08.姉弟の再会【レイゲン視点】
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執務室。空気を入れ換えるための小窓は鎧戸を引き上げられ、燦々とした陽光を取りこんでいる。壁に飾られた綴れ織りの赤が、光に照らされて映えていた。部屋の中央に設置された長机の上に肘をつき、クライスターは手を組んでいる。机を挟んで向かい合うのは、敬礼をしたレイゲンだ。
机上には、レイゲンが提出した報告書が広げられている。
「信じられん話だな。守衛士の死体を目にし、涙しただと」
レイゲンは敬礼の姿勢を解く。
「認めたくはありませんが、自分にはそう見えました」
「馬鹿馬鹿しい。その死天使は言動だけなら人間と差異はないのだろう。我々を欺こうとしているに違いないのだ」
ベイルから話を聞いて、実際に実物を目にするまでは、レイゲンもクライスターと同様の考えをしていた。それが死天使と行動をともにして、わずかばかり揺らいでしまっている。
しかしクライスターは、レイゲンと同じ体験を経たとしても、その考えを改めることはないのだろう。彼はブレイグ王国出身で、ディーティルド帝国の兵器を利用することに反対しているひとりだった。テレサを引き入れると決定した際も不満をもらしていたようだ。
怒りと憎しみで状況が判断できていないのだ。最早人間の力だけで太刀打ちできる戦力差ではない。こうしている間にも、ディーティルドは優れた兵器を製造し続けている。
死天使を例にしても、飛行能力、機動力もさることながら、奴らは驚異的な修復能力までも有している。
唯一の弱点は胸の中心、金属の骨組みに囲まれた機械仕掛けの心臓だ。
銃には心臓を一撃で破壊できる威力はなく、命中精度も低い。魔獣を討伐するのと同様に、分厚い刃を持つ大剣で急所を叩く必要があった。しかし熟練の兵士でも、一撃で金属の骨組みを切断し、心臓に致命傷を与えるほどの腕力はない。
絶え間ない攻撃で動きを止め、刃で心臓を破壊する。
それは約三十人の兵士が連携し、なおかつ奇跡のように運を味方につけなければ、成し得ないことだった。
「総司令は死天使欲しさに神憑りの女に遠慮しておられる。奴は所詮機械だ。なのに何故ウルスラグナに入れねばならん。鉄屑を人並みに扱うことの、なんとおぞましいことか」
死天使を人間としてウルスラグナに入学させる。テレサが反帝国組織に技術協力するに当たって、掲示された条件の一つ。
ベイルが会議で死天使の処遇について言及すると、やはり幹部たちから猛反発があった。死天使が人間らしい心をもっていることなど、誰にも証明できない。人の中で生活させれば、ウルスラグナの訓練生たちは日々大きな危険に晒されることになる。
ベイルもそれを理解しているからこそ、死天使をダエーワ支部にとめおくことにしたのだ。一年をウルスラグナ訓練校で過ごさせるのならば、当然の処置だ。
石造りの床に、靴音が鈍く反響する。見回りの兵に挨拶をしながら歩いていると、通りかかった扉が唐突に開いた。レイゲンは後ろに身を引く。騒音を立てて、簡素な扉は石の壁にぶつかった。
「あっ、よう!」
書類を抱えたピアースが、片手を挙げてレイゲンに挨拶する。
(そういえば今日、本部からこいつが来るという話だったか)
レイゲンは内心うんざりしながら、ピアースに敬礼をする。
「……お疲れ様です。それでは」
「待ちたまえ。君に頼みたいことがあるんだ。中に入りなさい」
がっしりと腕を掴まれ、歩行を阻まれた。思わず舌打ちをして手を振り払いそうになる。
「ピアース主任! 遅くなりました!」
通路の向こう側から、二人の兵士が息を切らして走ってきた。腕にはいかにも重量のありそうな本が数冊積まれている。それが床に落ちそうになって、兵士は慌てて支えた。
「題名通りの書物が見当たらなかったので、聖王暦に関する本をすべて持って参りました。申し訳ありません!」
「えっ? ……あー」
一瞬、何を言われているのか分からないといった表情をしたピアースは、積み上げられた本を上から下まで見下ろした。
「ご苦労。流石にすべては持って帰れないから、指定する本を箱に詰めて持って来てくれ」
レイゲンは、兵士たちの顔に落胆と疲労の色が広がるのを見た。ピアースに本を指定されると、重い足取りで歩いて行く。
誰もいなければ、今頃手を払って歩き去っているのだが。
「すぐすむから。ねっ?」
「……はい」
レイゲンが部屋に入ると、ピアースはドアを閉めた。すぐすむ会話なら通路で済ませればいいのに、兵士に聞かれたくない内容なのだろう。
報告書をまとめていたのか、机の上には万年筆と飲みかけの杯が置かれている。
「偶然部屋の前を通りかかってくれて助かったよ。個人的な用だから、兵士に呼んでもらうわけにもいかないし」
「……なんの御用でしょうか」
「相変わらずかったいなーレイゲンちゃんは。ふたりきりのときは普通にしてって言ったじゃない。私たちは姉弟なんだよ?」
そう思っているのはピアースだけだ。レイゲンとピアースは、幼い頃に別々の国の孤児院から、ベイルに引き取られていた。
「俺はお前と昔話をしている暇はない。くだらん用なら出て行く」
「くだらなくないよ! フェイヴァのことなんだけど」
(それがくだらない用だと言うんだ)
レイゲンは無言で踵を返す。
「あの子は、この心細い環境でたったひとりなんだよ。このままじゃ、あの子の心は持たないかもしれない。味方になってくれる人が必要だ」
「それを俺にやれと言うのか? 冗談じゃない」
なぜ死天使に気を使ってやらなければいけないのか。扉の取っ手に手をかける。
「フェイヴァは、普通の死天使とは違う。それは君もわかっているだろう? 身体は機械でも、その心は人間となんら変わりはないんだ」
普通の感性を持つ人間ならば、認めるのにためらう事実を、なぜこうも簡単にピアースは断言できてしまうのか。
(昔からこいつはそういう奴だった。恋だ愛だと騒がしくなる年齢になっても、空想を描いた本を読んでいた。海から生まれた精霊や、木で造られた人形が人間になるために旅をする、そんな物語を何よりも好んでいた)
「君がそういうのが苦手なのは知ってる。でも、できる限りでいいんだ。彼女を見てほしい。頼むよ」
ピアースは勢いよく上体を折った。いまだかつて彼女が他人のために頭を下げたところをレイゲンは見たことがなかった。
(なぜここまであの死天使に入れ込むんだ。理解できない。それに)
「お前は、俺が何故ここにいるか忘れたのか。奴が暴走した場合、俺が始末を任されているんだぞ」
「……それは、わかってる。でも、彼女はきっと、理由もなく人を傷つけたりしないよ」
理由があったとしても、兵士を傷つけた場合、死天使は処分の対象となる。ダエーワにやってきた瞬間から、死天使は人間に従順でなければいけない。逆らうことは許されない。
「フェイヴァが死天使だっていう先入観を君が捨てられれば、君たち結構上手くやっていけると思うんだよ。あの子可愛いよ。素直だし、君みたいに無愛想じゃないし。つまり何が言いたいかというと、フェイヴァマジ天使」
「寝言は寝て言え。じゃあな」
「待って。ひとつだけ、姉から忠告」
レイゲンは扉を開ける。外に出て行こうとした背中に、ピアースの言葉がかけられた。
「前々から思ってたんだけど、その喋り方、父上を真似してるんだよね? 君まだ若いんだから似合わないよ。やめた方がいい」
図星だった。レイゲンは叩きつけるように扉を閉めた。