41.一撃
ディルを隠すにはどんな場所がいいだろう。エルティアは空中に浮かび上がると、都市を見渡した。エルティアの現在位置は、住宅街のようだった。戦いの中心になっている館は、もともとは都市を代表する者が住む家屋だったのだろう。大きな館を中心に、放射状に住宅が広がっている。
ディルは目覚めない。どれだけの恐怖を味わったのだろうか。彼女が受けた心の傷を思うと、エルティアは居ても立ってもいられない心境になる。
(ブルウィーが何をしてくるかわからない。できるだけ離れた場所にディルを隠さないと)
突風に長髪を巻き上げられながら、エルティアは東に進路を取る。都市の中は区画ごとに、背の高い壁と門で囲われている。門をいくつも通り過ぎ、住宅街の東側に行き着く。そこには比較的小さな家屋が建ち並んでいた。
エルティアはその内の一軒、壁の端に位置する家に当たりをつけた。玄関の扉は開いていた。というより、無理矢理にこじ開けられている。窓も割られていて、破片が道に落ちていた。
家の中に足を踏み入れて、辺りを見回す。幼い子供とその両親、三人家族が住む家だったようだ。玄関の棚の上に、鮮明な色をした家族写真が飾られていて、エルティアの胸が傷んだ。
家の中は家探しされたような形跡があった。棚や箪笥から物が引っ張り出されて、床に散乱している。きっとブルウィーの部下である、盗賊団の者たちの仕業だろう。
エルティアは廊下を進み、二階に続く階段を発見する。軽快に駆け上がり、突き当りの扉を開ける。どうやら物置らしい。所狭しと並べられた棚はすべて引っ張り出されていて、雑多な小物や衣服が散らばっている。エルティアは首を巡らせ、部屋の最奥に大きな戸棚を見つけた。中に数着の衣服がかけられている。見たところ奥行きもありそうだ。小柄なディルならば、この中に隠れられるだろう。
エルティアは抱えていたディルを床にゆっくりと寝かせると、彼女の身体を縛っていた縄を引き千切った。千切れた縄はその辺りに放る。
「ディル」
優しい声音を意識して、肩を揺する。ディルは小さく呻き、瞼が震えながら開いた。
「エルティア……?」
「ディル……ごめんね。助けに来るのが遅くなって」
寝ぼけ眼だった顔は、エルティアの声を耳にした途端、はっきりと意識を取り戻したようだった。翡翠のような色味をした大きな瞳から、涙がこぼれる。
「……うっ、う」
止めどなく溢れる涙に触発されたように、ディルの呻き声は
段々と大きくなっていく。終にはエルティアの名前を呼びながら、叫びに近い声で泣き始めた。自身の感じた身も凍るような恐怖を、やっと素直に発散できたのだろう。エルティアは泣き叫ぶディルを抱き寄せ、背中を優しく撫でた。
「ごめん……ごめんね。怖かったよね。ここは安全だから。ディルを傷つける奴はいないから」
エルティアはディルが落ち着くまで、その身を抱きしめ小さな背中を撫で続けた。
「怖かったよ……。誰も、助けに来てくれないって思った……」
「……うん。本当にごめんね」
しゃくり上げるほどだった身体の震えが収まり、ぼろぼろと頬を伝っていた涙も流しきった頃。ディルは困惑を面に漲らせ、辺りを見回した。誰を探しているかはすぐにわかった。
「レイおじちゃんは? どこ?」
エルティアは彼女の肩を抱いた。ディルと顔を向き合わせる。
「レイシスはひとりで戦ってるの。あたしはあいつを助けに行ってやらないといけない。その間、ディルにはここで待っていてほしいの。……できる?」
ディルは顔を強張らせた。さっと足下に視線を落とす。側にいてほしいと、表情が物語っている。しかし彼女は聞き分けがいい。やがて顔を上げると、精一杯の微笑みを浮かべた。
「……うん。わたし、ここでふたりを待ってる。だから絶対に迎えに来てね。約束だよ」
「うん。絶対」
エルティアは力強く頷いて見せた。ディルをぎゅっと抱きしめると、戸棚を開き、その縁に彼女を座らせた。
(何かないかな)
ディルがひとりの間、孤独を紛らわせられる物がないだろうか。視線を走らせたエルティアは、はっとした。戸棚の側に、隠れるような形でおもちゃ箱が置かれていた。エルティアは箱を手繰り寄せ、中から熊のぬいぐるみを引っ張り出す。
ぬいぐるみを手で掴み、意志が宿ったように見えるよう、揺り動かしながら。エルティアは喉鳴らしをして声色を変える。
「僕が一緒にいるよ。怖いことはないからね」
エルティアのひとり芝居に、ディルは声を出して笑った。ぬいぐるみを手渡してやると、彼女はそれを胸に抱く。
「怖いと思うけど、ここに隠れていて。あたしが声をかけるまで、絶対にここから出ちゃ駄目」
「うん、わかった」
ディルがちゃんと戸棚の中に入ったのを確認すると、エルティアは戸を静かに閉めた。
(さて……)
物音を立ててディルを怖がらせないように気をつけながら、エルティアは部屋から出た。階段を下りて家の外に出ると、ディルがいる二階に目をやった。
都市の門は閉じられている。空から地上を見下ろしてみても、魔獣の姿は見当たらなかった。この都市に今いるのは、盗賊団の連中だけだろう。その盗賊団がどれほどの人数なのか、今全員があの館にいるのか、予想がつかないのが歯がゆい。二輪車が十三台、館の隅に停められているのを見ただけだ。
(敵の数がわからない。でも、ディルを危険な館に置いたままにはしておけない。……こうするしかない)
もしも盗賊団の一味が館以外の場所にいたとして、一度目を通したであろうこの家にあえて入る理由はあるだろか。──ない、とは思う。家屋はできるだけ、人がいた形跡が残らないように気をつけているし、近隣の家もディルが隠れている家とそう違いはない。扉はこじ開けられ、窓は割れている。この家だけを狙って人が足を踏み入れることはないだろう。
(早くレイシスを助けて、ディルを迎えに来ないと)
エルティアは空に飛び上がると、館を目指して衣服をはためかせた。
身体に風が吹きつける。赤い髪をなびかせながら飛行していたエルティアは、その場に停止した。
眼下に館を見据えると急降下。ディルを連れ出した際に破壊した窓から、室内に転がり込んだ。着地と同時に、帯を使って背中に吊っていた大剣を握る。
「レイシス……!」
瞳に飛び込んできたのは、床に伏したレイシスの姿だった。人間を傷つけることを忌避する、彼の特質が足を引っ張ったのだろう。レイシスの身体は幾重も斬りつけられており、黒い外套もその下に着込んだ白い衣服も、赤黒く濡れていた。
「おお、お帰り」
まるで親しい者に声をかけるような、のんきな声。苦悶の表情で呻く男たちに囲まれて、ブルウィーは口の端を吊り上げた。
「かかった時間から考えると、都市の外には出ていないな。子供はお前たちを殺した後に、探させるとしよう」
「この卑怯者……! 自分の手は汚さず、手下にレイシスを襲わせたな」
「甘さを捨てられぬこいつが悪い。奴が命を奪わずとも、人間どもの身体はもう損傷している。術を解いたとて、まともに生きることは叶わぬというのに」
エルティアは奥歯を軋らせた。何故だろう。ブルウィーにレイシスを笑われるのは癪だった。
「黙れカス野郎! 貴様がこいつを馬鹿にするな!」
自分は神ではないと語り、罪を負った者まで傷つけまいと剣を引く。愚かと笑う者もいるかもしれない。実際、エルティアでさえレイシスは甘すぎると思う。それでも。
「こいつはきっと……このままでいいんだ。人間の味方のままで」
最後まで人間を見捨てようとせず、傍らにあり続ける。きっとそれが、レイシスの性分なのだろう。
人間を滅ぼすはずの妖魔が、人間を庇い彼らに味方する。きっと何が起きても、レイシスは人間の隣人であり続けようとするのだろう。その迷いのなさが、エルティアには眩しい。
(こいつとあたし、立場が逆なら良かったのに。あたしはこいつみたいに迷いなく人間を守れるか……わからない)
わずかな逡巡の後、エルティアはブルウィーを睨みつける。
レイシスはブルウィーを猿山の大将だと称したが、彼の言葉は的を射ているように思う。人間を──自分より力が弱い者たちを従えて粋がる。その様はまるで、子供の遊び場で大人が勝手気ままに振る舞うような、滑稽さを感じさせる。
(それに……あの醜く太った腹)
妖魔は多少の個体差があれど、元来少食なのだという。レイシスから聞いた話だ。エルティアがレイシスと旅を始めてから、彼が固形物を口にしているのを見たのは、数えるほどしかない。平素であれば、空気中の精気を吸収するだけで事足りるのだ。
それなのに、ブルウィーは肥えている。きっと数えきれないほどの人間を犠牲にしてきたに違いない。
「そんな肥えた身体をひけらかす貴様よりは、レイシスの方が遥かにましだよ。貴様、今まで何人の人間を食った?」
ブルウィーは鼻で笑う。唇が大きく弧を描き、剥き出しにした歯は牙のように尖っている。
「虫のように地上を這いずる人間を、どれだけ食したかなど記憶にないわ。寧ろ感謝をしてほしいところだな。この私の血肉となり、永遠を生きることができるのだから」
エルティアは手の中の柄を握り締めた。少しでも罪の意識を感じることを期待した自分が馬鹿だった。やはり妖魔は、ひとりたりとも生かしてはおけない。
「貴様……殺す! 痛っ!」
駆け出そうとした身体が止まる。後ろからぎゅっと、髪の毛を鷲掴みにされたのだ。後方を向くと、俯せに寝転んでいたレイシスが、腕を上げてエルティアの髪を掴んでいた。
「お前が熱くなってどうする」
「あんた、大丈夫なの?」
十三人の男──ブルウィーの盾たちが、じりじりとエルティアとレイシスを包囲する。手にはブルウィーが妖魔の力で形作った剣。
レイシスは立ち上がると、被っていた頭巾を脱いだ。血を吸って重量を増した外套を、手で払う。
「お前が長々話してくれたおかげで、少しは回復したよ」
「そりゃよかった」
エルティアが素っ気なく応じると、レイシスが苦笑いする。
「私は人間を傷つけられない。お前に援護を頼みたい」
「あたしが人間を傷つけてもいいんだ?」
「そこはお前ならば殺さないだろうと、信頼しているからだな」
「あっそ」
軽いやり取りが終わるや否や、操られた男たちが殺到してくる。
レイシスはブルウィーを目指し、ひた走る。彼の進行方向に立ち塞がる敵を排除するのは、エルティアの役目だ。ある者は蹴り飛ばし、ある者は大剣の背で殴り飛ばした。できるだけ相手を遠くに吹き飛ばして、距離を離す。こうすれば連続的に攻撃を受けることはない。
「ふっ!」
数えるのが億劫になってしまった何人目かの男を、腹に蹴りの一撃を与えて吹き飛ばす。男は球蹴りに使う球のように勢いよく飛んで、壁に受け止められる。
「ちゃんと加減しろ」
「してるわ、よっ!」
三人の男たちが一斉にエルティアに刃を振り下ろした。エルティアは体勢を低くすると、男たちの足を払う。彼らはもんどり打って倒れた。
「あたしが加減なしに蹴っ飛ばしたら、こいつらの身体は潰れてる」
セントギルダで教官から受けた訓練で、人間相手にどの程度力を出せばいいかは身体に叩き込まれている。人間の身体はエルティアが想像するより、ずっとずっと柔らかいのだ。
倒しても倒しても、男たちは起き上がり、エルティアたちに襲いかかってくる。ブルウィーの能力は、対象者が意識を失っても関係がない。何度もエルティアに打ち倒され、中には白目を剥いている者までいる。敵の度重なる妨害に、舌打ちをしながらエルティアは敵を捌いていく。彼らの身体に深刻な損傷を与えないように、終には力を更に抑制しなければならなかった。
レイシスの前に出、飛びかかってきた男の足を掴み、片手で投げ飛ばす。敵はすべて後方。遂にブルウィーへの道が、完全に開いた。レイシスが外套をはためかせ、ブルウィーに肉薄する。ブルウィーはレイシスに向けて、生成した剣を放つ。
──ギンッ! 硬質な音が耳朶を打つ。エルティアが光輝の力を使い、構築した盾でブルウィーの刃を防いだのだ。
「──チィッ」
ブルウィーが手元に剣を出現させる。レイシスが剣を振り下ろす。ブルウィーは刀身でそれを受け止める。
互いの剣が打ち合い噛み合い、剣花を散らす。レイシスが深く踏み込み、ブルウィーの剣を弾いた。そのまま返す刃で首を狙う。
「仲間たちの敵、討たせてもらうぞ」
漆黒の鋭利な刃が、ブルウィーの首にかかり、皮を削ぎ肉に沈み込む。ブルウィーは驚愕の眼差しで、自身の首を切断しようとする刃を見ていた。口から赤黒い血が吹き出す。噛み合わさった歯が、がちがちと鳴る。
「生命の、維持を……」
レイシスがこちらを振り返り、口を開けた。
「エルティア、飛べ!」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。文字通り首の皮一枚で繋がったブルウィーの身体が、激しく発光する。視界が白一色に染まった。




