09.芽吹いた意識 幼い自我の、その定め(2)
ハイネの眼差しは冷ややかだ。納得できないと顔に書いてある。レイゲンの表情はやや険しい。残りの三人は、口を挟まずにテレサの話を聞いていた。
「じゃあ、あんたがフェイヴァを造ったのは……生前を捨てさせて、新しい人生を歩ませるためなの?」
「そうよ。せっかく生まれた意識が、消えてしまうのが惜しかったのよ」
「結局はあんたの自己満足なんだね。人だった記憶を持たないっていうのは、あんたが考えているより、もっとずっと大きなことだよ。せめて説明するべきだったんだ。何も話さずに振り回して、あいつがどれだけ苦しんだと思うの?」
理解している。フェイヴァの記憶を見た今となっては、身に染みるほどに。
「生まれてこなければよかったって、きっと何度も思ったはずだよ」
ハイネ自身がきっとそう感じたのだろう。それはテレサに言い聞かせるようでもあったが、同時に、己を振り返っていくつもの痛みを再確認したような、寂しげな声だった。
鉄格子に閉ざされた部屋の中。痛いほどの悲嘆に満ちた叫びが、震えとなってテレサの聴覚に届いた。
『こんな身体で、生まれてきたくなかったのに!』
「……そうね。生まれてこなければ、人の奇異の眼差しに晒されることはない。謗言に傷つくこともないし、暴力によって心身を擦り減らすこともないわ」
過去のフェイヴァの問いに答えるように。胸の内に宿る魂に、少しでも思いが届くように。
「でも、生まれてこなければ、決して幸せにはなれないのよ」
人生は苦楽が織り成してできるもの。苦しみがあるからこそ、喜びはより輝きを増すのだ。
「傷ついても悩んでも、この子の手が掴む幸福を信じているの。……そして、私の考えが間違っていなかったことを、ここにいるあなたたちが証明してくれているわ」
フェイヴァがともに歩んできた仲間たち。彼らの顔に、順々に視線を移す。温かな感情が湧き上がり、テレサの中を満たしていく。
何度つまずいても、涙をこぼしても。生まれてこなければ--友情を知ることも、人を愛する感情も、学ぶことはなかった。
フェイヴァを生み出し、事情を話さずに人の世界に旅立たせたこと。それが正しいことだとは思わないが、間違っていたとも思わない。
生きていた頃の記憶を知れば、フェイヴァはずっと過去の自分に負い目を感じて生きることになるのだ。記憶を取り去って生まれた無垢な心。それは元々の魂の上に生じた、儚い存在。
生前の頃の意識が本物で、自分という人格は偽物。多かれ少なかれ、フェイヴァがそう感じてしまうだろうことを、テレサは知っている。
だから、この秘密を抱えたまま冥界に逝こう。フェイヴァの身体を造っていた時から、テレサはそう考えていた。
「このままフェイヴァに、何も話さないつもりか? あいつは知りたがっていた。きっと後悔したとしても、真実を求めるはずだ」
胸中で考えをまとめていたレイゲンは、テレサの話が途切れると、そう口にした。
「決めるのはフェイヴァだよ。あんたじゃない」
ハイネの言葉に、テレサは小さく頷いた。フェイヴァが知りたいと強く望むのなら、もう隠すことはできないだろう。
「あいつももうガキじゃねぇんだ。過保護すぎると腐るぞ。自分で判断させろや、クソババア」
無言で話を聞いていたルカは、隣から飛び出した唐突な暴言にぎょっとした顔をした。投げた枕が、ぼふっと音をたててリヴェンの顔面に当たる。
「何しやがんだクソが!」
「最後の一言が余計なんだよお前は」
「そうだそうだ! これだからお子ちゃまはいけないなぁ。二十四歳はババアじゃないからね! 働き盛りだから!」
ルカが注意すると、同意したピアースがはやす。彼女は場の緊張感を和ませようとしたのだが、はっきり言って逆効果だった。
「俺から言わせればテメェもババアだぞ」
「あぁッ!? そこは素敵なお姉さんだるるぉっ!?」
ピアースが青筋を立ててがなる。均整の取れた中性的な顏貌は、女をかなぐり捨てた表情のせいで、すっかり壊滅した。
「黙れ」
「こんなときくらい汚い物の言い方やめられないの? いつまで経っても子供なんだから」
レイゲンとハイネがほぼ同時に二人を睨みつける。彼女の言葉遣いに図星を指されたらしい。リヴェンは苦々しげな表情で舌打ちした。ピアースは縮こまる。
「はい。黙ります」
テレサは長く溜息を吐いた。将来が危ぶまれる物言いだが、リヴェンが言っていることは正しい。
「……あの子がどうしても過去を知りたいと言うなら、教えてあげることはできるわ」
フェイヴァがディヴィアと戦うというのなら、いずれはすべてを知らなければならない。その時にもし、フェイヴァが生きていた頃の自分に戻りたいと言ったら。
考えただけで、鳥肌が立つ。そんなことはあってはならないと思う。けれども、自分にはフェイヴァを止めることができない。彼女を説得し、思い留まらせることができないのだ。
(そのとき、私は……)
フェイヴァと言葉を交わせなくなる恐怖。彼女の行く末を見守ることができない痛み。悲哀の淵に沈みかけていた思考を、テレサは無理矢理に切り替えた。案じることは何もない、というふうに姿勢を正し前を向く。
今はまだ想像することしかできない未来を憂い、胸を痛めてもどうにもならない。フェイヴァの身体を創り出し、彼女を蘇らせること。それが何よりも優先すべきことだ。




