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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
11章 真紅の少女は幸福の花を夢見る
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31.天使様みたい

 ディルは駆け足になり、こちらに近づいてくる。後ろ手に引かれているレイシスが、前のめりになって走っているのが、少しばかり間抜けに見えた。ずれた頭巾を手で直している。


「ディル、あのね」

「エルティア、かっこいい!」


 開口一番、何故空を飛べるのかと尋ねられると思っていたエルティアは、ディルのその言葉に目を瞬いた。


「光がピカーッてして、シュバババーッて! あんなおっきな怖いのを、簡単にやっつけちゃうなんて!」


 興奮しながら(まく)し立てるディル。身振り手振りで、エルティアの戦いの様子を表現して見せた。


「エルティア、神話に出てくる天使様みたい!」


 瞳をきらきらと輝かせる。ディルが言っているのは、神話に登場する四柱の天使のことだろう。地天使グライド、識天使ウィズ、恋天使マーシー、戦天使レイゲン。地天使が引っ張り上げた大地に、天使たちが知識と感情の種を撒き、最も多く種を獲得した生命が、人間となった。エルティアの光の翼は、見る者によっては、天使の純白の翼と同一に思えてしまうだろう。


 エルティアは首を振る。人類の宿敵である妖魔の因子を持つ自分が、神話に描かれる天使と同じだなんて。──複雑な気分だった。


「……違うわ。あたしは普通の人と比べて、ほんの少し強いだけ」

「でもでも、すごい! わたし、びっくりした!」


 高揚が収まらないらしい。ディルはその場で飛び跳ねた。着地の仕方を間違ったのかよろめき、身体をレイシスに支えられる。


「帰ろ!」


 ディルがエルティアに手を差し出す。戸惑うエルティアに、歯を覗かせて彼女は笑った。


 何故、エルティアが空を飛べることを不思議に思わないのだろうか。人間ではないのかと、疑問に感じないのか。


 ──いや、そもそもディルにとっては、エルティアが空を飛べることなど、どうでもいいのかもしれない。幼い彼女は、よくも悪くも見たものをそのまま受け入れられる、柔軟な頭の持ち主なのだろう。


 ほっとしたような、脱力したような。どちらとも言えない感情に苦笑しながら、エルティアはディルの手を握った。


「うん」


 三人で手を繋いで、ディルが生活していた家に帰る。


 レイシスがディルを連れてきたと知った時には、彼女に不審な眼差しを向けられることを覚悟した。──けれども今は、そんな感情に苦しんでいたのが嘘のように、エルティアの心は穏やかだった。




 レイシスは死体が散乱した街道を、ディルと一緒に歩いてきたのだろうか。夜の闇が死体を隠してくれるといっても、完全ではない。もし彼女が死体を目撃した場合、心的外傷を負うのは間違いないだろう。


 エルティアの予想に反して、レイシスはきちんと気を使っていたようだ。彼はできるだけ死体が少ない道を選択し、ディルの生家からここまで歩いてきたらしい。死体がディルの目に触れないように、歩く位置にも細かく気を配り、もし死体がディルの目に入りそうになっても、


「ディル、今から目を瞑って何歩歩けるかな?」

「うん! 瞑ったよ! おじちゃん、ちゃんと手を握っててね! いーち、にーい……」


 こうして彼女に目を瞑っているように言う。素直なディルはレイシスの言うことを聞き入れ、死体が完全に見えなくなるまで、レイシスとエルティアに手を引かれたまま歩いた。足下を踏みしめながら、ゆっくりと進む。


(……あたしより、よっぽど子供の相手が上手いみたい)


 仲良く並んで歩くレイシスとディルを横目に、エルティアは思う。ディルが自分より彼に懐いているように見えるのが、悔しくもあった。




 家に着くと、ディルは早々に寝台の上で横になった。やはりまだ、体調が万全ではないのだろう。エルティアは小さな肩に、毛布をかけてやる。


「さて、お前はここでディルを見ているといい。私が見張りに立とう」

「そうね。魔獣が近づいてこないとも限らないし」


 人間の死体は、魔獣を引き寄せる餌にもなってしまう。臭いを嗅ぎつけて、都市の開きっぱなしの門から、今も魔獣が侵入しているはずだ。


「ちょっと待って」


 外に続く扉へと近づいたレイシスを、エルティアは呼び止める。


「聞きたいことがあるの。その……あれ、やってよ」

「はて?……ああ、なるほど」


 ディルに話を聞かれるのは避けたい。彼女の方を向いてエルティアが視線で訴えると、レイシスは合点がいったようだ。


 エルティアの視界が、白く染まる。虫の鳴く声もしない、無音の世界で。黒く細かな塵だけが、辺りを舞っている。


 妖魔同士が心を通じ合わせることで到達できる、精神世界だ。


「どうした?」

「魔獣を倒した時、傷がまったく再生しなかったの。普通なら、急所を狙った攻撃以外なら、すぐに治癒するわよね。どうしてなのか、わかる?」

「……力を使ったのか?」

「うん」


 レイシスは顎の下に手を添えた。彼の身体が、まるで紙に描いた絵のように黒く縁取られている。いつ見ても慣れない光景だった。


「お前の持つ力は、我々妖魔のものとも違うと言ったな。おそらくはそれが、お前の力──光輝(リヒト)の本質なのだろう」

「どういうこと?」

「……光輝(リヒト)は、魔獣の細胞の再生力を封じることができるのだろう。魔獣に対して特効の力だ」


 光輝(リヒト)は、妖魔を滅することのできる力。バージニアが言っていた言葉を思い出す。テロメアやバージニアは、エルティアが最初からこの力に目覚めることをわかっていたのだろうか。──今となっては確かめる術はない。


「これ、妖魔にも効くと思う?」

「わからない。実際に試してみないことには」


 エルティアはレイシスを見上げて、わざとらしく笑みをつくった。彼はぎょっとした表情をすると、後ろに二、三歩下がる。


「腕の一本や二本犠牲にすればわかるんじゃないの?」

「なんと血も涙もないことを言うのだ。お前には慈悲の心がないのか!?」

「……馬鹿ね。冗談に決まっているでしょ?」


 レイシスのあまりの狼狽えぶりに、エルティアは肩を揺らして笑った。彼は大きく安堵の息を吐く。エルティアが本当に冷血な行動に走ると思ったのだろう。


(……そうか。もしかするとこの力が、突破口になるかもしれない)


 胸の内に太陽が宿ったような、そんな熱い気持ちに満たされた。これはバージニアやテロメア、死んでいった者たちが繋いでくれた、希望だ。そう思うと、身体の底から力が湧いてくるようだった。


***


 エルティアたちがディルの生家を仮の住まいにして、三日が過ぎた。すぐに都市を発たなかったのには、ふたつの理由がある。ディルの体力の回復と、食糧の確保だ。


 ホリニス・グリッタの首都クリシュナには、飛行ではなく徒歩で向かうことに決めた。ディルが疑うことを知らない性格をしているといっても、エルティアたちの人間でない側面を見続ければ、疑心が育ってしまうかもしれない。エルティアもレイシスも、ディルに人間でないことを指摘され、忌避されることを何より恐れていたのだ。


 クリシュナに徒歩で向かう都合上、ディル自身の体力が重要になってくる。できるだけ万全の状態で旅を始めなければ、彼女は息切れしてしまうだろう。それゆえちゃんとした家屋で、長期間の休息を取る必要があった。


 食糧の問題も欠かせない。エルティアとレイシスは妖魔ゆえに、空気中の精気を吸収し食物の代わりにしている。食べ物をほとんど必要としないのだが、人間であるディルはそうはいかない。都市にいる間、エルティアはレイシスと交代しながら、ディルのために食糧を掻き集めた。


 時には都市の外に出て、鳥を狩る。レイシスは過去の仲間たちから、干し肉の作り方や、人間が食べられる野草の種類まで教わったらしい。まず羽をむしり内臓を取り除いた後、鳥肉を適当な大きさに切り分ける。腐敗を避けるために塩をまぶし、一日か二日、天日に干すのだ。肌寒く乾燥した季節であることが幸いし、長期保存に適した鳥の干し肉ができあがる。食事の際にはレイシスに協力してもらい、野草を見極めて、それと干し肉をよく炒めた。


 念のために味見をしてみたが、手作りにしては食べやすい味に仕上がったと思う。久しぶりのタンパク質は、()(しゃく)し飲み込むと、身体中に栄養が行き渡るような感覚があった。ディルは野草の味が苦手なのか食が進んでいなかったが、時間をかけて完食していた。




 三日目の夜。家々の庭から、虫の切ない鳴き声がする。


 ディルのお守りをレイシスに任せて、エルティアは家の外に出ていた。ディルの生家には、塀に囲まれた広い庭がある。そこはエルティアが力の修練をするのに持ってこいの場所だった。


 足下に散らばっていた葉を半分に千切り、上空に思い切りぶん投げる。点のように小さくなって消え、やがて風の抵抗を受けながら、徐々に地上に舞い降りてくる。


 葉の欠片に意識を集中したまま、エルティアは力を練り上げる。視界の先に光の矢を想像すると、力を(けん)(げん)させる。風を切る音を発して光の矢が飛ぶ。


 不規則に宙を舞う葉の欠片。その真横を通り過ぎて、光の矢は消えていった。あと数(センチ)、いや数(ミリ)右を飛べば、小さな小さな葉の欠片を、射止められたかもしれない。


「うぅん……」


 目に見える成果が得られず、エルティアは唸る。どうすれば葉の欠片を、レイシスがやったように縫い止められるだろうか。


 この練習を始めて、力を形にする感覚は素早く掴めるようになった。しかし、他に何が足りないのだろう。考えても自分ひとりでは、答えを導き出せそうになかった。


 

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