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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
11章 真紅の少女は幸福の花を夢見る
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38.不満爆発

 腐っていても仕方がない。エルティアは心を落ち着けるために、深呼吸を繰り返した。動揺していた精神を平静に切り替える。


「……あの、ごめんなさい。私たちのせいであの子が」


 柔らかい声音がして、エルティアは振り向いた。女がエルティアの顔色を窺うように立っていた。歳はエルティアより二つか三つほど上だろうか。厚手の上着に、下半身には二股に別れた衣服。そして足を保護する深靴。彼女は長時間の歩行を想定した旅装束に身を包んでいる。背中には不釣り合いなほど大きな(はい)(のう)。胡桃色の髪を緩く編み込んでいて、前髪を留めている銀の装飾が、朝日にきらめいていた。


 後ろから歩いてきた男も、女と同年代か少し歳上に見える。まだあどけなさが残る顔貌に、無造作に立った黒髪。服装も女と似たようなもので、肩にかけた帯には大剣を吊るしていた。きっと護身用だろう。


 人間が扱うには重量があり取り回しが難しい大剣。小型の魔獣相手ならどうにかなるかもしれないが、人間の身体能力で振り回したとて、疾駆する二輪車や銃の前には無力だ。


「なあ、あんたら何者なんだ? さっきの男、どこに行ったんだ?」


 レイシスが飛び上がった瞬間、彼らには認識できない速度が出ていたのだろう。男にはレイシスが突然消えたように見えたに違いない。


 エルティアは溜息をつきそうになった。男にとっては当然の疑問だろうが、今はレイシスのことよりも自分の身の安全を第一に考えてほしかった。


「あなたには関係ないわ。そんなことより、今は自分たちの心配をしたほうがいい」

「……あ、ああ。そうだな。俺はマッシュ。彼女はクロエだ。あんた、名前は?」

「エルティア」


 言い捨てて、エルティアは周辺を見渡した。魔獣の姿がないことを確認してから、ふたりを放って背嚢を置いていた場所に歩み寄る。砂を払い、吊り紐を肩にかけると、背中と腹に背嚢を固定する。


「それ、あんたらの荷物か?」

「そう。三人分も食糧が入っているから」


 背嚢の中身のほとんどがディルのための食糧に他ならなかったが、こう言えば余計な詮索をされずに済む。


「重いだろ。持つよ」


 マッシュは親切心で言ってくれたのだろうが、無理して荷物を持たれて足が遅れる方が迷惑だ。


「気にしないで。それより早く先を急ごう。もうすぐ都市に着くから」

「え?」

「どこだ? 全然見えないぞ」


 クロエとマッシュは、首を巡らせて辺りを見回した。やはり人間には視認できない距離なのか、とエルティアは舌打ちをしそうになった。一々説明するのも面倒だ。


「とにかく進もう。時間が惜しい」




 エルティアは足を早める。やがてマッシュたちにも都市を囲む防壁が見えたのか、ふたりは安堵したように顔を見合わせた。


「……よかった。本当にこの辺りに都市があったんだな!」

「車の燃料が尽きた時はどうしようかと思ったけど……あなたたちが助けてくれたおかげよ。エルティア、ありがとう」


 背後からかけられた声に、エルティアは立ち止まる。マッシュたちと出会う前に見た、乗り捨てられた自動車。彼らが所有者だったのか。


「車で旅をしていたの?」

「そう。私たち、これでも一年くらい旅をしているの。一月くらい前に立ち寄った都市で、偶然燃料の入った車を見つけて。そこにひとりで住んでいたお爺さんが、必要ないからって私たちにくれたの」

「最初は新手の詐欺かと思ったよな。食糧を全部よこせと言われるかと思ったが」

「……これから行く都市のことを知ってるの?」


 さっきマッシュは、本当にこの辺りに都市があったんだな、と言った。事前に都市の存在を知らなければ、口にできない言葉だろう。


「車をくれたじいさんが教えてくれたんだよ。ずっと西に進んだところにあるホリニス・グリッタ国に、クリシュナやセントギルダから受け入れを拒否された難民が造った、共同体があるって」


 エルティアは自身の聴覚を疑った。クリシュナが受け入れる難民を制限している、というのはレイシスから聞いた。しかしセントギルダが難民の受け入れを拒否しているという話は、初耳だ。


「セントギルダが……」

「あんた、あの都市を知ってんのか。セントギルダの地下には秘密結社の根城があるっていう噂があってな。

 この間……六日くらい前か。あの都市に寄ったんだ。そしたらなんと、防壁まで破壊されて酷い有様だった。何が起こったのか見当はつかないが、食うに困った難民を冷たくあしらってきた罰が当たったんだろ」


(違う。皆はそんな人たちじゃない……!)


 口に出しそうになって、エルティアは唇を噛みしめる。マッシュたちと違い、エルティアはセントギルダで暮らしていた人々のことを知っている。妖魔に惨殺されてしまった彼らは、(こん)(きゅう)した難民を邪険にするような人たちではない。そう声に出して言えたら、どれだけ気が楽だろう。


 エルティアはセントギルダの内情をすべて把握していたわけではないのだ。彼らが助けを求めてきた難民をどのように扱ってきたのか、エルティアは知らないし、そのことを考えようともしなかった。


(皆……)


 胸がじくじくと傷んだ。いなくなってしまった人たちに疑いの眼差しを向けなければならないのは、彼らの心根まで懐疑的に見ているようで、エルティアの気分を重くさせた。


「……ちょっとマッシュ、そんな言い方をしちゃ駄目よ」


 エルティアの様子の変化に気づいたのか、クロエがマッシュをたしなめる。


***


 天高く昇っていた太陽が傾き始める刻限。エルティアたちは都市の門前に行き着いた。門の下部には分厚い落とし扉が(そび)えている。門の上には塔が建てられ、その内部には落とし扉を巻き上げるための機構が設置されているようだ。魔獣がいつ襲撃してくるかわからない。都市は基本的に、落とし扉で外界への道を閉ざしていた。


 門の両脇には側防塔が建っている。塔には射撃口が開いていて、そこから防壁の外を監視したり、銃撃を行うのだ。これもすべて、魔獣から都市を守るための設備だった。


 門の周囲には武装した兵士が行き交っている。魔獣を警戒しているのだろう。


「止まれ」


 エルティアたちに気づいた兵士のひとりが、立ち止まる。厚手の上下を身に着け、その上から金属製の胸当てを装着している。深靴の爪先も足下を保護するためか、金属で覆われていた。肩には大剣の柄が見える。黒い兜の下、鋭い眼差しがエルティアたちを射抜いた。


 エルティアは後ろからふたりを眺めていた。マッシュは兵士の出で立ちに緊張した様子を見せたが、隣に立っていたクロエが話を切り出そうとすると、それを遮り彼女を守るように身を乗り出した。


「あの……ここに来れば受け入れてもらえるって聞いて」

「保護が目的か。わかった、今門を開ける。武器はこちらで預かろう」


 マッシュから大剣を受け取ると、兵士は門の上部に位置する塔に声をかけた。応答があり、落とし扉が地響きのような音を立てて持ち上がっていく。


「都市の中央に役所がある。そこに行けば家屋と仕事が割り当てられるだろう。武器は住居が決定してから届けることになる」


 マッシュとクロエは互いに顔を見合わせ、肩の荷が下りたように微笑んだ。


 自分の役目は終わった。エルティアはふたりに背を向ける。風が赤い髪をなびかせた。


「どこへ行く? 君も受け入れを希望しているのではないのか」

「あたしは違うので。構ってもらわなくて大丈夫です」


 兵士の戸惑いの声に、肩越しにエルティアは答える。と、後ろ手を唐突に握られた。思わず()(げん)な感情を顔に出して、ふたりの方を向いた。


 エルティアの手を握っていたのはクロエだった。彼女は顔に憂いをたたえている。


「ここまで私たちを送ってくれてありがとう。あの女の子を助けたら、三人で遊びに来て。改めてお礼がしたいの」

「そうだな。あんたらは俺たちの命の恩人だ。頼むから、元気な顔を見せに来てくれないか」


 承諾しないと手を離してくれなさそうな気配がしたので、エルティアは億劫に思いながらも頷いた。


「……ごめんなさい、引き止めて。気をつけてね、エルティア」




 クロエたちと別れたエルティアは、兵士たちの視界から消える位置まで、足早に移動する。


 距離にして四十、五十(メートル)ほどだろうか。都市を囲む防壁が、指の先ほどまでに小さくなると、エルティアは地を蹴った。空に飛び上がり、ディルを(かどわ)かした盗賊団の車輪の跡を探す。


 目を皿のようにして地面を注視していると──見つけた。視野の上方。荒野が果てもなく広がり、痩せた木々が生える林をつくっている。丘の影に隠れるように、その車輪の跡はあった。突風が笛のような音を鳴らして吹き、地面にくっきりとついた幾筋もの車輪の跡に、砂が被さっていく。


 エルティアは身につけた筒型の衣服をはためかせ、空を飛ぶ。


***


 黄昏かけていた空が茜色に染まり、山間に藍色がにじむ頃。エルティアが追っていた車輪の跡は、砂に掻き消されようとしていた。


(どうしよう……!)


 このままではディルを追うことができなくなってしまう。焦りが胃の辺りを焦がすような感覚。


 エルティアは辺りを見回した。走らせた瞳が、遠方にある建造物を発見する。防壁らしき建築物が、異界を遮るように真横に広がっている。かすかに残った車輪の跡は、防壁に続いていた。


 エルティアは方向転換し北に進路を取る。荒々しくはためく髪が、頬を打つ。


 距離が縮まるに連れ、防壁に囲まれた都市の全景が明らかになる。東西南北に巨大な門を構え、壁に抱き込まれた建造物。“ポリッシュ”と都市の名前らしきものが刻銘された門の下。商業地帯らしい大通りには瓦礫が散らばり、ところどころ赤黒い液体が吹きかけられたように広がり、汚れている。おそらくは血痕だろう。道のあちこちに、細切れになった人の部位が落ちているのだ。それがなぜ人間の身体の一部だとわかったのかというと、指らしきものがついているからだ。


「なんで、こんな……」


 ディルが暮らしていた都市の惨状より、数段ひどく思える。散らばった身体の部位は赤黒い断面を覗かせ、野鳥についばまれていた。この都市も、ディルが住んでいた都市のように盗賊団に制圧されたのだろうか。それにしては街路や建物に弾痕が見当たらない。まるで大きな力に切り裂かれたように、人間の骸はばらばらにされている。


(駄目、気持ちを強く持たないと。今はこの都市が何に襲われたかなんてどうでもいい。ディルを探さないと)


 エルティアは視線を忙しなく動かす。夜の闇は妖魔の視力を制限しないが、地上の建造物は小指の先ほどの大きさで、なおかつ密集している。その中から二輪車を探し出すのは至難の技のように思えた。しかし泣き言は言っていられない。ディルの行方を示すものは、盗賊団が乗っていた二輪車しかないのだ。 


 立ち並んだ建物の中から二輪車を探して、エルティアは高度を下げる。魔獣避けの防壁が目に入った瞬間から、防壁の歩廊に盗賊団の一味が潜んでいることを警戒したが、どうやら取り越し苦労だったようだ。


 視界一杯に広がっていた都市が迫り、建築物の間を走る路の細部が、手にとるようにわかる。


「──ん?」


 視界にちらりと光るものがあって、エルティアは足下に目を向ける。視野の隅に、月明かりに照らされて白く輝く──レイシスの頭髪が見えた。


 彼は珍しく頭巾を外していて、エルティアよりも低い位置で空に浮いている。レイシスが見つめる先には館が建っていて、窓には明かりが灯っている。三階建ての古色蒼然とした建物だ。外壁は茶色の煉瓦、三階の露台部分は白い柱と石板が貼られている。館の脇には見覚えのある二輪車が、まとめて留め置かれていた。


「来たか。私の髪は目立つだろう」

「ちょっと!」


 余裕の横顔を見せるレイシスに不満が爆発し、エルティアは彼の外套を後ろから引っ張った。首元で外套を留めているため、首が締まったようだ。彼はぐえっ、と蛙が潰されたような声で鳴いた。

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