16.変わる世界(1)
11/16 文章を大幅に加筆しております。詳しくは本文下部を御覧ください。
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三年が経過した。
エルティアの手足は伸び、その背は二十代前半のバージニアの背丈を越すほどに成長していた。
都市から離れた一軒家からセントギルダに居住地を移したエルティアは、より一層戦闘訓練に勤しんでいた。教官に師事しながらの、妖魔を倒すための鍛錬。叱咤は厳しく、エルティアがしくじれば手も出る。今まで人に殴られたこともなければ、怒鳴られたこともないエルティアは、環境の大きな変化に戸惑い、涙を流しもした。連日繰り返される訓練に、逃げ出したくなる日もあった。けれど訓練が終われば、バージニアとデボネが労りの言葉をかけてくれたし、どんなに難しい料理だろうと、エルティアの好物なら必ず作って食卓に並べてくれた。研究員たちもエルティアの心体の調子を気にかけて、頻繁に様子を見にきてくれた。休憩時間には美味しい紅茶や菓子を用意して、エルティアの愚痴を聞いてくれた。それらの支えが、折れそうなエルティアの心を力強く励ましてくれたのだ。
『――始め!』
教官の厳格な声が、エルティアの脳裏に響く。右手に握った大剣の刃先が、鋭く光を弾く。
ここは電子遊戯が創り出した真白の世界。足下には安定に欠ける薄い足場。目前にはひとりの敵の姿。妖魔の生体情報を収集し構築された立体映像は、実物の妖魔と遜色ないと思われた。
二十代半ばの、どことなく物憂げな表情をした男性型の妖魔だ。緩く波打った銀の髪は、白い景色に紛れてしまいそうなほど透き通った色をしている。それをうなじの位置でまとめて、帯状の織物で結わえていた。白い襯衣の上から黒い外套を羽織っている。白黒の外見の中、鮮血の色を写し取った双眸だけが強く存在を主張している。
教官の説明では、彼は妖魔の王の力を色濃く受け継いだ守護者の階級の者であるという。けれども、エルティアが学んだ三人の守護者の顔のどれとも一致しなかった。きっと自分が産まれる前に活動していた、今はこの世にいない妖魔なのだろう。エルティアは自分をそう納得させていた。
踏み出した足は鋭い風とともに身体を前に運ぶ。エルティアは妖魔に肉薄する。ギンッ、と金属と金属がぶつかる硬質な音がする。エルティアが振り上げた大剣は、相手が宙に出現させた槍によって阻まれた。暗黒色をした槍は、妖魔の力から生じた物体であることを示すように半透明だったが、エルティアの一撃を弾くほどに頑丈だった。
槍は宙に浮いたまま、まるで糸に釣られているように横薙ぎに振るわれる。エルティアは後ろに跳ぶ。穂先が足下を叩き、薄い足場は牛酪と化したように脆くも切り裂かれてしまう。床の崩壊に巻き込まれ、エルティアは白い谷底へと落ちていく。
「こんなの……っ!」
なんてことはない、と言葉を飲み込んで。ばらばらになっていく足場を次々に蹴って跳び上がって、エルティアは妖魔がいる場所を目指す。大きく踏み込んで床を蹴り、宙に飛び上がった。エルティアの大剣を、仄白い光が包む。それは刀身を這うように面積を広げていき、やがてエルティアの身長を越えるほどの光の刃となった。溢れる力は眩い光となって、エルティアの背中を翼のように包む。光の大剣を頭上に振り上げて、跳躍の最高地点に達した瞬間に振り下ろす。妖魔の槍が再び振るわれて、持ち主を守る盾となる。光輝の刃と暗黒の槍、ふたつがぶつかり激しく噛み合う。
エルティアは両手に力を込め、落下の勢いをのせて刀身を打ち込む。槍を切断し、その下の妖魔の半身まで斬り払う。
「一撃じゃ死なないか……」
さすが守護者の階級にある妖魔だ。胸を斜めに走った深い切創は、エルティアが妖魔の横に着地する間に塞がった。身を翻し大剣を構える。右手の刀身を突き出す。半身を強引に捻り、妖魔は攻撃を躱す。広がった銀髪が数本、刃先に触れて散る。エルティアは刃を返し薙ぎにいく。生身ではない硬い手応えが返ってくる。刃を阻んだのは盾だった。槍と同じく暗闇の色を宿した盾は、エルティアが真横に振るった刀身を受け止めたのだった。――が、それも長くは続かなかった。光の刃が触れた場所から、徐々にひびが入っていく。終には完全に砕け、破片が白い光を反射して煌めきながら消える。その間隙を縫ってエルティアは腕を振り抜いた。
「やぁっ!」
刃の軌跡を鋭い光が走る。
刀身は完全に妖魔の首に入った。勢いそのままに両断し、頭部と胴を斬り離す。頭は赤黒い血を床に点々とつけながら転がった。
「……よし! 倒した!」
敵が動きを止めたのを確認すると、エルティアは大剣を振って付着した血糊を払った。
『――終了。エルティア、よくやった』
普段の激烈な態度が嘘のように、いくらか穏やかな教官の声がエルティアに語りかけてきた。敵を討ち取った興奮と緊張に、エルティアはしばし呆然となった。
守護者階級の妖魔と戦い三年。この日初めて、傷を負うことなく妖魔を倒すことができた。
電子遊戯が終了し、教官たちと今日の立ち回りの確認をしたあと、エルティアは訓練室を出た。時計は午後の六時を指している。
(リラたち、まだ待ってくれてるかな)
数日前、訓練が終わったあとに用事があるからと、エルティアはリラに研究所の一室に呼び出されていた。
通路を速歩きで進み、待ち合わせの部屋に着く。自動扉が開いた瞬間、弾ける音が断続的に鳴らされた。視界に色とりどりの紙吹雪が舞う。
「誕生日おめでとう!」
バージニアやリラ、エルティアと特に親しい研究員たち十人ほどが癇癪玉を持って、エルティアを待ち構えていたのだ。円錐状の癇癪玉から発された小さな紙が、エルティアの頭上からはらはらと降ってくる。
「エル、十六歳の誕生日おめでとう。これ、みんなからよ」
びっくりして目を瞬かせているエルティアに、バージニアが歩み寄る。彼女から手渡された花束には、フェイヴァの花が使われていた。エルティアたちが暮らしていた家の庭に咲いていた花と比べて、形も大きさも揃えられているし、花弁が変な方向に曲がっているものもない。どうやら適切な場所で生育されたもののようだ。店売りの花なんて、どれほどの金額になるのだろう。花束を見つめてエルティアはしばし考える。
「……みんな、あたしの誕生日を覚えてくれててありがと」
最近頭の中が訓練のことばかりで、自分の誕生日なんてすっかり忘れ去ってしまっていた。
「三年でこんなにでかくなっちまいやがって。俺らの背丈もそのうち越しちまうんじゃないか?」
サイファーが軽口を叩くと、隣に立っていたリラが呆れたように肩をすくめる。周囲にいた者が、彼の茶化すような物言いにつられて笑った。
バージニアやテロメアから聞くまで知らなかった。普通の人は一年に一歳しか年を取らないらしい。エルティアは普通の人と比べて少しだけ成長が早く、三年で十一歳から十六歳相当まで肉体が成熟したのだ。




