10.反帝国組織◆
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翼竜の下顎にあたる、東に位置するロートレク王国。その最南端。深い渓谷に囲まれた場所に、山城が構えられていた。
侵入者を拒む、切り立った壁に城は支えられている。兵士たちが寝泊まりする居館の上には、見張り台となる塔が建てられていた。翼竜が飛び立つための露台も兼ねており、今しがたそこから飛び立った翼竜が、旋回しながら周辺の様子を見回る。城の入口は地上から十五米ほどの位置にあり、梯子を使って出入りした。地下は穀物などを貯蔵しており、必要とあれば吊り戸を降ろして梯子を外し、籠城も可能だ。
きっちりと積まれた石で形造られた堅牢な防壁が、渓谷と城の間に建てられていた。壁の上にある回廊には、上空からの襲撃に備えていくつもの砲台が並んでいる。
各国にある支部を纏める反帝国組織。その本部であった。
九年前。瞬く間に隣国を侵略したディーティルド帝国に、支配を免れた国家は戦々恐々となった。
ブレイグは銃を開発改良した国家だ。各国の標準装備となったシュラプネル銃は、散弾で魔獣の視覚を潰し視界外からの攻撃を可能とした。その隣に位置するファンダス王国は魔獣の生態を研究しており、魔獣の骨を加工し武器に作り変える方法を確立した。金属の刃は小型の魔獣を仕留めただけで刃が欠け使い物にならなくなったが、魔獣の骨を使用した大剣は頑丈で、手入れさえ怠らなければ長期的な使用が可能だ。世界に流通した画期的な武器は、人類と魔獣の力関係を逆転させた。兵士の質も高いことで知られていたニ国が敗れることなど、誰も予想していなかったのだ。
ロートレクの国王は、同盟国と協議し反帝国組織を立ち上げた。表向きはディーティルド帝国に従いつつ、裏では資金や武器を援助している。各国から優秀な兵士が集められ、組織の一員として働いている。ファンダス王国やブレイグ王国から逃れてきた者たちも、祖国を奪われた無念を糧に訓練に励んでいた。
いくら人材を集めても、対抗手段がなければディーティルド帝国と渡り合うことはできない。帝国の造り出す兵器は、まさに圧倒的だった。身体能力は人間を凌駕し、翼は翼竜を上回る速度を有している。本格的な戦いに突入すれば全滅は避けられない。
手詰まりであった反帝国組織に舞い込んできたテレサの申し出は、ディーティルド帝国に肉薄できる可能性を著しく引き上げるものだった。
鎧戸が上げられた窓から、爽やかな風が吹き込んでくる。
周囲は書架に囲まれており、部屋の奥には重厚な造りの机が配置されていた。机上に肘をついて両手を組む男に、レイゲンは両足を揃え敬礼する。
日に焼けた顔に走る傷跡は、男が纏う剛健な雰囲気を一際強めていた。短く刈り込んだ黒髪と、鍛えられた筋肉が見て取れる身体つきは、彼の容貌を実年齢より若く見せている。
ベイル・デュナミス。反帝国組織の指導者である。
「ご苦労だった。して、どうだった。死天使と初めて戦った感想は」
挙げていた手を下ろすと、レイゲンは口を開く。
「……予想していたより、大したことはありませんでした」
人間が単独で打ち倒すことが不可能であると考えられてきた死天使。初めて相対してみて、その機動性も剣筋も、人間が及びもつかない領域にあることが実感できた。
だがそれでもやはり、自分の敵ではない。力を過信しているわけではない。歴然とした事実だった。
「期待以上だな。どうだ、力は取り戻せそうか」
レイゲンは小さく吐息を吐いて、唇を結んだ。ベイルに引き取られて以来、戦闘技術の向上に努めてきた。だが、依然として力が戻る気配はない。
封じてしまった能力は、レイゲンの深層意識の中に埋没してしまっている。もしかしたらその封印を解くことは、一生できないのかもしれない。
「断言はできません」
「そうか。ウルスラグナでの鍛練が、そのきっかけになればよいのだがな」
ウルスラグナ訓練校。フレイ王国に次ぐ国土を持ったこの国、ロートレクにそれはある。
都市の治安を維持する守衛士や、有事の際に王の命を受けて国のために働く国軍。そんな優秀な人材を育成するための学校の一つだ。しかしそれは、表向きの顔に過ぎない。
ウルスラグナ訓練校は、ロートレク王国と協力関係にある国家が合同で設立した最初の学校だった。現役を退いた国軍や守衛士の中でも、高名な者だけが教官となり生徒を指導する。訓練校で一年間を過ごした成績優秀な生徒は、反帝国組織の兵士として迎え入れられるのだ。
レイゲンはまだ正規兵ではない。ウルスラグナ訓練校を卒業したあとに、晴れて兵士見習いから脱却できる。
レイゲンは他の兵士より、自分が劣るとは思っていなかった。兵士が何十人も集まなければ成し遂げられないことを、自分は単独でやり遂げられるのだ。そんな自分が訓練校に通い、平和ぼけした同年代の中に入っていかなければならないと考えると、馬鹿馬鹿しいとさえ感じる。
だが、組織を束ねるベイルは、そうは思っていないようだ。彼は誰よりも、規律や規範を重んじる性格の持ち主だった。その上レイゲンはベイルの養子である。経験も実績もない内から早々に戦場に投入し、消耗品のように使い潰してしまうことはしたくないのだろう。
自分にも他者にも厳しいベイルが、家族としての情を自分に感じてくれていることに、レイゲンは感謝していた。
「今日お前に来てもらったのは他でもない。死天使の処遇についてだ」
「はい」
ディーティルド帝国の兵器開発責任者である、テレサ・グレイヘン。以前から女と連絡のやり取りをしていた組織は、テレサが帝国を離反する前に、様々な取り決めを行なった。女が手がけた死天使の処遇も、契約に含まれている。
「テレサを我々の組織に迎え入れた後、死天使をウルスラグナに入れる」
「──な」
ベイルの言葉が信じられずに、レイゲンは狼狽した。
「そんなことをして、一体どんな意味があるのですか。兵士を志すといっても、素人に毛が生えた程度の集団の中に入れるよりも、組織で管理するべきでは」
「条件のひとつだ。この約束が果たせなければ、技術は渡せないと言っている。こちらとしても、一から戦闘技術を学ばせる余裕はないからな」
(あの白髪女……!)
レイゲンは腹立たしさに顔をしかめた。
一年間の自由を要求したかと思えば、あげくの果てには、兵器を訓練校に入れて学ばせたいとは。まるで狂人だ。常軌を逸している。
「死天使を手駒にできる技術がようやく手に入るのだ。多少の要求は飲む」
「しかし、何の保証もなく死天使を訓練校に入れることは……」
ディーティルド帝国から離れた技術者と死天使は、一年間反帝国組織の監視を受けることになる。その間、住む都市も手配しなければならず、兵士たちはディーティルド帝国からの追手を警戒しなければならない。もしも、それだけの労苦に見合った結果が得られなかったら。
「もちろん、なんの手も打たずに人間の中に解き放つわけにはいかん。テレサと一年間暮らしたあとに、奴を一月ダエーワに預ける」
ダエーワ支部。ロートレク王国の国境にほど近い場所にある施設だ。周辺の哨戒を行うために、兵士が駐屯している。
「テレサには一月部屋の中に閉じこめておくだけだと伝えるが、死天使を入れる数日前に、駐屯する兵士を入れ替える」
テレサは人の目を通して、相手の心と記憶を読む力を持つ。全てを計画した上で説明すれば、筒抜けになってしまうだろう。そこでベイルが考えたのは、ダエーワ支部の人員を、すべて死天使に恨みがある人間に替えてしまうというものだった。家族を殺され、生まれ育った都市を滅ぼされた兵士たちが、死天使を監禁するだけで納得するはずがない。
ベイルは死天使を徹底的に追い詰めて、安全性を確かめるつもりなのだ。
「お前にも一月、ダエーワに駐在してもらう。テレサの話では、奴は学習し力をつけることができるらしい。その力は従来の死天使を上回ると。暴走し兵士に危害を加えた場合、破壊するのはお前の役目だ。問題はないな」
「……はっ」
レイゲンは踵を返すと、司令室を出た。
換気をするために造られた小窓から、外の景色が窺えた。春の陽気に満たされた青空は、淡い水色をしている。
レイゲンの脳裏に浮かんだのは、年頃の娘のように頬を染める死天使の顔だった。自分が選んでやった淡い色の衣装に身を包んだ死天使は、兵器であることを忘れさせるくらい輝いて見えた。
恥ずかし気に顔を俯かせる死天使を見たとき、レイゲンは衣装店に足を踏み入れてしまったことを後悔したのだ。死天使のその表情さえ見なければ、まるで普通の少女のようだと思わずに済んだ。兵器を使う使用者の立場から、動かずに済んだのだ。
(……あいつは兵器なのか。それとも…)
答えは出ない。レイゲンは疑問に蓋をし、その場を後にした。




