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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
10章 生まれ 育み やがて響きあうもの
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06・失って初めて、掴んだもの




 レイゲンを置き去りにしたまま、時は過ぎていく。


 何もせずに時間を浪費するわけにはいかない。理性ではそれを理解しつつも、レイゲンは行動を起こすことができなかった。そもそも、何ができるというのだろうか。


 テレサがフェイヴァを助ける方法を知らないのならば、レイゲンには完全に打つ手がない。拐われたり、行方をくらましたのとは訳が違う。フェイヴァは壁の向こうに行ってしまって、レイゲンにはどんなことをしても触れることができないのだった。


 報告書の作成も戦闘訓練にも身が入らず、空虚に物事をこなす。


 そして、三度の夜が訪れ、四度目の朝がやってくる。


 早朝の会議が終了し、レイゲンは空室に向かった。机に書きかけの報告書を広げた時だった。


 部屋の外から、重い靴音が響いてきたのは。


「入るぞ」


 ノックもせずに、レイゲンの養父――反帝国組織の指導者であるベイル・デュナミスが入室してきた。


 上質な黒いコートの上に鎧を装着しており、もともと隆々とした身体が更に巨躯に見える。短く切った黒髪の下は精悍な顔つきをしており、浅黒い肌と合わさると、四十という年齢を実感させない。


 慌てて席を立ち、レイゲンは敬礼の姿勢を取る。


「司令……」

「いい、座れ。家にいた頃の呼び方をしろ」


 ベイルに手で示されて、レイゲンは椅子に腰かけた。彼は座らずに、レイゲンの向かいに立つ。


 鎧戸の小さな隙間から、日が差し込んでくる。チラチラと投げかけられる光を背にした養父は、初めて出会った時と同じように威風堂々としてレイゲンを見下ろしていた。


 おそらくは、日々を(しょう)(ぜん)と過ごすレイゲンを、叱責しに訪れたのだろう。会議や訓練では平静を装っているが、欺けるのは兵士や幹部だけだ。レイゲンを引き取り、子供の頃から鍛錬を指導してきたベイルには、レイゲンの精神状態が手に取るようにわかるに違いない。


「報告は上がっている。……殺せなかったようだな」


 養父のげんの意味をすぐに察した。仲間やフェイヴァを失っただけではない。平穏だった生活を打ち壊し、レイゲンを絶望の淵に追いやったアルバス・クレージュ。幼き日に復讐を誓った相手に、レイゲンは手も足も出なかったのだ。


 無様に、完膚なきまでに敗北した。それが弁解もできない事実であるから、言葉もなく俯いているしかない。


「ディーティルドの中枢に入り込むほどの男だ。お前の話とを整合すれば、奴は最早純粋な人間ではない。万全の状態でなければ、打ち取ることは難しいだろう。……無事に戻っただけでもよしとしよう。

――だが、それは過去の話だ。今のお前は一体何をしている」


 ベイルは猛禽類を思わせる鋭い眼光を、レイゲンにくれた。息子の不甲斐なさを厳しく責める眼差し。


「友人たちの死は、残念だった。お前が自らの力のなさを悔やむのもわかる。だが、もう三日が経過している。いつまで自分を甘やかしているつもりだ? 敗北したのならばさっさと切り替え、次こそは確実に殺せるように自分を追い込め。子供の頃からそう教えてきたはずだ」


 ベイルの言葉は正しい。反論の余地がないほど。


 本来なら、こうして椅子に座り過去を思い描いている時間はレイゲンにはない。戦いには敗れたが、命はある。すぐにでも過去は過去として捨て去り、より力をつけるための鍛錬に励まなくてはならないのだ。


 宿敵は遥か高みにいる。上昇し凌ぐためには、地力を上げることだけを最優先に考えなければならない。


 けれど自分の中から、そういった強い感情が失われてしまっていた。レイゲンに残されたのは、脱け殻になりつつある己だけだった。


「……まさか、あの死天使のことを気にしているのか」


 無意識に顔を上げてしまい、図星を指されたことを裏づける形となった。


 途端にベイルの顔に浮かんだのは、愚者を見る目つきだ。


「お前に奴の監視役を任せたのは私の落ち度だな。奴にかけた手間がすべて無駄になってしまったのは腹立たしいが……終わったことだ。忘れろ」


 レイゲンは強く、歯を食い縛る。


 きっとフェイヴァが普通の少女であったならば、ベイルはこのような物の言い方はしない。死者を悼む素振りくらいは見せていただろう。


 養父にとってはフェイヴァも、他の死天使と同様の機械なのだ。フェイヴァには人の温かみがあり、他者の痛みを自分のことのように受け止める感受性があるというのに――機械の身体という、ただそれ一点だけで、不当な扱いを受けなければならない。


 それはあまりに頑迷な、目に映るものを拒絶するまいな物の捉え方のように感じられる。


「そのような呼び方はやめてください。彼女にはれっきとした名前があります」


 漆黒の瞳を見据えて、レイゲンは低く訴える。声音には抑えきれない憤りが現れていた。


「何を言うかと思えば……」


 嘲笑が聞こえてきそうな語調。


「……お前を訓練校にやった一番の理由は、人としての生き方を学ばせるためだった。復讐を果たしたあとも、お前の人生は続いていく。同じ年代の人間の中で、お前が生きていくための指針となるものを見つけられれば……そう思ってのことだ。決して、機械人形に惑わされるためではない!」


 激しい衝動が胸を突き上げる。


 それは、養父母に引き取られて間もない頃に抱いていた、どうしようもない焦燥とは違う。


 もっと秩序立ったふんげきだった。


「フェイヴァは機械ではありません!」


 確信を持って断言できる。身体が何でできていようが関係ない。


「父上ももう、おわかりのはずです。彼女は人を害する存在ではない。誰かと友情を育み、友の死に涙する。どこにでもいる、普通の人間と同じです」

「いつからそんな血迷ったことを考えるようになった? お前は兵器と自分を同一視している!」


 確かに、関わり始めた頃はそういうこともあった。フェイヴァに自分を重ねたこともある。


 けれど今は、とてもそんな言葉では彼女との関係を表せられない。


 フェイヴァはいつしかレイゲンの友となり、身近にいても違和感のない存在となった。気がつけばいつも目で追っていた。視線が合うと、彼女は花が咲くように微笑んだ。――穏やかな気持ちになった。


 フェイヴァを貶められて、こんなにも怒りを覚えるのは。


 彼女を失って、今、こんなにも苦しいのは。


(……そうか)


 触れられそうで捕まえきれずに、歯痒い気持ちを抱かせてきた不透明な思いは――やっとレイゲンの中に、目に見える形で降りてきた。それは驚くほどすんなりと、胸の内に収まる。


(俺は、ずっと)


 自覚した途端、どっと虚しさが湧き上がる。今さら気づいたところで遅すぎた。


 フェイヴァはもう、いないのだから。


「……お前が何者であろうと、それによって価値が貶められることはない。昔私に、そう声をかけてくれたのは、あなたです。その言葉は、心からのものではなかったのですか?」

「馬鹿な。気休めなど、お前に通じるわけがない。私がそう思っているのは事実だ。()()は、例えどんな問題や障害を抱えていようと、それによって価値が下がることはない。人は生まれながらにして尊いのだ。……お前は確かに人以上の力を持つが、人間であることに違いはない。そして、この世でたった一人の、私の息子だ」


 レイゲンは小さく息を呑んだ。


「奴は……死天使はダエーワ支部の兵士を一人も傷つけなかった。訓練校に入ったあとも、従順な態度を崩さなかった。奴の心は人間に近い。……が、それでも人ではない。

 人間はいずれは親となり、命を次代に繋いでいく役目がある。お前と奴ではもともとの住む世界が違ったのだ。お前が抱いている感情は、一時の気の迷いに過ぎない。あまりに想定外な出来事が起こり、動揺しているだけだ。……このまま一生、過去を振り返り続けるつもりか?」


 ベイルは気づいている。にも関わらず、フェイヴァを頑なに人間として認めようとしないのは、自分の息子にあまりに近しくなってしまった、ただそれだけの下らない理由によるもの。


(……なんだよ、それ)


 呆れを通り越して――失望した、と言ってもいい。これが養父の、人間としての底なのだ。


 完璧な人間などいようはずがない。誰だろうと欠点や、愚かな部分が必ずある。彼がフェイヴァを、一人の人間として理解しないのならば、彼のその考え方を、レイゲンは許容するわけにはいかなかった。


「……私を引き取り、育てていただいたことには感謝しています」


 岩のような体躯に、荒れ狂う海のような気性を閉じ込めている。レイゲンは彼を、そういう人物だと認識していた。彼は荒んでいたレイゲンを、人間の道に引き戻してくれたのだ。


 復讐を果たすために強くなりたいと息巻くレイゲンを、ベイルは指導してきた。自分に厳しく他者にも厳しい養父を、尊敬していた。いつか越えねばならない壁のように感じていたのだ。


「しかし、これは私の――俺の人生です。誰に何を言われようと、自分を曲げるつもりはありません」


 狭い部屋に、静寂が満ちる。


 レイゲンはベイルの顔を見据えていた。段々と厳しい表情に変化していく。


「……好きにしろ。後悔しても知らんぞ」


 彼はレイゲンに背を向けると、一言吐き捨てた。大きな背中は、扉を開けると通路に出ていく。


「しないさ。するはずがない」


 誰もいなくなった部屋で、独りごちる。


 けれども現状は、何も変わらない。行き詰まりだった。



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