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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
9章 曙光散らす 死の翼
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27.夜道を照らす ほのかな光芒(2)

 背後から声が響いた。それは誰かの、呼び止める叫びだったのだろうか。だが、声の主を特定する前に、翼が音を置き去りにしてしまった。


 金属の羽が重ねられた翼が風を切る。暴風が肌を圧する。大剣を逆手に握り、フェイヴァは自身を急き立てた。


 目指すは死天使の軍勢。漆黒の衣服を身につけた男女が、揃いの無表情で空を飛んでいる。


 空の色も、死天使の数も違うが、まるで昔に戻ったような気持ちになった。


 翼竜の背に乗ってテレサとともに初めて空を飛んだ。死天使は二人を殺そうと迫ってきて、フェイヴァは母を助けるために武器を取ったのだった。


 一つの場面が呼び水となり、懐かしい光景があふれてくる。


 一年と八ヶ月前。ディーティルド帝国の兵器開発施設で目覚め、テレサと出逢った。その日から、フェイヴァの人生は始まったのだ。


(レイゲンとも、そのときに知り合ったんだよね)


 初対面の印象は、お世辞にもよいとは言えなかった。翼竜をって近づいてきたレイゲンは、フェイヴァを乱暴に押し退けたのだ。


 怖い人だと思った。顔はずっと怒気を帯びていて近寄りがたい雰囲気を醸し出しているし、他の兵士同様にフェイヴァを心のない兵器と決めつけ、冷たい言葉を浴びせてきた。


 最初の頃は、こんな人と仲良くなれるわけがないと思っていたのだけれど。


 痛みと幸福が重なりあった記憶が、浮かんでは消える。


 フェイヴァはレイゲンと、否が応にも関わらなければならなかった。時間を共有していくうちに、崖を挟んで立っていた二人の心理的距離は、少しずつ縮まっていったのだ。


(鉄格子に閉ざされたあの部屋で、あなたは私に手を差し伸べてくれた。私が泣き止むまで、ずっと側にいてくれた)


 レイゲンはフェイヴァの隣に膝をついて、言葉をかけてくれた。傷だらけの心に、それはどれほど染み入ったか。


(あなたは私の、初めての友達になってくれた)


 その出来事が大きな契機となった。フェイヴァはレイゲンの不器用な優しさを、感じ取れるようになっていった。


 ウルスラグナ訓練校に入学し、幸運にもたくさんの友人ができた。けれどその中でもレイゲンは、フェイヴァにとって言葉にできない特別な存在だったのだ。


(あなたは私にとって……夜道を照らしてくれる、月だった)


 いつも見守りながら、光芒を投げかけてくれた。それは太陽ほどに強い輝きではない。地上をうっすらと白ませるほどの、光の帯だ。けれどもそれが、どんなに心強かったか。行く先をかすかにでも照らしてくれたからこそ、暗闇に包まれていても怖くなかった。


 傷つけられたこともあった。自分がレイゲンを傷つけたこともある。それでも彼は危険をかえりみず、何度もフェイヴァを助けてくれた。


 手作りの菓子を美味しそうに食べてくれるのが嬉しかった。手合わせをして、たわいのない話をするのが楽しかった。ときおり浮かべてくれる微笑みに、こちらまで温かな気持ちになった。


(いつからだろう。あなたと一緒にいる時は楽しくて仕方がないのに、あなたが他の女の子と喋っているのを見ると、ハラハラしたり気持ちが沈んだりした。……ハイネに言われたときは、どこか壊れたのかなって思ったけど……でも、違ったんだね)


 不安も恐怖も抱く必要はなかった。それは想像していたよりもずっと素晴らしい。雪解けを促す陽射しに似た、きらめく感情。


「私は、レイゲンのことが好き」


 涙が一筋、頬を流れる。口に出して伝えることができればよかったのに。変わっていく自分に戸惑って。今の関係が壊れてしまいそうで――認めることが、できなかった。


「私に、こんなに素敵な気持ちを教えてくれて……ありがとう」


 フェイヴァは袖で、目の下を拭った。血を吸ってごわついた生地は、肌にわずかな痛みを生じさせる。


 死天使は目と鼻の先まで迫っていた。突出した一体が、風と一体化したような素早さで迫り、剣を薙いだ。それを上昇し躱すと、剣を振り下ろす。肩を深く斬った刀身は、血をしぶかせる。


 フェイヴァは間合いを離すと、声を限りに叫んだ。


「私が相手だ!」


 フェイヴァの言葉を聞き取ったのか、先頭を飛んでいた三体の死天使が迫ってくる。二体が真正面から突撃し、フェイヴァを挟撃する。左右から突き出された大剣を上昇して回避し、翼を力強く翻しながら大剣で薙ぎ払う。全身を捻りながら繰り出した斬撃は、二体を後方に飛び退かせる。上空から感じる風の音。三体目が、フェイヴァの頭上から強襲する。大剣を掲げて斬り下ろしを防ぐ。刀身がぶつかり合い、甲高い金属音が鳴り渡った。


 叫び、腕の力だけで押しきる。距離を離す死天使に、逃げずに肉薄し、両手で握った刃を突きだした。 剣は唸り、死天使の胸部に突き当たった。手に伝わる、確かな手応え。傷口から青い火花が散る。胴を蹴って、刀身を引き抜いた。


 間髪をれずに、さきほどの二体がほぼ同時に襲いかかってくる。上段から振るわれる剣を、翼を繊細に動かして躱していく。相手の大剣が振り切れたところで、透かさず距離を詰めて、大剣で胸部を刺し貫いた。


 死天使の中には、フェイヴァに構わずに先に進もうとする者もいた。フェイヴァは機能停止し落ち行く死天使から大剣を奪うと、後方に向かって投擲した。相手は風の流れを感じて、それを躱す。フェイヴァはその隙に後方に飛び、彼らの行く手を阻もうとするが、背中を斬られて前に傾いだ。


 死天使たちはフェイヴァ一人を仕留めれば済む話だが、フェイヴァはレイゲンたちの方に向かう死天使たちを阻まなければならない。フェイヴァが通常の死天使よりも戦闘能力が高かったとしても、どちらが不利か言われるまでもないだろう。


 フェイヴァは後方に飛びつつ、死天使の進行を妨害する。そのたびに、討ち漏らした死天使の攻撃を受けていく。斬られるたびに痛みはより強烈になり、フェイヴァの心を折ろうとする。けれどもフェイヴァは諦めずに、自身を奮い立たせて立ち向かった。


 己の身体が破壊しつくされるよりも、自分を受け入れてくれた人たちが殺されてしまうほうが、ずっとずっと嫌だから。


(お願い! 最期まで持って!)


 腕が痺れる。傷は修復できずに流血している。最早意志の力だけで、フェイヴァは死天使たちに追い縋った。


 背中に鋭い衝撃が走った。


 柄を手放しそうになるほどの激痛。叩き斬られた数枚の羽が、視界の端を過っていく。懸命に羽ばたかせるが、翼はフェイヴァを支えられずに、地に落ちた――。


 草の柔らかさを感じる間もなく、地面に激突する。翼は最後まで飛行の意思を捨てなかったが、結果は草の上を転がることになった。千切れた葉と砂煙が舞う。


 フェイヴァは歯を食い縛り、立ち上がろうとする。翼を広げ、再び空を飛ぼうとするが、折られた羽の数が多すぎた。羽ばたきはするが、大翼はフェイヴァを持ち上げることはない。


 目の前が真っ暗になる。


「お願い! 飛んで!」


 翼は大きく振るわれるだけだった。


 上空には、レイゲンたちの元に真っ直ぐに向かっていく死天使の姿。焦燥感が膨れ上がって、気が狂いそうになる。


 フェイヴァは空に跳び上がる。けれども、上昇することができない。


 死天使たちは急速に距離を離していき、やがてフェイヴァの視界から消える。


 あとを追わなければ。フェイヴァは大剣を握り、駆け出した。踏み締めるたびに激痛が突き上げる。構わず跳ぶように駆けた。足が使い物にならなくなっても構わなかった。


 風を切り裂く音が、後方から聞こえた。疑問を感じる前に辺り一面が吹き飛ぶ。無数の土塊が雨のごとく飛来する。突風が凄まじい強さで吹きつけて、フェイヴァは転倒した。


(何……!?)


 上半身を起こし振り向くと、フェイヴァの身長の二倍はあろうかというほどの巨大な槍が、地面に突き立っていた。暗黒の槍は役割を終えたかのように、跡形もなく掻き消える。


 フェイヴァは吸い寄せられるように、上空を仰いだ。


 空に浮遊しているのは、一人の女だった。波打つ長髪は黄緑がかった金。曲線美の肢体に深紅のドレスを纏い、裾は炎のように揺らめいている。鮮血を映し取った瞳がフェイヴァを射抜いて、朱に染まった唇が弧を描く。


 アルバスの腕に抱えられて、消えたはずの女だった。


 困惑は、すぐさま意識の外に弾かれる。あまりに強く深い、既視感。思考が揺さぶられる。


(ユニ……)


 初めてユニに会ったとき、どこかで顔を見たことがあるような感覚を抱いた。テレサと暮らしていた頃に、ユニに似た雰囲気の人を見て勘違いしたのだろうと、自分を納得させたが。


(違う)


 見覚えがあったのは、ユニではなく。


(私はこの人を……知っている……)


 疑いようのない、確信。


「こうしてそうたいして、やっと確信を得ることができた」


 女らしく高い、しかし重みを感じさせる声だった。


「私のことを覚えているか? ……いや、忘れていたとしても、私という存在はお前の中に深く刻み込まれているはず。私が、そうであったようにな」


 戸惑いを感じている時間さえ惜しい。今はこの女に構っている暇はないのだ。


 フェイヴァは背を向け駆け出した。


 風を突き抜ける音が、耳朶を打つ。


 衝撃を受けて、前のめりに倒れた。わずかに遅れて、足から頭に駆け上がった激痛は、呻きさえも途切れさせた。


 首を巡らせ、痛みの原因を探る。


 フェイヴァの足元に突き立った槍。――そして。


 左足の、膝から下が消えてなくなっていた。骨組みの断面はへし折られたようになっていて、火花が散っている。引き千切られた肉からは、血が流れ続けていた。


 じろぎするだけで、灼熱に焼かれるようだった。フェイヴァは奥歯を強く噛み締めて、地に両手を突いた。右膝を立てようとするが、口から呻きが漏れるだけだった。


 女はフェイヴァの眼前に降り立った。片方の眉を上げ、訝しげな表情をつくる。


「何故身を守ろうとしない? 記憶だけでなく、力まで失っているのか?」

「そこを退いてっ!」


 やっと右膝をついて、大剣を支えにして立ち上がる。


 女は嘲笑した。


「退かぬと言ったら? もうお前には何もできない。だが、嘆く必要はないぞ。お前の友人たちも、すぐに同じ場所に送ってやる」


 激情が身を突き動かす。右足で蹴りつけ、前のめりになりながらも大剣を突き出した。


 女は薄笑いを浮かべたまま、ただ、手を前にかざした。


 雌雄は決する。


 敗者は跡形もなく、この世から消え去った。



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