18.根底にあるもの
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石造りの扉をルカが開いた。瞬間、出入口に待機していた兵士たちが発砲する。耳をつんざく音とともに、銃弾が雨のように殺到する。
弾速は魔人にとっては目で追える速さだ。しかも直線的な軌道を描く。目視してから回避することは、十分に可能だった。ルカが軽くステップを踏むと、弾は彼の肩や腹のそばを突き抜けて、ほどなく壁に突き当たる音がした。
ルカの横と後ろにいたリヴェンとハイネは、ルカが動いたと同時にその場から跳んだ。三人同時に兵士に肉薄する。
ハイネは兵士の銃口を払うと、強く踏み込んで掌底を顎に叩き込んだ。兵士は顎から引っ張られるような形で宙を舞い、尻から床に叩きつけられる。
ハイネが兵士の意識を奪っている間に、ルカとハイネも障害を排除していた。昏倒した外套姿の兵士が足下に転がっている。
兵士の殺害は可能な限り回避せよという命令が下されている。何しろ、オリジン正教の成り立ちや目的は謎に包まれている。幹部だけでなく末端も捕縛して、情報を精査し敵の全体像を解明しなければならない。
その命令にハイネたちも異論はなかった。実力が拮抗した相手を殺さず昏倒させるのは難しい。しかし人間相手ならば、傷を負うことなく意識を奪うことができた。それに、単純で切実な思いもある。できれば人は殺したくないのだ。
足下には螺旋階段が続いている。地下へと誘うそれは、死天使の視力をもってしても果てが見えない。
喧騒が押し寄せてくる。兵士が次々と螺旋階段を登ってくるのだ。目測で三十人はいる。その更に後方からも無数の兵士が続く。
「切りがないな」
ルカのぼやきを、リヴェンは鼻で笑った。
「もうばててんのか? だらしねぇな」
間近に迫った弾丸を顔を俯かせて躱し、リヴェンは走り出す。兵士の集団の中に突っ込み暴れ回るさまは、まるで興奮した暴れ牛だ。【風の能力】を発現させたリヴェンは、恐るべき勢いで地下へと駆け下りていく。残されたのは、大剣で殴打され、あるいは蹴られ、階段の上で伸びた兵士だけだった。
ルカはやれやれと言うように肩を竦めると、リヴェンを追った。足の踏み場もなく倒れている兵士を、少し踏みつけてしまう。
確かにルカの言うとおりきりがない。一々相手にしていたのでは日が暮れてしまうし、何よりルカを消耗させたくなかった。
「わたし、先に行くね」
「あっ! ちょっと待てって!」
ルカを追い抜いて、ハイネは彼の隣から飛び降りた。背中から立ち上がった灰色の翼が大きく羽ばたいて、身体をぐんと前に押し出す。
階段の途中で兵士の集団と交戦しているリヴェンまでも追い抜いて、ハイネは更に下の階にいた兵士たちに襲いかかった。先頭にいた兵士が、紫の外套をはためかせて銃を撃つ。ほぼ同時に翼を翻すと、頬の横を撃ち出された弾丸が通り過ぎていった。
急接近とともに刃を振るう。銀の一太刀は兵士の手首を打ち、銃が放物線を描いて消えていく。
返す刃で首を狙う。大剣を、小刀を扱うのと変わらぬ速度で操り、兵士の意識を奪う。
眼前の三人が倒れたそのとき、炎と雷撃が空を切り裂いて迫ってきた。
――覚醒者か。一瞬の思考。翼を強く振るい、ハイネは上空に逃れる。足下を駆け抜けていった熱が、壁に突き当たり炸裂する。
次弾を放とうと身構える、二人の仮面の男。精神集中の時間を稼ごうというのだろう。一人の兵士が彼らの前に出て、銃を構えた。
引き金が指にかかるより先に、ハイネが動く。急速に肉薄し、真横に走らせた刃が銃を叩き斬る。そのまま刃を振り切った勢いで体を入れ換えると、左肩から兵士に体当たりする。短い悲鳴が木霊する。壁にぶち当ててやると、気を失ったのか兵士の身体から力が抜けた。
視界の隅で、赤と黄緑の冷光を捉える。ハイネに向けられた掌から、今まさに灼熱と雷が放たれる――。
「おらよっ!」
上段から駆け降りてきたリヴェンが、跳び蹴りを放った。敏捷性を底上げし、なおかつ体重を乗せた一撃は凄まじく、彼らはほとんど吹き飛ぶような形で螺旋階段から投げ出される。ハイネは反射的に動いた。このままでは地下に叩きつけられてしまう。
「ちょっと! もっとまわり見て!」
ハイネは彼らを受け止めて、階段の上に押し上げなければならなかった。二人の兵士を足下に転がして、ほっと息を吐く。
身近に敵の気配はない。全員気を失っているようだ。階下から靴音は聞こえてくるが、音の大きさからかなり距離が開いているのがわかる。
「あんたねぇ、もう少し気を遣いなよ。落ちたらどうするの!?」
一人でも問題なく対処できたというのに。少し腹が立つ。しかも余計な手間をかけさせられた。
リヴェンは悪びれる様子もなく、眉間にしわを寄せる。
「うるせぇ。助けてやったのに礼もねぇのかよ」
「余計なお世話。これくらいわたし一人でなんとかなる」
「可愛くねぇ女だなぁ。ちっとは愛想よくしろや」
図星を指されて苛立ちが募った。
「は? なんであんたのご機嫌を伺わなきゃいけないの? そういう台詞は、もっと背を伸ばして大人になってから言いなよ」
「なんだとテメェ!?」
ハイネとリヴェンの間を、何かが突き抜けていった。それは敵が使っていた銃で、旋回しながら兵士の頭にぶつかった。今まさに引き金を引こうとしていた男は、仰向けに倒れる。
ハイネとリヴェンが目を離している隙に、兵士が一人意識を取り戻していたらしい。遅れて駆けつけたルカが銃を投げてくれなければ、撃たれていたかもしれない。
投擲した姿勢のまま固まっていたルカは、長く長く吐息を落とした。心の底から呆れているのが伝わってくる。
「お前らなぁ……頼むからこんなときに言い争いすんなって」
「……ごめん」
リヴェンの暴言はいつものことなのに、つい子供みたいに怒ってしまった。これではリヴェンと同じ位置にまで自分が落ちてしまったことになる。何より、ルカの助けになろうとして逆に足を引っ張ってしまっている。情けないやら恥ずかしいやらで顔が熱くなってきた。
リヴェンは舌打ちした。自分には非はないとでも言いたげだ。
「あんたも謝って」
「離せや苔頭ぁっ!」
ハイネはリヴェンの頭をぐいっと押して、無理矢理下げさせる。声を荒げ、彼は腕でハイネの手を払い除けた。
「俺たちは遊びに来たわけじゃないんだぞ。まだ魔人と接触してない。気を抜くんじゃねーぞ」
テレサの情報では、大聖堂内には三人の魔人と一人の器人がいるらしい。彼らは間違いなく天使の揺籃の警備についているだろう。
「つまんねー喧嘩は、フェイヴァが帰ってきてからな」
ルカは床に放っていた大剣を手に取ると、前方に駆け出した。
螺旋階段の半ば。銃や剣を握った仮面の兵士たちが、靴音を響かせて駆け上がってくる。ルカは周囲に光球を発生させると、兵士たちに斬り込んでいった。接触と同時に光の球は炸裂し、激しい発光とともに無数の破片が飛び散り、兵士たちの身体に裂傷を刻む。
「ルカの言うとおり。ほら、行くよ」
低い位置から睨めつけるリヴェンに声をかけると、ハイネはルカの援護に向かった。翼は力強く羽ばたき、ぼんやりとした光の粒子が周囲に散る。
***
時間にして十分だろうか。ハイネたちが通ったあとには気を失った兵士が累々と横たわった。螺旋階段はようやく終わりを迎え、視界にゆとりのある空間が広がる。
凹凸のある壁に、燭台が取りつけられて明々とした火が揺れている。部屋の突き当たりには、ハイネの身長の倍ほどある巨大な石の扉。テレサからの情報で、大聖堂の間取りは頭に入っている。あの扉の先に、天使の揺籃があるのだ。
想定していた通り、扉を守護するように二人の男女の姿があった。白い仮面と深紫の外套という兵士の出で立ちとは違う。年齢は二人とも二十代前半くらいだろうか。男は見るからに筋骨隆々で、鋼の肉体を体現しているように思えた。刈り上げた髪の下、油断なき眼差しがハイネたちに注がれる。女の容姿は男とは正反対で、かっちりとした紺の軍服と燃えるような朱の髪が、生真面目さと優美さを抱かせる。革で編み込まれた鞭が、丸められ腰に下がっていた。
射るような眼光。堂々とした佇まい。今まで相手にしてきた兵士とは、明らかに異質な空気をまとっている。ルカに問いかけるまでもない。この二人、魔人だ。
「貴様ら……ここに侵入してくることがどれほどの罪か、理解しているのか?」
張り詰めた空気を破ったのは、大柄な男だった。発された声は外見を裏切らず、唸り声かと紛うほどに低い。
「知るかよ、俺たちはテメェらの後ろに用があんだよ。そこを退けや」
リヴェンがいつもの調子で言ってのける。この男には緊張の”き“の字もないのだろうか。彼のあまりの落ち着きっぷりに、ハイネは感心すらした。
「それは無理な話だ。あれは我々の始祖が残したもの。神に選ばれし者が管理しなければならぬ」
「神ぃ⁉ こんな陰気くせぇところに籠もって頭にカビでも生えやがったのか? 寝言は寝て言えや」
リヴェンの口から、罵詈が散弾よろしく吐き出される。しかしこれに反応する者は誰一人としていなかった。男女は子供の戯言と受け取ったようだ。男の強面も女の涼しげな視線も、なんら変化を見せない。
ハイネも男の言い分を鼻で笑いたかったが、リヴェンと同列になりたくなかったので口を謹んだ。彼を無視して話は進む。
「んなこと言ったって、もう帝国に渡ってんだぞ。こんな狭い場所に置いてても意味ねーだろ」
ルカの言うとおりだ。実際にディーティルド帝国が天使の揺籃と魔人の温床を使い、兵器を量産している。こいつらは何を悠長なことを言っているのだろう。
「帝国など問題ではない。真の敵はその背後にいる魔獣の王だ。神さえ目覚めれば……」
「それ以上は駄目よ、グラント」
そのとき初めて、女が口を開いた。夕日の色を映した髪をハーフアップにしている彼女は、筋骨隆々の男――グラントを制する。
「マーシャリアが言っていたでしょう。テロメア様が――テレサが裏切ったと。実際あの女は天使の揺籃を使って死天使を一体生み出しているわ」
「……まさか、それが」
「信じたくはないけれど、間違いないでしょうね」
ハイネたちには推し量れない話を前提に、勝手に納得しあっている。こいつらもあの女と同じだ。ハイネの脳裏に、微笑みを浮かべたテレサの顔が浮かぶ。表面上は穏やかだが、心の内では何を考えているかわからない。ハイネは彼女が嫌いではないが、好きでもなかった。
「ねえ、勝手に話し合って勝手に納得すんのやめてくれない? その魔獣の王ってのが、何をやらかすかわかったもんじゃないの。つまらない争いはなしにして、ここは協力すべきなんじゃないの」
帝国はディヴィアによって国としての機構を失っている。オリジン正教と反帝国組織の敵が一致しているのならば、手を取り合うべきだ。何も同じ兵器で争う必要はないだろう。
魔人にしろ死天使にしろ、誰一人望んで人の身を捨てたわけではない。ルカやリヴェンやアーティも。ハイネだってそうだ。自分が死天使になってしまったと知ったときには、自ら命を絶とうとした。
魔人も死天使も根底にあるものは同じ。互いの組織の被害者であることには変わりないはずだ。
「あんたたちだって無理やりこんなことに巻き込まれたんでしょ? もう正教の命令聞くのやめたら」
この二人が簡単に翻意するとは思えない。しかし、わずかにでも考え直すきっかけにはなるかもしれない。そう思っての言葉だった。
しかし、返ってきたのは欠片の共感でも同情でもなく。
場違いな哄笑だった。




