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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
11章 真紅の少女は幸福の花を夢見る
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21.戦天使の生まれ変わりの正体(1)

 エルティアの足が階段式昇降機の前に差しかかる。エルティアはほとんど段を飛び越える勢いで、階段を駆け上がる。最上階の扉を前にするまで、一分もかからなかった。


 研究棟や管理室の扉と比べて、妙に重厚な造りの扉だった。これも自動で開くはずだが、エルティアを前にうんともすんとも言わない。手前の壁に、管理室を開いたときに社員証を通した機械が設置されていた。切り込みに、バージニアの社員証を滑らせる。重量のある扉が、ゆっくりと開く。


 室内は思いの外狭かった。大人が五人も入れば、きっと窮屈さに呻いてしまうだろう。置かれた家具は、寝台と机と椅子。そしてびっしりと本が収められた棚。必要最低限の家具からは使用者の生活感を感じない。


 部屋の中央に設置された机を前にして、椅子に腰かけている男がひとり。彼は本を読んでいた。エルティアが室内に入ってきても、我関せずという態度を貫き続けている。


「……お前は」


 銀色の長髪を、うなじの位置で黒い織物を使って結わえている。死人のように白い肌。黒く染まった爪。鮮血を彷彿(ほうふつ)とさせる色の瞳と、人間のものとは違う尖った耳。


 強く見覚えがある容姿。エルティアが三年間、電子遊戯を通して戦いを繰り広げてきた敵。見紛うことなき妖魔。


「なぜお前がここに……!」


 まさか部屋の主を排除して、我が物顔で椅子に座っているのか。エルティアは視線を走らせるが、室内には死体どころか血痕さえ見当たらない。


 もともとこの妖魔のために(あつら)えたように、室内は整然としている。


 本に向けていた顔を、妖魔は上げた。エルティアの瞳と妖魔の瞳──朱と朱の視線がかち合う。


 瞬間、ふっと身体に入っていた力が抜けた気がした。


(どこ、ここ……?)


 自分の身体は、簡素な部屋の中から真っ白な空間に移動していた。唐突な出来事に一瞬戸惑って、エルティアは周囲を見渡す。


(まさか、電子遊戯の中?)


 それはありえないと、自身の思いを否定する。エルティアは頭部装着型の機械を被っていない。それに、エルティアが知っている電子遊戯の仮想空間とは、差異が見られた。辺りには雪片のように小さな黒い塵が舞っているのだ。


 妖魔の男はエルティアの視線の先にいた。妖魔の身体はまるで白い用紙に描いたように、くっきりとした黒で縁取られている。奇妙な光景だった。


挿絵(By みてみん)


「老婆心ながら言わせてもらうが」


 本をぱたりと閉じ、妖魔はエルティアに顔を向けた。


「初対面の者をお前呼ばわりはよくない。女子なのだから、もう少し上品な言葉遣いを心がけるべきだ」


 思わず笑ってしまいそうになる。妖魔が──人殺しの化物が、人様に説教をするなんて。


 エルティアは答えず妖魔に肉薄した。首筋に右手の大剣を突きつける。あと数(センチメートル)手首を動かせば、刃は肌に沈み込むだろう。


「これはこれは、随分攻撃的だな」


 命の危機だというのに、妖魔は平静を保ったままだ。口調はどこか悪戯っ子を(いさ)めるような、軽い調子を帯びている。


「黙れ。化物が人間のように喋るな」

「少しは落ち着いたらどうだ」

「妖魔は全員殺す」


 妖魔は人類の敵。人間の脅威となるものを消し去るのがエルティアの使命だ。それにここ数時間で、妖魔とは話し合いを想像するだけ無駄だということを、エルティアは痛感している。


 妖魔は冷血な生き物なのだ。奴らは戦う意志のない者さえ平気で手にかける。


 研究員を守ろうとして機能を停止したデボネが、大切なものを胸に抱いたまま死んだサイファーが、無念の思いで命を落としたであろうリラが、脳裏にはっきりと焼きついている。


「ならば、お前も死ななければならなくなるぞ」


 エルティアは鋭く妖魔を睨みつける。何を戯言を。


 エルティアが何も言わないのを、話の続きを促していると勘違いしたのだろう。妖魔は続ける。


「お前の体細胞の三分の二は妖魔のものだ」


 目を見開く。心臓が激しく鼓動を打つ。自分の中の確かな困惑を振り払うため、声を絞り出す。


「見え透いた嘘を」


 自分の声が震えているのがわかる。否定することに意識を向けていたせいで、エルティアは完全に隙を晒してしまっていた。妖魔が刀身を掴み、引っ張る。右手に込めていた力が無意識に抜けていた。大剣の柄はエルティアの手からすっぽ抜ける。


「……ふむ。お前たちで言う守護者階級を相手にするには、まだ頑丈さと鋭さが足りないな」


 刃先にそっと触れると、妖魔は興味深そうに大剣を見上げた。幅広く分厚い刀身を持つその武器を、彼は片手で難なく持ち上げている。


 奪われた大剣を取り返すために妖魔に飛びつこうとする──だが、左手を広げて彼はエルティアを制した。いつのまにか手から本が消えている。


「心配するな。切っ先をお前に向けるような真似はしない。……お前の話をテロメアから聞いたときから、お前とは話さなければいけないと感じていたんだ」

「おじいちゃんと⁉」


 妖魔の口から思いがけない人物の名前が飛び出し、エルティアは瞠目(どうもく)した。


「……おじいちゃん、か。どうやらテロメアの試みは成功したようだな」

「何?」

「いや、こちらの話だ」


 大剣の切っ先を床に向け、妖魔はエルティアを見下ろした。女の中でもエルティアは背が高いほうだが、妖魔はそれより更に上背がある。目算するに、百八十糎は越えているのではないだろうか。


「ここは私の心の中だ。わかりやすく言えば精神世界、と呼んでもいい。妖魔同士は会話をせずとも、心を通わせることができる。一度誰にも邪魔されずお前と話したいと思い、私の中に引き込んだというわけだ」

「妖魔同士なんて、出任せを言うな! あたしはお前たちとは違う!」


 エルティアはセントギルダの片隅で産まれたと、テロメアは言っていた。敵である妖魔よりも、信頼のおける相手の話を信じるに決まっている。


「出任せではない。研究所に細胞を提供したのは私だからな。お前は人間の胚に妖魔の細胞を注入して造られた生体兵器だ」

「嘘……!」


 心臓が鷲掴みにされたように苦しい。背中を嫌な汗が伝う。


「嘘じゃない。疑問に思わなかったのか? 妖魔は成熟の早い種族だ。お前は普通の人間よりも数段早く成長するはずだ。それにお前は、ここまで妖魔を殺してきたな? 人間と妖魔の間には隔絶した力の差がある。人間が妖魔を相手取って倒すなど、夢物語だ」

「だってあたしの耳は人間の形をしてる。爪だって綺麗な色だし……」

「言っただろう。三分の二が妖魔だと。お前の中には確かに人間の部分がある。お前は一見すると人間だが、内実は妖魔に近い。それにその血色の瞳……人間には存在しないはずだ」


 全部、妖魔の言う通りだった。


 まるでエルティアの生活の一部始終を見ていたように、妖魔はエルティアの疑念を掘り起こして、白日の下に晒していく。


(こんなの、認められるわけない……!)


 自分自身が、宿敵と同一の存在だなんて。バージニアたちが嘘をついて、自分を騙していたなんて。


 握りしめた手が小さく震える。悲しみよりも深く、怒りよりも鋭い失望が、エルティアの中で膨らんでいく。


「嘘よ……そんなの信じない」


 声に出さなければ認めてしまっているのと同じような気がして、エルティアは呟く。自分でも嫌になるくらい弱々しく、意気地のない声。


「すぐに飲み込めという方が、無理な話か……」


 妖魔は顔を上げた。真白な世界──黒い塵が舞う空間にふたりきりでいるというのに。まるで頭上から何かが飛来してくるさまが見えるかのように、妖魔は頭上を仰いでいる。


「……どうやら、ゆっくり話している暇はないようだ」


 けたたましい轟音が、エルティアの鼓膜を震わし耳朶(じだ)を打った。


 脱力していたような身体の力が戻ったのを感じて、エルティアは頭を上げる。見れば、世界に色が戻っている。どうやら妖魔の精神世界とやらから脱出できたようだ。


 黒い外套をはためかせ、妖魔はエルティアの前に立ちふさがっている。こちらに背を向けて。


 何が起こったのかわからず、妖魔の後ろ姿を見、それから彼が見ているであろう場所に視線を移した。


 部屋の壁に大きな穴が空いていた。さきほどの音は、壁が吹き飛んだ際に発されたものだったのだろう。破片となった壁の一部が、床に散乱している。


 巨大な穴から見える空は、憎らしいほど綺麗な星空。その星々の瞬きを、黒い影が切り取っていた。どれだけ距離が離れていたとしても、きっとエルティアは見逃さなかっただろう。影の中で光る一対の赤い瞳を。


 黒い頭髪は、昔読んだ動物図鑑の中の獅子を思わせる、(たてがみ)のようだった。鋭く尖った耳は凶器に似ている。病人を彷彿とさせる白い肌は、その男の凶悪な表情が合わされば、どこか超然的な印象に様変わりする。


「ウォルザ……」


 目の前の妖魔が、誰ともなしに呟いた。



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