10.記憶の扉を開けて(5)
フェイヴァが落ち着くまで、レイゲンは胸を貸してくれた。フェイヴァが身体を離した頃には、彼の衣服は涙ですっかり濡れてしまっていた。フェイヴァが謝ると、彼は気にするなと言う。
「……私、自分の目で確かめたい。あの人たちが言っていたのが本当のことなのか。過去の人格に、本当にディヴィアを倒せる力があるのか」
「……だが、一体どうやって」
「記憶が私に干渉してきてるんだって。マーシャリアさんは、川の流れのように漂ってくる記憶が見えるって言ってた。マーシャリアさんとアーティちゃんのふたりなら、その記憶を集めて順序立てて私に見せられるって」
過去を確かめなければならない。それと同時に、知れば取り返しがつかなくなるという思いが強かった。本当は知るのが怖い――でも、ここまできて逃げるわけにはいかない。
「私はふたりに協力してもらって過去を見るつもり。……そのときはレイゲン、一緒にいてくれる?」
フェイヴァ以外はみんな、見回りや空の巡回、教練などが割り当てられている。全員に集まってもらうことはむずかしいかもしれないが、レイゲンだけでもそばにいてくれないだろうか。
「当たり前だ」
彼は力強く言ってくれた。フェイヴァは微笑む。目尻に少し涙がにじんだ。
「……ありがとう」
翌日。ピアースに話をつけてもらい、フェイヴァは業務に復帰した。部屋の中にこもっていても、気持ちが鬱屈していくだけなのだ。教練の時間は兵士やハイネと手合わせして、いくらか気分転換になった。城の見回りや空の巡回など、わからないことは兵士が親切に教えてくれた。辛辣な態度を取る兵士でなくてよかった。今辛い気持ちになると、立ち直れない気がしたから。
そうして翌々日の夜。レイゲンがフェイヴァの部屋に迎えに来てくれた。彼に連れられて居館に向かう。
案内されたのは、会議に使用する部屋の隣にある小部屋だった。何故部屋が変わったのだろうという疑問は、室内にいた人数が示していた。記録係の兵士と、マーシャリアとアーティの三人。魔人はいなかった。フェイヴァの記憶を見るのだから、いる必要がないのだろう。
「あら、久しぶりね。……ひとりでくるのが、そんなに怖かった?」
レイゲンに視線を向けた後にフェイヴァを見やって、マーシャリアは嘲笑する。
フェイヴァが答えるより先に、レイゲンがフェイヴァの前に出た。庇うように立ちふさがってくれる。
「俺が勝手についてきただけだ。余計な話はするな」
マーシャリアは鼻で笑う。
「アーティちゃん、きてくれてありがとう」
「そんな。わたし、フェイちゃんの力になりたかったし」
アーティはフェイヴァに控えめに笑って、緊張した面持ちをマーシャリアに向けた。彼女は頷いてみせる。
「わたしたちの間に座って?」
長机の前には椅子が並べられており、マーシャリアはその内の右端の椅子に座った。真ん中の椅子をあけて、アーティは左側の椅子に腰かける。
フェイヴァは頷くと、真ん中の椅子に腰を落ち着けた。レイゲンは長机を挟んで、フェイヴァと向かい合って座る。
レイゲンの隣に座っていた記録係の兵士が、洋墨に硬筆の先を浸し、記録を始める。
「手を出しなさい」
マーシャリアに冷淡に言われ、フェイヴァは手を差し出した。彼女の手はひやりとしていた。そのまま、握手をするような形になる。
「……あの、これは?」
「記憶を見せるには、あなたの精神に接触する必要がある。あなたは死天使だから、本来ならあなたの心を受け入れた器人――テロメアしか心を読むことができないけど、こうやって直に触れればいくらか心を見やすくすることができる。器人ふたりがかりでやっと、というところだけど」
フェイヴァのもう一方の手はアーティが取った。軽く握られる。
「フェイちゃん目を閉じて。深呼吸、してみて」
アーティの柔らかい声に促されて、フェイヴァはゆっくりと呼吸を繰り返した。
「準備はいいわね」
マーシャリアの声に、フェイヴァはついレイゲンを見てしまう。助けを求めたのか、ただ単に不安だったからなのか。自分でもわからない。彼はフェイヴァを見つめると、気強く頷いてくれた。
(……私はひとりじゃない。頑張らないと)
「はい」
「……目を閉じて。いくわよ」
彼女の指示通りにする。――と、頭の中に広がってくるものがあった。それはいくつもの像を結び、フェイヴァの中に見覚えのない光景を描き出す。
長い長い、魂の旅の始まりだった。




