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機械仕掛けの天使は闇夜を翔る  作者: 夏野露草
8章 魔の血族
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14.悪鬼の囁き


◆◆◆


 レイゲンが差し伸べた手を、フェイヴァが握る。彼女の顔には花が咲き誇るかのような笑顔が満ち、あふれんばかりの喜びが涙となって頬を伝っていた。


 握り返された手に、レイゲンが視線を落とす。秀麗な顔貌と切れ長の瞳は、いつも氷のような表情をつくりだしていた。入学してから月日が経ち、いくぶんか親しみ深い顔つきをするようになった彼だが、この瞬間の表情の変化は今までにないほど激烈であった。


 不機嫌さや無表情を主張していた眉には穏やかさが宿り、口許が緩やかに弧を描いている。――微笑んでいるのだ。


 二人は互いだけを見つめていた。最早誰も、彼らの間に割って入ることはできないのだろう。


 ユニは愕然とした思いで、フェイヴァとレイゲンを視野に収めていた。目を反らしたいのに、身体が言うことを利かない。


(ユニ……可哀想にな)


 ユニはいつの頃からか、自分の中に宿る魂――ディヴィアの声を当たり前のように受け入れていた。頭の中から女の声がする。気が狂ったとしか思えない現実に、初めの頃は怯えてさえいたのに。


 ユニにかけられたディヴィアの声にはことさら同情が込められていたが、同時に優しげでもあった。


 この奇妙な施設に足を踏み入れた際に伝わってきた、憤りに満ちた声音とはあまりに違う。




 レイゲンを先頭にして踏み込んだこの部屋で、ユニは化物を目撃した。ガラスのような材質で造られた筒の中で、赤く透き通った液体に包まれた異形の怪物。


 それを目にいれた瞬間、体内から猛烈な憤怒が吹き上がったのだ。驚くほど鮮烈で鮮明。身体が燃やし尽くされるのでは、と思うほどの激情。


(おのれ人間ども……! 我が血族をどれほど辱しめれば気が済むのだ! この屈辱、必ず晴らす!)


 熱り立つディヴィアの声が脳裏を揺さぶった。そうして初めて、ユニは自覚したのだ。この怒りは己の心から発生したのではなく、ユニの精神に張りついているディヴィアの叫びであると。




 あの時のディヴィアの語調の激しさを思えば、今のユニにかけられた声の、なんと慈愛にあふれていることか。


(……お前の魅力は機械に劣る)


 抱き締められた途端に、凶器を首に突きつけられた気持ちになった。ユニは息を詰まらせる。


 ディヴィアを罵倒することも、嘆くこともできなかった。


 手を取り合うレイゲンとフェイヴァが。二人に祝福の眼差しを向けるルカとハイネが。ディヴィアの言葉が事実であることを、痛いほどに告げている。


(お前は悲しむのではなく怒るべきだ。奴は機械の分際で、お前の愛する者を奪ったのだからな。これを屈辱と言わずしてなんと言う?)


 唇から落ちた吐息が震える。


 人間であるユニを差し置いて、レイゲンはフェイヴァを選んだ。


 何がいけなかった。自分とフェイヴァの、どこが違うというのだろう。ユニは決してフェイヴァには劣っていない。容姿だって頭脳だって。フェイヴァが秀でているのは戦闘能力くらいのものだ。それは彼女が死天使だから。ミルラを殺した死天使のように、命を奪うことを目的として付加された忌まわしい能力。


 ユニがフェイヴァより先にレイゲンと出逢っていれば、違った結末が訪れていたのだろうか。今この場所でひとりで立ち尽くしているのはフェイヴァで、彼の隣にはユニがいる。レイゲンは自分だけを見つめてくれる――。


(……フェイヴァが、死天使……)


 確認するように、言い聞かすように、フェイヴァの正体を頭の中で(はん)(すう)する。


 全く予想がつかなかったかと問われると、首を横に振ることができた。


 自分に対してどんなに理不尽な言動を取られても、フェイヴァは決して声を荒げることはなかった。そうされるのが当然だというふうに、言い返しもせず話題を反らすか、ただ愛想笑いを浮かべる。


 幼少の頃のミルラにも同じような嫌いがあったので、フェイヴァと知り合って間もない頃は、そんなこともあるかと深く考えたりはしなかった。けれども一緒の時間を過ごす内に、一向に改善しないフェイヴァの自虐的な性格に、ユニの中にわずかな違和感が降り積もっていった。


 彼女に対する違和感がはっきりとした形になったのは、ユニが療養室でフェイヴァに投げかけた言葉がきっかけだった。




『あんた、人間じゃないわ!』


 両親を殺した悪漢たちを、自分でも説明がつかない能力で斬り刻んだ。ユニが手を血で汚した過去を、最も秘密にしておきたかったレイゲンが知っていた。


 怒りは留まるところを知らず、それ以前までフェイヴァに対して溜め込んでいた不満までも吸収し、自分でも制御できないほど巨大に膨れ上がった。


『あんたなんて……大っ嫌いっ!』


 心に命じられるまま発した叫びを、ユニの聴覚が捉える。途端に、業火のような感情は、冷水を被せられたみたいに鎮火した。


 後には罪悪感だけが残される。


 言い過ぎた、という自覚があった。ミルラを失った心的外傷は理由にならないだろう。八つ当たりと言われても返す言葉がない。


 ここまで言われたら、流石のフェイヴァでも不快感を示すだろう。自己憐憫に陶酔していると非難されても仕方がない。


 ――しかし、ユニの予想は覆されることとなる。


『や……やめてぇっ!』


 フェイヴァはうずくまると、耳を塞いだのだ。白い面からは血の気が引き、極寒の地に投げ出されたかのごとく身を震わせている。


『……すみません……』


 やがて、わななかぬように噛み締めていた唇から、フェイヴァは掠れた声を落とす。


『すみません……。私また、気に障ることを……』


 ユニは目を瞬いた。自分が思い描いていたのとは、まるきり異なる反応が返ってきた。


 これほどの暴言を浴びせられて、何故反抗しない。何故うずくまって顔を伏せているのだ。自分というものがないのか。己は責められるべき存在だと、身体に叩き込まれたかのような大仰な言動。


 青白い顔で震えるフェイヴァに、得体の知れなさを覚えた。理解ができない相手に対して人間が真っ先に抱く感情は、気味の悪さである。




 普通の人間の少女が恋敵だったなら、まだ諦めがついただろう。敗れたとしても、傷心した自分を慰める言葉を考えられたはずだ。


 しかしフェイヴァは、人間ではない。


 時が経てども、瞼を閉じれば(めい)(せき)に浮かび上がる。死天使が振り上げた大剣が、ミルラを貫いた瞬間が。彼女は最期の言葉ひとつ残せず息絶えた。


 よりによって、ミルラを殺した死天使に、生まれて初めて強い憧れを抱いた人を取られてしまうなんて。


 籠手が軋み耳障りな音を立てて、ユニは己の手を強く握りしめていたことに気づく。


「――ユニ?」


 サフィの声が傍らから聞こえてきた。彼は首を傾けて、ユニの顔を覗きこんでいる。瞳に気遣わしげな色がにじむ。


「どうかしたの?」

「……ううん。何でもないわ」


 すっかり自己意識の中に埋没していた。ユニが取り繕って返答した頃には、レイゲンたち五人は部屋の北側に移動していた。


 レイゲンが口笛を吹き、岩の上に留まらせていた翼竜を室内に降ろす。翼竜の後ろ脚の鱗が一部剥がれ、流血していた。


 レイゲンは平気そうにしていたが、鋼片で補強したブーツには穴が空いている。彼がいつよろめいてもいいようにだろうか。近くにフェイヴァが立ち、彼に不安げな視線を送っていた。


 レイゲンの翼竜の様子を屈んで見ていたルカは、立ち上がるとサフィを呼んだ。


 サフィが宿す水の能力は、どんな生物にだろうと効果を及ぼすことができる。翼竜とレイゲンの傷を治癒させるつもりなのだろう。


「僕たちも行こう、ユニ」

「……ええ」


 サフィの背中を追って、ユニも歩き出す。


 彼の声を耳にした時、唐突に現実に引き戻された感じがした。あれほど猛々しく燃え上がっていた感情は鳴りを潜め、頭が澄み始めている。


 さきほどまでの激しい怒気は、一体どこからきたものなのだろう。


 ミルラが亡くなるまでは、フェイヴァはユニにとって世話の焼ける友人でしかなかったのだ。彼女が死天使だからといって、フェイヴァと積み上げてきた思い出が消えてなくなるわけではない。恋愛感情がわからないところや、ユニがレイゲンに対する想いを公言しているにも関わらず彼に菓子を作ったりと、空気の読めない行動でユニを苛立たせることもあったが――それでも、フェイヴァとユニは友達だったのだ。


 フェイヴァが男女二人組にさらわれ、レイゲンが助けに行くと意気込んでいたときも。ユニはフェイヴァの心配をしなかったわけではない。あのときは本気でフェイヴァが無事であってほしいと願っていたのだ。――それなのに。


(アタシはいつから……こんなにも、フェイヴァを憎むようになったの?)


 フェイヴァが死天使だからといって、ミルラを殺した死天使と同一に考えていい理由にはならない。ディヴィアの力で止めを刺されるそのときまで、無感動な顔つきを崩さなかった死天使。彼と比べると、フェイヴァは人間と同様に感情豊かな表情をする。声の調子にも人間らしい温かみが宿っている。彼女が今まで見せてきた顔が、人間を欺くための演技だとは思えなかった。


 足を止めると、床を濡らしている魔獣の鮮血が跳ねた。


(アタシ……一体どうなるの……?)


 心を震わす動揺に、ユニはぎゅっと瞼を閉じる。


 自分の抱く感情は、果たして本当に自分自身の心から生まれたものなのだろうか。


 ディヴィアはフェイヴァのことを敵だと言い、ユニに信用するなと忠告した。彼女がフェイヴァに抱いている不信感がユニに伝わり、フェイヴァに対する不満を憎しみに変換しているのだとしたら。


 ディヴィアの声が感情が、ユニの精神を絡め取っている。自分の心はいずれ、ディヴィアと同化してしまうのだろうか。それとも引き裂かれて、跡形もなく消えてしまうのか。どちらにしても同じことだ。


(私が怖いか?)

(……当たり前じゃない)


 ディヴィアは低く笑う。


(心外だな。私はお前を守るためにこんなにも心を砕いているというのに。お前を真に理解できるのは、この世で私ひとりだけだ。お前は奴を許すことはできない)


 その通りだ。


 冷静になったはずの気持ちは、すぐに熱を帯びる。


 レイゲンの隣にいるフェイヴァが許せない。その場所にはユニがいるはずだった。人間ではない癖に、人間のように振る舞ってユニから想い人を奪っていったのだ。


 フェイヴァに対する憎しみが、自分の中から生まれたものなのか、ディヴィアに操作されて生じたものなのか。考えても答えは出ない。


 今はっきりしていることは、ディヴィアに対する恐怖よりも、フェイヴァに抱く憎しみの方が強いということだ。


(お前は私を信じていればいい。……まだ手はある)


 ユニの瞳は、自然とフェイヴァの右腕に引きつけられた。スカートの裾を破いて巻つけてある場所に。



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