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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
9章 曙光散らす 死の翼
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17.姉妹(2)

 しかし覚悟した刃は、フェイヴァに及ばなかった。


(どうして……)


 飛びかかってくる鼠を斬り捨てながら、フェイヴァはハイネの動きを観察する。彼女はフェイヴァが肩の傷に動きを鈍らせたあと、すぐさま攻撃に移らず、上空で旋回していた。最小限の翼の動きで方向転換し、フェイヴァを斬りつけることが可能だったはずだ。何故そうしなかったのだろう。激痛に意識が囚われたその一瞬ならば、剣は難無くフェイヴァの胸に届いたのに。


 フェイヴァの中に、ひとつの予想が浮かぶ。けれどもそれは、いまだ現実を受け入れられない自分が考え出した、愚かな逃避なのかもしれない。


 ハイネは大きく羽ばたいたあと、急降下した。フェイヴァが最後の一匹の息の根を止めると同時に、接近する。


 フェイヴァは左手を動かし、土を掴んでハイネに投げつけた。彼女は舌打ちし顔を背けたが、砂粒は確かに顔面を捉えていた。


 目を閉じたまま、ハイネの剣が闇雲に突き出される。


 肉を突き破る音。刀身が沈む。血が飛び散り、ハイネに振りかかる。


 彼女の身体が小さく震えた。血の生温かさに、戸惑っているみたいだ。次の瞬間フェイヴァは――彼女のきょうとうとした声を聞く。


 ハイネの剣が貫いたのはフェイヴァではなく、首を斬り落とされたスライトだった。


 フェイヴァはハイネの背後に回り込むと、剣を突き出した。刀身は灰色の羽を折り、欠片が地面に突き刺さる。腕を引き、更に剣を振るう。ハイネの背中を縦に斬り上げた。


 ハイネは悲鳴も呻き声も上げなかった。ただ、斬られた衝撃に仰け反った身体を、制動しようとした。左足を軸にして振り返ると、フェイヴァの腹を蹴りつける。


 重量を感じさせる蹴りは凄まじい衝撃を与え、フェイヴァはしばらく起き上がることができなかった。ハイネが歩み寄ってきて、握っていた剣が蹴飛ばされる。


「まさか、こんな手を使ってくるとはね。少しびっくりしたよ」


 フェイヴァの赤く染まった衣服の襟を掴んだ。仰向けにすると、右手の剣を振り上げる。


 切っ先は、天を向いたまま動かない。


 彼女は険しい表情で、フェイヴァを見下ろしていた。眉間に刻まれた皺。強張った口許。


 ハイネの心が、せめぎあっている。葛藤が手に取るように伝わってくる。彼女は本心から、この状況を望んでいるわけではないのだ。だからフェイヴァに止めを刺せる機会があっても、実行に移さなかった。本気で破壊するつもりなら、最初から大剣を抜いて斬りかかってくるはずだ。フェイヴァの武器にあわせて片手剣を使う必要はない。


 けれども、いつまでもこの状況が続くとは思えなかった。敵に対する情けを、ハイネは遅かれ早かれ捨ててしまうだろう。今の状況はただの、気の迷い。情に流されるほどの気持ちしかないのなら、初めからフェイヴァたちの邪魔をしたりはしない。ハイネとルカには、止むに止まれぬ理由があるのだ。友人であるフェイヴァたちよりも――きっと彼女たち自身の命よりも大切な、譲れないものが。


 フェイヴァは浅く空気を吸い込むと、ハイネの額に勢いよく頭をぶつけた。両足を踏みしめ跳び上がり、彼女に激突する。


 仰向けに倒れたハイネの剣を、蹴りつけた。剣は放物線を描いて岩に突き立つ。


 ハイネがフェイヴァの足首を掴み、地面に引きり倒した。フェイヴァは両手で身体を跳ねらせ、立ち上がろうとしたハイネの肩口を蹴り上げた。ハイネは砂埃を巻き上げながら後方に吹き飛ぶ。


 フェイヴァがよろめきながら立ち上がると、ハイネもほぼ同時に地面に足をつけていた。


 互いの身体の切創は、死天使の自己修復機能によって塞がりつつあった。流血は止まり、痛みもやがて消えるだろう。けれども身体に受けた傷よりも深いそうが、心には刻まれている。


 ハイネの視線が素早く走る。岩に突き立った剣までの距離と、フェイヴァとの間合いを測っているのだろうか。剣を取りに行くまでの時間がないと判断したらしい。彼女の足がフェイヴァに向けられる。



「もう……やめよう」


 駆け出そうとしたハイネに、静かに訴える。


「どうして私とハイネが戦わなくちゃいけないの!? こんなの、虚しいだけだよ!」

「あんたたちを、ここで殺すのがわたしたちの役目なんだよ。こうなることは……訓練校にくる前から決まってたんだから。演技だったんだよ。あんたたちとの会話は、全部」


 ハイネの冷笑は真に迫っているように見えて、その実、空っぽだった。こんなに感情が籠っていない顔つきを、フェイヴァは見たことがない。


「相手の信用を得るのは潜入の基本だよ。本当に騙されやすいんだから」

「違う。ハイネはそんな人じゃない」


 彼女の言葉が嘘だと言うことを、フェイヴァは知っている。


 フェイヴァを叱り、自信を持つように言い聞かせてくれた。周りの顔色を窺い、流されるままだったフェイヴァに、生き方を教えてくれた。


「あなたは、苦しんでいた私に寄り添ってくれた。私を想って叱ってくれた。あの二人組に壊されかけた時も、ハイネの言葉があったから私は立ち上がれたんだ。あなたがいてくれなかったら、私はここにはいられなかった。今までかけてくれた言葉が……演技だったなんて思えない」


 ハイネは強く首を振った。苛立たしげに足下を蹴りつける。


「あんなの全部、適当に言っただけなんだよ! 心なんて籠ってない! それを言葉通りに受け取るなんて……だからあんたのことが嫌いなんだ!」

「じゃあどうして、ハイネは泣いてるの?」


 はっとして、ハイネは自身の顔に手をやった。指先に、目尻から流れた涙が触れる。自分でも信じられないように目を見開いて、あふれる滴を拭う。


「違う、これは……! わたしはあんたたちのことなんて、なんとも思ってない!」


 ルカ以外の前ではつれない態度をとるハイネが、泣いている。拭っても拭っても止まる気配のない涙に、彼女の本心が現れていた。


 込み上げてくる衝動を堪えながら、フェイヴァはハイネに語りかける。


「私たち、もう二人きりなんだよ。この世界でたった二人の、心を持った死天使なんだ。私にとってあなたは……時々傷つくことも言うけど、でも、なんでもできる、お姉ちゃんみたいなものだから!」


 醜い化物の中から生まれ、人に疎まれることが約束された、温かな血が通わぬ身体。


 けれども、投げ捨てることはできない。逃げ出すことはしたくない。


 自分のことを好きになれる日は遠いかもしれない。心の底から受け入れて、信じてやれる日はいつになるかわからない。けれども、血を吐きながら生きていかなければいけないのだ。


 それを教えてくれた、たった一人の姉妹。


「ハイネと友達になれて、嬉しかった」


 同じ痛みを知っているのが、優しいあなたでよかった。


 フェイヴァの頬を、涙が濡らす。微笑もうとしたけれど、唇が震えただけだった。


 ハイネは顔を歪める。目の際に盛り上がった滴が、こぼれ落ちていく。白い頬に涙の筋が幾重にも走った。


「どうして……そんなこと言うの……」


 顔を伏せると、緑青の髪が彼女の目元を隠す。唇が、強く噛み締められる。


「でも、それでもわたしは……!」


 背中に伸びた腕が、大剣の柄を掴む。一息に引き抜くと、磨き抜かれた刀身が陽光を照り返す。


「両方とも選べない。ここで退くわけにはいかない!」


 ハイネ自身を奮い立たすように響き渡るその声は、激しく強い。


 髪をたてがみのように振り乱し、ハイネが間合いを詰める。


 情も躊躇いも振り切って、ハイネは猛然と駆ける。ただひとつのもの。自分の命よりも大切なものを、優先するために。


 彼女の心は決まった。


 打ち破らなければ、ハイネはフェイヴァの前に立ち塞がり続けるだろう。


 ハイネを迎え撃たなければならない。彼女の言う通り、どちらとも選ぶことはできないのだ。助けたい人がいる。覚悟を決めなければならない。


 フェイヴァは足下の岩を蹴り砕いた。石の破片が散弾のようにハイネに襲いかかる。それは力強い剣筋で、すべて弾き飛ばされる。


 ハイネが肉薄する。フェイヴァと彼女の視線が交わる。


 フェイヴァは右足を振り下ろした。靴底は大剣の背を捉え、地面にめり込ませる。ハイネの身体が大剣に一瞬、引っ張られる。


 フェイヴァは右腕を引き絞ると、振り抜いた。拳は鋭く風を切り、ハイネの腹を正確に捉えた。重々しい音に続き、空気が弾ける。発生した風圧が、フェイヴァの全身をなぶっていった。


 ハイネは後方に吹き飛ぶ。叩きつけられた岩に亀裂が入り、彼女は岩の破片の上に投げだされる。


 フェイヴァは大剣を引き抜くと、仰向けになっているハイネに突きつけた。


「まさか……あんたに負けるなんてね」


 乾いた笑い声がハイネの口から漏れた。


 迷いを抱きつつの戦いで、本気を出せるわけがない。自分では全力で戦っていると思っていても、無意識に力を抑制してしまっているはずだ。もしもハイネがはんもんを抱いておらず、フェイヴァに対して友愛を感じていなかったならば、今立っているのは彼女だっただろう。


「一思いにってよ」


 フェイヴァは大剣の切っ先を、地面に向けた。


「もう、おしまい。ハイネも私も傷だらけ。これで恨みっこなしだよ」

「……またそんな甘ったれたことを」


 今回ばかりはハイネも人のことを言えない。


「二人がこんなことをしたのは……もしかして、アーティちゃんと関係がある?」


 ルカが語ってくれた施設での暮らし。彼とハイネの妹のような存在だった、アーティという少女。重度の侵蝕病を患い、寝たきりの生活を強いられているという。


 ハイネの眉が、小さく跳ねる。フェイヴァの予想が的外れではないことを、彼女の反応が証明していた。


「ユニを助け出したら、みんなで話し合おうよ。二人で悩んでるより、ずっといいと

思う」


 レイゲンは反帝国組織の兵士見習いだ。彼から組織に働きかけてもらえば、何かできることがあるかもしれない。


 安易な気持ちでそう口にしてしまって、後悔した。ディーティルド帝国で、三人がどのような立場に置かれているのか、フェイヴァは知らないのだ。できることなど、ないのかもしれない。


 ハイネ自身にも結果は目に見えているのか、彼女はフェイヴァの言葉に表情を動かさなかった。疲れきったふうに見える横顔

は、空を仰いだままだ。


「……これ、借りていくね」


 フェイヴァは大剣の柄を握りしめると、飛翔した。翼の羽ばたく音に紛れて、涙を堪えた小さな声が届く。


「アーティ……許して」



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