背負い直しながら、エルティアは内心で呟いた。
「よし、マッシュたちの家に向かおう!」
初めての労働に気分が下がるエルティアとは対象的に、レイシスは溌剌としていた。自分に課された仕事も何のその、先頭をきって役所を出ていってしまう。
(なんでそんなにやる気になってるのよ……)
もしかするとレイシスは、人間に囲まれた環境が嬉しいのかもしれない。彼の横顔の明るさに、エルティアはそんなことを思った。




