13.疑惑
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都市ネルガルから五十キロ地点。
眼下には、都市デュッセルがある。ネルガルより一回り小さなその都市には、茶色と肌色のレンガで造られた建物がひしめいている。
翼竜が翼を羽ばたかせるたびに地上との距離は開き、建造物も道を歩く人も、やがて小指の先ほどに小さくなる。
「助かったぜ、レイゲン」
レイゲンのやや後ろを、翼竜に騎乗したディーアが飛行していた。髪の下の陽に焼けた顔が、悪びれる様子もなくニカリと笑う。
肩越しに彼の顔を見たレイゲンは、正面に視線を戻し溜息を落とした。
ロイド教官の先導の下、ゲイム王国に発ったレイゲンたち。教官の監視があるうちは品行方正な振る舞いを心がけていたが、四六時中緊張感を漲らせていることはできない。特に食事中や休憩時間には、どうしても気が緩んでしまうものだ。
休憩のために立ち寄った宿で、ディーアと他二名が部屋のクッションの投げ合いを始めた。レイゲンは子供じみた真似はやめろと注意したが、同年代の言うことなど聞く耳を持たれない。結局、教官が来たことにより馬鹿げた戯れは終了したのだが、その際にディーアは身分証明の手形を紛失してしまった。
それはロートレク王国から発行された物で、闘技大会の受付で掲示しなければ大会に参加することができない。
デュッセルを発って一時間が経過した頃にその知らせを受けたロイド教官は、青筋を立ててディーアを叱責した。レイゲンは五人を統率する役目を与えられており、ディーアのお目付け役として、彼とともに都市に引き返してきたのだった。
「場所柄を弁えずはしゃぐなんて、子供と同じだ。お前らはどうかしてる」
「悪かったって。でもこの状況、じっとしてるほうが難しいと思うぞ。こんなに遠出する機会なんて滅多にないし、大会のこと考えたらワクワクして夜も眠れねぇって。どんな奴らが参加するんだろうな? 楽しみじゃねぇの?」
強敵と戦い、自分の力がどこまで通用するか確かめたい。戦闘技術を積んでいる男ならば誰もが思うことだ。レイゲンにもそういった感情はある。しかし、相手は非力な人間だ。加減して武器を振るわなければならない。それを思うと、高揚するというより憂鬱な気分になる。
それに今は、大会よりも気がかりなことがある。
「……興味がない」
「つまんねぇ奴。でも、お前案外いい奴だよな。手形だってお前が見つけてくれたし。お前いつも不機嫌そうで、初めて見た時気に食わねぇ奴だと思ったんだよな。黙ってないで、自分の思ってることもっと喋れよ。そうすりゃ俺ら、上手くやれるんじゃねぇの?」
(よくもまあ、次から次にべらべら喋れるものだ。口が疲れないのか)
レイゲンの返答を待たずに、ディーアは次の話題を見つけたらしい。背後からしつこく名前を呼んでくる。
「な、いいだろこれ。彼女が作ってくれたんだよ」
ディーアは制服の袖を捲って見せつける。白と青の糸を複雑に編みこんだ物が、手首に巻かれている。ヴンシュと呼ばれる組み紐の一種である。イクスタ王国発祥のお守りで、古くは、航海する男たちの無事を願って、女たちが編んだものと言われている。
「試合中には外しとくけど、身近にあるだけでも心持ちが違うぜ。……まあ、お前ならこういうお守り、十も二十も貰ってるんだろうけどな」
(自慢してるのか、こいつ)
自分が少しでも羨ましいと感じてしまっていることに、レイゲンは苛立ちを覚えた。
もしもフェイヴァが獄所に囚われることなく、今も訓練校生活を送っていたとしたら、レイゲンに対して何かしらの物を手作りしてくれただろうか。
菓子を差し出すフェイヴァの顔が思い浮かんだ。恥ずかしげに頬を染めて、はにかんでいる。
虚しい想像に、レイゲンは項垂れた。フェイヴァが大変な時だというのに、何を下らないことを考えているのか。
「……無駄口は叩くな。早く」
後ろを振り向いたレイゲンは、ディーアから背後の山々に視線を移した。人間を超越した視力は、木々の一本一本まで鮮明に読み取る。山の間を飛ぶ、黒い靄のようなものが見えた。東の方角――ネルガル方面へと向かっている。一見するとそれは、黒い鳥の群れに思えた。
――違う。鳥ではない。それは明らかに、人の形を取っている。巨大な翼を背負った、人間。視野に映し出された見知った姿に、レイゲンの背中に悪寒が走った。
「お前は先に行ってろ」
「え、おいっ!?」
レイゲンは翼竜を方向転換すると、胴を蹴りつけた。翼竜は身を踊らせる。広げられた翼が、力強く空気を叩く。
風圧が身を切るような強さをもって、レイゲンに吹きつける。前方に視線を固定し、ひたすらに翼竜を急かした。
目標に到達するには、切り立った山々の間隙を抜けていかなければならない。その間に更に距離を離されてしまうだろう。翼竜の飛行速度は死天使には敵わない。ここは追いつこうとするのではなく、ネルガルに先回りすべきだ。
(奴らの目的は何だ)
拉致か、殺戮か。どちらにしても、敵の数が尋常でない。そもそも、今レイゲンが目にしている部隊が、先発隊とは限らないのだ。敵はすでに都市に襲来し、惨劇を繰り広げているかもしれない。
(何故、今)
まるで見計らったかのような、絶妙なタイミングだった。
敵が何を目的にしていたとしても、死天使や魔人を単独で屠れるレイゲンは最大の脅威となるはずだ。できる限り接触を避け、作戦を実行に移すだろう。
レイゲンがネルガルを離れる、今日という日に。
事実、ディーアの件がなければ、レイゲンは教官たちと順調に空の旅を続けていた。ネルガルに向かう死天使を目撃することは、なかったのだ。
(前にも同じことがあった)
フェイヴァの正体が周知されてから、彼女の置かれた状況に気を取られていて、振り返って考えることをしなかった。
どうして一度でも、違和感を抱かなかったのだろう。
フェイヴァを連れ去った魔人たちは、何故商業区にいたのか。しかも、レイゲンが側にいなかったあの時に。
フェイヴァがウルスラグナ訓練校にいると知っているなら、真っ先に校舎を襲撃するはずである。
(胸騒ぎがする)
レイゲンは詰めていた息を吐き出すと、翼竜の胴を強く蹴った。
都市ネルガルへ。翼竜は疾く翔る。




