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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
10章 生まれ 育み やがて響きあうもの
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28.烈火


◆◆◆


 まるで地の底から湧き上がったような、荒々しい咆哮。突如響いたその(たけ)りは、人間たちには聞き取れていないようだった。


 テレサはレイゲンに駆け寄った。太い柱の外に視線を転じる。大聖堂の外壁を取り巻いた木々の間。そこに一際強い光が見えた。


 やがて人を超越した視覚が、テレサに新たな襲撃者の存在を知らせた。それを一言で言い表すのは難しい。一見鳥のように見えるが、そうではない。炎としか形容できない巨大な翼。たくましい尾の先端にも、猛る炎が踊っている。吊り上がった血色の目に、顎が発達した顔面。今にもはち切れそうな筋肉に覆われた腕。指先には、人など易易と引き裂いてしまえそうな爪が生えている。上半身こそ辛うじて人の姿をしているが、それは人間でも魔獣でもなかった。


「あれは……一体」


 悠々と近づいてくる怪物を、テロメアから受け継いだ知識に照らし合わせる。しかし合致する情報はない。ディヴィアが暴虐の限りを尽くした聖王歴でも、あのような化物は見たことはなかった。


(──いや、我々は前にあれと似たものを目にしている)


 頭の中で声が響いた。テレサの目から世界を認識しているラスイルは、テレサよりも冷静にこの状況を判断していた。


 ラスイルの言葉を呼び水にして、テレサの脳裏に過去の情景が広がった。フェイヴァが(さら)われ、ディーティルド帝国の魔人によって暴かれた地下施設。そこで眠っていた妖魔と魔獣の合成体と、目の前の怪物は似通っているような気がする。


 けれども、ありえないことだ。


(今フェイはいない。ディーティルド帝国の者が地下施設の扉を開くことはできないはず)

(おそらくはディヴィアの仕業だろう。かつてレイシスが人に力を与えたように、妖魔は人間を変化させることができるのかもしれない)


 あの炎の化物がかつては人間だったなんて。想像するだけでおぞましい。――そう感じてしまった自分自身に、テレサは身震いした。自分がその感情を抱く資格が、果たしてあるのだろうかと。


 轟音、そして熱波。


 化物の口から放たれた猛火が、木々に直撃したのだ。遠方の樹木が一瞬にして火を吹き上げる。化物とテレサたちのいる塔の間には、背の高い森林と防壁が立ち塞がっている。上空からの敵の侵入を阻む樹木は、テレサたちを追い詰める凶器と化していく。塔と森林の距離があまりに近すぎるのだ。


 二撃三撃と火炎が放たれる。木々は成す術なく延焼いていく。灼熱が、この塔に迫ってくる。


「どうした! 何が起こっている!?」


 フォリッドが駆けてくる。人間である彼らには、化物の咆哮も火を吹く音も、正確には伝わっていないのだ。遠くの木々が燃えているのが辛うじて目にできるだけ。


「敵襲です。巨大な生物がこちらに攻撃しています。あれは魔獣ではありません。飛行しています」


 フォリッドは絶句した。兜の下、角ばった顔が青ざめる。この場の全責任を負う彼は、数少ない情報から最善手を導き出さねばならなかった。


 大聖堂内には、テレサたちが卒倒させたオリジン正教の兵士たちがいる。千人を超える彼らを連れて、翼竜を駆って逃げるのは現実的な案ではない。空には正体不明の怪物。襲われるのがおちだ。


 テレサはフォリッドの思考が目まぐるしく変化するのを、声を出さずに見守っていた。


 間近で床を踏みしめる音がした。レイゲンだ。彼はフォリッドに鋭い眼差しを向けた。


「私が敵を食い止めます」

「……任せる」


 短い会話だった。レイゲンが半妖であることこそ知らされていないが、彼の類稀なる能力は反帝国組織の上層部に周知されていた。


 今ここで(いち)速く敵の足止めができるのは、翼竜を必要とせず空を飛べるレイゲンだけだ。フォリッドは瞬時に適材適所を見極めた。


 レイゲンはフォリッドに敬礼をすると、踵を返した。


「レイゲン、無茶をしないで」


 大剣を帯びた背中に声をかける。フェイヴァのためにも、と言い終わらぬうちに。レイゲンはテレサを一瞥すると、跳躍した。見えない階段を駆け上がるがごとく空を翔る。


 飛び立ったレイゲンと入れ替わるようにして、階段を駆け上がってくる者たちがいた。ハイネ、ルカ、リヴェンと、三人の反帝国組織の兵士だった。


 テレサは眉をひそめた。リヴェンがルカに肩を貸している。ハイネたちのそばにいる兵士から情報を読み取れば、どうやらルカはグラントたちとの戦いで深手を負ってしまったらしい。


「報告します! 天使の揺籃を押さえました!」


 三人の兵士は揃って敬礼し、声を張り上げた。それを見たリヴェンが嘲るように鼻で笑う。ひとえに自分たちのおかげなのだという思いが、顔に出ている。


 フォリッドは深く頷く。


「地下に戻りガウス一佐官に伝えろ。至急防火帯を設ける!」

「はっ!」


 三人の兵士はすぐさま階段を降りていく。


 森林は大聖堂を取り囲んでいる。大規模な火災になる前に手を打たなければならない。まずは天候や風向きで炎の動きを読み、延焼するであろう場所の樹木を切り倒す。その周囲に(くわ)で帯状の溝を掘っていく。これが炎を食い止める防火帯だ。限られた土地を焼ききることで、巨大な炎の行く手を遮り燃焼を食い止めるのだ。


 フォリッドの号令のもと、整列していた兵士たちが一斉に動く。混乱や焦燥は見られない。確かな足取りで階下へ降りていく。


「一体何があったの?」


 駆けてきたハイネに、テレサはフォリッドに話したものと同じ内容を伝えた。


「先走りやがって、クソが」


 リヴェンがいつもの調子で吐き捨てた。ハイネはフォリッドに向き直る。


「わたしたちはレイゲンの援護に向かいます」

「是非もない。だが、その男は戦えるのか」


 ルカに向けられた問に彼が答える前に、テレサが割って入った。


 この塔に向かう途中で斬り結んだ相手の能力は、すべてテレサの頭の中に入っている。治癒の力である水の能力(アルト)を宿す者が倒れている場所を伝え、脅してでも力を使わせるように言った。


 ハイネは承知する。ルカを気遣いながら階下へ降りていった。エフェメラ大聖堂には、翼竜を飼育しておく塔がある。彼らが飛び立てるだけの翼竜は揃っているだろう。


 テレサは三人を見送ったあと、視線を巡らせた。フォリッドと四人の兵士が、卜ゥルーズたちを連れていこうとしていた。マーシャリアはまだ失神しているようで、屈強な体つきの兵士に背負われている。テレサはフォリッドを呼び止めた。


「彼らにも協力してもらいましょう」

「何を馬鹿なことを。自由にした途端に我らに牙を剥く可能性がある。逃亡する恐れもあるのだ。勝手なことはさせらせん」

「では、ここで死ぬのを待つと? あの化物が暴れまわれば、防火帯を設けたところで焼け石に水です。大聖堂が炎に包囲されれば逃げることもできなくなります。火災旋風が起これば、事態はもっと悪化する。人間はみな窒息して死にます。

 敵がどれほどの力を持つか、ここにいる誰一人わからないのです。可能な限り迅速に敵を討つべきです。賢明なフォリッド三騎士なら、それがおわかりのはず」


 しばらく無言の睨み合いが続いた。風の叫びに、炎の唸る音が被さって聞こえてくる。最初に火が直撃した樹木は、すでに炭化していた。生き物のようにみるみると膨れ上がりながら、炎は勢いを増していく。問答している時間さえ惜しい。


 遠くから漂ってくる煙の臭いと着実に迫ってくる熱気が、フォリッドの心を動かした。彼は険しい表情のままに、テレサに進路を譲った。


 テレサは卜ゥルーズに歩み寄った。彼は不審が色濃い眼差しをテレサに向けていた。


「カイムたちに、レイゲンたちと共闘するように命じて」

「ふざけるな! 誰が裏切り者の命令に従うか!」


 卜ゥルーズが発言する前に、カイムががなった。彼が身じろぎするたび、身体に巻きつけられた鎖が擦れ耳障りな音を鳴らす。


「そもそもお前が勝手な真似をしなけりゃ」

「カイム」


 教皇の重々しい声音に、カイムは口をつぐむ。


「これは命令だ。速やかに敵を掃討しろ」

「……っ! 従うのか、この女に!?」

「このまま手をこまねいていれば、兵士たちにも被害が出るだろう。使命の外で死ぬことは神がお許しにならない。私は神の使徒たちに無駄に命を落としてほしくはない」


 この男はこういう人間だ。己の先祖――セントギルダの定めた規律を尊守し、組織が課した使命を何よりも重んずる。その使命を果たし命を落とすことこそが、尊い行為だと信じている。


 死に意義などあろうはずがない。どんな大志を抱いていても、平穏な人生を過ごした後だとしても、死は等価値だ。失えば取り返しがつかない。だからこそ、神が与えた使命などという大層な理由を楯に取り、他者に犠牲を強いることは許されない。


 などと卜ゥルーズに語れば、また時間を浪費するだけだ。テレサは彼の言葉に口を挟まなかった。


 カイムは忌々しげに舌打ちする。


「……確かに、あいつらがこのまま死ぬようなことがあれば寝覚めが悪い。おい、早くこの鎖を外せ」

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