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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
10章 生まれ 育み やがて響きあうもの
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07.希望は彼女の中に




 一日が過ぎた。


 レイゲンはともすれば過去を思い出そうとする心を奮い立たせていた。はんもんの渦に落ちてしまわないように、無心に身体を動かす。食事を取り、早朝の会議に参加した。本部に駐在している兵士には、時間ごとに付近の巡回が割り当てられている。一回目は午前中に終了し、午後からは山岳地帯を利用した訓練が入っている。


 昼食を済ませる間のほんの三十分。気を抜いた瞬間に、ふとフェイヴァのことが頭に浮かんでくる。駄目だ。考え出すと止まらなくなってしまう。深呼吸をし、思考を一旦中断する。


 レイゲンは、今朝の会議の内容を思い出した。ここ数日の議題はディーティルド帝国の動向についてだった。


 各地に派遣されている兵士の報告によると、フェイヴァを殺しアルバスとともに去っていった赤い衣の女は、ディーティルドの帝都ラハブを制圧したらしい。皇帝の死体が城から降ってきたことによって人々は恐慌を来たした。翼竜に乗り、または徒歩で都の門扉から出ようとする者もいたが、透明の壁のようなものが帝都をすっぽりと覆っており、脱出することも外から内側に干渉することもできなかった。城から次々と落下してくる、兵士や使用人の死体。城内から響いていた悲鳴が途絶えたあと、皇城ロレイは不気味なほどの沈黙を湛えた。


 隆盛を誇っていたディーティルド帝国が、一夜にして国としての機構を失った。反帝国組織はすぐさまロートレク王国にこれを伝え、同盟国との協議の場が持たれた。反帝国組織の指導者であるベイルも、三日後にロートレクの王都クレイスに出頭を命じられている。


 石材が整然と組まれた回廊を歩いていると、前方から近づいてくる人物に気づいた。


 ルカ、リヴェン、ハイネの三人だった。随分久しぶりに会ったような気がする。訓練校にいた頃は、毎日のように顔を合わせていたというのに。


 今朝の会議で知らせがあった。三人の身体能力の査定が完了したのだ。


 人間と兵器の間にどれほどの力の隔たりがあるのか。敵として打ち倒し得た情報と、実際に試験をし算出した情報とでは、精確さが段違いに異なるだろう。ルカたちの協力は、兵器の実質に深く踏み込めないでいた組織にとって、多大な益となったのだ。


「よう、なんか久しぶりだな」


 ルカが片手を挙げる。変に気を遣っていない、訓練校にいた頃と変わらない態度だった。


「あんた、ちゃんと食べてるの? 相変わらず血色悪い顔してる」


 レイゲンの顔を見つめていたハイネは、ややあってそう口にした。リヴェンは何も言わず鼻で笑う。


「何かわかったか? こっちから聞いても何も教えてくれねーんだよ」


 暗に、フェイヴァのことについて尋ねているのだろうと察した。レイゲンは首を横に振る。


「そか」


 ルカはうなだれ、声の調子を落とした。ハイネでさえ顔を俯けて、瞳をきつく閉じる。


「……正直、まだ信じられないんだ。フェイヴァが死んだなんて。でも、お前は違うよな。目の前で見てたんだから」


 ルカはしばらく、言葉を探す素振りを見せた。


「気持ちの整理がつかないだろうけど、まずはできることからやっていかないか。俺らだって協力するからさ」

「あんたがあのときルカに声をかけてくれなかったら、わたしたちとっくに死んでた。アーティにまた会うことも、なかったと思う。これでも感謝してるんだよ。……だから、殻に閉じ籠らないでよ」

「しっかりしろや」


 レイゲンは意外な思いに駆られながら、三人を見渡した。


「お前たち……」


 励ましの言葉をかけられるとは思っていなかったのだ。ここ数日、自分はよほど酷い顔をしているらしい。


「ああ、わかっている」


 状況は何一つ好転しない。けれどもずっと立ち止まっていても、もうどうにもならないのだ。歩き出さなければ。


「よし、んじゃ久しぶりに手合わせでもするか。気は紛れるしな」

「わたしたちも午後の訓練に参加するように言われてるんだよね。夜に訓練室で落ち合おうか? そんで三人でレイゲンをボコボコにしよう」

「おま、さっき言ったことと真逆の行動じゃねーか」

「平気平気。レイゲン強いし、わたしたちが三人になって、やっと丁度いいくらいでしょ」


 勝手に話が進められている。割り込む気力もなくただ聞き流していると。


 石壁に忙しい靴音が反響した。


 息を切らして向かいから走ってくるのはピアースだった。下瞼にくっきりとした隈が浮かんでいるが、目はらんらんと輝いている。すんでのことで柱にぶつかりそうになり、慌てて急停止する。


「レイゲン……よかった。君たちも、ここにいたのか」

「どうしたんだ?」

「テレサさんが目覚めたんだ。君たちにとても会いたがってる。顔を見せてやってくれないか?」


(テレサが……!)


 淡い期待は、いずれ抱くであろう落胆を予感して、脆くも崩れた。


 テレサから直接話を聞けばあるいは--否、結果はわかりきっているのだ。ピアースの話を聞いて、悟ってしまった。フェイヴァが死んだことをテレサは知っている。フェイヴァを設定し生み出した彼女でさえ、娘を救う方法を持ってはいない。


「場所はどこですか」

「一般の病室はレイゲンが知っているよ。君たちの昼食を取っておいてもらえるように、頼んでくるから」

「レイゲン、案内して」


 まっさきに反応したのはハイネだった。レイゲンは頷き、三人を引き連れ先を急いだ。


 兵士の治療や療養を行うための病室は、城の本体とも言うべき居館の一階にあった。居館とは、城の兵士や少数の使用人たちの生活の場で、住居や食堂などもここに位置している。


 レイゲンたちの現在位置は、見張り台や穀物の貯蔵庫を兼ねた塔だった。回廊に出て、階段の上にある居館の入り口を目指す。


「ねぇ、リヴェンはそのテレサって人に会ったことあるの」


 道すがら、レイゲンの後ろを歩いていたハイネが尋ねる。


「そいつは死天使の開発責任者だったんだろ? 俺とは接点ねぇよ」

「まぁ、そうだろうね。わたしたちもない。なのに、どうして会おうとするんだろうね?」


 言われてみればそうだ。


 レイゲンならまだしも、テレサがハイネたち三人の顔を見たがる理由がない。テレサには他者の瞳を通して記憶や心を読み取る力がある。大方ピアースからハイネたちのことを知ったのだろうが、フェイヴァの友人という理由だけで、間をおかずに会おうとするだろうか。他ならぬ、娘の死を放っておいて。


「歩きながら聞いてほしいんだけど」


 ハイネは一言断りを入れて、話し始める。


「上の人には話したから知ってるかもしれないけど。……わたし、もともと人間だったんだよね。そしてそれは、フェイヴァも同じ」


 疑問符が、思わず口をついて出そうになる。レイゲンは立ち止まり、肩越しにハイネを見た。どうやら驚いているのは自分だけらしい。リヴェンは特に動揺もせずにハイネの話を受け入れているように見える。


「あんたは驚かないんだ」

「予想はしてたからな。あんなに精巧な人格が人の手で造り出せるとは思えねぇ。本人は否定してやがったがな」

「それはそうだよ。あいつは自分が生きてた頃の記憶を失ってるからね。実際わたしがあいつに教えるまで、そんなこと考えてもみなかったようだし」


 思い返してみれば腑に落ちる。


 フェイヴァの表情も言動も、人間そのものなのだから。実際レイゲンはいつの頃からか、フェイヴァを死天使としてではなく、人間として見るようになっていた。


 けれどもフェイヴァが人間だったという事実を、ハイネの口から聞いて初めて認識するのが嫌だった。リヴェンのほうが先に予想できていたという事実も、気に食わない。


(あんなにそばにいたのに)


 自分を卑下し続けてきたフェイヴァだ。己が人間だったという事実は、それまで抱いていた価値観を覆すほどの衝撃だっただろう。もっと早くにその事実を知り、フェイヴァの力になれていたら。あんなに近くにいたのに、何もしてやれなかった。


「わたしたちの詳しい造り方についてはあとで教える。とりあえず話を聞いて、わたしの質問に短く答えてくれるだけでいいんだけど。わたしたちのような死天使を造るには器人っていう能力者が必要なんだけど、それは知ってる?」

「いや」

「造り方は魔人と同じだ。変化する確率は三十分の一くらいだな。だから数は少ない。身体能力は俺らとだいたい同じだな。覚醒者の能力が使えない代わりに、人の記憶を読んだり、死んだ人間の身体から魂を引っ張り出したりできる」


 話を次いだのはルカだ。ハイネが言っていることは、彼にとってはとっくに既出情報なのだろう。


「国はあんたとフェイヴァの情報を掴んでたんだよね。フェイヴァはわたしと同じように造られた死天使だってメリアから聞かされてたから、訓練校に来る前に調べてみたんだ。……そうしたら、フェイヴァが生まれた当時、器人が完成し生存していたっていう記録はなかった。わたしが造られた時、一人だけだった器人はすぐに死んでしまったし。……わたしが言いたいこと、わかるよね?」

「……ああ」


 一年と八ヶ月前。フェイヴァが生まれた当時、器人はいなかったのではない。ディーティルドが把握していなかっただけなのだ。


 病室の入口には、二人の兵士が控えていた。レイゲンは敬礼し入室する。後ろから三人が続いた。


 広めの室内には十台のベッドが設置されている。テレサが腰を落ち着けているのは、右奥のベッドだった。上半身を起こしていた彼女は、レイゲンたちを認めると、ベッドから降りてしっかりと立った。


 死人に近い肌色。銀の髪は、心労が祟ったのか艶を失っている。彼女はレイゲンたちを見つめていたかと思うと、ほっと吐息をこぼすように微笑んだのだ。


「みんな……よかった、無事だったのね」


 一体何を笑っているのだ。レイゲンは無言で近づくと、テレサの衣服の襟を掴んだ。


「どこが無事なものか! フェイヴァが、あいつが……!」


 続きを口にすることができない。どうしても。


 今ここで認めてしまえば、割り切らなければならなくなる。フェイヴァが思い出の一部となることを、痛みとともに受け入れることになる。そんな気がするのだ。


「やめろって! 相手は病人だぞ!」


 後ろから引き剥がそうとするルカを無視する。


(俺はどうすればいい? もう、何も……)


 テレサはレイゲンの手に、自身の手を重ねた。湖面の色を映した瞳から涙があふれ、白い頬を伝って落ちる。


「レイゲン……。フェイをこんなにも想ってくれて、ありがとう。もう悲しまないで。心配することはないのよ」


 すでにレイゲンの瞳を通して、胸の内を読んだのだろう。テレサの声音には、きらめく喜びと包み込むような優しさがにじんでいた。


「一体何を……」

「やっぱりあんた……器人なの?」


 襟を手放す。レイゲンの戸惑いの声と、ハイネの確信を得た声が重なった。


「ええ、そうよ。フェイは今、私の中にいる」


 自身の胸にそっと手を当てる。その様はまるで、母親が胎内の我が子を慈しむかのように。



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