32.あたしはもっと、強くなれる
「お前はどこまで力に意識を振り分けている?」
引き戸を開ける音とともに、レイシスが二階の窓から顔を出した。エルティアたち妖魔は夜目が効く。暗闇の中、青白く見えていたレイシスの姿が、蝋燭の温かな光に照らされた。
エルティアは唇に人差し指を当てて見せる。一緒に旅をしていてわかったが、レイシスはどこか抜けた部分がある。彼ならば、ディルが起きている間に、エルティアの力の話を始めても不思議ではない気がした。
黄色みがかった光に照らされているレイシスは、軽く首を振る。ずれた頭巾を被り直した。
「大丈夫だ。ディルはぐっすり眠っている」
「……ならいいけど」
「それで、どうだ? お前は力が形になった瞬間に、それから意識を手放しているのではないか?」
「えぇ? だってそうしないと、自分が動けないじゃない」
「……ふむ。根本的な部分が間違っている。力を形にした時」
レイシスは顔を上げた。彼の目の前に、一本の漆黒の矢が浮かび上がる。
「それに意識をのせて動かす」
漆黒の矢は、その場でくるりと旋回する。滑らかな動きだ。
「意識を離すと消える」
レイシスが視線を外すと、矢の姿は薄れ、やがてふっと消えた。
「この、意識をのせて動かす、という感覚を最初は掴めず、苦労する妖魔は多い。力を形成し、放った瞬間に意識から外せば、敵の方向転換などに対応できないし、形作ったものはすぐに消え失せてしまう。お前が葉の動きに対応できないのも当然だ」
「じゃあ、どうすればいいのよ」
「力を形成し生まれた物体に意識をのせたまま、自分自身も立ち回れるようにならなければ」
「そんなことできるわけないじゃない!」
エルティアが声を張ると、今度はレイシスが口許に人差し指を当てる番だった。彼は後ろを振り向いていた。おそらく寝台に横になっているディルが、エルティアの大声に反応したのだろう。
「私にもできるのだ。お前ならばできる。
……完全にそれに意識をのせようと思うな。横目で物を見るような──意識の一部でいい。細い糸を想像するんだ。それで自分と、力で形作った物体を繋げろ。慣れれば無意識でできるようになる」
「……そんなこと言われても」
「まずは挑戦してみろ。話はそれからだ」
エルティアは言われるまま、風に運ばれてきた葉を手に取った。乾ききり、手の中でカサカサと音を立てるそれを、小さく千切る。
一度深呼吸をすると、右腕を力の限り振り上げた。葉は空気抵抗など存在しないかのように、凄まじい勢いで空を上っていく。
エルティアは力を形に変換する。自分の意識をのせやすいように、小鳥の姿を選択した。
(──行けっ!)
レイシスの言う通りに、小鳥と自分の間を、想像の糸で繋ぐ。エルティアが意識を集中すると、小鳥は力強く羽ばたいて、葉を追いかけていく。
(意識を外さずに、動かす……)
エルティアがぶん投げた瞬間に生まれた浮力は、もう失われてしまったのだろう。葉の欠片は、ひらりひらりと風に流されながら、自由落下を始めた。エルティアは小鳥の羽ばたきを止めさせ、滑空させる。首を前に突き出し、葉を啄もうとする。
「剣で狙うぞ。ちゃんと避けろ」
頭上から降ってきた言葉に、意識が身体に戻る。レイシスが創り出した剣が、眼前に迫っていた。エルティアは横目で小鳥を追い続ける。
そのまま大きく左に身体を投げ出した。さっきまで立っていた場所を、剣が鋭い音とともに通り過ぎ、エルティアの髪の毛先を数本切る。
地面を滑ったエルティアは、頭を上げる。空を飛んでいた光の鳥は、嘴の先に小さな葉の欠片をつけていた。ゆっくりと旋回すると、小鳥は夜の闇に消えた。
「……やった!」
エルティアは詰めていた息を吐き出す。じわじわと喜びが胸を満たした。やっとできた。
「課題は葉を縫い止めることだったはずだが……まあ、まずはよくやった。途中で意識を離さず、よく剣を避けたな。この調子で練習を続けていけば、感覚を掴めるだろう」
まるで自分自身がやり遂げたように、したり顔をするレイシス。
「あんたに褒められても全然嬉しくないんだけど?」
目標を達成できた喜びで、身体がかっと熱を持つ。
嘘だ。本当はすごく嬉しい。けれど、レイシスにそんな感情を悟られるのは癪だった。
それから、こんなことがあった。
四日目の朝だった。エルティアとディルは一緒に湯に浸かることにした。といっても、都市の電力供給は止まっている。古紙や薪を近隣の家から拝借して、湯を沸かしてそれをたらいに溜め、髪や身体を洗うしかなかった。
レイシスを見張りに立たせ、薪を集めていたエルティアは、突然上がった悲鳴に肩を震わせた。
声がした方向を見ると、ディルが地面に倒れている。どうやら古紙を両手で抱えていて、足下の小石に気づかなかったらしい。
「ディル」
駆け寄り助け起こす。ディルの膝は擦れ、血が滲んでいた。彼女は瞳を潤ませている。今にも泣き出してしまいそうだ。
「……どうした?」
ディルの悲鳴を聞きつけたのだろうか。レイシスが小走りで近づいてきた。
「ディルが転んで怪我したの。救急箱持ってきて!」
エルティアの言葉がまるで聞こえていないようだ。レイシスはディルの傍らに膝をつくと、傷の具合を見た。
「おじちゃん、痛いよぉ……」
「……そうだな、痛いな。ディル、一度深呼吸をしよう。ゆっくりでいい。……吸って、吐いて……よし」
目尻から涙が一滴流れ落ちたが、ディルは声を上げて泣くような真似はしなかった。レイシスはひとりで頷いている。
「ディル、お前に傷を治せる魔法をかけてやろう。目を瞑って」
「何言ってんの!?」
エルティアの懸命なつっこみにも、レイシスは反応しない。ディルの頭に手を翳すと、しばし無言の時間が続く。
その時。
(な、何……!?)
全身の細胞が震えるような感覚。
ディルの頭に手を翳して、何やら集中しているレイシス。彼から伝わってくる、波動とでも呼べばいいのだろうか。それが、エルティアの身体の芯を熱くさせる。心がざわめく。




