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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
9章 曙光散らす 死の翼
134/226

25.過去からの呼び声

 ◆


 器の中にあって不鮮明だった記憶は、今やはっきりとした形を成しつつあった。


 欠片の一つ一つが存在を主張し、寄り集まり結合しながら、永久とも思える生を描き出した。


 妖魔の王として、一族を産み出した。苛烈な戦いを経て、肉体は塵となった。人間の中に宿り、生きそして死んだ。死と再生を、数えきれぬほど繰り返してきた。


 ディヴィアは新しい肉体の中で、覚醒した。吐息が唇からこぼれる。そのかすかな音にさえ、震えるような喜びを感じた。自分の意思を思うがままに反映することができる、この身体。肉体の主導権を掌握することができたのだ。


 元々この身体に宿っていた精神は、一度も己としての意思を確立することなく押し潰し、消滅させた。魂が消え生じた、ほの暗いうろ。ディヴィアはそこに腰を据え、新たな主となったのだ。


 顔を上げると、生前と同じ黄緑がかった金色の髪が視野にかかる。


 周囲には、耳障りな羽ばたきの音が響いていた。つかず離れずの位置に、二頭の翼竜に乗った男女の姿がある。


 自分を抱く男の、腕の力強さと体温を感じた。見つめ続ければ瞳が合い、その奥で輝く魂の色を見極めることができた。この男――間違いない。


「ウォルザ……我が子よ」


 ウォルザは、ディヴィアが産んだ最初の個体だった。最も強く王の力を受け継いだ彼は、その精神転移能力までもを不完全な形ではあるが継承していたようだ。それを証拠に、生前の容貌だけを残し人間としてこの世に生を受けた男は、呼びかけに反応することはなかった。一族の因子を宿していることを証明する紅い虹彩だけが、ただ興味深げな眼差しを寄越す。


「……私は何者だ。お前にはその答えがわかるというのか」

「そうとも。人間の中で随分と生きづらい思いをしただろう。――お前の精神は、この世界のものではない。私の内から生じ、私の意思と力が最も反映した個体……それがお前だ。半端に受け継いだ精神転移能力が、お前をこの世に蘇らせたのだ」


 その言葉一つで、自らの出自に合点がいったらしい。生まれてこの方、自分と周りの人間の間に広がった、どうあがいても埋めることができない溝を感じてきたであろう男は、瞼を閉じ――再び開くと、そこにはもう、己に対する懐疑は微塵も感じられなかった。


「やはり、そうだったか……」

「お前は記憶を失っているようだが、それは仕方がないことだ。本来ならば他の知的生命体に宿り蘇るという能力は、王のみに許される力なのだからな。お前が人間としてこの世に再臨できたのは、奇跡と言ってもいい」


 頑強な妖魔の肉体は、元々その持ち主がディヴィアであったかのように魂を馴染ませた。肉体と精神が合致し、記憶は迅速に呼び出される。


 妖魔は王のみが子を産む。比類なき王の力を色濃く受け継いだのは、四人だけだった。彼らは王の盾となり剣となる、優れた個体だったのだ。それ以外の九十人の子供たちとは、雲泥とした力の差があった。彼らは王と四人の子供たちに命の危機が迫れば我が身を差し出す、使い捨ての戦士であった。


 ディヴィアは記憶を失ってしまった我が子に、一族の歴史を語って聞かせた。


 今から千百年ほど前。荒廃した世界を捨て、生命あふれるこの世界へとやってきたディヴィアたち妖魔は、まずはこの世の醜い生き物どもを駆除してしまおうと計画した。共存する道など念頭にも浮かばない。地に足をつけた瞬間に、その世界のものはすべて妖魔の所有物であり、生かすも殺すも王の自由であった。


 ディヴィアは戦士を産む傍ら、自らの小指を切り落とした。人間の相手をさせるしもべを創ったのだ。たった一匹の不定形の生き物だったそれは、地上の動物の姿を象り、無限連鎖講のごとく数を増やしていった。名前もなかったびょうたる生き物が、人間たちに魔獣と呼称されていると知ったのは、随分あとになってからだった。


 ディヴィアたちが現れたことにより、この世の生命体――とりたてて人間が変調を来し始めた。妖魔や魔獣たちの身体からは――人間で言うところの最小の物体、微生物とも呼ぶらしい――が生成され空気中に飛散している。それが人間を宿主にすることによって、一定の確率で病を引き起こすのだ。細胞が次々に悪性へと変化し、強い倦怠感や激しい痛みに襲われる。個人によって症状の軽重は違ったが、いずれ死に至る点は変わりなかった。人間によってそれはのちに、侵蝕病と名づけられた。


 都市を襲う魔獣の群れ。急増する侵蝕病患者。人間たちは縄張りを奪わせまいと立ち上がったが、彼らの武器は妖魔に傷をつけることができなかった。空をかける金属の鳥。地上を走る鈍重な鉄の塊。それらは力を使うだけで呆気なく火を吹き、炸裂した。


 ディヴィアは一族の勝利を確信していた。容易に蹂躙できると、一片の曇りもなく信じていた。


 しかし、まったく予期していなかった事態が起こったのだ。選ばれた四人の内の一人であるレイシスが、一族を裏切ったのだ。


 銀の髪と、一族の証である人の鮮血で染まった瞳。レイシスは、人間たちの世界にやってきて、初めて生まれた子供だった。


 恵まれた力を破壊に使おうとせず、王の思想を生き写した兄弟たちの中にあって、いつも外れた場所にいた。人間のような穏やかな表情で、動物を慈しみ草花を愛でるさまに、ディヴィアは底気味悪さを覚えたものだ。


 レイシスが妖魔らしからぬ性向を持ったのは、人間たちの世界で生まれたからなのではないか。


 ウォルザを初めとしたレイシスの兄弟たちは、彼の抹殺を王に進言した。戦いに使えぬのなら致し方あるまいと、ディヴィアはわずかな哀惜を抱きながらも、子供たちの意見を受け入れたのだ。


 しかしレイシスは、兄弟たちが手を下す前に行方をくらませた。そして愚かにも人間側につき、人間たちに自らの力を分け与えたのだ。それは不特定多数の人間に宿り、地水火風の四種に細分化した能力や精神に作用する力を発現させた。能力者が死しても力は消滅せず、生まれたばかりの赤子に宿った。それが覚醒者の始まりだった。


「気でも違ったか。人間にくみするとは。」


 子の声に、ディヴィアは我に返った。深い記憶の迷路は、過去を追体験させていた。ディヴィアの瞼の裏には、鮮明な色彩が広がっていたのだ。


「哀れな、愚かな子よ」


 今は亡き子の顔は、今も目の前にいるかのように思い出すことができた。ついに最期までレイシスを理解することができなかった。他者を威圧し征服する喜びを知らずに死んだ彼の生は、一体何だったのだろうか。


 らしくない感傷を覚える己に、ディヴィアは鼻で笑った。


(人間の情緒というものに汚染されたか)


 再び深く、過去の迷宮へと潜っていく。


 レイシスの協力により、人間たちは妖魔への対抗手段を手に入れた。彼らは通常の妖魔を倒すすべは得たが、特別な個体──王と三人の子供たちにはまったく歯が立たなかったのだ。


 そこで人間たちは、レイシスの妖魔としての力を兵器として利用することにした。気が遠くなるほどの実験を繰り返し完成したのは、妖魔を滅する力を宿した生体兵器だった。


 手が震えるほど強く、握りこむ。


 思い出すだけで身内に黒々とした憤怒が吹き出す。王のために生き、王のために死ぬことが存在理由である子を、人間ごときが道具のように消費するとは。


 兵器に受け継がれた我が子の力が、ディヴィアたちの敗北を決定づけたのだ。


(だが私は、再び地上に蘇った!)


 二度と同じ過ちを繰り返したりはしない。今度こそ世界の支配権を、人間たちから奪い取るのだ。


 ディヴィアはウォルザの腕を外し、宙に浮遊する。空気の流れは心地よく、肌をくすぐっていく。


「どこへ行く。お前の身体はまだ完全ではない」

「そんなことは、この私が一番よくわかっている。……一つ、片づけておかなければならないことがある」


 力と記憶を宿したまま転生を繰り返すことができるディヴィアは、妖魔に宿ったことにより、その肢体を王に相応しい肉体へと変質させつつあった。まだ完全体には程遠いが、計画の障害となる可能性のあるものは、今排除しなければならない。


 手負いの魔人や死天使でも、ましてや血を分けた半妖でもない。ディヴィアの狙いは、フェイヴァと名づけられたあの少女だった。


 ユニの中にいた頃にフェイヴァと会って、ディヴィアは奇妙な既視感を覚えた。相手もまったく同じ感覚が生じたようで、ユニの質問に同意していた。


 その時は、まったく見覚えのない容姿の人間に、何故このように感じるのかと不思議に思ったが。


 視覚ではない。魂が、少女を覚えていたのだ。正確には、フェイヴァの胸の内にある心を。


 ディヴィアは唇を開く。あの哀れな、過去を喪失してしまった少女の話だった。




「……まさか、そんなことが」


 黙って耳を傾けていたウォルザは、瞠目する。


「だから、器人などというものを創ったのだろう。奴も永遠に生きることはできないのだからな」


 何故記憶を失っているのかは知らないが、自分の使命を――ディヴィアとの因縁を思い出す前に。


「奴だけは、ここで始末しておく必要がある」


 方向転換をすると、ディヴィアは血色のドレスをはためかせながら空を滑った。



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