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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
11章 真紅の少女は幸福の花を夢見る
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40.傀儡は踊る

 視界の先には見覚えのある男たちがいた。ディルを(かどわ)かした者たちだ。彼らは整列しており、赤い刺青が走っている顔が、驚愕に歪んでいた。


「頭ぁ! こいつら乗り込んできやがった!」

「クソッ……! だがこっちには、首領がいらっしゃる!」


 男たちがエルティアたちに恐れをなしたように数歩下がる。列が乱れたことで、彼らが囲んでいたものの正体が明らかになる。


 それは豪奢な造りの長机だった。脚と天板に、優美な装飾が施されている。天板の上で横になっている小柄な身体。ディルが縄で縛られている。投げ出された足はぴくりとも動かない。


(まさか……!)


 焦燥に駆られ駆け出そうとしたエルティアは、ぐいと腕を引かれた。レイシスだ。


「ディルは大丈夫だ」


 エルティアはディルの身体を改めて注視した。ここからでは、仰向けになっている彼女の顔は見えない。けれども、きっと度重なる恐怖で気を失ってしまっているのだろう。胸の辺りがかすかに上下していた。


 エルティアはぎゅっと目を閉じる。


(良かった、生きてる……!)


「……これはこれは、不肖(ふしょう)の弟ではないか」


 笑みを含んだ低音が、エルティアの神経を逆撫でた。


 長机を挟んで部屋の奥にいたのは、長身の男だ。彼は机を回り込んで男たちの傍らを通り過ぎると、エルティアたちの前に進み出た。


 漆黒の外衣に身を包んだ、エルティアよりも上背がある男。外衣の裾は足下を覆い隠してしまうほど長く、まるで大きな長衣を身にまとっているように見える。短い金の髪を、黒い爪の生えた手で払う。血色の瞳をした──妖魔。


 すらりと伸びた長身に、小刀のように先の尖った耳。切れ長の眼は鮮血に染まっている。均整の取れた目鼻立ちは、ぞっとするほど秀麗だった。妖魔は見目麗しい容貌を誇る種族だ。妖魔の王も守護者も、そして使い捨ての戦士たちも。男女の身体的特徴を除けば、皆判で押したような共通した容姿を持つ。


 にも関わらず、目の前の妖魔には他の妖魔とは違う特徴があった。下腹部は膨張しており、身体は全体的に丸みを帯びている。そう、まるで不摂生が祟った人間のように、肥えているのである。


「太ったな、ブルウィー」


 レイシスの言葉に、ブルウィーと呼ばれた妖魔は腹を揺らして笑う。彼の手の辺りに棒状の物体が現れた。それを手に取り、ぱっと開く。妖魔の力で形作った扇子で、顔を仰ぐ。


「ほほほ。お前の身体は変わらず貧相だな」


(こいつがブルウィー……!)


 エルティアはレイシスとブルウィーの会話に聞き耳を立てていた。妖魔ブルウィーとは、三人の守護者の真ん中。次兄に当たる。その身体はエルティアが夢で見た黒い影にそっくりだった。レイシスが言った通り、やはりあの夢は、守護者階級の妖魔が近づいていることをエルティアに知らせていたのだろう。


「……二十年ぶりか。ホーンテイル近辺を根城にしていたお前が、まさかこんなところで猿山の大将をしているとは」

「ふん、随分と安い挑発だな。……まさかまだ根に持っているのか? お前の“お友達”を皆殺しにしてやったのを」

「当たり前だ」


 普段はどこか掴みどころのない、おどけた様子を見せるレイシス。その横顔に、明らかな敵意が透けている。


(こいつが、レイシスの仲間を)


 エルティアは愕然とした思いでレイシスを見つめる。


 妖魔から除け者にされたレイシスが人間の世界に飛び出し、出会った五人の男女。かけがえのない仲間となった彼らを殺したのが、ブルウィーだったなんて。


「私が憎いか? ん? 私を殺すか? ……お前にそんな大それた真似ができるかな」

「お前のお喋りにつきあうつもりはない。ディルを返してもらうぞ」

「ディル……とは、この娘の名前か」


 白い肌をした大きな手が、ディルの頭をやわやわと撫でる。その手つきのいやらしさに生理的な嫌悪感が募って、エルティアはブルウィーを睨みつけた。思わず身を乗り出してしまう。左腕が掴まれ、足がたたらを踏んだ。


 レイシスがエルティアの隣に踏み出した。目線だけをこちらに向ける。


「……私が奴の注意を引く。その間にディルを頼む」


 囁きに近い声量だった。エルティアは敵に悟られないように、レイシスに目を向けるに留める。


 ブルウィーはディルを撫でるのをやめると、下卑た笑みをエルティアたちに向けた。


「それは無理な話だ。こんなに状態のいい子供は久しぶりだ。痛みもなく鮮度も抜群。どう料理させようか悩んでいたところだからな」


 レイシスとブルウィー。互いの妖魔の力が形を取り、漆黒の剣を生成する。剣はほぼ同時に撃ち出され、互いの敵を(ほふ)らんと宙を翔た。二本の剣は真正面から激突し、対消滅する。発生した力の余波が衝撃となって、床を叩く。


 妖魔の力の生成の速度は互角。剣に意識をのせ、動かす速さも同等。レイシスとブルウィーの実力は拮抗しているように思えた。


 エルティアの手を離し、レイシスは駆けた。一足飛びでブルウィーに肉薄し、生成した剣で斬りかかる。ブルウィーは人を小馬鹿にした笑みを浮かべたまま、半歩下がった。


 ブルウィーとレイシスの間に、大きく影が被さった。その正体は驚愕に顔面を染めた刺青の男。彼はレイシスの前に身体を投げ出す。


「──な」


 男を認識したのか、レイシスは腕を引いた。刃が空を斬り、床に突き当たる。


「そら、お前たち。侵入者を排除しなさい」


 ブルウィーが指を鳴らす。高く張りのある音が室内に響き渡る。その途端、刺青の男たちがもがき始めた。苦しみ呻く声に、関節が外れていくような重い音が重なる。やがて彼らは前のめりになると、駆け出す。エルティアとレイシスに襲いかかってくる。


(こいつ……人間を操れるのか!)


「た、助け……身体が勝手に……ぎゃあっ!」


 助けを求める声は、ごきりごきりと骨が外れる音に掻き消される。異様に伸びた男の腕が、拳を握り振り下ろされる。エルティアは引かない。身体ごとぶつかっていき、大剣を振るう。刃の背が男の首を捉えた。


 当たりどころが悪く死んでしまったとしても、仕方がない気がした。男たちは人間を殺して食べる。こんな畜生どもにかけてやる情けなどない。


 飛びかかってくる男を横殴りにし、足下を狙った蹴りは跳躍で(かわ)す。向かってくるひとりひとりを(さば)きながら、エルティアは長机の上で横になっているディルを目指す。


「邪魔!」


 眼前に立ちはだかった男を、足蹴にして吹き飛ばすと、駆ける足に力を込める。エルティアはようやく長机の天板を掴み、ディルを肩に担いだ。


 男たちはどうやら、意識を失ったとしても無理矢理身体を動かせられるらしい。エルティアがたった今刃の背で殴打した男が、すぐさま体勢を立て直した。足を持ち上げた瞬間、ぶちりと腱が切れる音がする。身体中の骨や関節を犠牲にして、男たちは人間を越えた可動域を手に入れさせられている。鋭い蹴りが半円を描いて、エルティアに振るわれる。


 手が塞がっている。後ろには長机。エルティアは迷わず頭から突っ込む。


「どけぇっ!」


 頭突き。男の踵とエルティアの頭が激突する。敗者は勢いに負けて、後方に吹き飛んでいった。


 エルティアは視線を走らせレイシスを探す。彼は右前方でブルウィーと相対していた。エルティアが難なくディルを取り返せたのは、レイシスがブルウィーの気を引いてくれたからに他ならない。しかし、戦況は芳しくないようだ。攻撃をしかけるレイシスを阻もうと、男たちが入れ替わり立ち替わり前に出る。そのたびに彼は人を斬ることを恐れて、剣を引いた。その隙をブルウィーに突かれ、周囲を浮遊する剣に斬られる。


 守護者階級の妖魔や王を殺せるのは、妖魔自身から生み出されたもののみ。レイシスの傷口から流れ出る赤黒い血が、それを証明している。


「馬鹿レイシス! こんな奴らに躊躇ってる場合か!」

「駄目だ。人間を傷つけることはできない……」


 まるで自分が傷つくよりも、人間を斬ってしまうことの方が恐ろしい、とでも言いたげだ。


 こいつらは人間を食べる、おぞましい習性を持っているというのに。そんな奴らまで人間扱いするだなんて、レイシスは甘すぎる。


「あんたも見たでしょ? こいつらが食べてた料理を! こいつらは人を殺して食べるのよ! そんな奴らの命まで心配するだなんて……」

「私は神ではない。彼らが何をしようと、私が人間の命を奪っていい理由にはならない」


 レイシスの考えは揺るがない。頑固と呼べばいいのか、愚かと笑えばいいのか。


「どれ、少し趣向を変えてみるか」


 ブルウィーが再び指を鳴らすと、十三本の剣が空中に出現した。漆黒の色をした、鋭い刀身を持つ剣。それはブルウィーが妖魔の力で生成した武器だった。剣はひとりでに滑り出すと、ブルウィーに操られている男たちの手に収まっていく。男たちはエルティアとレイシスに接近し、身体の関節が外れるのも構わず剣を振り回す。


「クソッ!」


 面倒なことになった。エルティアは飛びかかってきた男を蹴飛ばして、辺りを見回す。レイシスは十人の男たちを相手にしていた。縦横無尽に振るわれる刃を躱しながら、レイシスがエルティアに視線を送る。


「ディルを安全な場所へ!」


 レイシスは男たちの攻撃に晒されながら、ブルウィーと距離を詰める。しかし、彼とブルウィーの間にすぐさま男が立ち塞がり、ブルウィーを狙った刃の盾となる。彼は咄嗟に腕を引いて、男を斬りかけた剣を床に向けた。


(レイシス……!)


  彼をひとりにすればどうなるか、火を見るより明らかだった。しかし今は何よりディルの安全を優先しなければ。彼女を肩に担いだままでは、碌な戦力にならない。


「……すぐに戻る!」


 エルティアは窓硝子を大剣で破ると、降りかかる破片を腕で払って、館から脱出した。



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