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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
1章 機械と人 隔絶した心
20/223

09.投影【レイゲン視点】


***


 朝靄が柔らかく地上を包む頃。


 レイゲンは死天使が囚えられている部屋に向かった。扉の前では、兵士が交代で見張りを行なっている。レイゲンは兵士見習いでしかないが、実力を買われ見張りの一員として数えられているのだ。


 目的の場所に到着する。重々しい石の扉。それこそが、死天使が囚われている部屋だった。内部には部屋をニ分するように頑丈な鉄格子が填めこまれており、手を通す隙間もない。


 その扉の前で、ふたりの兵士が突っ立っている。腕には数冊の本が抱えられていた。


 死天使を部屋に幽閉して十日が経過した。ひとまずの危険はないと判断した司令から、死天使を学ばせるようにという指令が下されていた。


「お疲れ様です」


 レイゲンはふたりの兵士に近づくと、敬礼をする。


「おお、お前か。よかった、やっと交代の時間か」

「じゃあ、頼んだぞ」


 兵士が教本を押しつけてくる。その強引っぷりは、まるで教本を忌むべき物と感じているかのようだ。


「どの頁まで進みましたか」


 レイゲンが尋ねると、二人は顔を見合わせ露骨なけんを浮かべた。彼らの足下に置かれた燭台。そこに載せられた蝋燭も、使用された形跡がない。


(やはりこうなったか)


 レイゲンは内心で嘆息する。


「お前、今年ウルスラグナに入るんだろ? 復習にもなるじゃないか」

「ああ、そうだな。もしも何かあっても、お前なら問題ないんだろ? ……ったく冗談じゃねーよ。なんであんなのに勉強教えてやんなきゃなんねーんだ。気持ち悪いし、不気味だし、やってらんねーって」


 死天使に勉強を教えるということは、その時点から人間と変わらぬ知能を持つ者として認識することになる。死天使に恨みを持つ兵士たちには、堪えられないことだろう。


「じゃ、あとは任せた」


 レイゲンに鉄格子の鍵を渡すと、兵士たちは去って行った。レイゲンは深くため息を落とし、石の扉を見上げる。


 この十日間、見張りに立つことは何度もあった。しかし扉を開けて中を確かめてみようという気持ちには、どうしてもなれなかった。見張りとして立つ他の兵士と同じように、レイゲンにもこの部屋に足を運びたくない理由があったのだ。


 常人がふたりがかりでやっと動かせる石の扉を、レイゲンはひとりで押し開けた。ふと燭台を持って行くべきかと思案した。レイゲンは暗闇で視界が制限されることはないが、少しでも明るい方がいいだろうと判断し、蝋燭に火をつけた。


 部屋の中心を横切るようにして立ちはだかった鉄格子が、光もない部屋の空気を一層(いん)うつにしているように思えた。日光が遮られた空間で過ごした人間は、精神に変調を来たし易くなる。以前本で読んだ知識を、ふと思い出した。


 死天使は床に横になっているようだ。顔を壁側に向けているせいで、表情は見えない。細い手足に填った枷が、レイゲンの中で言い表せない感情を呼び起こす。


(……これは、俺だ)


 暗闇に満たされた牢獄の中。鉄格子の隙間から見える、守衛士の不審を露にした瞳。体温を奪っていくような床の冷たさも、目を閉じれば浮かんでくる悲痛な光景も、年月が経った今でも昨日のことのように思い返すことができる。それはレイゲンの痛みを刺激するように、脳裏に再現された。


 思わず顔が歪むのがわかる。しがみつくように浮かぶ記憶を、首を振って払う。床に教本と紙束をおくと、扉を閉めた。石が擦り合う重々しい音が室内に響いたが、死天使は反応しない。


(……まさか、壊れてるんじゃないだろうな)


 レイゲンは鉄格子に歩み寄る。蝋燭のか細い光は中まで届かない。格子の影が、きゃしゃな身体に濃く落ちていた。


 死天使は首を捻った。横顔は瞳を閉じており、眠っているように見える。呼吸を必要としないはずなのに、胸は規則正しく上下していた。


「……お母さん」


 弱々しい声が、レイゲンの耳に届く。


 太陽の光が遮られた、音もない暗闇の中で。死天使はずっと放置されていたのだ。瞳を閉じると浮かぶ幸せな記憶だけが、安息なのだろう。


 レイゲンは死天使を見下ろし、静寂に身を浸した。眠りから覚ますことに少なからず抵抗を感じてしまって自嘲する。


「おい。起きろ」


 一言声をかけ、燭台で格子を叩いた。甲高い音に反応したのか、瞼が震える。薄目が開き、徐々に意識を取り戻す。と、死天使の顔にさざなみのごとく恐怖が走った。跳ねるように起き後ずさる。どん、と背中が壁に当たった。枷に繋がった鎖が床とれあって、耳障りな音を立てる。


「……あ」


 レイゲンに気づいたのだろう。見るからに力が入っていた身体が、気抜けしたように座りこむ。


「誰も入ってこないから、みんな、私のことなんて忘れてしまったんだと思っていました……」

「そんなわけがないだろう」


 レイゲンは燭台を床に置くと、手に持った教本を明かりで照らした。


「勉強の時間だ」

「……ああ。そんなことを前に説明されましたね」


 死天使はぼんやりとした表情で、レイゲンを仰いだ。その視界に、果たして自分は映っているのだろうかと、疑問に思う。まるで魂が抜けたような、覇気の感じられない表情だ。体調が悪いかのように、肩が落ちている。


(弱ってるのか?)


 ダエーワに駐在することになったレイゲンにも、この一月死天使をどのように管理していくか説明されていた。


 窓がない部屋に監禁し、水と食物を与えない。


 テレサの話では、他の死天使と違い食物を体内で燃やして動力に変換しているので、食事は必ず与えてほしいという要求があったそうだが、クライスターはそれに従うつもりはないようだった。食糧を与えないことによって死天使の身体能力や判断力が落ちれば、管理し易くなるのだ。


 部屋に監禁されて十日が経過した。その間一切物を口にしていない。光もない、四六時中暗闇に包まれた部屋。人と意思疎通を行うこともできない。常人ならば発狂はまぬがれないだろう。そう。常人ならば。


(こいつは、機械だ)


 そう言い聞かせていなければ動揺してしまう己を、レイゲンは自覚した。


 本当にただの機械なのか。人間と変わらない精神を有しているのではないのか。自分はとうに、それを理解していたはずなのだ。


『怖がらないでほしい。避けないでほしい。理解してほしいとは言いません。だけど、私も入れてほしい。……あなたたちの輪の中に』


 人間と同じ心を持っているのならば、罪人のような環境に置かれて精神が不安定にならないはずがない。




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― 新着の感想 ―
[良い点] この回、レイゲンのフェイヴァに対する心境の変化がみてとれて、すきです。彼の良さがでている、よい回ですね!!
2019/11/30 16:04 退会済み
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