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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
11章 真紅の少女は幸福の花を夢見る
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11.安寧の隠れ家(1)


◆◆◆


 ふわり、と真紅の髪が宙に舞う。白い衣服をはためかせながら、少女は右手に握る大剣に力を込めた。


 立ちふさがるは三体の、醜悪な外見をした鼠型の魔獣。古語であるアニュー語で【地を弾む(スライト)】と呼ばれる化物だ。人間の赤子よりも丸々太った邪悪なものどもは、一斉に身を屈めると、肉が剥き出しになった三叉の尾から火炎を放った。火球と呼ぶにふさわしいそれは、空気を焦がしながら少女に殺到する。


 床を強かに蹴ると、少女は宙に跳び上がった。火球は誰もいない空間を通りすぎ、少女の背後の壁に激突した。


 少女の跳躍。それは回避のためではなく、攻撃に繋げるための動作だった。


 スライトが再び火球を生成する。――が、少女はすでに魔獣たちの頭上にいた。片足が床につくその前に、右腕の大剣が閃いた。まるで蕾が花開くように、幾筋もの太刀筋が生まれ周囲に広がる。魔獣は細切れになり、血を撒き散らしながら床を転がった。


 軽快な音とともに着地した少女は、赤黒く染まった刀身を一度つよくふって、血糊を落とした。


「……ふう」


 ピッ。かすかな電子音が頭の中に響いて、少女は顔を上げた。


『おめでとうございます! “普通”難易度、満点合格です!』


 デボネの、どこか嬉しげな声がわんわんと頭の中で鳴り響く。いきなり大きな声が聞こえたものだから、少女は肩を跳ねらせた。


「び、びっくりした……。終わった? もう?」

『随分集中していたんですね。時間にして六十分ですよ、エル』


 もうそんなに時間が経っていたのかと、エルと呼ばれた少女は眺め渡す。そうして、この空間には時間の経過を示すものが何もないことを思い出した。


 見渡す限り真っ白で、人ひとりが走って跳ぶには広すぎる部屋。さきほどまで足下で赤黒い液体をだくだくと流していた魔獣の欠片は、跡形もなく消え失せている。


 ここは戦闘訓練のために用意された、仮想空間。エルは頭部装着型の機器を被り、この仮初の世界に意識を転送しているのだ。外の世界――現実でこの空間を管理しているデボネが、立体映像である敵を呼び出し、難易度を調節している。これを電子遊戯、という。


『少し休憩しましょうか。喉は渇きませんか?』

「飲み物? いらない。全然疲れてないから、次の難易度やってみようよ」


 強がりではない。もうすでに、エルの実力は魔獣など比べ物にならないほどに成長していた。どれだけ数が多かろうと、どれだけ巨大だろうと、負ける気はまったくしなかった。


『そんなに根を詰めてはいけませんよ。バージニアもゆっくりでいいと言っていたではありませんか』

「疲れてるのを我慢してるわけじゃないのよ。単純に、敵を倒すのは楽しいし」


 手に持った大剣を見つめながら言う。天井の照明を受けて、鍔に取りつけられた赤い宝玉がきらりと光る。


『……わかりました。次は“難しい”難易度ですが、始めのほうだけでもやってみましょうか』


 デボネは溜息が聞こえてきそうな口調で、了承してくれた。


 二度、小さな電子音が頭の中に響く。エルの正面の床。その一角が、大きな音をたててせり上がっていく。視界の先の床が、次々と天に上っていく。エルの手前から部屋の最奥まで、巨大な階段が形づくられた。


『普通難易度までは私が敵の位置を通知していましたが、難しい難易度からは自力で探してもらうことになります。……では、開始!』


 デボネの気合がこもった声と、開始を知らせる電子音が、同時に頭の中で木霊する。


 眼の前の階段は高い。おそらく三階建ての建物と同じくらいだろう。走り出したエルは床を蹴る。跳び上がると、一段目の段に楽々と着地した。


 デボネは自力で敵を探してもらうと言っていたが、探すまでもなかった。眼前には、獲物を今まさに捕食せんと目を輝かせる大熊の姿があった。【絶壁(グレイシャー)】と呼ばれるその魔獣は、文字通り巨大な壁のようで、百四八(センチメートル)のエルは、自分が小人になったような心境に陥った。前足に生えた無数の爪は分厚く、エルの腕より太く見える。


 グレイシャーが大きく吠えた。大口が開かれ、喉奥に黄緑色の光が瞬くのが見える。


 資料で読んで知っている。グレイシャーは口腔から電撃を放つのだ。その威力は絶大で、人が浴びればたちまち消し炭になってしまうらしい。


 エルは両手で柄を握ると、切っ先をグレイシャーに向ける。床を踏みしめた足に力を込め、蹴りつける。一度飛び出した身体は風を切り、一息で魔獣に迫る。刀身を口の中にねじ込んだ。落雷が落ちたような凄まじい音を発して、グレイシャーの口腔が破裂する。行き場を失った雷撃が口内で爆ぜたのだ。


 両足で踏ん張り、エルは刀身を振り上げた。グレイシャーの頑丈そうな頭部を突き破って、刃が現れる。おびただしい血を吹き出し、グレイシャーは倒れた。その身体は崩れるように形をなくすと、その場から掻き消えた。


「さてと」


 大剣に付着した血を払いもせず、次の段に跳び移る。標的を探してさ迷わせた瞳は、とんでもないものを見て見開いた。


 尖った耳と血のように赤い瞳。そして白い肌。男性型の妖魔だ。


 本や映像資料で、嫌になるほど見た。――妖魔。ある日突然この世界にやってきて、人間を害すために魔獣を生み出した。そうして人類の安住の地を次々と破壊したのだ。妖魔とは人間の宿敵。倒すべき種族。


 妖魔には三つの階級がある。王とそれを守る守護者、そして使い捨ての戦士。眼前の妖魔は、映像資料で学んだ守護者の顔のどれとも一致しない。使い捨ての戦士階級なのだろう。最下位の階級である戦士は守護者同様に王から生まれるが、王の十分の一の力も受け継いでいないのだという。王や守護者とは雲泥の力の差があるのだ。


 その妖魔が、なぜか。


「きゃあああ! 助けてぇ!」


 泣き叫ぶ女を羽交い締めにし、首筋に鋭く伸びた爪を突きつけている。


「……あのさぁ」

『はい、なんでしょう?』


 デボネはまるで明日の天気を尋ねられたような、悠然とした口調で応える。


「なんで妖魔が女の人を人質にしてるのよ……」

『あらゆる状況に対処できるよう、遊びながら学ぶのがこの電子遊戯の目的ですよ』

「だからって妖魔は人間を人質にしないでしょ」

『わかりませんよ。妖魔は人間とは考え方が違うのですから、わずかな可能性でも無視できません』


 魔獣とは数え切れないほど戦ってきたが、妖魔と剣を交えるのは初めてだ。緒戦なのに人質のことを考えて立ち回らなければならないのは、正直に言ってかなり――面倒臭い。


「人質ごと斬ってもいいよね。どうせ本物じゃないんだし」

『いけません! 人質が死亡した場合、その場で失格です。バージニアにも報告しますよ』

「えー。めんどうだなもう」


 エルが文句を言っている間に、妖魔の周囲に光の粒子が集まった。それは小刀の形を取り、エルに向かってひとりでに飛んでくる。


 どうやって躱すか。考える前に身体が動いた。エルはその場で跳んだ。足下すれすれを小刀がすぎて――いかなかった。小刀はひとりでに切っ先を返すと、エルを追いかけてきた。半透明の刃が、足を斬り上げる。


「いっ――!」


 鮮烈な痛みが傷口を駆け上がり、頭頂を突き抜けていく。立体映像から攻撃を受けてもエルが傷をつけられることはなかったが、危機回避の訓練のために斬られた感触と苦痛は与えられる。


 自分自身に対して腹が立って、おもわず舌打ちした。妖魔の能力については学んでいたはずなのに、考えもせずに動いてしまった。本当に流血しているような足の痛みに、強く奥歯を噛み締める。


 妖魔は女の首筋に突きつけた爪に、力を込めたようだった。女の肌にわずかに傷がつき、血が滴る。


「動くな! 動くとこの女を殺すぞ!」

「えぇ……」


 人間より遥かに強く、世界を踏み荒らしている妖魔。それがこんな小物じみたことを叫ぶだろうか。足の痛みに引き締めていた意識が緩んでしまう。これではまるで物語に出てくる、序盤で死ぬ悪役そのものだ。デボネは適切な台詞を思いつかなかったのだろう。


「いやぁ! 助けてぇっ!」


 妖魔の言葉と肌を伝う血の感触が、人質を更に追い詰めたのだろう。女は滝のように鼻水と涙を流していた。


「鼻水がすごい」


 あまりの勢いに逆に感心してしまう。そのうち干からびて倒れてしまわないか。妙な考えが頭の中に浮かんだ。


(動くな、か……)


 女を人質にした妖魔とエルの間には、二十(メートル)ほどの距離がある。エルが近づき大剣を振るうよりも、妖魔の爪が女の柔らかな肌を引き裂くほうが速いだろう。何か相手の意識を引きつける方法はないだろうか。


(いや、ある。あたしは動かなくても敵を攻撃できる)


 妖魔が力を集中させる。宙に漂っていた光の粒子が一箇所に集い、半透明の小刀を生成する。鋭く煌めく切っ先は、エルの胸の中心を狙っている。


 風を切って小刀が飛ぶ。エルは左手を掲げた。指先から光の礫が放たれ、小刀と正面からかち合う。力と力が衝突し、光が明滅する。


 エルを狙っていた小刀は弾き飛ばされ、力を失ったように掻き消えた。勢いを保ったまま光の礫は突き進む。標的をめがけて飛んだそれは、妖魔の肩を貫いた。


 同時にエルは妖魔に肉薄する。痛みに怯み、手から力が抜けるその瞬間。女の肩を掴んで妖魔から引き剥がした。


「――貴様ぁっ!」


 女が床に倒れたのを確認すると、妖魔が激昂した声で叫んだ。指の第二関節ほどの長さの爪を、大きく振りかぶる。


(この距離ならあたしのほうが速い!)


 妖魔の腕を斜めに斬り上げる。刃は易々と妖魔の腕に沈み、肉を骨を断つ。切断された腕が床に落ちる。


 エルは大剣を返すと、妖魔の首に刃を叩き込んだ。頭部と胴体を完全に斬り離す。切断面から噴水のように血を流し、妖魔は膝から崩れ落ちた。


 妖魔は凄まじい再生能力を持つ。その情報を裏づけるように、エルが斬り落とした腕の傷口から、新しい筋繊維が生じていた。――が、首を斬り落としさえすれば生命活動は完全に停止する。胸にある重要な臓器は、頭部がなければ機能しないのだ。


 大剣を振り刃から血を落とすと、ピッという短い電子音が鳴った。意識外から突然飛び込んできた音は、エルの意識を戦闘から引き離した。びくりと肩が震える。


「な、何? 人質ならちゃんと助けたわよ」

『今日はここまでにしましょう。窓から見えました。バージニアがおかえりですよ』


 労りを感じさせる声でデボネが言うと、エルの視界が少しずつ白み始めた。部屋の床や壁よりもさらに白く。


 デボネが、エルを仮想空間から引き上げる作業を開始したのだろう。かすかに聞こえていた電子音もやがて遠くに消え、エルは意識を失った。




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