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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
10章 生まれ 育み やがて響きあうもの
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27.飛翔

 霧が晴れるような感覚とともに、レイゲンは現実へと帰ってきた。


 眼前には今まさにレイゲンを斬り裂かんとする刃が迫っていた。光の盾が現れ出でて、刃先とぶつかりあう。そばに立っていたテレサがとっに構築したのだ。一撃を防がれたカイムはレイゲンと距離を取った。苦々しげな表情で舌打ちする。


「まさか、戻ってこれるはずが」


 レイゲンの復帰を予測していなかったのか、マーシャリアは声に驚愕を滲ませた。


 夢を見ていたような気がする。すべては幻想のはずなのに、母につけられた傷は確かに身体に刻まれていた。傷口から響いていた鈍い痛みが、少しずつ癒えていく。


「よかった。意識を取り戻したのね」

「一体何が起こったんだ」


 安堵の表情を見せるテレサに問う。彼女は前のめりの姿勢で、呼吸もじゃっかん荒かった。


「マーシャリアは他者の精神を掌握し、その者が最も封じておきたい記憶を呼び覚ますのよ。悪夢に囚われた者は現実に対して一切干渉することができなくなる。何もできずに殺されるの。……本来ならば」


 記憶が現実となったわけではない。意識が夢の中にある間に一方的に攻撃を受けていたということか。現実で受ける苦痛を、脳が悪夢として再現していたのだ。


「やはり私の能力を阻害したのね」


 深い青の瞳が鋭く細められる。確信を持って発されたマーシャリアの言葉に、テレサはかすかに微笑んだ。


「レイゲンの幸福だった記憶を、少し揺り動かしてあげただけよ。戻ってこられたのは彼自身の強さだわ」


 レイゲンの傷が致命傷に至っていないのは、おそらくテレサが守ってくれていたからだろう。彼女は剣を床に突き立て立ち上がろうとするが、小さく呻いて片膝をついた。引き裂かれた軍服は赤く染まっている。


「手間をかけたな。そこで休んでいろ」


 テレサの前に出て、レイゲンはほの赤く光る刃を顔の横で構えた。カイムとマーシャリアを見据える。


「どうせお前は何も知らされてないんだろ? テレサにいいように使われてるだけだ」


 カイムのドスの利いた声。背後で佇むテレサが、かすかに震えるのがわかった。男は蛇を思わせる顔を険しくし、眉間に深くしわを刻む。


「そいつの中に眠ってるのは、ディヴィアの対抗手段に必要不可欠だ。完全な形に戻さなきゃならねぇ。そうでなけりゃ人類はディヴィアに負ける。自分が何をしようとしてんのか、よく考えるんだな」


 テレサが言っていた通りだ。この男たちはフェイヴァを生前の人格に戻すつもりだ。そうでなければディヴィアに勝つことはできないと、盲目的に信じている。それ以外の選択肢を考えようともしない。


「そうよ。妖魔の力を持っていても、あなたは人間なのだから。……何もそんな、不完全な存在に依存しなくてもいいでしょう。きっと人間の、素晴らしい女性が見つかるわ。あなたの今のご両親もそれを望んでいる」


 人の心に土足で踏み込み、レイゲンの過去や想いをあばく。そしてそれを、まるで深く会話した上で知ったように口にする。このマーシャリアという女は、器人の中で最も悪質な盗人だ。不愉快極まりない。


「テレサの中にいるそれは、神に捧げられるべきもの。生きていてはいけないのよ!」


 テレサが怒りのままに飛び出そうとする。レイゲンはそれを、腕を振り上げ制した。


「ふざけるな」


 カイムの言うように、レイゲンは記憶を奪われる前のフェイヴァを知らない。何故過去を喪失することになったのか、彼らとはどういう関係なのか、何一つわからないのだ。けれども、重要なことは頭の芯で理解していた。


 この男たちは、ディヴィアを倒すためにフェイヴァを犠牲にしようとしている。


 二年にも満たない生。その限られた時間を、傷つきながらも手放すことなく生きた少女。なんの罪もないはずの彼女に役割を押しつけて、選択肢を奪おうとする。


 こんなふざけた話があるか。


「あいつは――フェイヴァは俺たちと変わらない、ひとりの人間だ。誰にもその人生を否定する権利はない!」


 張り詰めた空気が、光の瞬きによって消散する。カイムの手から放たれた雷撃は視界を黄緑に染めながら、一直線にレイゲンに向かってくる。


 床を蹴り跳躍。レイゲンの身体は天井すれすれにまで上昇し、稲妻は足下を駆け抜けていった。壁を足場にし急降下。攻勢に出る。


 目に見えぬ力が形になり、レイゲンの周囲で漆黒の剣が形成される。それはカイムとマーシャリアめがけひとりでに飛んだ。次々と打ち出される剣は電撃でも相殺できない。二人が飛来する剣を躱している隙に、マーシャリアの頭上から強襲する。


 レイゲンの意識の断片を読み取ったのか、彼女はすぐさま反応した。ほのかに赤い穂先がレイゲンの頭部を狙い、突き上げられる。敵意と殺意に彩られていた女の顔は、驚愕の眼差しに変化した。鋭く旋回した大剣が、マーシャリアの槍を叩き折ったのだ。そのまま柄頭で殴りつけて意識を奪う。


 彼女が倒れるのと、カイムが後ろから襲いかかってくるのはほぼ同時だった。稲妻が駆け視界を白く染める。半歩横に動き回避する。


 相手はレイゲンが避けることを見越していたようだ。距離を詰めざま、稲妻をまとった刀身が振り上げられる。上段から肩めがけての振り下ろし。レイゲンが切っ先の到達地点を意識するだけで、漆黒の盾が構築され刃と噛み合った。カイムは吠え、一撃二撃と刃を打ち込んでくる。【風】の能力により剣は辛うじて目で追えるほどの速度で繰られる。しかしレイゲンの盾は攻撃を受けて霧散しても、瞬く間に再構築され、カイムの一撃一撃を確実に受け止めた。刃と盾が接触した瞬間に、稲妻が一際眩しく光る。


「力を制御できるようになりやがったか」

「ああ。そこで気を失っている女のおかげだな」


 身の内から漏れだす力は、レイゲンの傷を癒し身体と心を堅牢にする。かつて拒絶し封印さえした半妖の力。それは今や、レイゲンにとっては背負わなければならない(ごう)だった。母の命を奪った忌むべきものとして目を逸らすのではなく、自分の一部として受け入れ、乗り越えるべきもの。


 大剣を逆手に握り構えると、蝋燭の明かりを刀身が照り返す。レイゲンの中で燃え立つ炎は、刃に浮かんだ光と同じように力強く輝いていた。


 カムイの顔に焦燥が覗く。彼の周囲に黄緑の冷光が散って、次なる能力を行使したのがわかった。レイゲンの身体は重しをくくりつけられたかのように、鈍重になる。


 カイムは床を蹴った。研ぎ澄まされた第六感が色濃い気配を察知する。音を置き去りにする速度で、カイムがレイゲンの背後に回り込んだのだ。剣が黄緑の軌跡となって視界の隅を走る。


 心臓が一際強く脈動した。強烈な生存本能か、救いだすと決めた少女への想いか、それとも自分の身の内に深く根を張った忌まわしい力のおかげか。レイゲンの身体は目に見えぬ枷から解放される。


 レイゲンが後ろ手に突き出した大剣の柄尻。鋭利な突起がカイムの右腕を打ち、刃の軌道が逸れる。


「馬鹿な……反応できるはずが」


 一閃。


 振り抜かれ、カイムの肩を斬り払った剣は、旋風を発生させ鮮血を撒き散らせた。彼は吹き飛び、床に叩きつけられた。


 大剣の鍔から伸びていたのは、漆黒の刀身だった。ぼんやりと発光しているそれは、片手半剣の三倍ほどの長さを誇っていた。


 半妖の力を刀身にまとわせて創った、漆黒の大剣。圧倒的な長さを誇りながら、それは重さを感じさせない。


「がっ……! くそっ」


 カイムはもがいていたが、肩の傷が深く立ち上がることができないらしい。奇妙な力の使い方をしていたが、治癒能力は魔人と同程度のようだ。傷が急速に塞がっていく様子はない。


 レイゲンの大剣にまとっていた漆黒の光はほどけていき、やがて消失した。


「……殺せ!」


 ようやく半身を起こしたカイムは、歯をむき出しにして叫んだ。右肩に深く刻まれた切創から、赤い液体が流れて床に血溜まりをつくっていく。


「そうはいかない。お前たちには反帝国組織の手駒になってもらう」

「俺たちが従うのは教皇だ!」

「決めるのは勝者だ」


 ぎりと、カイムが苦々しげに歯軋りをした。


 テレサがレイゲンの横を通りすぎ、カイムに近づいた。膝をついてしっかりと視線を定める。


「……フェイヴァはもう、自分の人生を歩み始めているの。今さらなかったことになんてできないわ。

ディヴィアは殺さなければならない。あなたたちにも力を貸してほしい」


 普段の、どこか笑みを含んだ優しげな声音とは違う。厳然とした響きを伴った、決意に満ちた声。


 テレサの言葉をどう受け止めたのか。カイムは無言で彼女を()めあげていた。


 騒々しい靴音が階下から近づいてくる。門を潜って駆けつけてきたのは、フォリッド三騎士率いる反帝国組織の兵士たちだ。彼らは隊ごとに分散して、エフィメラ大聖堂の上空で待機していたのだ。二名の兵ととも飛び立ったトゥルーズを捕らえるのは、難しくなかっただろう。


 兵士たちに続いて、両手を縛られ銃を突きつけられたトゥルーズが現れた。さきほどまでの射るような眼差しではなく、顔は諦観に陰っていた。


 守るべき者が敵の手に落ちたとわかり、カイムは悲痛な表情を浮かべ、肩を落とす。


「魔人の制圧は完了しました」


 レイゲンはフォリッドに敬礼をする。彼は神妙な顔で頷くと、後ろにいた兵士たちに命じた。兵士が二人ずつカイムとマーシャリアに近づき、身体に鎖をかけていく。人間であるトゥルーズ・セントギルダと違い二人は人ならざる者だ。何重にもきつく鎖を巻き手足を封じる必要がある。そうして目隠しで視界を閉ざす。これで不意打ちを受けることはないだろう。


 レイゲンはカイムが抵抗すればすぐにでも無力化するつもりだったが、彼は鎖や目隠しを黙って受け入れた。


「ハイネたちが心配だわ。地下に向かいましょう」


 テレサは腰の鞘に剣を収めると、出入口へと駆け出した。レイゲンはフォリッドにカイムたちを任せると、彼女の後を追う。――その時だった。


 大地を揺るがすような咆哮が、辺りに響き渡った。


 レイゲンは太い柱の外に視線を投げた。塔の外には、大聖堂を取り囲むようにして森林が広がっている。葉を擦り合わせる木々の間から見える色。


「なんだあれは……!?」


 レイゲンは衝撃に目を見開いた。人間を超えた半妖の視界が、レイゲンの脳に伝える。――炎の翼を羽ばたかせる、異形の化物の姿を。




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