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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
11章 真紅の少女は幸福の花を夢見る
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06.記憶の扉を開けて(1)

 ――ラスイル。聞き覚えのない名前だ。何故そんな見知らぬ人物の声が聞こえてくるのか。自分の心の中から湧き上がってくる声とは明らかに違う。頭の少し上の辺りから言葉が落ちてくるような、不思議な感覚がある。


 戸惑いのまま、フェイヴァは口を開く。


「どういうことなのかよく……わからない。どうしてあなたはここにいないのに、声だけが聞こえるの?」


 まるでその場に人がいるかのように、声を潜めずに話しかけてしまう。結果、部屋の外から大きく扉を叩く音がした。


 ぎょっとしてフェイヴァは固まる。フェイヴァが誰かと話していると思っていても、外の兵士には独り言を言っているようにしか聞こえないだろう。何事か、と不審も露に尋ねてくる。


「すみません。なんでもありません」


 大きな声で返事をして、なんとはなしに椅子に腰かける。ざわついている心を鎮めようと深呼吸をした。


(混乱させてすまない。……説明するのが難しいのだが、これは精神接続と呼ばれる技術だ。君から細く長く伸びる透明の糸を、遠くにいる私が持っていると想像してほしい。その糸から君の声が私に伝わってくるし、反対に私の声を届けることも可能だ)

(う、うぅん?)


 想像はできる。が、理解できるかはまた別の話だ。ラスイルの言う通り、こうやってやり取りができているのだから、そういうことなのだろうと受け入れるしかない。


(……テレサが亡くなってすぐ、君と繋がれないかと何度か試した。君がテレサの中にいた頃の名残か、遠くに――細い精神の糸が見えた。それを掴めたのは奇跡と言っていい)


 思いがけない人の名前が出てきて、フェイヴァは思わず声に出して問いかけてしまうところだった。咄嗟に自らの口を塞ぐ。


(……お母さんを知っているの?)

(ああ。彼女が子供の頃からのつきあいだ)

(本当? だってお母さん、あなたのこと一言も私に話してくれなかったよ)

(当然だ。君が知る必要がないことだからな。テレサが死ななければ、私はこうして君に語りかけることもなかっただろう)


 ラスイルの声は中性的な感じがする。低すぎず高すぎず。そのせいで、性別は疎か年齢さえも窺い知れない。平板な声音に聞こえてしまうのは、ラスイルが言うように距離を置いて会話をしているからなのだろうか。


(テレサが器人になった時に継承の儀式を経て、私は彼女の精神と接合した。彼女は私の目となり、心の声はまるで自らが考えたかのように、私の中に浮かんできたよ。

 私は、君たちがディーティルド帝国から逃げ出した時も、反帝国組織の兵士たちに理不尽な扱いを受けている時も、ただ見ていることしかできなかった。……力になってあげられず、すまなかった)

(……謝らないで。あなたが悪いんじゃないよ)


 フェイヴァの人生が始まったあの日。天使の揺籃の前で目覚め、テレサに救われた。ラスイルはテレサの目を通して一部始終を見ていたらしい。――フェイヴァが死天使として生まれる、ずっと前から。


 頭の中に引っかかるものがあって、フェイヴァの思考が一瞬止まる。


(それって、私が目覚める前のお母さんを知っているってことだよね?)

(ああ)

(……ラスイル、さんは)

(呼び捨てで構わないよ)

(ラスイルは私が人間だった頃、どんな人だったか知ってる……?)


 緊張で掌に汗がにじむ。フェイヴァは胸が焼けつくような思いでラスイルの答えを待つ。こんな時、相手の顔を見て返答を予測できないのは不便だった。


(……知っている)


 長い沈黙の後、ラスイルが言った。迷い躊躇しながら発された言葉。


(だが、私は君にそれを話そうとは思わない)


 大きな落胆に、フェイヴァは目を見開いた。そんな。やっとすべてがわかると思ったのに。


(どうして?)

(知ることが、必ずしも幸せに繋がるとは限らない。君の心の平穏を守るためだ。……それに、今ここに生きているのは君だ。前の人格、というものを知ってもどうにもならない)


 テレサ同様に、ラスイルもフェイヴァのことを第一に考えてくれているようだ。人間だった頃の人格を知れば、フェイヴァが深く傷ついてしまう。それを恐れているような。起こる前から先回りして、勝手に不安がっている。


 一瞬、フェイヴァに失望されるのが恐ろしくて何も話さないのかと勘ぐったが――それだけの下らない理由ならば、テレサは話してくれていたのではないかと思う。自身が傷ついたとしても、フェイヴァが知らなければならない真実ならば、テレサは秘密にはしておかないだろう。それだけは信じられた。


(どうにもならないかどうか、決めるのは私だよ。それに、ラスイルの言っていることは、生きている人間の自分勝手な言い分だよ。私は、確実に誰かの人生を犠牲にしていて、その上に生きているんでしょう? 知らないままでいることが、正しいとは思えない)

(こんな問題に正しいも間違っているもない。……君は、その人間だった頃の人格、というものに罪悪感を覚えてしまっているだけだ。第一、何故そんなに知りたいんだ?)


 何故なのだろう。自分自身に問いかける。


 自分が元々は人間だったという意識は、ハイネからもたらされたものだ。どこか信じきれていなかったその思いがはっきりと形になったのは、ディヴィアと対峙したあの日。


 色濃い殺意を振り撒きながらも、ディヴィアはフェイヴァを見ていなかった。その後ろにいる、別の人物を見ているようだった。


(私は、人間だった頃の人格を知ることで、ディヴィアに対抗できると思っているの? ユニがあの人に囚われたままだから、それをどうにかするために……)


 きっとそれだけが理由ではない。


 人間だった頃の人格がどのように生き、人生の幕を下ろしたのか。フェイヴァにはわからない。だがきっと、今の状況はその人物にとって本意ではないだろう。


(今の私は、死天使の身体に宿ってから生まれたんだって聞いた。なら、人間だった頃の人格と私は同じ人じゃない。……私は偽物なんだ。本物の人生を奪って、私が生きている気がする)


 それこそが罪悪感の正体。生前の人格を知らなければならないという、強い思いの源。自分が造られた存在であるという事実は、どこまでもフェイヴァの自尊心を揺るがしていく。


(違う。偽物も本物もない。君は今、生きている。重要なのはそれだけだ)


 テレサが生きていても、同じことを言うだろう。


(……君にこうして話しかけたのは、テレサに君のことを頼まれたからだ)

(お母さんに?)

(テレサが言っていただろう。これからは、古い友人が君を見守ると)


 フェイヴァの頭の中に、左腕を失いやつれた様子のテレサが浮かんだ。彼女の死の間際、交わした言葉の中にそんなものもあったような気がする。――胸が痛む。できれば思い出したくない姿だ。


(フェイヴァ、君に頼みがある。君は今反帝国組織の本部にいるのだろう?そこからから逃げなさい。そして、君のことを誰も知らない場所で、穏やかに生きていきなさい。君は今までたくさん苦しい思いをしてきた。もう戦う必要はない。レイゲンくんもわかってくれるはずだ)


 何故レイゲンを知っているの、という言葉を飲み込む。テレサの目を通して物を見てきたのならば当然だろう。


(……そんなこと、できないよ)

(君がディヴィアをどうにかしなければならない理由はない。一日でも長く生きてほしい。それが私とテレサの願いだ)


 フェイヴァは自分がディヴィアを倒せるとは思っていなかった。けれども、このまま放っておくこともできない。


(……ディヴィアは、私の友達の――ユニっていう子に乗り移ってた。なんの罪もないのに殺されて、その上今もまだ苦しんでる。……アーティちゃんが言ってた。ユニの残留思念がディヴィアの中に取り残されてるって。ユニだけじゃない。たくさんの友達が死んじゃったんだよ)


 ユニを庇って殺されたミルラ。ウルスラグナ訓練校を襲撃した死天使によって命を奪われたサフィ。


 訓練校の仲間たちや教官も。殺されるほどの落ち度なんてないのに、みんな逝ってしまった。


(それなのに、目の前の問題を放り出して、ひとりだけ逃げるなんて……私にはできない)

(君は、自分から幸せを捨てようとしている。自分から不幸になりたがっているように思えるよ)


 そうではない。大切な人がいて、友達がいて。今がフェイヴァにとっての最上の幸せなのだ。これ以上を望めるはずがない。


(……好きに思ってもらっていいよ。私が人間だった頃のこと、本当に話してくれないんだね?)

(ああ)

(じゃあ、もういい)


 あっさりと手を引くと、ラスイルは黙った。どうやってフェイヴァを説得しようか考えているのだろうか。


 自分の思い通りにならない出来事に苛立つ、というのは初めての経験だった。ラスイルはなんのために話しかけてきたのだろう。テレサの言葉通り、見守るだけか。――自分勝手な思いが次々と浮かんできて、フェイヴァは頭を振る。自分の言うことを聞いてくれないから怒るなんて、子供と同じではないか。けれども、小さな苛立ちは確実に心を閉ざさせる。


(ラスイルは私の頼みを聞いてくれないし、私もラスイルの頼みを聞かない。これでおあいこ。……だから、これから私がやることに反対しないでね)

(何をするつもりだ?)

(お母さんと同じ時期に造られた魔人の人たちに話を聞きに行く)


 オリジン正教の総本山、エフェメラ大聖堂。フェイヴァの身体を再構築するために、テレサはレイゲンたちを連れてそこに向かったのだ。テレサの目的を阻んだ魔人たちについては、レイゲンからあらましを聞いていた。オリジン正教の教皇、トゥルーズ・セントギルダと配下の仮面の兵士たちは、ロートレクの王都に移送された。レイゲンたちと戦った魔人たちは、レイゲンたちに手を貸し異形化したワグテイルを討ち取った功績により、処罰を免れたらしい。今は反帝国組織の構成員として招き入れられ、本部――この城の一室に留め置かれている。


(駄目だフェイヴァ。彼らもすべては知らない。それに、君に対して何を言うかわからない)

(別にそれでもいい)


 事もなげに言ってのける。人間だった頃の人格について何かわかるなら、辛辣な態度を取られても我慢できる気がした。


(私とテレサはオリジン正教を裏切っている。テレサが命を懸けて造り出した君に、怒りをぶつけてくるかもしれない)

(じゃあ、ラスイルが代わりに全部教えてくれる?)

(……それは)

(この話はお終い)


 会話を打ち切って、フェイヴァは席を立った。ピアースの精密検査を受けた後に、彼らと話ができないか頼んでみよう。








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