10.芽吹いた意識 幼い自我の、その定め(3)
「けれどまず先に、フェイの身体を再構築しなくてはならないわ。グラード王国にある、エフェメラ大聖堂に行かなければ。そこは、オリジン正教の総本山なのよ」
四人の顔に一様に衝撃が走る。驚愕に目を見開いたルカとハイネと違い、リヴェンは動揺していなかった。テレサとオリジン正教の繋がりを知っているピアースはもちろん、レイゲンも合点がいった様子を見せている。
レイゲンはフェイヴァの口から、対妖魔研究機関であるセントギルダとその後身であるオリジン正教のことを聞いている。なぜ正教の研究員であったアルバスが妖魔の血肉を手に入れられたのか。彼の中では点が線になっていた。
「なるほどな。テメェがその、セントギルダとかいう研究機関の一員だったんだな」
あぐらを組んだ上に肘をついて、前のめりになり手に顎をのせている。リヴェンは人の話を聞く姿勢をしていなかった。
「リヴェンも知っているのね」
フェイヴァの記憶を呼び出す。まさかこの少年が、魔人たちの生き残りの末裔と関わっているとは。
リヴェンは怒気のこもった眼差しをテレサに向ける。
「ふざけやがって。テメェらが魔人の苗床だの碌でもねぇもん造りやがったせいで、何人死んだと思ってやがんだ。あ?」
リヴェンの言うことに反論はできなかった。確かに、天使の揺籃や魔人の苗床などというものがなければ、ディーティルドがこれほど力を持つことはなかっただろう。死天使や魔人に罪のない人々が殺されることもなければ、魔人化に失敗し子供が死ぬこともない。
無事魔人になれたとしてもだ。自分の身の内には、人を捕食する化物の血肉が埋め込まれている。彼らは自分が、最早人ではないという意識を抱きながら生きることになるのだ。
侵蝕病で苦しみ死ぬよりも、魔獣の血肉を受け入れて魔人になる方がずっといいと考える者もいる。だが人の心は、そんなに簡単には割り切れない。
「……いや、それは違う」
戸惑い、困惑、怒り。様々な感情がルカとハイネの顔に浮かんでいた。
それはレイゲンの一言によって、霧散した。四人の注目が一斉に彼に向く。
「ディーティルド帝国が他国を侵略したのも、お前たちがこうなったのも……俺の、父親のせいだ」
躊躇しながら言葉を絞り出す。まるで血を吐いているような苦しさが伝わってくる。
「レイゲン……」
「無理をして話さなくていいのよ」
ピアースは痛ましい表情で彼の名を呼び、テレサは努めて優しい声をかけた。しかしレイゲンは、それらの声を無視した。
「俺の本当の父親は……アルバス・クレージュだ。お前たちは知っているだろう。現兵器開発責任者だ。奴はまだ俺と暮らしていた頃、オリジン正教の研究者だった。オリジン正教は、聖王暦の時代に設立された対妖魔機関セントギルダの後身だ。奴はそこで天使の揺籃と魔人の苗床を手に入れて、ディーティルド帝国に取り入ったんだ」
ルカとハイネとリヴェンの顔には驚愕が浮かんだが、それは持続しなかった。
「……そうだったのか。言われてみれば、お前ら顔似てるもんな」
「あいつが……あんたの父親だったなんて」
「面識があるんだな」
レイゲンの問いに、ハイネが曖昧に頷く。
「わたしを設定したのはそいつだよ。名前だけは知ってた。わたしが目覚めたときには施設からいなくなってたから、顔を会わせたのはこの前が初めて」
「……そうか」
レイゲンはしばしハイネを見つめて、そうして顔を伏せた。彼の葛藤や罪悪感に近い感情が、テレサの中に流れ込んでくる。
ハイネがふん、と鼻で笑い飛ばした。
「何? 落ち込んでるの? あんたらしくもない。
血が繋がってても、心が繋がってないなら他人と同じだからね。そんな奴がしでかしたことで、あんたが自分を責める必要なんてないよ」
「つーかお前自身には何も責任ないしな。そんな暗い顔すんなよ」
ハイネとルカの言葉に、レイゲンは瞳を瞬いた。テレサは自然と微笑んでいた。同じく嬉しげにしていたピアースと、顔を見合わせる。
「で? そのイカれたクソ野郎はなんでそんなことしでかしやがったんだ」
「それは……俺の方が聞きたい」
アルバスの行動とその理由については、テレサも断言することができなかった。彼がなぜ、ディーティルド帝国に取り入ってまでディヴィアを復活させたのか。究極生命体の再誕。神話の再現。どれも理由としては弱い。そもそもなぜ、ただの人間が妖魔の細胞を移植して無事でいられるのだろうか。
テレサはレイゲンの過去を振り返った。アルバス・クレージュ。満たされた人生を送っていたかに思えた彼はしかし、人間の世界に心から馴染むことができなかった。胸の深い場所では、いつも自己に対する違和感を飼っていた。妖魔の研究にのめり込んでいく内に、その違和感は押さえきれないほどに高まり、ついには爆ぜた。
十年前の、父と息子の問答からわかることは、それくらいのものだった。
(聖王暦……。あれは確か、レイシスをセントギルダに受け入れて、妖魔と魔獣の合成体を生産できるようになってからだった……)
魂が内包している叡知の海から、テレサは該当する知識を抜き出した。
ディヴィアに対抗するための生体兵器を造り出す。その第一段階として考案された計画があった。人間の兵士に妖魔の細胞を移植し、強力な戦士に造り変える――というものだったが、それはすぐに沙汰止みになった。
十人の被験者は誰一人として生存することなく、一日か六日の間に血を吐いて死んだ。期待したような身体能力の向上も見られなかった。実験結果から得られたのは、身体が造り上げられてからの移植は無意味、というものだった。
(アルバスがただの人間なら、妖魔の細胞が適合するはずがない。あれは特殊な条件かつ運を味方につけなければ成しえないこと)
(……ディヴィアの精神転移能力を、他の守護者たちが受け継いでいたとすれば、どうだ?)
テレサが歴代のテロメアたちから継承してきた知識は、精神を接続しているラスイルにも伝わっている。立てられたひとつの仮説に、テレサは眉を寄せた。
ディヴィアが生んだ個体の中で、彼女の力を色濃く反映した選ばれし五体の妖魔。彼らのことを、セントギルダでは守護者と呼んでいた。
(生まれ変わり、人間としての肉体を得ても、妖魔の因子というものは魂と強く結びついているのだろう。だからあの男は妖魔の細胞を移植しても無事でいられた。ディヴィアを甦らせるために動いたのも、妖魔としての無意識がそうさせたのだろう)
(まさか……そんな)
テレサは絶句する。冷静に思考を巡らせてみても、他の理由は思いつきそうになかった。これほど奇想天外な説でなければ、人間であるアルバスが生きていられる理由にはならない。
「……話をもとに戻すわね。大聖堂には、私と同時期に造られた魔人が配備されている。私一人の力では手に余るの。あなたたちにも一緒に来てほしい」
「当然だ」
即答したレイゲンに、頷くハイネとルカ。リヴェンだけは少し面倒臭そうな顔をしていた。彼は人に誤解されやすい態度を取るが、中身まで腐っているというわけではない。
申し訳なさそうに、ピアースが挙手する。
「……しかし、総司令の許可が下りるとは思えません」
フェイヴァを救いたいのなら、その問題は避けては通れなかった。ベイルはフェイヴァの価値を正しく理解していない。言葉を解す喜怒哀楽を呈する以外は、通常の死天使と大差はないと考えているのだ。レイゲンたちを連れて大聖堂に向かうことを、許しはしないだろう。
それでなくともデーティルド帝国の件がある。もしものときのために強力な兵器は手元に置いておきたいはずだ。
(それでも、送り出してもらわなければならない)
テレサの思考を読み取ったラスイルの声が、脳裏で響く。
(人間も魔人も、半妖であるレイゲンくんでさえも、ディヴィアを殺すことはできない。手をこまねいていれば被害が広がるだろう)
魔獣の祖であるディヴィアを傷つけることができるのは、妖魔の骨を加工して造った武器と、彼女の中から生じた因子だけだ。しかし、それすらも致命傷にはならないだろう。彼女は驚異的な再生能力の持ち主だ。胸の中心にある重要器官を破壊しない限り、どの部位を失ったとしても再生する。
(あの男に、我々が知っているすべてを告白するしかないな。信じられないというのなら……等しく滅びるだけだ)
「私が説得してみるわ。彼にはいずれ話さなければならないと思っていたし。それが少し早まっただけよ」
「俺も一緒に行く」
レイゲンが立ち上がる。フェイヴァの復活を早めるために、少しでも力になりたいのだ。
「気持ちは嬉しいけれど、私ひとりで行くわ」
今の状況がどのようなものであるか推測はできているだろが、レイゲンが説得の場でフェイヴァにこだわる様子を見せれば、ベイルの態度を固執させてしまう恐れがある。それはレイゲンもわかっているはずだ。
ベイルは心の奥底で、息子に普通の人生を送ってほしいと願っているのだ。人間の女と家庭を築き、命を次の世代に繋いでいく。そんなありふれた幸せを。
「……フェイが自分の過去を知りたいと願った時に、あの子と同じ気持ちで、あの子を支えてあげてほしいの。それはレイゲンと、あなたたちにしかできないことよ」
レイゲンは俯いて、唇を噛み締めた。悔しさと無力感と。そういった感情に占められていた心は、一つの目的を抱き、前を向いた。彼は顔を上げ、そして頷く。
鐘の音が、重く鳴り渡った。残響がゆっくりと溶けていく。正午を過ぎた合図だ。
あまりの音の大きさに、ピアースは小さく跳ねた。恥ずかしそうに苦笑すると、四人を見渡す。
「さあ、もう集合時間じゃないか? 続きはあとで話そう」
渋々、レイゲンとリヴェンは部屋から出ていく。ルカが足を止めて、扉の前で待っていたハイネが、首を傾げた。
「あの……」
「いいのよ。いつもの話し方をして」
近づいてきて口を開いたルカに、テレサは微笑んで言う。
「あんた、心を読めるんだよな。なんとかしてアーティを助けられないか?」
ハイネははっとした顔をした。ルカの横に近づいてきたが、どこかばつが悪そうだ。露骨に敵意を向けた相手には頼みにくいのだろう。テレサとしては、フェイヴァを想う気持ちが伝わってきて嬉しかったのだが。
詳しい事情を知っているルカとハイネの記憶を読むことができないため、アーティの状態を正確に把握することができない。テレサは脳内にある、彼女についての情報を整理した。
フェイヴァとレイゲンは、カルトス大平原で初めてアーティを見た。兵士が行った聞き取りで得られた情報は、ピアースたちに伝えられている。アーティが魔人であること、倒れた原因は定かでないということ。しかし、冷静に考えてみれば、ただの魔人なら足止めに使うはずで、アルバスがあの場に連れてくる理由はない。彼女はおそらく--。
「私もアーティの様子を見に行こうと思っていたの。でも、あの子が処置を受けているとしたら」
ピアースはこれについて尋ねてくることはなかった。ルカからすでに情報を得ているのだ。
聖王暦後期には、狂気じみた試みがいくつも実行され、正規の実験として採用された。処置と呼ばれる切開手術もその一つだ。器人の骨を細かく砕き、対象者の頭部に埋めこむ。これによって特殊覚醒者の精神干渉能力ばかりか、器人の記憶や心の読み取りまで阻害する。五代目のテロメアまではそのような処置が施されたが、継承の儀式の際の知識と心の受け渡しに不具合が生じてしまい、六代目以降からは廃止された。
アルバスのもたらした知識によって、デーティルドで造り変えられた魔人のすべてには、前述した処置が施されている。よって、テレサはルカとリヴェンの心を読むことができない。死天使になり生体でなくなったハイネも同様だ。
もしもアーティが処置済みだったら、彼女の目覚めを阻む原因を探ることができない。
ルカとハイネの顔には、強い憂慮がにじんでいる。都市の治療院には任せられず、反帝国組織に連れてきても一向に状態が改善しない。どんな病気や怪我でも癒してくれる水医でさえ、アーティを目覚めさせることはできないだろう。このまま一生、妹のような存在だった少女の声を聞くことはできないのかもしれない。二人がそこまで追い詰められていたとしても、不思議ではない。
「できる限りのことはやってみるわ」
テレサは力強く宣言した。
「……ありがとう」
ルカは堪えるように口許を歪ませて。ハイネは去り際に、深く頭を下げた。
「本当によかった。フェイヴァは帰ってくるんですね」
「ごめんなさい。あなたにも心配をかけたわね」
二人きりになった病室で。テレサが謝罪すると、ピアースは手をひらひらと振った。
「いやぁ、仕方ないですよ。話せる状態じゃなかったんですから。……でも欲を言えば、私が最初にフェイヴァの正体を尋ねた時に、話してほしかったと思いました」
懐かしい。そんなこともあった。ピアースがフェイヴァが人間であった可能性を口にしたときは、よくそこまで頭が回るものだと感心した。
「本当なら、誰にも話したくなかったのよ。フェイがこんな目に遭わなければ、きっとずっと秘密にしたままだったわ……」
(フェイは何も知らないほうがいい。……だって、あの子は)
軽い靴音がし、兵士が扉を開けて入ってきた。
「テレサ博士。司令がお呼びです」
「今行きます」




