22.戦天使の生まれ変わりの正体(2)
夜空に浮く長身の男。発達した肉体を覆っているのは、黒い外套を模した靄のようなもの。服の裾に当たる部分が、風を受けてはためいている。それは外衣と呼ばれていて、妖魔が産まれたときから身にまとっており、服や防具の役割を持つという。
エルティアと妖魔の男を見下ろす、ウォルザと呼ばれる守護者階級の妖魔。エルティアは幾度となく映像資料で見て、その顔は目に焼きついていた。妖魔の王ディヴィアが最初に産んだ子で、最も王の力を受け継いでいると目される妖魔だ。
エルティアは右手を握りしめた。危うく手の中の柄を握り潰してしまうところだった。妖魔の男を押し退けて、ウォルザを見上げる。
「今回の襲撃の首謀者はお前か」
鋭く問いかける。エルティアを見下ろしたまま、ウォルザは冷酷な笑みを浮かべた。口の端が持ち上がり、白い歯が覗く。耳の側まで口が裂けているのでは、と思わせるような大きな笑みだった。
「人間どもの策動を排したまでだ。だが、お前を見ると、潰すのが遅すぎたようだな」
鼻腔に濃く、煙の臭いを感じる。星空は立ち上った黒煙で煙っている。都市が炎上しているのだ。人々の暮らしを司る都市部が炎に包まれ、人間は妖魔によって惨たらしく殺されている。セントギルダはもう終わりだ。今回の襲撃でどれほどの人命が失われてしまったのだろう。エルティアには想像もつかない。
「貴様……殺す!」
床を蹴りつけ飛び上がる。空を浮遊しているウォルザと同じ位置まで到達すると、両手を振りかぶる。刀身が青白い光をまとう。光輝の大剣が、夜空の下で一層強く光り輝いた。頭上からの勢いをのせた一撃を、エルティアはウォルザに叩き込んだ。
刃が肉体を斬り裂いたのではありえない、硬い手応え。エルティアは目を見張る。ウォルザは盾を展開し、エルティアの大剣を防いでいた。流れるような動作で腕が振るわれると、盾は瞬時に剣の形に収斂し、エルティアの顔めがけ突き出される。
「くっ!」
反射的に刀身を盾代わりにして、剣を弾く。──しかし。
「ぐっ⁉ ごほっ!」
腹部に熱く重い衝撃が叩きつけられる。エルティアは咳き込んだ。自分の身体が急降下していくのを感じて初めて、蹴られたのだと自覚する。
身体をなぶる風圧はあまりに凄まじい。蹴りの一撃だけで、使い捨ての戦士とは比べ物にならない地力を秘めていることがわかる。このままでは床に激突してしまう──そう思うやいなや、エルティアは何かに受け止められた。
あの妖魔の男だ。彼が両腕でエルティアの身体を捕まえ、自らの身体を緩衝材のように差し出したおかげで、エルティアは傷ひとつつかなかった。そのまま下ろしてくれるかと思ったが、妖魔はエルティアを脇に抱えたままだ。一体なんのつもりなのか。
「離せ! お前に助けられる筋合いなんてない!」
「理解できただろう。今のお前ではウォルザを倒せない。早くこの場から逃げなければ」
逃げる。下劣な化物らしい発想だ。エルティアは鼻で笑う。
「勝手に逃げれば? あたしのことは放っておいて!」
「それは無理だ。お前のことはバージニアに頼まれている。危機が訪れたら、お前を守ってほしいと」
「……バージニア」
怒りで熱くなっていた頭が、バージニアを思い出してわずかに冷える。エルティアは妖魔に小脇に抱えられたまま、彼の顔を見上げた。
頭上のウォルザを、妖魔は油断なく見つめている。バージニアが戦天使レイゲンの生まれ変わりだと思い込んでいた妖魔。なぜ彼女がそう感じていたのか、今では知ることができない。ただこの妖魔が今、エルティアを助けようとしているのは事実のようだ。
胸の内から当惑が湧き起こる。この妖魔は、一体なんなのだろう。
「逃げられると思うのか?」
冷徹な声に視線を転じれば、ウォルザが次なる攻撃を仕掛けようとしていた。彼は頭上に手を掲げている。空中には巨大な槍が浮かんでいた。その全長はウォルザの身長を優に越えていた。
「懐かしいな。昔はよくお前と手合わせをしたものだ。お前には終に敵わなかったが、ここから逃げ出すことくらいはできる」
パチン、と小気味良い音が響き渡った。妖魔の男が指を鳴らしたのだ。何をしているのだろう。エルティアが訝しんでいる間に、足下に地響きが伝わってきた。
「な、何?」
地響きは段々と激しくなっていき、抱えられてるエルティアの身体までもが揺れだした。終には鳴動となって聴覚を圧倒する。
視界の中のウォルザが後ろを向く。彼自身が作り出した壁の穴から、瓦礫の塊が顔を出していた。その瓦礫はひとりでに動き、人間のように形作られた指で、穴の縁を掴んだ。そんな、信じられない。瓦礫で造られた巨人だ。
よく見れば、巨人の身体を形成している瓦礫の色合いには見覚えがある。巨人は、セントギルダの建物を使って造り出されたものだった。
巨人は腕を引き絞り、ウォルザに向かって右の拳を放つ。ウォルザが槍を射出する。ふたつの物体が力の限りぶつかり合い、衝撃が風圧となって襲いかかってくる。巨人の手は腕の付け根から吹き飛び、ばらばらと瓦礫が塔の中に落ちてくる。
ウォルザと瓦礫の巨人の戦いを見やり、妖魔の男は走り出した。床を蹴り空を飛ぶような勢いで、ウォルザが開けた壁の穴から飛び出す。ウォルザがこちらを向き、空中にいくつもの剣を生成し放つ。漆黒の刃は阻まれた。ウォルザと妖魔の男の間に、上空から巨大な手が差し込まれたのだ。漆黒の剣によって指を切断されながらも、巨人の攻撃は止まらない。そのままウォルザを叩き潰そうと、巨大な手が迫る。
巨人がウォルザを足止めしてくれているのを確認すると、妖魔の男は彼らに背を向け飛んだ。エルティアは抱えられたまま、地上に視線を落とした。地響きはひどくなる一方だった。どこからともなく建物が崩れるような音がすると、地上の建物がより集まり、人の形になった。都市の建物を身体の材料にすると、巨人は次々に起き上がり、一直線にウォルザがいる塔に近づいていく。
「なんなの、あれは!」
「あれは私の力の一部だ」
困惑しながら発した言葉に、妖魔が答える。
「一定時間、周囲に存在する人の手が加えられた無機材料を、特定の形にまとめて、対象を襲わせる。攻撃にも防御にも使える有為な技だ。無機材料とは鉄鋼などの金属、ガラスなどの非金属、石灰、石膏、粘土など……まあ、色々だ。種類は違うがディヴィアも似たような能力を持っていてな。おそらくこれは遺伝だ」
「お前の兄弟……他の妖魔も似たような力を使える?」
「知らん。何しろ私は一族の中では爪弾き者だったからな。私はこんな力が使えます、と教えてもらえるわけがない」
「そう……」
この妖魔は一族の中で排斥されていたのか。だから仲間を裏切り、人間の側についたのだろうか。自らの細胞を人間に提供して。
「……お前の名前は?」
助けられたといっても、この男は妖魔。完全に信用してはいけない。けれども、いつまでもお前呼ばわりをするのは抵抗があった。助けられた弱み、とでも言えばいいだろうか。
「おお、やっと名前で呼んでくれるか。レイシスだ」
空気抵抗に銀髪を揺らしながら、妖魔の男は答えた。レイシス──戦天使レイゲンと二文字しか違わない。
まさかバージニアがレイシスを戦天使の生まれ変わりだと信じていたのは、ただ単に名前が似通っていたからなのかもしれない。そんな下らない考えが、エルティアの脳裏に過ぎった。




