14.安寧の隠れ家(4)
昇降機の扉が開く。最下層に降りたエルティアは、後ろからついてきたバージニアと兵士を振り向いた。
「私は先にテロメア様のところに行くわね。エルは」
広間のような造りをしている部屋にはいくつも扉があり、そこから研究員が忙しく出入りしていた。エルティアと目が合うと軽く手を振ったり、微笑んでくれる。
「あらエル! 今着いたの?」
正面の扉が開き、中から女が出てきた。小柄の肢体に白衣を着込み、快活そうな印象を抱かせる顔立ちをしている。顔の横で切り揃えられた青い髪が、顔を傾けるとさらりと流れた。彼女の名前はリラ。この研究施設の中で、エルティアに特によくしてくれる研究員のひとりだった。彼女はこちらに近寄ってくると、バージニアに頭を下げた。
「ちょうどよかったわ。リラ、しばらくエルを見ていてくれないかしら」
「かしこまりました。エル、行きましょ」
リラに腕を引かれ、エルティアはバージニアに手を振る。彼女は微笑むと、兵士とともに扉の中に消えていった。
「エル、聞いたわよ。電子遊戯の高難易度を突破したんですってね」
扉を開けて、中にどうぞと手で示しながら、リラは楽しそうに話しかけてくれる。エルティアは照れ臭くなりながら、少し笑った。
「えー。もう話が広まってるの?」
「朝の会議でテロメア様が仰られていたのよ。こんなに早く結果を残すなんてすごいじゃない!」
「恥ずかしいな、もう」
と言いつつ、褒められるのは嫌いではなかった。頬が火照るのを感じながら、エルティアはくすくす笑う。
この部屋はリラの個室のようだ。狭い空間の大半を本棚が占めており、一組の机と椅子はちんまりとしている。リラが部屋の奥から折り畳みの椅子を持ってきてくれた。床に積まれている本を足でどけながら、エルティアが座る場所を確保する。
「狭くて悪いわね。今休憩中だったの」
「ありがと。……なんかちょっと散らかってるわね」
椅子に腰を落ち着けて、狭い個室を見渡す。室内は少し――いやかなり散らかっている。リラは本を棚に戻すのが面倒らしい。付箋が貼られた本が、床や机の天板の上半分に堆く積まれている。さきほどまで趣味に没頭していたのだろう。机の天板の下半分の狭い範囲には、縫い針やら布の切れ端やらが散乱していた。彼女は縫い針を手早く紐でまとめた。
「気を使わないで。正直に汚いって言ってくれていいのよ」
「そこまでは言わないけど。……でも、デボネが見たら叫びそう」
「ああ、エルのところにいる子ね。身の回りの世話をしてくれるなんて羨ましい。テロメア様に、ここにも生活補助機巧をおいてもらえるようにかけあってみようかしら。仕事ならいくらでもあるから」
軽口を叩きながら、リラは机に備えつけられた小さな椅子に座る。
「ま、こんな話はおいといて。新作ができたんだけど、見てくれない?」
「うん! 見たい!」
リラは綿と布で動物の人形を作るのが得意だった。始めた当初は形も歪で、見るに堪えないものだったらしい。しかし年月は着実に人を成長させる。今ではつぶらな瞳が愛らしい動物のみならず、それに着せる服まで自作してしまうほどだった。
「ジャーン! 猫ちゃんと兎ちゃん!」
「わああ! すっごく可愛い!」
本棚に飾っていたふたつの人形を、持ってきて手渡してくれる。飾り玉で作られた小さな瞳。短く小さな手足。そして、ひらひらな布をたくさん使って作られた服を着た動物は、とても愛らしかった。エルティアは熱を込めた眼差しで人形を見つめる。
「ね、どっちの動物が好き? 片方あげる」
「え? いいの!? ……でも作るの大変だったんでしょう?」
「いいの。もともとエルにあげるつもりで作ったんだから」
「……じゃあねぇ、猫ちゃん!」
「はい、猫ちゃん」
「ありがと! 大切にする」
三毛猫が、波状の装飾がついた服を着ている。黄緑と黄が重ねられた衣服が猫の柄とよくあっている。
「喜んでくれてうれしいわ。作った甲斐があった」
リラが微笑みを浮かべて、エルティアの手の中の人形を見つめた。
その時、リラの背後にある扉が叩かれた。リラが応えるより先に、扉を開けて男が入ってくる。
「エルいるかー? うわぁ、相変わらず汚ぇなこの部屋」
「ちょっとサイファー! 私が返事する前に部屋に入ってこないでよ!」
リラが顔を赤くして叫ぶ。男――サイファーはどこ吹く風という様子で、床に積まれた本を避けつつ歩いてくる。疲れているような顔つきに、癖がついた髪が特徴的な青年だ。白衣の衣嚢にいつも菓子を忍ばせていて、エルティアが施設にくるたびにそれをくれた。
「前にこの菓子食いたいって言ってただろ? 買っといたからやるよ」
サイファーから袋を受け取る。以前一枚だけもらった焼き菓子が、この袋の中にたくさん詰め込まれていると思うと、口許が緩んだ。食べるのが楽しみだ。
「ありがと、サイファー」
「バージニアさんには内緒な。夕食前に食うなよ。あと、食ったらちゃんと歯を磨けよ」
小さな子供に言い聞かせるような物言いに、エルティアは吹き出した。
「あたし、そんなにちっちゃい子じゃないわよ」
「あー悪い。エルって俺の親戚の子に似てるから、ついな」
「ちょっと私のこと無視しないでよ」
「うるせぇな。あんま怒ると老けるぞ」
「あんたみたいに覇気が感じられない人に言われてもねぇ。万年疲れた顔してるくせに。どっちが若く見えるでしょうね?」
「俺みたいなのは落ち着きがあるって言うんだよ。子供じゃないんだから、お前みたいに無駄にはしゃいだりしないの」
「はあぁぁぁぁ!? ムカつく!」
リラは眉を山なりに歪めて、サイファーをぽかすかと殴る。彼はそんなリラの攻撃をわざと肩に当たるように、身体を傾けていた。あー気持ちいいわー、とかなんとか言っている。
温和なリラが、いつもサイファーにだけは怒っている。以前、バージニアにそう話したことがあった。エルティアの瞳から記憶を読み取ったのだろう。バージニアは穏やかに笑って、気になる相手にわざといじわるを言ったり、冷たく振る舞う人もいるのだと教えてくれた。
(今ならバージニアが言っていた意味が、なんとなくわかるかも)
リラが本気でサイファーを嫌っていたなら、会話すらしないだろう。彼女のサイファーへの態度には、一種の親愛が込められているように思えた。
ふたりの様子を微笑ましい気持ちで見つめていたエルティアは、後ろから聞こえた扉を叩く音に振り向いた。サイファーとの小競り合いをやめたリラが、部屋の外に応じる。
「エル、テロメア様がお呼びですよ」
「うん。今行くね」
研究員のひとりが扉の隙間から顔を出す。エルティアは頷くと、人形と菓子の袋を衣嚢にしまい、ふたりに別れを告げた。




