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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
1章 機械と人 隔絶した心
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05.来訪者

 太陽の光がない部屋の中で過ごしていると、どれだけ時間が経過しているのかわからなくなる。


 することもなく、話す人もなく、フェイヴァは床の上に横になっていた。見張りの兵士は扉の外に配置されているようで、部屋の中に響くのは自分の小さな吐息だけ。


 やがて極度の緊張が気疲れを引き起こし、フェイヴァの瞼は徐々に重くなっていく。人と同じように精神が疲弊することを、今は母に感謝したい気分だった。


***


 それから、覚めては寝てを延々と繰り返した。フェイヴァは冷たい暗闇の中に放置され続けた。食事は与えられなかったが、身体が少々怠いくらいですんでいる。


 フェイヴァは食物を取ることで動力に変換するとテレサは言っていたが、そこは機械人間。人間よりもずっと消耗速度が遅いらしい。


 勉強を教えてくれるという話だったが、一向にそんな気配はない。今はまだ、フェイヴァの反応を見ているのだろう。


 ある日、扉が重々しく開かれた。通路の光に照らされて部屋にやってきた訪問者は、フェイヴァの想像とは違ういでたちをしていた。


 黄金色の髪を顔の横で三つ編みにした、二十歳前後の人物だ。黄緑のつなぎ服を着ており、その上から白衣を羽織っている。中性的な容貌に、身体の線を隠す服装。──男かと思ったが、違うらしい。胸の膨らみがある。


 白衣の人物は兵士に続いて部屋の中に足を踏み入れ、フェイヴァに目を止めた。瞳が細められる。均整の取れた目鼻立ちをしている顔が、心痛を感じたかのように少し歪んだ。


 フェイヴァは柱を支えにして、上半身を起き上がらせた。


 兵士が握る燭台が目に映る。立てられた蝋燭が火を揺らがせていた。久しぶりに光を見たような気がして、その温かさと明るさに深い吐息がもれる。


「今からピアース主任が質問される。隠しだてせず答えろ」


 揺らぐ火に意識を向けていたフェイヴァは、突如かけられた厳しい声に怯えた。


 ピアースというらしいその女は、板に留めた紙の上に硬筆を構えていた。羽の軸を削り、先端に洋墨をつけて使う筆記具だ。口を開こうとして何かを思いついたのか、後ろの兵士を振り返る。顔の横の三つ編みが翻る。


「悪いが、少し頼まれてくれないか。……ここには聖王暦に関する書物があったな。紙に題名を書くから、探してくれ」

「今から、ですか? 取り調べがすんでからではいけませんか?」


 兵士はフェイヴァに視線を投げる。板に固定している紙に素早く書き記すと、ピアースは兵士に押しつけた。


「私が今と言ったら今だ。行ってくれ」


 大量の本の題名が記されているのだろう。紙面に顔を向けた兵士の表情が暗くなる。


「……わかりました。では──おい、お前! しっかり見張っていろ」


 石の扉を開閉するために同行させていたのだろう。入口付近で直立不動の姿勢を取っていた兵士に、彼は声をかけた。命令された兵士は胸を張り、威勢よく返事をする。


「見張りは必要ない。君たちふたり一緒に行ってくれ。テレサを除けば、私は組織の中で最も死天使を熟知している。この私が言うのだから問題はない」


 手で払う仕草をし、出て行けと示すピアース。戸惑うばかりの兵士はその場から動こうとしない。入口に張りついている兵士もまた同様だった。


「し、しかし……」

「くどい。君は、同じことを何度も言わなければ理解できない無能なのか? 二時間後に兵をここに寄越してくれればいい」

「……はっ。申し訳ありません」


 彼はピアースに敬礼をすると、入口の兵士を伴って部屋から出て行った。扉がゆっくりと、地響きのごとき音を響かせながら閉じた。


 ピアースは燭台を持つと、鉄格子の前に置いた。屈みこみ、身体を前に伸ばしてフェイヴァを見つめる。が、淡い光は鉄格子の中までは届いていない。彼女のしかめられた顔が、火に照らされる。ピアースは立ち上がると、周辺を見下ろして舌打ちした。


「鍵持って行ったんだっけ、あいつ。これだから男は気が利かないな」


(なんだろう、この人……)


 自ら望んで死天使と二人きりになるなんて。フェイヴァは強い困惑を感じながら、ピアースの顔を見つめ返した。


「初めまして。私はピアース・デュナミスという者だ」


 フェイヴァの視線に気づいたピアースは、床に腰を落とした。苛立ちを感じさせる表情をしていた顔が、柔らかく微笑んだ。


 デュナミス。どこかで聞いたことがある姓だった。


 ダエーワにやって来て初めてかけられた穏やかな声色に、フェイヴァは瞳を瞬かせる。


「こんなところに閉じ込めて申し訳ない。司令は気難しい性格でね。常識を通してしか物事を判断しないんだ」


 友達に話しかけるような気安い口調。フェイヴァはそれが自分に向けられた言葉だと、すぐには理解できなかった。


「……どうして」

「私はテレサさんと一緒に仕事をしているんだ。彼女は私のことを気に入ってくれてね。私になら、死天使の小片の書き換えや、修理技術を教えてもいいと言ってくれたんだよ」


 だから、死天使に詳しいふうなことを言っていたのだ。


「私は自他ともに認める変人でね。人間よりも、君のような存在に共感を覚える。ダエーワの統括者を私にしてもらおうと司令を説得したんだけど、力及ばなかった」


 ピアースは言葉を切ると、姿勢を正した。


「フェイヴァ、ここからじゃ君がよく見えないんだ。悪いけどこちらに近づいてきてもらえないかな」

「……はい」


 誰かに名前を呼んでもらえたのも、随分久しぶりに感じた。この人は信用できるかもしれない。フェイヴァは小さな灯火のような希望を抱いた。


 柱にすがって立ち上がると、鎖が伸びきるぎりぎりまで鉄格子に近づいた。結局真ん中あたりまでしか進むことができなかったが、蝋燭の光はかすかにフェイヴァの身体に届いた。


 フェイヴァの全身を捉えたピアースは、あんぐりと口を開けた。唐突に崩れた表情になるものだから、フェイヴァは疑問を覚え、自身の肢体を見下ろした。どこか変なところがあるだろうか。


「……ああ、ごめん。ありがとう、座って。特別な死天使っていう話を聞いていたから、てっきりでかくてごつい奴を想像してたんだ。牙とか凄くて角とか生えてんの。まぁ、これは冗談なんだけど。想像していたより普通の女の子で……びっくりしたよ」


(でかくてごつい……)


 フェイヴァはピアースの想像通りの自分を思い浮かべてみた。少女とは思えない筋骨隆々の体つきに、たくましい顎を持つ顔。もしも自分がそんな身体だったら、雄叫びを上げながら鉄格子を引き抜いて兵士に投げつけていたかもしれない。


「何かされたわけじゃないみたいだね。安心したよ」


 何もされなさすぎて、逆に恐ろしいのだ。


「テレサさんも君のことをとても案じているよ」

「……お母さん」


 涙がこぼれた。瞼の裏に浮かぶ母の表情は、胸が辛くなるほど優しい。


「お母さんは元気にしていますか?」

「ああ、元気だよ。心配はいらない」

「……よかった」


 自分が恐ろしい状況に置かれているから、テレサも似たような立場に追い込まれているのではないかと、漠然とした不安があった。けれど、それは杞憂きゆうだったのだ。母には他の人にはない知識がある。虐げられる理由がない。


 ふと、自分が鉄格子の中に閉じこめられ、人のような生活が許されなくなることを、テレサは知っていたのだろうかと思う。その想像は、フェイヴァの精神を更に追い込むものだった。しかし。


(お母さんはそんな人じゃない)


 自信を持って断言することができる。テレサがもしも承知していたとして──フェイヴァにそれだけの感情しか抱いていなかったとしたら。命を懸けて救いだそうとするはずがない。一緒に暮らしたはずがない。


 反帝国組織は、テレサが心を読むことを理解している。きっと彼女は何らかの方法で知らされなかったに違いないのだ。


「それを聞いて安心しました。……風子の月三日から、何日経ちました?」

「……君がここに入れられて、二日が経過したよ」


 たったの二日。思ったよりもずっと短い。もっと長くこの中に捕われているような気がするのに。ただ横たわって思考を放棄していると、一秒一分が引き伸ばされて感じられるのだ。


(……大丈夫。私は頑張れる)


 フェイヴァは自分にそう言い聞かせる。身体に重大な変調はない。ただほんの少しだけ、怠さを感じるだけ。これくらいで音を上げてはテレサを心配させてしまう。


「私は問題ありません。何か聞かれたいことがあるんですよね? 早くしないと、さっきの人たちが本を見つけて戻ってくるかもしれません」

「焦らなくて大丈夫だよ。題名はほとんどでたらめなんだ。あいつらはありもしない本を延々と探し続けることになる」


 思い出したように笑うピアースに、フェイヴァも微笑もうとしたが、口の端がわずかに上がっただけだった。




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