06.聖王暦
「まず、君が目覚めた兵器開発施設についてなんだけど。内部の様子を教えてくれないかな?」
「えっと……石で造られた城でした。広くて蝋燭で照らされてて」
記憶を辿っていると、目覚めた部屋の様子が鮮明に蘇ってくる。褪せた灰色をした壁。備えつけられた燭台。そして──室内の半分を占領していた、蛹の化物。
忘れ去ったはずのいまわしい光景が、フェイヴァの胸を鷲掴む。
言葉にして伝える勇気が持てなかった。親しみを抱いているふうに温和な表情を見せるピアースが、嫌悪を露にするところを見たくはない。
「あの、私がこんなことを言うのは許されないと思うんですが……。話したくないんです」
「思い出したくないのかい? 気持ちはわかる。ディーティルドの兵器開発施設から脱出したんだ。君はきっととても怖い思いをしたんだろう」
「いえ、そうじゃないんです」
自分の立場に立って考えてくれる、ピアースの優しさが辛い。
「……私のことを、怖がったりしませんか?」
自分は今きっと、かびが生えそうなほど暗い顔をしているだろう。フェイヴァは煩いながら、膝の上で組んだ手を握った。
フェイヴァの表情とは正反対に、ピアースは晴れ渡った青空のような笑顔を浮かべる。
「そんなことはありえないよ。何故なら私は、初めて君を見た時から好きになってしまったからね。君のことを深く知って、今以上に好きになることはあっても嫌いになることなんてないさ」
ピアースは鼻息荒く断言した。蝋燭の明かりを受けた彼女の瞳が、妖しく光る。
嫌われる心配はないとわかって、フェイヴァはほっとすると同時に戸惑った。大して言葉を交わしていない相手にどうして心を開けるのか。理解できない。人間ならまだしも、フェイヴァは死天使なのだ。
「あ、ありがとうございます……?」
一応礼を言ったが、釈然としないものがある。
「お礼なんていいよ! むしろ驚いたんじゃない? 思わず告白しちゃったから。私はずっと可愛くて素直な妹が欲しかったんだ。弟がひとりいるんだけど、昔女の子の服を着せようとしたせいで、今では私を見るとすっごく嫌な顔をするんだよ。あれは姉を見る目じゃない。ゴミを見る目だよ。女みたいな顔してるんだから女装の一回や二回してくれてもいいじゃない。いや、そもそもあいつは女に生まれてくるべきだったんだ!」
「そ、そうですね……」
返答に困ったフェイヴァはとりあえず同意しておく。顔も知らないピアースの弟に同情してしまった。
「だから君は、私に遠慮なく甘えてほしいんだ。友達から始めよう。そしていずれは、お姉様と呼んでほしい。もちろん、お姉ちゃんでも姉貴でもいいよ! ……いっけね、想像したら鼻血出てきた」
ピアースは白衣の衣嚢を探り、手巾を抜き出すと鼻の下に当てた。白い布地が実際に赤く染まっていく。
「ひえぇ……」
言動が予測できないピアースを若干怖く思って、フェイヴァは思わず腰を引いてしまった。
「ああ、ごめん! ドン引きしたよね。つい興奮しちゃって。話を本題に戻そう」
鼻を拭った手巾を乱暴に丸めた。その動作には女らしさの欠片もない。ピアースは目つきを鋭くし真摯な顔つきになった。
「は、はい」
フェイヴァは深呼吸をすると、ためらいに唇を噛み締め、ややあって話し始める。
「私の目覚めた部屋には、天使の揺籃という物がありました。全身が鎧のような硬い外皮に覆われている巨大な化物で──私はその中から生まれたんです」
「ファッ!?」
床に腰を落とし、洋墨入りの瓶に硬筆の先をつけていたピアースは、顔を上げた。勢いのある鼻息に似た奇声を発する。
彼女の反応は当然だった。こんな話を聞かされて、抵抗もなく信じられる者はいない。フェイヴァ自身も直に目にしなければ受け入れられなかっただろう。
「嘘じゃないんです。天使の揺籃の口内で噛み砕かれた剣と人の肉が、私たちの身体の元となるのだと」
テレサがしてくれた説明を思い返しながら言葉にすると、逃れようのない事実が突きつけられた。フェイヴァの骨格を覆っている肉──それは人の命を犠牲にして造られたものなのだ。
その人はどのような状態で天使の揺籃の中に放り込まれたのだろう。死体だったらいい。邪な目的のために殺されたのではない自然死ならば、心痛はわずかばかり和らぐ。しかし真実は、決してフェイヴァに優しくないだろう。
(私は……なんていまわしい存在なんだろう)
過去を思い出すたびに、自分に対しての嫌悪感が増していく。
「いや、疑っているわけじゃないんだ。というか、知ってた。テレサさんがこちらに来たときに、総司令と一緒に詳しい話を聞いたからね」
「え? じゃあどうして私に聞く必要が……」
「第一に、テレサさんが真実を語っているかどうかの確認だよ。君の話と食い違えばそこから追及していけるしね。第二に、君だ」
「私?」
「そう。我々は君について、あまりに何も知らなさすぎる。報告書は上がってきているが、君がどのような存在なのか、やはり直に話を聞いてみなければ確かめられないからね」
「そうですね……」
心を持ち、人間と同じように思考する死天使。命令通りに行動する従来の死天使を見てきたピアースたちにとっては、フェイヴァは未知なる存在なのだ。
「でも、本当の話だったとはね。そんな醜い化物から君みたいな綺麗な女の子が生まれるなんて、私は感動で震えそうだよ」
「あの、どうしてそんなふうに褒めてくれるんですか? 私、あなたに親切なことは何もしていません」
「綺麗な子を綺麗と言って何が悪い!」
何故か怒られる。
「凄まじいね、聖王暦の技術は」
感慨深げに言うピアースに、フェイヴァも内心で同意していた。機械の身体に命を宿らせ自律させる。今の時代で機械と言われて真っ先に思い浮かぶのは、銃の機構やぜんまいを使った機械式時計くらいなものだった。
「……聖王暦とは一体どういう時代だったんですか?」
テレサには天使の揺籃について教えてもらっただけだ。それが造られた時代背景を、フェイヴァはほとんど知らない。
「私も勉強しているんだけど、詳しく知っているわけじゃないんだ。何せ当時の文献はほぼ失われてしまっているからね。ここや本部にあるのだって、後世の学者が研究してまとめたのだし。
聖王暦の人類は科学技術というものを著しく発達させ、繁栄を極めていたんだ。翼竜を使わずに大勢の人が空を飛べたり、伝書鳩がなくても遠く離れた人と連絡を取ることができたらしい。
そんな幻想のような時代は、突如として終焉を迎えた。世界各国を巻き込んだ大戦が勃発し、文明は破壊し尽くされてしまったんだ。それが現在の紀年、神世暦の始まりだよ」
正に夢のような時代だ。聖王暦の技術だからこそ、天使の揺籃のような化物を生み出せたのだろう。
「ディーティルド帝国はなんらかの方法で、聖王暦の技術を復活させたんでしょうか?」
「復活させたにしては、技術が限定的だよ。おそらく提供されたんだ。神世暦になって千年経過した今でも、聖王暦の技術を所有している組織があるんだろう。
十年前までは、ディーティルドの技術水準は他国とそれほど大差なかったんだ。それが突如、次々と兵器が製造されて……。自律起動の機械なんてのは、それこそ歴史が三千年くらい進まないと、造れないような代物なんだよ」
滅び去ったはずの聖王暦。自分は、その失われたはずの技術によって生み出された。その事実はフェイヴァの中に強い実感となって押し寄せてくる。
「私も総司令も、技術を提供した組織とテレサさんに何らかの繋がりがあると疑っているんだ。その話題に触れようとすると、はぐらかされちゃうけどね。君が何かを知っているんじゃないかって、そういう期待もしてた」
聖王暦の後期に製造された天使の揺籃について、テレサはあまりに熟知していた。フェイヴァも一度疑問に思ったことだ。
「そうなのかもしれません。お母さんは死天使について、天使の揺籃について詳しく教えてくれました。
天使の揺籃の死天使製造法には二通りあって、私はより人間に近い身体になるように設定したと」
「確定だね。その天使の揺籃っていうのは、テレサさんが破壊したんだろう? ディーティルド帝国が所有しているのも一基だけだと聞いている」
「はい、その通りです」
「兵器開発施設から君を連れ出すだけでなく、そこまでしてくれるなんて……彼女は一体何者なんだろう」
多数の兵士が巡回する施設から、裏切り者が脱出する。一人のなんの力も持たない女には不可能なことだ。しかしテレサはそれをやり遂げた。
テレサの身体能力や動体視力は、人間の範疇から外れている。フェイヴァは疑問に思いながらも、テレサと暮らしたこの一年間、彼女にそれを尋ねてみることはしなかった。
(一緒に暮らしてきたのに、私はお母さんのことを何も知らなかった。知ろうともしなかった)
頻繁に都市を移り、そこでの生活に慣れる。それだけで精一杯だった。生まれたばかりであるフェイヴァにとって、世界は未知のものだった。知らないものが、わからないものがたくさんある。そればかりに夢中になり、近くにいてくれた人と過去について話す機会を逃してしまった。
「テレサさんが仲間になってくれたのは、我々にとって幸運なことだ。彼女のおかげで、ディーティルドはひとつ、強力な兵器の製造法を失ってしまったのだから」
「ひとつ?」
まるでディーティルド帝国が死天使以外にも、人知を超えた兵器を生み出せるような言い種だ。
「あ、君はまだ見たことないのか。ディーティルド帝国は死天使だけを他国に送り込んでいるわけじゃないんだ。ディーティルド帝国が造り出しているもう一つの兵器──彼らは魔人と呼ばれてる」
「魔人……?」
「彼らは死天使と違って特殊な力を持つんだ。見た目は普通の人間なんだけど、生け捕りにしてみたことがないから情報が不足してる」
「その人たちも、天使の揺籃と同じような物から生み出されているんでしょうか?」
「その可能性は高いと思う」
ならば死天使を失ったとしても、ディーティルド帝国はさほど痛くないに違いない。代わりはいくらでもいるのだ。