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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
10章 生まれ 育み やがて響きあうもの
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11.退転




 司令室の前に到着すると、出入口の両脇に控えていた兵士が取っ手を掴んだ。重厚な造りの扉が、音を立てて開く。


 太陽を取り込む鎧戸を背にして、ベイルが椅子に腰かけている。机の脇には紙の束が高く積まれており、記入を行っていた彼は手を止めて、ペン先をインクに浸した。


 椅子に座るように手振りで示され、テレサはベイルと向かい合い腰を落ち着ける。彼は両手を組んだ上に顎をのせた。逆光によって顔が黒く染まっている。


「何故呼び出されたのか、理解はしているな」

「赤い衣の女の件でしょう」

「そうだ。我々にはあまりに情報が不足している」


 今この場にディヴィアの正体について詳細を知っている者は、テレサ以外にいない。ベイルたちはせいぜい、十七年前にペレンデールの住民を虐殺した女--プリシラ・リースと、フェイヴァの級友であったユニ・セイルズの類似点を理解しているだけだ。


 テレサは瞳を閉じ、深く息を吐いた。そして瞼を持ち上げる。


「私の知るすべてを、お伝えします」


 ベイルは深く頷き、外の兵士を一人呼んだ。これから聞く話は他言無用だと言い、紙に書き取らせる。


 念のために、兵士の精神を読み取っておく。簡単に言うと実直で堅実な人柄だ。ベイルが彼を選ぶのもわかる。


 どこから話せばいいかと、テレサは記憶を探った。意識の奥底には、一人の人間が到底記憶しておけないであろう膨大な知識が埋没している。それはテレサが呼び出せば、まるで昨日起こった出来事のように脳内で展開された。


 セントギルダの創始者である、テロメア・セントギルダのえい。テレサたちが代を経ながら受け継いできたものの一つだ。


 やはり、時系列ごとに話した方が混乱も少ないだろう。そう考え、口を開く。


 ――聖王暦。


 それはこの時代の人間からすれば、絵本に描かれたおとぎ話のように思えるだろう。


 魔獣によって土地が狭められることはなく、広大な田畑は世界中に存在した。疲れを知らぬ鉄の鳥が空を飛び、様々な国に人や物資を運んだ。貧富の差は開いてはいたが、どんなに貧しい家庭だろうと国によって食料が支給され、水準の教育を受けられた。


 まず忽然と姿を現したのは、魔獣だった。彼らは人の手が入っていない森林から生息域を広げ、瞬く間に野生の動物たちを食い尽くした。気づいた時には人間の生活圏にまで忍び寄っており、銃や兵器で駆除してもまったく減少する様子を見せず、無限に湧いてくるかに思われた。


 同時期に、人は新種の病を患うようになる。体内の細胞が悪性に変化していき、病状が増悪するにつれ肉体は激しい痛みに苛まれ、果ては死亡する。それが侵蝕病であった。


 魔獣をせんぺいとして、魔獣の王ディヴィアと妖魔の一族たちが来襲した。各国の主要都市に降り立った妖魔たちは、生まれ持った強大な力を解放し、建造物を破壊し人間を血祭りに上げた。


 これを、当時最大の軍事力を有していた世界の守護者たるホリニス・グリッタが迎え撃った。一秒間に何千発もの弾を射つ銃。砲身から撃ち出される炸裂弾。ついには地上が焼き払われるほどの爆弾が投下されたが、驚いたことに、妖魔にはまったく効果がなかった。


 このままでは、人類の敗北は必至だ。ホリニス・グリッタを中心にして各国の協力により立ち上げられた、対妖魔研究機関であるセントギルダの創始者--テロメアは、対抗策を求め情報を集めた。


 やがて彼のもとに、一つの噂話が届く。当初は夢物語にしか思えなかったそれは、人類の切り札となる可能性を秘めていた。


 魔獣の襲撃から町や村を救い、去っていく銀髪の男がいるという。その人間離れした容姿と超常の力を見た人々は、いつしか彼と神話に描かれた戦天使レイゲンを重ねるようになっていた。


 テロメアは早速その男を見つけ出し、セントギルダへと連行した。


 男の名を、レイシスといった。ディヴィアの息子であり、人間に力を与え覚醒者を誕生させた妖魔だ。


 魔獣はどのようにして誕生したのか。侵蝕病の原因。レイシスは人類が抱えていた疑問に答えるばかりか、多大な恩恵さえもたらしてくれた。彼が体細胞を提供してくれたおかげで、不完全ではあるが妖魔の生成に成功し、その骨を削り武器を製造することができた。――そして。


 テレサは握りしめた右手を胸に当てた。肌に爪が食い込んでしまうほどに、力がこもる。


 胸の内に宿るフェイヴァに悪影響がないように。テレサは彼女との繋がりを断っていた。五感に届いている音も映像も、彼女には伝わることがない。理解はしていても、ここから先の話を聞かれるのではないかと、気が気ではなかった。


 震える声が告白する。


 テレサが選んだ一人の少女。幸福の花の名を冠した、無垢な心。


 テレサが捨てた一人の少女。刃物のように鋭い悲しみと、恨みを込めた瞳。


 ベイルの双眸が驚きに見開かれ、ペンを無心に動かしていた兵士も、唖然とした顔をする。


(お願い。どうか、目も耳も閉ざしていて。何も聞かないで)


 深い場所で眠りについているフェイヴァに、一心に祈った。


***


 休みなく走っていたペンが、紙に引っかかるかすかな音を立てて、止まった。兵士の目の前には、すでに二十枚以上の紙が重ねられている。


「罪深いな」


 人類の連綿たる歩み。テレサの話を聞き終えたベイルは、低く唸るように言った。


「聖王暦の兵器が通用せぬ、人間には対抗できない化物。お前たちはその正体だけでなく、対抗手段まで秘匿していた。何故各国と情報を共有しなかった? お前たちがしたことは、人類に対する裏切りに他ならない」


 語調にまで強い憤りがにじんでいる。


「……恐れていました。世界が再び戦乱に突入することを。ディヴィアを倒したあと、妖魔の技術を独占するホリニス・グリッタ国に脅威を感じた各国は、セントギルダを解体するように迫りました。しかし、指導者はそれを拒否しました。量産され各地に散らばっていた魔人たちは各々の国の軍に雇われ、世界とホリニス・グリッタの戦いが始まりました。そうして、聖王暦は終焉を迎えたのです。

セントギルダは地下に逃れました。オリジン正教へと姿を変え、活動を続けたのです。国に情報や兵器の管理を任せれば、過去の過ちを繰り返す恐れがある。秘密裏に管理するべきだと」

「守護者気取りというわけか。自分たちが愚かな人類を統制しなければ、と? 自惚れが過ぎるな。……いたずらに混乱を招いただけだ」


 ベイルの言葉は、臓腑を抉るようだった。


(自惚れか。確かにそうだったのかもしれない)


 近くて遠い場所から、男女ともつかない声が木霊する。


 心臓が早鐘を打つ。鼓動に合わせて、鈍い痛みがじわじわと広がっていく。これは後悔だろうか。それとも、己の罪を眼前に突きつけられ、怯えているのか。


「あなたの言う通りです。我々はあまりに傲慢だった。そして、人々を信頼していなかった。弁解の余地はありません」


 テレサは目を見開いた。真っ直ぐに、ベイルを見つめる。


「ですが、今は我々の罪について言葉を重ねている時ではないのです。フェイヴァの身体を一刻も早く再構築しなくては。どうか、許可を」

「奴は敗北した。再び挑んで勝てるものか」


 如何に自己抑制に長けた人間だろうと、器人の前では精神は丸裸になる。ベイルの思考の移り変わりを、テレサは観察した。


「過去の人格に戻らずとも、力を制御できれば勝算はあります」


 直前まで、ベイルはフェイヴァを生前の人格に戻そうと考えていたが、テレサの発言によって別の選択肢も視野に入れた。彼にとっては、ディヴィアさえ殺せれば、どちらだろうと構わないのだ。


「不完全なままで対抗できるのか? 元に戻した方が確実ではないのか。お前はただ、自分たちがしてきたことが無になるのが恐ろしいだけだろう」


 とても否定はできなかった。


「……可能性がないのならこんな話はしません。フェイヴァのままでも戦える。ちゃんと策はあります」


 フェイヴァを一人の人間として生かす。ただそれだけが願いだったというのに。事態は退転していく。


 フェイヴァの旧友に、ディヴィアが宿ってさえいなければ。彼女は戦わずに済んだ。自分に隠された運命を、知らずに生きられたのに。


 後悔がひらりと舞い落ちて、積み重なっていく。


「……お前の言う通り、勝てたとして。あの女の肉体を滅ぼしたあとはどうする」


 人だろうと動物だろうと、肉体の生命活動が停止した瞬間に、魂は身体から抜け出て空をさまよい、やがて天上か地下に迎え入れられる。


 しかし、ディヴィアはそうではない。死亡したあとも魂は地上に留まり、不特定の女に宿る。平均して五年から二十年ほど隠伏し、表層に現れ出た際に宿主の人格は消去される。


 ディヴィアに支配された人間を殺し、魂を救う。それもテロメアの使命の一つだった。代変わりしながら、テロメアはディヴィアに乗っ取られた女たちを殺害してきた。しかし、被害を未然に防ぐのは困難であり、ペレンデールで起きた虐殺と同様の悲劇に見舞われた都市も多くあった。


 ディヴィアを討ち滅ぼそうと、あらゆる選択肢が取られたが、どれも効果的ではなかった。ディヴィアが宿った女をどのような殺し方をしても、魂は転生を繰り返し、犠牲は増える一方だった。完全に滅することができないのならば、封印するしかない。やがて魂を封じるために考え出されたのは、ひとつの案だった。しかしその方法は、確実性はあるが根本的な解決にはならない。あくまでディヴィアを一時的に封印するだけなのだ。


 この情報は話すべきではないと思った。ベイルならば、フェイヴァにすべての責任を押しつけようとするだろう。


「まず優先すべきはディヴィアの排除です。そうすれば、当面の危機からは脱することができます」


 ベイルは手を組み、目を伏せた。


 室内に沈黙が満ちる。静寂は耐え難いほどの苦痛をテレサに感じさせた。


「いいだろう。奴を倒す方法がそれしかないのならば、致し方ない。

しかし、事が事だ。私の独断で動くわけにはいかん。王に判断を仰ぐ」


 ロートレクの王都、クレイスで行われる協議。ベイルは明日本部を発つ。一日ほどの空の旅のあとに、協議には二日間を費やす。伝書鳩で知らせが届くのは、協議の進行状況にもよるが、だいたい五日か六日後だろう。


 フェイヴァを早くもとに戻してやりたい。この五日間は、いてもたってもいられないだろう。


 テレサは席を立つと、ベイルに深々と頭を下げた。




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