15.予感
◇◇◇
空は薄闇の衣を脱ぎ捨てた。地平線の彼方から顔を出した太陽が、大地に直立した無数の岩を眩く染める。
レイゲンと彼の翼竜の傷を完治させてから、フェイヴァたちはウルスラグナ訓練校に帰還するために行動を開始した。
ユニやハイネが口笛で呼び寄せた翼竜が、天井が崩れ落ちた部屋の中に着地し、主を乗せると飛び立った。
上空で旋回する二頭の翼竜を仰いで、自分はどうやって帰るべきだろうかとフェイヴァは悩む。
長時間能力を行使し続けたサフィは、体力の消耗が激しいため、ルカが操る翼竜に乗ることになっていた。サフィが乗ってきた翼竜を、フェイヴァが代わりに利用する――ということは残念ながら難しい。
翼竜は乗り手に心を許さなければ、空に飛び上がることもしない動物である。そのため、あらかじめ時間をかけて飛行訓練を行う必要があるのだ。乗り手の匂いや手綱を操る際の微妙な癖を覚えるため、訓練をしていない者が乗りこなすことは困難である。料金と引き換えに市民に翼竜を貸し出す乗竜でも、事前に五日ほど飛行訓練を受けなければならない。
しかし、一部例外がある。テレサだ。ディーティルド帝国の兵器開発施設から脱出する際、訓練もせずに彼女は翼竜を乗りこなしていた。人間を凌駕する力があれば、翼竜を無理矢理従わせることもできるのだろう。
テレサにもできたのだから、死天使であるフェイヴァにも可能かもしれない。
そう思いはしたが、自己の異常性を見せつけるのは抵抗があった。今しがた、人間でないフェイヴァをみんなが受け入れてくれたばかりなのだ。
「フェイヴァ、お前レイゲンの後ろに乗って帰れよ」
「……え」
大剣を振って魔獣の血を落としたルカが、肩越しに振り向いて気楽な調子で言う。
ルカとリヴェンは、みんなが翼竜に乗り飛び立つまで、接近してきた魔獣の相手をしてくれているのだ。
すっかり傷が治ったレイゲンの翼竜は、今すぐにでも飛び立ちたいと言わんばかりに大きく翼を広げた。レイゲンはその背に跳び乗ると、フェイヴァに手を差し伸べる。
「フェイヴァ」
フェイヴァはレイゲンの手を見つめる。脳裏にふと浮かんだのは、空からフェイヴァを見下ろしているユニの顔であった。
拉致されたフェイヴァを助けに来てくれたレイゲンを、妖魔を倒すために飛び立ったフェイヴァに加勢してくれた彼を、無視し続けていくことは、もうできなかった。
だが――以前のように必要以上に彼と親しくしてもいいのだろうか。
レイゲンに想いを寄せているユニは、どんな気持ちでフェイヴァたちを見下ろしているのだろう。
今だけではない。妖魔を倒した時も、フェイヴァは彼の翼竜に乗ってしまった。みんなに受け入れてもらえたことがただ嬉しくて。差し出されたレイゲンの手を、フェイヴァは握ってしまった。
他ならぬ、ユニの目の前で。彼女はきっと嫌な思いをしただろう。
それにレイゲンだって。フェイヴァと一緒に翼竜に乗っているところを見たら、ユニが悲しむとは考えないのだろうか。
「早くしてくれよ」
「ぼさっとすんな。とっとと決めろや」
フェイヴァが逡巡している間に、新手の魔獣が接近してきていた。フェイヴァの優れた視力は、砂煙を立ち上らせる熊型の魔獣を鮮明に捉える。地響きが激しくなり、間隔が短くなっている。
フェイヴァは気持ちを固め、レイゲンの手を握った。彼は腕を引いて、フェイヴァを自身の後ろに座らせる。
フェイヴァが迷えば迷うだけ、ルカとリヴェンに迷惑がかかる。ユニには後で申し開きをするしかない。
「お願いします」
「ああ。しっかり掴まってろ」
レイゲンが翼竜の胴を蹴ると、たくましい四肢が床を蹴った。分厚い皮膜が張った翼が広がり、空気を捉え叩き、飛び上がる。
上空で三人を待っていると、ほどなくして二頭の翼竜に乗ったルカとリヴェンが飛び上がってきた。ルカの後ろにはサフィが腰を落ち着けている。サフィが乗ってきた翼竜は、その手綱をルカの翼竜の鞍に結びつけられていた。
レイゲンが以前乗っていた反帝国組織で訓練された翼竜は、指示さえあれば単独で帰還することも可能だった。だが、ウルスラグナ訓練校が所有する翼竜には、空路を覚え込ませるほどの調教はされていない。
「ハイネ、先行してくれ」
「うん」
ルカの頼みに、ハイネが返事をする。彼女は翼竜を緩く旋回させると、進行方向に向かって大きく羽ばたかせた。
ハイネにリヴェンとルカが続き、ユニも遅れて後を追う。翼竜の胴を蹴る前に、彼女がこちらを振り返ったのが見えた。
ユニの表情を見るのも、自分の顔を見られるのも抵抗があり、フェイヴァは咄嗟に顔を伏せてしまう。
「……俺よりも、リヴェンの後ろに乗った方がよかったか」
気まずさを感じて心苦しくなるフェイヴァに、レイゲンが妙なことを口走った。
フェイヴァは瞬き、彼の横顔を見上げる。
(……どうしてリヴェンが出てくるんだろう?)
「――いや、何でもない」
質問をする前に翼竜の飛行速度がぐんと増して、フェイヴァはレイゲンの背中にしがみついた。長髪が荒々しく風に撫でられる。
彼の身体の前に回した手に、力を込めることができない。ハイネたちに続く前に、フェイヴァの方を振り向いたユニのことが、頭にずっとちらついている。
「……ごめんなさい。私、帰ってからユニに謝ります」
「何故ユニの名前が出てくる」
フェイヴァがレイゲンの後ろに乗ったことが、彼とユニが喧嘩をする原因になってはいけない。そう思いつつ口にしたフェイヴァだったが、レイゲンには意味が通じていないらしい。
フェイヴァは内心で首を傾げる。レイゲンとユニは好き合っているはず。なのに何故、彼はユニが傷つくことにこんなにも鈍感なのだろう。
「何故って、ユニが悲しい気持ちになるかもしれないからです。ユニはレイゲンさんのことが好きで、レイゲンさんはユニの……ことが……」
語尾が掠れた。どうしてもそれ以上、言葉にすることができない。
何故ためらう。無駄な足掻きだ。レイゲンの気持ちはとっくに決まっているというのに。
しばらく無言の時間が続いた。
巨大な翼が風を叩く音が、生まれては消える。
「……お前は勘違いをしているようだな」
思いがけない言葉がかけられ、フェイヴァは訝る。
「どういうことですか?」
「俺が一言でも、あいつのことを好きだと言ったか」
「えっ!? でも、療養室の前で、ユニに誤解されたらいけないからって……」
ユニを見舞いに行った際にレイゲンから聞いた言葉は、彼がユニに抱いている好意を示しているように思えたのだが。
「あれは言葉通りの意味だ。他意はない。それが何故、俺があいつを好きな理由になる」
「……確かに」
よくよく考えてみると、レイゲンは決定的な言葉を何一つ発していない。フェイヴァが勝手に想像を膨らませて、断定したに過ぎないのだ。
気づいた途端に力が抜けた。自分はずっと、レイゲンがユニを好きだと思い込んでいたのだ。自分の中で答えを出してしまうと、他の可能性は考えるまでもなく排除されてしまう。
結論。
(私って馬鹿……?)
「そうやってずっと思い込んでいたから、ユニに遠慮して俺と喋りたくなかったのか?」
「……それは」
言葉に詰まる。
ずっと謝らなければいけないと思っていた。けれどもフェイヴァは、レイゲンに真実を伝えることができない。
ユニにレイゲンを無視するように言われたと、ありのままを告白するのは、告げ口をするようで嫌だったのだ。
フェイヴァにとってユニは友達だ。無茶苦茶な要求をされたからといって、それは変わらない。
「……今までずっと、ごめんなさい。嫌な気持ちにさせてしまって」
「もう誤解は解けたな」
「はい。本当にごめんなさい」
謝っても許してもらえないかもしれない。けれど、今までずっとレイゲンを不快な気持ちにさせてしまっていたことが身に迫ってきて、フェイヴァは他に言うべきことが見つけられなかった。
「謝るな。理由はわかった。この話は終わりだ」
「……レイゲンさん」
きっぱりと話を終え、余計な詮索をしてこない。レイゲンの懐の深さに感謝すると同時に、滲み出した罪悪感に胸が傷んだ。
無視をして、避けて。酷い言葉まで浴びせたフェイヴァを、レイゲンは一体どんな気持ちで助けに来てくれたのだろう。それを思うと、ユニのことを気にする前に、まず最初に言わなければならないことがあるのではないか。
「……助けに来てくださって、ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃない。俺がそうしたかっただけだ」
「えっ」
レイゲンらしくない素直な物言いに、フェイヴァは間が抜けた声を上げてしまった。
自己に価値というものを見出だせなかった今までのフェイヴァならば、レイゲンはみんなに説得され嫌々ながら行動したのだと誤解していたことだろう。
いつだってそうだった。
フェイヴァはレイゲンの優しさを知っているが、それでも人間でない自分のために彼が必死に行動をしてくれるところが想像できなかったのだ。
レイゲンはいつも一歩離れた場所から、フェイヴァを見ている。ずっとそう思い込んでいた。自分の価値を信じられないがゆえに、彼が向けてくれる気持ちを心の深い場所では信じきれていなかった。
しかしフェイヴァは、この時やっと理解したのだ。友人たちだけでなくフェイヴァに対しても、恥ずかしがって本心を隠すレイゲンの癖が露呈していたことを。
面と向かって本心を口に出されるのは、顔が熱くなるほど恥ずかしい。自分は今きっと赤面しているはずだ。
「……あっ、誤解するなよ。お前を見張るのは俺の役目だからな。それだけだ」
発した後に気づいたのか、彼は肩越しにフェイヴァを見た。取り繕おうと口にした言葉は、あまりに慌てていたためか、まともな言い訳になっていない。
自然に笑みが零れる。フェイヴァはレイゲンの腹の前に回した手に、少しだけ力を込めた。
「もういいです。それで」
「くっ」
レイゲンは呻き、フェイヴァから顔を背けた。青藍色の髪の間から覗く耳が、赤く染まっている。
白一色だった空は、鮮やかな水色を滲ませ始めていた。キャンバスにのせられた顔料が、淡く色を広げていくように。
レイゲンの顔色が元に戻るまで待って、フェイヴァは質問を投げかけた。
「どうしてあの場所がわかったんですか?」
「リヴェンからの情報だ。察しているだろうが、奴はディーティルド帝国で創り変えられた魔人だ。二年半前に国を出て、各地を転々としていたらしい。そこで自分と同種の能力を持つ者達と出会った」
「それって、リヴェンと同じようにディーティルド帝国から脱走した人たちがいるということですか?」
「俺も最初はそう思った。――が、どうやら違うらしい。リヴェンが出会った者達は、聖王暦の時代に創り変えられた、魔人たちの末裔だという話だ。彼らは自分たちを創ったセントギルダという組織から逃亡し、隠れ里を作りそこに住んでいたらしい」
「――セントギルダ」
研究施設の深部に足を進める最中、メリアがフェイヴァに話して聞かせていた。聖王神オリジンを信仰する、世界最大の宗教――その前身、セントギルダ。
「魔人たちの末裔は、セントギルダが使用していた研究施設の位置を把握していた。リヴェンは数日をそこで過ごした時に、自分たちのルーツやその施設の位置を教えられたと話していた」
「……そうだったんですか」
ワグテイルとメリアの口振りから察するに、彼らは魔人たちの末裔が住む里を襲ったのだろう。
代々受け継いできた知識は燼滅され、細々と繋いできた命の糸は、完全に断ち切られてしまったのかもしれない。
「あの二人は、隠れ里について話していました。リヴェンがお世話になっていた場所と同じかどうかは分かりませんが……本を燃やし尽くしたという話をしていたから、おそらくは」
「――襲撃された後か」
「……はい」
リヴェンと末裔たちの出会いがなければ、レイゲンたちはフェイヴァを探し出すことさえできなかったはずだ。
積み重ねてきた歴史に、いったいどれだけの苦悩が散りばめられているのだろう。彼らの知識が、巡りめぐってフェイヴァを救ったのだ。そう考えると、なんと不思議な縁だろうか。
「……聞いてもいいか」
魔人の末裔たちについて思いを馳せていたフェイヴァは、レイゲンの声を受けて思考を切り替えた。
「施設で一体何があった? あの化物は何だ? ……答えたくないのなら、日を改める」
ディーティルド帝国の魔人が自ら接触してきたのだ。彼らの狙いと知り得た情報をフェイヴァから聞き出し、反帝国組織に報告する義務が、レイゲンにはある。にも関わらず、無理強いさせる口調ではなかった。むしろ労るような心情が伝わってくる。
レイゲンが駆けつけたときのフェイヴァは、ワグテイルらに傷つけられ、立つこともままならない状態だった。痛めつけられた記憶を呼び起こすことに、彼は少なからず抵抗を感じているのだろう。
「いいえ。私は大丈夫です。あの施設であったことは、レイゲンさんにも知っていてもらいたいです」
「……わかった」
「以前、ペレンデールで覚醒者の女の人が殺された時の光景を見たと、レイゲンさんにお話しましたよね?」
「ああ」
「十七年前のお母さんは、仮面を被った兵士たちを率いていて――彼らにテロメアと呼ばれていました」
ペレンデールの住民を虐殺した覚醒者の女。首を斬り落としてもなお、跳びかかり歯を突き立てる常軌を逸した彼女の執念が、十七年が経過しても墓地に残り続け、フェイヴァに過去の幻影を見せた。
ユニと同種の能力を持つ覚醒者の女は、十歳にも満たないであろうテレサに殺害されたのだ。彼女は、仮面を被り深紫の外套を身にまとった兵士たちを、統率していた。
その仮面の兵士たちこそが、聖王暦から兵器の製造技術を秘匿していた組織の一員であると、フェイヴァもレイゲンも推測していた。
「魔人の二人は、施設の扉を開けるために私を連れて行かなければならなかったみたいでした。私が壁を触った時に、壁に亀裂が入って扉みたいに開いたんです。その時に頭の上から声が聞こえました。“テロメアと認識しました”って……」
フェイヴァが何故、一度も足を踏み入れたことのない奇妙な施設の深部を明らかにできたのか。テレサの組織内での呼び名である――テロメアと同一だと認識された理由は、一体何なのか。
「……どういうことだ?」
「わかりません。彼らはそのことについては、話してくれませんでした。
妖魔という生物に対抗するために組織されたのがセントギルダで、彼らは救世主を創ろうとしたんだそうです。その副産物として、魔人や死天使が生まれたのだと言っていました」
「妖魔……!」
「私たちが戦ったあの巨大な化物が、そう呼ばれていました。魔獣と妖魔をかけあわせた個体だと。魔人たちは透明な入れ物に入った、軟体状の物体を持ち去りました。それが彼らの目的だったみたいです」
魔人たちは――ディーティルド帝国は、一体何をしようとしているのか。
目の前に暗雲が垂れこめているようだった。彼らの計画を推測するどころか、フェイヴァは自分自身でさえまるで把握できていないのだ。
「……お母さんと会って、ちゃんと話をしないと」
テレサの経歴や、セントギルダとの関係――それだけではない。母はあまりに秘密を抱え過ぎている。
一緒に暮らした一年間、テレサはフェイヴァに何も話してくれなかった。あの時は、フェイヴァに関わりがないという理由で、口をつぐんでいたのかもしれない。だが、事態が大きく動いた今――最早その言い訳は、通用しない。
「……あれが、妖魔……」
前方に顔を向けたまま、レイゲンが独り言つ。納得するでも言い聞かせている風でもない。声音には鬼気迫るものが滲んでいる。
「レイゲンさん……?」
「……お前に、聞いてもらいたいことがある。俺の子供の頃の話だ」
レイゲンのただならぬ様子に、フェイヴァは小さく息を呑んだ。
レイゲンの記憶を、フェイヴァの語りが揺り動かしたのだろうか。
大きく吐息を落とすと、彼は淡々と話し始めた――。




