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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
9章 曙光散らす 死の翼
133/226

24.終極


 ◆


 与えられた役割も果たせず、おめおめと生き残ってしまった。


 フェイヴァたちと完全に敵対するのか、それともアーティのためにディーティルド帝国につくのか。答えを出せないままに、ルカと合流したハイネは、空を駆けていた。


 灰色の大翼が力強く羽ばたく。先導するハイネの後ろにルカが続く。彼の翼竜はリヴェンが騎乗しているため、代わりにルカはハイネの翼竜の手綱を握っていた。


 空中には、主を失った翼竜が羽ばたいている。地上に視線を投げれば、胸を一突きされ火花を散らす死天使や、魔獣に食い散らかされた魔人の姿があった。レイゲンたちを阻んだ魔人や死天使は、いずれも倒されたのだろう。天空に散開していた飛行部隊の姿はなかった。


 ほどなくして、合流地点であるカルトス大平原の中央に差しかかる。特徴的な小高い丘には木々が疎らに生え、寂しい色をした草が風に撫でられていた。


 そこに、いた。レイゲンたちと交戦する三人の男女。リヴェンはワグテイルとメリアを、同時に相手にしていた。彼らの連携にリヴェンは防戦一方で、身体に刻まれた傷からは血が滲み出ている。


 レイゲンは、血溜まりの中に顔を浸していた。今まで一度として敗れたことのない彼が――信じられない光景を前に、ハイネは己の目を疑う。ガウンを纏った男が、レイゲンの傍らに立っていた。遥か昔に絶滅した肉食動物を彷彿とさせる、たてがみのような漆黒の髪。分厚い衣服の上からでもわかる、隆々たる肉体。


(あの男が……)


 話に聞いていたアルバス・クレージュなのだろう。ディーティルド帝国の技術を司る、技冠の一人。現、兵器開発責任者であり、ハイネを死天使として造り替えた男だった。


 レイゲンたちから離れた位置に倒れていたフェイヴァは、大剣を引き摺って立ち上がった。彼女の背後には、血に染まったユニの姿がある。彼女は身動ぎ一つすることはなかった。


 ハイネたちは儀式の内容について知らされていない。悪い予感が頭をもたげていたが、それでも、早々にユニが殺されることはないと考えていたのだ。


 事切れたサフィを見た時に感じた、胸を圧迫するような罪悪感が襲いかかる。


 ハイネの目に、自分たちのせいで死んでしまった者たちの、恨めしい顔が浮かび上がった。罪悪感は強烈な自己嫌悪に繋がり、精神の影響を受けないはずの機械の身体に、変調をもたらす。無意識の内に繰り返してきた、人間の真似事を困難にさせる。上手く空気が吸えない。


「おい、あれ!」


 ルカの鋭い声が、ハイネを現実に引き戻した。ハイネの隣に並んだ彼は、地上に指を突きつける。


 指先が示したのは、黒いローブを身につけた小柄な少女だった。不健康そうな白い肌に、棒のような手足。フードから覗いた金色の髪は、日の当たる角度によって茶色がかって見える。


「アーティ……!?」


 そんなはずはない。彼女は施設で寝たきりの生活を送っている。必死に自分に言い聞かせるが、恐ろしいほどアーティに酷似した少女は、消えてなくなることはなかった。


「あいつら、初めからこうするつもりだったんだ!」


 ルカの叫びは、底知れない怒りと悲痛を孕んでいた。


 ベッドから離れられないほど病状が進行していたアーティが、健常者と変わらず出歩ける理由。


 彼女は、魔人に造り替えられたのだ。


 ハイネたちが任務を遂行しようとしまいと、彼らはアーティを人間のまま生かしておくつもりなどなかったのだろう。道具として使い潰すのだ。


 二人が使命を全うすれば、アーティを人間として生かし続ける。彼女に自分たちと同じような苦しい思いをさせたくなくて、今までやってきたというのに。


 友人たちを裏切り犠牲にし――得た結果が、これ。


「許せない!」


 ハイネは急降下した。後ろからルカの声がしたが、構わず翼を羽ばたかせる。


 ハイネたちがディーティルド帝国に従う理由はもうない。アーティに呪われた運命を背負わせ、自分たちを利用した彼らに、刃を向けることに躊躇はなかった。


 リヴェンの大剣を、メリアは斧で受け止めていた。彼女の肩に狙いを定めハイネは刃を閃かせる。


 唐突に悪寒が背筋を走った。


 激しい衝撃が横からハイネを打ち据える。地面が眼前に迫り、千切れた草を撒き散らしながら滑り落ちた。


 攻撃を受けたのか。一体どこから。メリアを探して視線を走らせるが、途端に激痛を感じハイネは悲鳴を上げる。


 剣を握った手が、へし折れている。金属の骨格が、人工皮膚から突き出ていた。右翼も叩き折られており、鋭い破片が膝下に散乱している。


「何かと思えば、小煩い蝿か」


 人の血の色をした瞳に冷然とした光を湛えて、アルバスはハイネを見下ろした。


 メリアにばかり気を取られていたといっても、気配を感じさせないあまりに速い攻撃だった。ハイネは全く反応することができなかったのだ。


「造ってやった恩を忘れたか。誰のおかげで生きていられると思っている」

「……そんなの頼んでない! どうしてアーティを魔人にしたの!? 話が違う!」

「魔獣を体内に植えつけられたことがそんなに不満か? 病床に縛りつけられたまま生を終えるより遥かに幸せだろう。私は生きるための選択肢を与えたに過ぎん」


 何故そんなことを尋ねるのか、不思議でならないといった表情だった。男にとっては、化物の肉片を埋め込まれて人に排斥される定めをおおされることは、取るに足らないことらしい。


 ――そうでなければ、死んだ人間から魂を引き剥がして機械の身体に移すなどという、常軌を逸した計画を実行するはずがない。


(駄目だこの男! 頭がおかしい!)


 翼竜から跳び降りてきたルカが、大剣を振り下ろした。前方からは体重をかけた斬撃が、後方からはレイゲンが刃を突き出す。二人の剣筋はほぼ同時にアルバスを襲った。


 アルバスの正面と背後に出現したのは、紫紺色をした盾だった。一突きで砕けてしまいそうなほど薄いのに、二人の繰り出した大剣は、耳障りな音を散らして阻まれる。


 主の身を守ると同時に、盾は二振りの剣へと姿を変じ、刃を走らせる。レイゲンとルカは回避できずに一撃を受け、地面に叩きつけられた。


 ハイネは瞳を見開きルカの名を叫んだ。駆け寄り、右手の痛みも構わず助け起こす。


 地の能力によって創り出された透明の膜のおかげで致命傷は免れたが、それでも傷は深く、腹部に開いた傷から今にも内臓が見えそうだった。ルカは血を吐く。


「俺のことはいい。アーティを、頼む」


 絞り出すように呟かれた言葉に、ハイネは頷いた。首を巡らせて、アーティを探す。


 フードから、金の髪がこぼれている。アーティは各人が交戦している位置から少し外れた場所にひざまずいていた。傍らには人一人が横になれるほどの大きさの石の箱が置かれている。まるで本当に人が入っているかのように、蓋の上部には小さな穴が開けられていて、酸素が内部まで行き届くようになっていた。


 アーティに走り寄っていたハイネは、間近に迫る風を感じ、前に飛んだ。後方から投擲される小刀を、振り返って剣で弾く。死天使に利き腕という概念はないが、右手の痛みが強く意識を揺さぶって、上手く刃をあやつれない。小刀の何本かは弾ききれずにハイネの身体を斬りつけ、肌を焼きつかせた。顔を歪めつつ投擲の間隙を縫って、ハイネはワグテイルに肉薄する。


「やっぱり裏切りやがったか、この鉄屑がぁ!」

「先にわたしたちを裏切ったのはお前たちだ!」


 大剣と小刀がぶつかり合い、音を立てて噛み合った。


 ハイネはワグテイルを蹴り上げるが、至近で炸裂した火炎に吹き飛ばされた。木の幹に激突し、身体の内側が大きく軋む。ハイネは呻き、崩れ落ちた。


 追撃しようとしたワグテイルの背後から、傷だらけになったリヴェンが雷撃を放った。ワグテイルは身軽に回避し後方を向くと、掌から三弾の火球を打ち出した。リヴェンがいた一帯が炎に包まれる。


 眩んだ視界に飛び込んでくるものがあった。二つに結わえた髪を振り乱しながら、メリアが斧を振るう。


 狙いは反らされる。接近したルカが、大剣を振り抜いたのだ。彼女は不快げに眉根を寄せ、噛み合った大剣ごと斧を薙いだ。樹の幹をへし折り兼ねないほどの、強烈な一撃。ルカは吹き飛ばされるが、両足で踏み留まり辛うじて転倒を避けた。瞬時に能力を発動する。自身の周囲に展開した光球が、瞬く間に炸裂し視野がしらむ。


「ハイネ、頼む!」


 ハイネは身を翻し、アーティに駆け寄った。大剣を捨て、怯え後退りする彼女の腕を掴まえる。


 アーティはきっと、自分のことがわからないに違いない。


 形式だけは孤児院であった隔離施設から、ディーティルド帝国の兵器開発施設に移され、死天使にされた時から。ハイネの外見年齢は十六歳前後のまま変化がない。生前の黒髪も黒い瞳も消え失せ、夏の木々を思わせる色の髪と、灰色がかった緑の瞳に変化した。生前と何一つ共通点のない容姿に閉じ込められて、生きている自分。


 見知らぬ人物に抱きつかれて、恐怖に暴れるだろうと思われたアーティは、予想に反して小刻みに震えだした。病弱さを示すほどに白かった肌はますます青白くなり、小さな唇からは呼吸困難に陥っているような不規則な吐息が漏れる。やがて糸が切れたように、身体から力が抜けた。気を失ってしまったようだ。


 焦り、呼びかけようとしたハイネは、硬いものの上を何かが這いずるような音を聞いた。アーティがたった今まで見つていた石の箱。その中でうごめいているものがいる。


 空気を引き裂く鋭い音。


 紫紺の剣が眼前に迫る。避ける時間も残されておらず、ハイネは咄嗟に身をひねった。アーティを左腕に抱えたまま倒れる中で、剣が大きく肩を削っていった。飛び散った血が頬を濡らす。悲鳴を、歯を強く噛み締めて殺した。


「そろそろ目覚めるか」


 石の箱の傍らに降り立ったアルバスは、蓋を引き剥がすと中から女の身体を抱き上げた。彼女の身体を覆うのは、鮮血のドレスだった。生地は青白い肌の色をうっすらと浮かび上がらせるほどに薄い。裾は足先まで隠すほどに長く、不自然な光沢を浮かび上がらせている。それは本当に衣服なのだろうか。女の身体に付着した、返り血だと言われた方が説得力がある。癖がついた金髪が肩を流れていて、耳は人間らしからず尖っている。


「目的は達した。あとは後続の部隊に任せる」


 アルバスは跳躍すると、宙に浮かび上がった。ハイネは目を見張った。人間が、空を飛ぶなんて。


 ルカとリヴェンに挟まれていたメリアとワグテイルは、同時に口笛を吹いた。降下してきた翼竜に跳び乗る。


「さようなら、リヴェン」


 二人はアルバスに続いて飛翔した。彼らの進行方向には、主を案じて木々の上に留まっている三頭の翼竜がいた。レイゲンたちが騎乗していた翼竜だ。ワグテイルの顔がそちらに向けられているのを見て、ハイネの中で憂慮が膨らんでいく。気づいたルカが咄嗟に口笛を吹いて翼竜を退避させようとしたが、時既に遅し。


 ワグテイルの放った火球が、体力を消耗していた翼竜たちの間に突っ込んでいった。一頭が悲痛に鳴いて、地上に落下する。翼は焼け焦げ、最早舞い上がることはできないだろう。他の二頭も興奮した声で鳴きながら飛び去った。胴が延焼しており、命は長くないだろう。


「クソッ……!」


 リヴェンが苦々しげに吐き捨てる。


 飛行手段を、失ってしまった。


 四人は彼方に消えていき、それと入れ替わるようにして、無数の黒点が曇天に散らばった。あれが何なのか、考えずとも理解できる。耳を澄ませば、機械仕掛けの翼が空を叩く音が聞こえてくるようだった。


 天空をかける死の天使。


 あとに残されたのは、疲弊した六人だけだった。


 リヴェンは木の幹に寄りかかり、荒い呼吸を繰り返している。


 剣を支えにして立ち上がったルカは、近づいてくる敵影を見て顔を険しくした。


 レイゲンは膝をついたまま動かない。どんな強敵にもほとんど消耗することなく打ち勝ってきた彼は、今この時、完膚無きまで敗北した。


 周囲を見渡したフェイヴァは、レイゲンに目を止めて唇を噛んだ。彼女が身につけた簡素な衣服は破れ、その下の肌は赤くなっている。刻まれた傷の中には塞ぎきれないものもあった。


 目覚める様子のないアーティの手を握って、ハイネは空を仰ぐ。


 青空を内に閉じ込めた雲が、雫を降らせ始めた。段々と強くなっていく雨音とともに――終極が訪れようとしていた。



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