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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
1章 機械と人 隔絶した心
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10.ささやかな交流【レイゲン視点】

「どこか悪いところがあるのか」


 口からもれた言葉は、あまりにぶっきらぼうだった。弱っている者に対してどのような態度で接すればいいか、レイゲンはわからない。


 顔を上げているのも辛いのだろう。死天使は首をかたむけて、今にも前に倒れてしまいそうな姿勢をしている。


「……いいえ。私は大丈夫です」


 レイゲンの言葉を聞て、しばしいとまをおいて、死天使はゆるりと首を振った。説得力のない態度だ。


「正直に話せ」


 一言凄むと、死天使は肩を跳ねらせた。桃色の髪から、疲労の色が濃い顔が覗く。


「……少し、身体が重いです」


 声を潜めているが、ときおり苦し気に息を吐いている。こいつの“少し”は、言葉通りの意味ではないだろう。


「分かった。何か食べるものを持って来てやる」

「……えっ?」


 レイゲンはきびすを返すと、靴音を響かせながら扉に手をかけた。


 扉の外に兵士の姿がないことを確認して、部屋を出る。


 足早に休息室を目指した。兵が就寝する寝台が設置された部屋。その奥にある二段の寝台はレイゲンが使用していた。私物を入れておく棚に、朝食で出た麺麭(めんぽう)を取っておいたのだ。


 警備の目を巧妙に抜けてきたので、兵士と顔を合わせることはなかった。棚から紙袋に入った麺麭を引っ張り出して、死天使の部屋に向かう。


(一体何をやってるんだ、俺は)


 通路を引き返す際にも兵士の姿を確認しながら、レイゲンはふと自問する。


(死天使に哀れみを感じたからか? 奴も人間と同じ精神を持っていると認めたからか? それとも……昔の俺と重なったからか?)


 今にも倒れてしまいそうな、弱りきった死天使の顔を思い返す。


(あの状態では学習に支障が出る。そう判断した結果の行動だ。別に、あいつの身を案じたわけじゃない)


 扉を閉め、鉄格子に近づく。


 格子越しに袋を渡そうとして、腕が入らないことを思い出した。鍵を使って格子扉を開けると、茫然としていた死天使は弾かれたように上半身を引いた。今にも口から、ひっ、と悲鳴が飛び出しそうな勢いだ。


「食え」


 紙袋を差し出す。死天使は状況を掴みきれていないのか、袋とレイゲンの顔を交互に見つめた。


「え……でも」


 死天使の腕を取り、袋を握らせる。手の中の包みを、死天使はまるで未知の物であるかのように見下ろしている。一向に開けようとしない。


「なんだ。俺が持って来たものは食べられないか」

「いえ、そうじゃありません。ただ……」


 紫の瞳を上目遣いに、死天使はレイゲンを仰いだ。


「これを食べることで、あなたに迷惑がかかったりしませんか?」


 眉尻を下げ、迷いを顔に押し出している。かすかに開いた唇が発した言葉に、レイゲンは素っ気なく答えた。


「余計な心配はするな。いいから食え」


 小さく頷くと、死天使は袋を膝の上に置いて手を組んだ。


「主よ。この食事に祝福をお与えください。いただきます」


 祈りを捧げたあとに食べ始めた。こんな状況におかれてりちに神に祈るとは。レイゲンは、哀れみとも馬鹿馬鹿しさともつかない感情を抱いた。


「……美味しい」


 声が震えていた。伏せた顔に前髪が被さっている。


「麺麭って、こんなに美味しい物だったんですね……」

「何も食べていないから、そう感じるだけだろう」

「……そうかもしれませんね。お母さんが作ってくれた手料理を思い出します……」


 ぽつりぽつりと、死天使は噛み締めるように喋る。虫が羽を震わせるがごとく小さな声は、石の扉と頑丈な鉄格子に閉ざされた部屋の中に染み入る。残響さえ残らないこの牢屋に、レイゲンは死天使が囚われている暗闇と孤独を感じ取る。


 駄目だ──とっに思いながら、頭を振って雑念を払いたい衝動に駆られる。


 無言で麺麭をしゃくしていた死天使は、おもむろに顔を上げた。


「食べものを持って来てくださって、ありがとうございます」


 そこには、たった今まで衰弱していたのが嘘のような表情があった。夜空を切り取ったような深紫色の瞳が、涙でうるんできらめいている。頬はわずかに朱に染まっており、唇が柔らかく弧を描いていた。


 麺麭を一個食べた程度では体調は回復しないはずだ。しかし、苦しみや辛さを上回るレイゲンに対する感謝が、死天使をこのような表情にさせたのだろう。


 無意識に顔を反らし、レイゲンは凹凸に富んだ石床に視線を落とす。


「別にお前のためではない。ほうけたままだと、勉強に身が入らないだろう」

「……そうでしたね。早く食べて勉強しないと」


 死天使は急いで麺麭を頬張った。頬を膨らませて食べるさまは、小動物のおもむきがある。なんて緊張感のない顔だ。思ったのもつかのま、死天使は目を固く閉じ身体を硬直させた。レイゲンは声もかけずになりゆきを見守る。やがて死天使は盛大に深呼吸をした。目尻にたまった涙が今にもこぼれ落ちそうだ。


「び、びっくりした……。今すごく喉が苦しかったんです」


 どうやら麺麭を喉に詰まらせたらしい。


「……何をやっているんだ。俺は急かしてないだろう。ゆっくり食え」

「はい。大切に、味わって食べます」


***


 それからというもの、学習を兼ねて可能な限り食べものを持参した。日によって量が少なかったりしたが、死天使は不満も言わず頭を下げた。


 そればかりか、レイゲンが満足に食べられているか。食べものを持ってきていることが知られたら、どんな処罰を受けるのか。そんなことばかり心配していた。


「今日はこれだ」

「ありがとうございます」


 深々と頭を下げて、死天使は紙袋を受け取った。蒸した麺麭に砂糖をまぶして、長期保存を可能としたポロムという菓子だった。食前の祈りを捧げて、死天使は菓子を口許に運ぼうとする。


 じっと菓子を見つめている自分に気づいて、レイゲンは顔を反らした。自分で持って来たのに、未練がましく見つめるなんて。


 ポロムは、レイゲンの好物番付第三位に輝いているのだ。


「はい。どうぞ」


 死天使の声に顔を向けると、紙袋に包まれた、半分に千切られたポロムを差し出していた。


「半分こしましょう」


 そう言って、無邪気に微笑む。


(なぜこいつは腹が空いているはずなのに、他人に気を使うんだ)


「……いらん。それは全部お前の物だ。気にせず食え」

「私、今日はあまりお腹空いていないんです。それに、このお菓子はもともとレイゲンさんのものでしょう? 少量の食事であなたが倒れてしまったら、私はいやです」


 確かに、レイゲンたちに与えられる食糧は十分とは言えない。それでも、一日三食きちんと食べられるのだ。これ以上は望むべきではない。


 そもそも、一般人は満足に食事を取れない。普段は一日一食で過ごし、たまに二食食べられればいい方。そんな家庭も少なくないと聞く。一日三食満腹になりそうなほど食べる。そんな贅沢ができるのは富裕層に限られる。


 魔獣が世界をせっけんしている。人の安住の地は狭く、農作物を管理できる土地はますます少ない。フレイ王国の農作物の交易により、食料は行き渡るようにはなったが、それは人口が統制されているからだ。


 人口の制限もなく安定した食料供給を行っているのは、世界一の領土を得たディーティルド帝国くらいのものだった。


 一年間フレイ王国で暮らした死天使は、テレサのじゅんたくな資金のおかげで食事に苦労したことがないのだという。それでよく、この劣悪な環境を受け入れられる。


「だから食べて下さい。食べてくれないと私も食べません」

「……わかった」


 レイゲンは菓子を受け取った。立ったまま食べるわけにはいかず、死天使と少し距離を開けて座る。


「甘~い」


 ポロムを頬張りながら、死天使が微笑む。


「レイゲンさんって、もしかして甘いものが好きなんですか?」


 見透かされてしまって少し気まずい。嘘をつく理由もないのでレイゲンは肯定した。


「やっぱりそうなんですね。私、お母さんと暮らしてたとき、料理を手伝ってたんです。そのおかげで、簡単なお菓子も作れるようになったんですよ。もし、いつかお菓子が作れるようになったら、食べてもらえませんか?」


 味覚は正常のようだが、料理をするとなると話は別だ。死天使に、人間の食用に耐えるものが作れるのか。


 前かけを着て、器の中の材料を混ぜている死天使を想像する。それはどこか奇妙な光景に思えた。


 沈黙にレイゲンの思考を察したのか、「お母さんも美味しいって褒めてくれたんですよ!」と慌てたように言う。


 それほど破壊的な味ではないらしい。単にテレサが深刻な親馬鹿で、不味いものを美味いと言っている可能性もあるが。


「……機会があればな。それにはまず、ウルスラグナに入らなければならん」

「はーい!」


 死天使ははつらつと挙手をして答えようとしたが、手枷に繋がった鎖に邪魔をされた。恥ずかし気に頬を赤くする。


「私、たくさん勉強して絶対合格します!」

「そうでなくては、俺が教えてやった意味がないからな」

「はいっ! 頑張ります!」




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