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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
10章 生まれ 育み やがて響きあうもの
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22.追憶

 ほどなくして喧騒が近づいてきた。階段を駆け下りてきたのは、反帝国組織の兵士たちであった。彼らは魔人や敵兵の捕縛を命じられている。軍を指揮するのはフォリッド三騎士であり、彼自身は三十ほどの兵を率いて上空に待機していた。トゥルーズ教皇が翼竜で逃亡する可能性を予期してのものだった。


 銃を構えたまま踏み込んできた彼らは、昏倒した二人の魔人を目にすると銃口を下げた。隊列を組んだ兵士の中から、他の兵とは意匠の違う鎧に身を包んだ男が歩み出る。ガウス一佐官。軍の階級でいうと上から三番目に位置し、通常なら連隊長を務める。


「魔人は無力化しました」

「ご苦労だった。こちらも兵士の捕縛は完了した」


 本気でそう思っているかはわからないが労をねぎらわれたので、一応ハイネは敬礼だけはしておいた。ルカは立ち上がることもままならなかったが、リヴェンは聞こえていないふりをしていた。


 鉄片が貼り合わされた兜の下、短い金髪に太い眉を持つこの男は、凹凸がはっきりした顔立ちが特徴的だった。一見すれば、融通がきかないような頑固な人間に思えるが、印象と中身は一致しなかった。彼は兵器であるハイネたちを贔屓したり、差別したりはしなかった。奇異なものを見るような眼差しさえその顔を掠めることはなく、ハイネたちを他の兵士同様に扱った。尤も、心の中ではどう思っているかは知らないが。


 ガウスは後ろの兵士に魔人の拘束を命じた。人間の男ではどうやっても引き千切られなさそうな鎖を、腕の上から何重にも巻きつける。腕の動きを完全に封じて目隠しをした。目を覆うのは、力を発現させる位置を視野で捉える必要があるからだ。視界さえ隠してしまえば力を使われることはない。


「天使の揺籃は押さえたか」

「いえ、まだです。あの扉の先に――」


 ハイネは部屋の奥、突き当りに位置する扉を見やった。石造りの扉は、どっしりと構えて沈黙を守っている。天使の揺籃が安置された部屋に敵はいないだろう。いれば、オレットたちとともに襲いかかってこない理由がない。


 ガウスは三人の兵士とともに扉に向かった。ハイネは彼らの後ろ姿に視線を投げたあと、ルカとリヴェンに向き直った。


「わたしも行ってくる。あんたはルカのそばにいて」


 返事もきかずに小走りに急いだ。三人の兵士によって、重量のある扉が押し開かれる。中に踏み込んだ兵士たちのどよめきが、ハイネの聴覚に届いた。


「これは……なんとおぞましい」


 壁に取りつけられた燭台の火が、(いと)わしい巨躯を照らし出した。


 天井に頭部を擦りつけるほどの全高は、大人の男を三人、縦に並べたのと同程度の高さだった。蛙を思わせる顔面に、血色の瞳。口から覗く太い牙。胴体から下を切り落とし、そのまま床に据えたような姿。腕はたくましく爪は鋭く、腹以外の部分は鎧を思わせる硬質な物質に覆われていた。


 腕に抱かれた腹部。それは完全な球体だった。透き通ったガラスのような材質で、内部には青い液体が満ちている。澄んだ水のように不純物が見えず、陽光に照らされた海面のように光り輝いている。


 ハイネの身体は、この中で造られた。


 苦いものが喉の奥から迫り上がってくる。


 忘れたくても、忘れられない記憶。


 ディーティルド帝国に連れて行かれて間もなく、狭い部屋の中に閉じ込められた。室内には、見知らぬ少年と兵士が数人。白衣を着た学者らしき男たちもいたが、人数は覚えていない。


 怖い顔をした大人たちの中に、ぽつんと一人だけでいた少年。外見年齢は十歳前後だったろうか。あの時点では知るよしもなかったが、彼が器人だったのだ。少年はまるでハイネの運命を知っているかのように、悲痛な表情をしていたのだから。彼とはついぞ言葉を交わす機会はなかった。その名前も簡単な経歴も、数年経ったあとに資料から得たものだ。


 唐突に兵士から襲いかかられ、腹部に熱さと今まで感じたことがない激痛が生まれた。意識が朦朧とし途切れ――目覚めたときには、場所が変わっていた。気味の悪い化物が見下ろす、苔むした臭いのする部屋の中に。


 視野の端に映る髪の毛が、見慣れた黒ではなかった。貧相だった身体も、少女から女性に移り変わる中間地点のような、曲線を帯びた肢体に変化していた。


 何もかもが違う。自分が見ている、この身体の持ち主は誰。


 驚愕と恐怖が最高潮に達し、発した悲鳴さえ――聞き慣れた自分の声音ではなかった。


 自分が人間ではなく、金属の骨格で組み立てられた機械だという事実は、しばらくの間飲み込むことができなかった。しかし性能の検査として、魔獣の群れに放り込まれたそのとき、自分の異常性を痛感せざるを得なかった。


 痛い思いをしたくない一心で振り下ろした刃が、いとも簡単に熊の化物の首を斬り落としたのだ。


 戦ったことなどない。ましてや、武器を持って敵を殺すだなんて想像したこともなかった。なのに、身体の動かし方がわかる。どのように立ち回り、どんな角度で斬りつければ相手に致命傷を与えられるか。教わらなくても、それはハイネの中に自然と組み込まれていたのだ。


 自分という人間の中に、命をなんとも思わない機械の性質が忍び込んできた。それはじわじわと心を蝕み、自分を人から隔たったものに変えようとしている気がする。


 死天使になって間もない頃は、何もかもが恐ろしかった。人間だった頃と似ても似つかない容姿になってしまったこの身体が。戦いとなると、恐怖も動揺も封じ込めて冷静に立ち回る自分が。背から立ち上がり羽ばたく、金属の翼が。


(……そんなときもあったね)


 今となっては、新たに付加された機械の性質も、自分の一部だという気がしている。恐怖も嫌悪も、倒すべき敵に集中していれば忘れることができた。自分がひとつ強くなるたびに、恐ろしさは薄れ、わずかな自信が積み重なった。――そう。恐怖に支配されたままでは、大切なものを守ることはできないのだ。


 このように考えを改められたのも、ルカがいてくれたおかげだろう。ディーティルドで死天使にされて一年後、彼と偶然にも再会した。彼は、生前とは容姿が異なるハイネを受け入れ、生きていた頃と同じように寄り添ってくれた。ルカの言葉が、自らの命さえ絶とうとしたハイネを、この世界に繋ぎ止めてくれたのだ。


 それにハイネには過去の記憶があった。自分が自分であるという意識があったのだ。変わってしまったのは身体だけ。心は、目まぐるしく変化する環境に翻弄されてはいたが、本質的には変わっていない。それをルカの存在によって、ハイネは信じることができた。


 だから、フェイヴァを見て会話を重ねるうちに驚いた。彼女は自分が人間だった頃の記憶をなくしており、自尊心が著しく低かった。周りに(おもね)るふうな態度をとり、媚びた笑みを見せる。そんなフェイヴァが気に入らなかった。――それと同時に、哀れな気もした。


『フェイの意識は、記憶を喪失してから――死天使の身体に宿ってから芽生えたものだからよ』


 テレサの言葉が頭に浮かんだ。


 フェイヴァは人間の頃の記憶を失っているのではない。そんなもの、もとから存在しなかったのだ。


(あいつはこれから、一体どうしていくんだろう……)


 フェイヴァが身体を得て戻ってきたとして、彼女は自分というものをどのように受け入れていくのだろうか。テレサがフェイヴァから生前の記憶を奪った理由はわからないが、フェイヴァが望めばそれを取り戻すことができると言っていた。生きていた頃の人格に戻ることができると。


 しかし、フェイヴァという意識は、死天使の身体に宿ってから生まれたものだ。記憶を取り戻したとして、それはフェイヴァ自身のものではなく、別の人間の記憶でしかない。


 テレサ自身も、フェイヴァが生前の人格に戻ることを望んでいないようだった。当然だろう。そうなれば、今のフェイヴァという意識は消えてなくなってしまうのだ。――だから、話として聞かせる以上のことは、したくないようだった。


(きっとそのほうがいい)


 テレサに対して言いたいことはたくさんあったが、彼女の意見にハイネも心の中では賛同していた。話す以上のことはするべきでないし、もとの人格に戻りたいなんて言い出したら、殴ってでも止めるつもりだった。


 自分の記憶ではない。見知らぬ人物のものだ。知れば罪悪感に駆られるかもしれない。生前の人格に対して、引け目を感じてしまうかもしれない。


 けれど。


 想起したのは、訓練校にいた頃嫌というほど見た、フェイヴァの笑顔だった。全力で好意を訴える表情の中に、壊れそうな弱さが潜んでいる。


 フェイヴァは人間にもなりきれなければ、死天使にもなれないのだった。胸を張って自分を主張することができず、中間の位置でさまよっている。


 ハイネには記憶がある。自分が人間であるという揺るぎない自信が。でも、フェイヴァは。


(自分の中身がわからないのって……どんな気分なんだろう)


 出会って初めの頃は、はっきり言ってフェイヴァのことが嫌いだった。その感情は、八つ当たりに近いものではなかったか。


 心の底では、羨ましかったのかもしれない。自分の不幸を嘆くこともせず、ふてくされず、他者に自分から歩み寄っていく彼女が。けれども、彼女はそういった負の面を他人に見せなかっただけで、内面ではハイネと同じように葛藤していたのだ。


 天使の揺籃の、緋色の目玉を見やる。


 この奇妙で醜悪な化物によって紡がれた、ハイネとフェイヴァの縁。


 今このとき、ハイネはフェイヴァをとても身近に感じていた。


 天使の揺籃、という名称が皮肉としか思えないほど、二人の身体を造りだした化物は醜い。ディーティルドにいた揺籃は深い緑色の表皮だったが、目の前のこいつは全体的に青みがかっている。よくよく見れば、顔つきも少し異なっているようだ。こいつらにも個体差というものがあるのだろうか。


 そもそもこいつらは一体なんなのか。機械に近いのか生物に近いのか、ハイネには検討もつかなかった。聖王暦の遺物だ。きっとハイネには想像もできないような、神の奇跡じみた技術が詰め込まれているに違いない。


 揺籃はハイネたちに反応することなく、ゆっくりと瞬いていた。


 間近で足音がして、ハイネはびくりと肩を震わせた。リヴェンに肩を貸されたルカが、隣にやってきたのだ。


 さきほど耳に飛び込んできた兵士の言葉が、ハイネの胸を悪くする。ルカはこの化物を見て、どう思っただろうか。声を聞きたくなかった。


「ルカ……」


 ルカとリヴェンは、しばし無言で視線を上に向け続けていた。魔人と死天使は造られる施設が違う。彼らは天使の揺籃を見たことがないはずだ。そして今、その異様さに打ちのめされている。


「……バカでけぇ」

「でもちょっとかっこよくないか?」

「あ?」

「この鎧っぽい身体とかいいよな。牙生えてて強そうだしな。少なくとも、俺たちを作り替えたグロい化物よりは、見てて穏やかな気持ちになれるだろ」

「テメェ頭イカれてんのか」


 ハイネはルカの横顔を呆然と見つめた。視線に気づいたらしい。彼はハイネを振り向くと、瞳を瞬かせた。


「ん? どしたハイネ」

「ううん。なんでもない。……ルカ、ありがとう」


 滲んだ涙をこぼすまいと堪えながら、ハイネは微笑んだ。




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