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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
11章 真紅の少女は幸福の花を夢見る
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26.出会い



 都市の高層建築物の頂上に着地し、それから屋根を伝い、段々と低い建物に飛び移っていく。地上に降り立ってみれば、都市の荒廃ぶりは明らかだった。


 エルティアたちが踏み入ったのは住宅街のようだ。小さくまとまった家々と、それを仕切る塀が、縦横無尽に建てられている。都市が健在だった頃は美しい街並みが広がっていたのだろうが、今では見る影もない。


 弾痕が穿(うが)たれた壁。割れた硝子。()じ開けられた形跡のある扉。死体は腐敗し鳥に(つい)ばまれている。かつて流れ出した血は、塞き止められた川のように一箇所に溜まり、乾燥し固着し、道にへばりついている。黒く色を変えているので、固まった絵の具のように見える。


「ひどい……」


エルティアは鼻を手で覆う。これが死臭というものなのだろうか。鉄臭いような、甘ったるいような。時間が経った血液と腐った内臓の臭い。


(しゃ)(てつ)があるな」


 道に転がる死体を気にかけず、レイシスは地面に膝をついていた。彼の言う通り足下を見れば、確かに何かに擦られたような跡が、いくつもついている。


「これ、何?」

「車輪の跡だ。車……いや、二輪車か。それに乗った盗賊団、といったところだろう。武器は銃器、家捜しされた形跡もある。間違いない」

「人が人を……殺すなんて」


 では、道に横たわるこの人たちは、二輪車に乗った盗賊団から逃げる途中で殺されたのか。


 どうして人間相手に、そんな残酷なことができるのだろう。手に握ったままの大剣を抱きしめるように抱えて、エルティアは身震いする。


「まだ殺されてからそれほど時間が経っていないように見える。今の季節から考えると、十日……いや六日か」

「……そう、なの?」


 死体の腐敗状況で、どれほどの時間が経過したか目算が立てられるとは。レイシスに少し感心しながらも、エルティアは顔を逸らす。死体をまじまじと見つめてしまうのが嫌だった。研究所の、皆の死に様を想起してしまうから。


「まだ虫が湧いていないからな。肌寒いこの季節でも、三週間ほど経てば正視に耐えない有り様になる」

「すでにもう正視に耐えないんだけど」

「ふむ。まだまだだな。こういったものには慣れておいたほうがいい」

「絶対いや」


 死体を見慣れるだなんて、エルティアが想像する普通の人間からはかけ離れてしまう。自分の細胞の三分の二が妖魔のものだと知った。これ以上、自分の中の人でない部分を増やすのは耐えられなかった。


「この都市の人口がどれほどかはわからないが、上空から見た都市の広さからして二千人か三千人くらいだろう。今の時代、銃弾などの物資の補給は困難だ。目につく人間や邪魔をする人間をあらかた撃ちはしただろうが、全滅させる必要性はない。

 ……都市の門は開いていた。おそらくそこから魔獣が侵入しているはずだが、この都市は広大だ。人間をすべて食い尽くしているとは考えられない。どれ、辺りを歩いてみよう」

「生き残りなんているとは思えないけど」


 周辺には死体が散乱している。エルティアは一刻も早くこの都市から立ち去りたかった。しかしレイシスは、エルティアの気持ちなど考えずに、ひとりで歩き出してしまう。


「生き残りを探すって言っても、どうするのよ?」

「ん? もちろん声を限りに呼んでみるに決まっているだろう」

「は?」

「こーんーにーちーはー!」

「うるさっ!」


 エルティアは耳を両手で覆う。レイシスは口許に手を当てて、間延びした挨拶を続けた。


「ちょっと、他に方法はないの? 魔獣が集まってきちゃうでしょ!」

「妖魔はある程度人間の気配を感じることができるが、範囲が限定されるからな。それにこの住宅の数。一軒一軒当たっていたのでは、何日かかるかわかったものではない。自分から出てきてもらうのが一番だろう」

「もしあたしが生き残りだったら、警戒して出てこないと思う」

「何故だ? こんなにも親しみを込めた呼びかけをしているのに。おーい! 誰かいないかー!」


 レイシスの推測が事実だったとしよう。この都市に住んでいた人々は、盗賊団の襲撃を受け、その上魔獣に襲われる危険と隣り合わせなのだ。生き残りがいたとして、警戒心は極限に達しているはず。こんな単純な呼びかけに反応するなんて、ただの馬鹿か、物を知らない人間だけだろう。


 遠くで、甲高い鳥の鳴き声がした。


 生き残りなどいるわけがない。だからこれはきっと鳥の鳴き声のはずだ。固定概念を取り払ってみれば、その声は人のもののようにも聞こえた。女か、まだ幼い子供の悲鳴──。


 意識した瞬間、エルティアとレイシスはほぼ同時に駆け出していた。砂利を蹴飛ばして道を飛ぶように走り、前方の塀を、家を飛び越える。着地と同時に、エルティアは視線を走らせる。家の扉を背にし、(うずくま)っている人──子供。その前には二体の猫型の魔獣。【狂騒( フィクル )】と呼ばれる魔獣だ。赤い瞳に食欲を(みなぎ)らせ、一体が今まさに子供に飛びかかろうとしていた。


 エルティアは掌から光の礫を飛ばす。頭部を横殴りにされたような勢いで、フィクルは吹き飛んだ。エルティアは素早く距離を詰め、フィクルの首を()ねた。血糊を飛び散らせながら首が転がる。


 興奮した猫の鳴き声。


 もう一体がエルティアに襲いかかり、前脚の鋭い爪を振るう。


「おっと」


 爪がエルティアの顔面を裂く、直前で止まる。光の力を盾に変換し、攻撃を防いだのだ。


 役目を終え盾が(ほど)ける。その間隙を縫い、エルティアは踏み込んだ。鉛色の刃を突き上げる。フィクルの頭と胴体を分断した。脳という司令塔を失った身体は一瞬だけばたついて、ぱたりと静かになった。


「私の出る幕はなかったようだな」


 遅れてやってきたレイシスが軽口を叩く。エルティアはそれを無視して、子供に歩み寄った。肩までの長さの黒髪をした少女──なのだろうか。まだ幼い。十歳前後のように見える。薄汚れた衣服から覗く手足は痩せていて、性別が判断できない。


 子供は身体を抱えて、小刻みに震えている。凄まじい恐怖を感じているのだろう。


「……大丈夫。もう終わったから」


 なんと声をかけていいかわからず、ひとまず状況を知らせる。と、後ろからむんずと髪を掴まれた。レイシスだ。外套についた頭巾を被り、特徴的な耳を隠している。


「痛った! 何するのよ!」

「そんな素っ気ない物言いでは駄目だ。子供の相手をするには、まず目線を合わせるんだ」


 エルティアよりも一歩前に進み子供に近づいたレイシスは、片膝をついた。エルティアはじろりとレイシスを睨んだが、気を取り直して彼に(なら)い屈んだ。


「……もう大丈夫だ。顔を上げてごらん」

「うげぇ……」


 これが猫撫で声というのだろうか。レイシスが殊更優しげに発した声音に、エルティアは気味の悪さを覚えた。


 子供はおそるおそる顔を上げる。少女、だった。顔は汚れているが、長い睫毛をしており、大きな瞳には愛らしさが感じられる。深い森林を思わせる色の目が、ぱちぱちと瞬いた。


「……おじちゃんたち、だぁれ?」

「どうしてこんなところにいるの? 親は?」

「こらこら」

「ちょっと、頭を叩かないでよ。うっとおしい!」


 疑問を並べ立てるエルティアの方を、レイシスは振り向いた。手を手刀の形にして、エルティアの額をぽかりと叩く。少し、いやかなり苛立った。


「そんな聞き方をしてはいけない。まずは名乗るべきだ」


 レイシスは少女に向き直る。


「私はレイシスだ。こっちはエルティア。……お前の名前はなんだ?」

「……ディル」

「ディルか。いい名前だ。確か香草の名前だったな」

「……うん」


 レイシスを見つめ、ディルと名乗った少女は返事をした。不安なのか、手をぎゅっと握っている。


「ディル、私たちがいる限り、お前に危険はない。ゆっくりでいいから話してくれないか? 一体何があった?」


 レイシスが穏やかに声をかけると、ディルは俯いた。手を握ったり開いたりしながら、言葉を紡ぐ。


「五日前に……うるさい音を鳴らして、たくさんの男の人たちがやってきたの。お父さんとお母さんは帰ってこなくて、わたしとお姉ちゃんは地下室に隠れたの。……それで、見つからずに済んで」


 やはり盗賊団の襲撃はあったのだ。レイシスの推測は当たっていた。


 しかし、うるさい音とはなんだろう。二輪車は走行中にそのような騒音を発するのだろうか。エルティアは乗り物に詳しくない。


「二日前に、食べ物が少なくなったから、お姉ちゃんが探してくるって。……でも、お姉ちゃん帰ってこないの」


 盗賊団が引き上げた後、ディルの姉が家の外に出たようだ。住宅地をあらかた歩き回ってみたが、他に人は見当たらなかった。都市にはすでに魔獣が入り込んでしまっている。二日の間家に戻らなかったということは、おそらくディルの姉は──。


「お父さんとお母さんに会いたいよぉ……。お姉ちゃん、どうして戻ってこないの……う、うう……」


 目元から涙が溢れ、ディルの灰色に汚れた服に落ちる。それが合図となり、彼女は火がついたように大声で泣き始めた。手の甲で拭っても拭っても、涙は(とう)(とう)と頬を濡らす。


(可哀想に……)


 ディルは肉親をすべて失ってしまったのだ。庇護してくれる者もない、心を許せる者さえいない。天涯孤独の身となってしまった。


 胸を突かれるようなこの痛みには、覚えがある。エルティアはディルに自身を重ねていた。平穏な生活を取り上げられ、(さん)(たん)たる現実と無理矢理向き合わされてしまった少女に、自分と同じ痛みを見出していた。


 とめどなく溢れる涙を出し尽くして、ディルは溶けて消えてしまうのではないか。そう思うと、放っておくことはできなかった。何かしたい。けれど、何をすればいいのかエルティアにはわからない。


(こういうとき、バージニアだったら……)


 知らない人間に触れられるのは嫌かもしれない。そう思いながらも、エルティアはゆっくりとディルを抱きしめた。彼女は泣き止まない。わんわんと、大声で泣く。


 エルティアはそっと、ディルの背中を撫でた。


「よしよし。独りで怖かったね……」


 掌の温かさが、少しでも彼女の悲しみを癒せるように。そう祈りながら、エルティアはディルが泣き止むまで抱きしめ続けた。


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